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ローゼンベルク家の食卓

メッセージ欄

2013年1月の日記

【ex13】ローゼンベルク家のとりねこ

2013/01/13 2:42 番外十海
  • ホリデーシーズンで賑わうサンフランシスコの街角で、彼らは出会った。まるで中世の騎士物語から抜け出たような人たちと。あるいは奇妙なコーヒー色の猫と。
  • 新年特別編。ファンタジー別館「とりねこの小枝」とのクロスオーバーエピソード。
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【ex13-0】登場人物

2013/01/13 2:43 番外十海
 
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【シエン・セーブル/Sien-Sable】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 料理が得意。最近はお菓子作りにもチャレンジしている。
 エリックとゆったりとしたペースの清い交際を続けている。
 
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【エリック/Hans-Eric-Svensson】 
 シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩、24歳。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。好物はエビ。
 デンマーク人の祖父を持つバイキングの末裔。寒さにも極めて強い。
 シエンと交際中。手ごわい家族のガードに阻まれてもめげない。
 
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【オティア・セーブル/Otir-Sable 】 
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 外見はほぼシエンと同じ。飼い猫のオーレはエドワーズ古書店の猫、リズの娘。
 ヒウェルへの突っ込みは容赦無いが、マメに世話を焼く一面も。
 迷子の犬や猫の扱いが上手い。
 マクラウド探偵事務所の有能少年助手。
 
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【オーレ/Oule】
 オティアの飼い猫。
 白毛に青い瞳、左のお腹にすこしゆがんだカフェオーレ色の丸いぶちがある。
 最愛の『おうじさま』=オティアを守る天下無敵のお姫様。
 趣味はフリークライミングとトレッキング(いずれも室内)、好物はエビ。
 得意技は跳び蹴り、標的は言わずと知れたへたれ眼鏡。
 今回、お友達ができた。
 
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【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢、時々天然。
 レオンの嫁で双子の『まま』。大きな温かな翼を広げて迷い子を包み込む。
 
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【レオンハルト・ローゼンベルク/Leonhard-Rosenberg】 
 通称レオン、弁護士、27歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフの旦那で双子の『ぱぱ』。
 爽やかな笑顔の裏で実はかなりの激情家。嫁に近づく不埒な輩には容赦無い。
 
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【カルヴィン・ランドールJr】
 純情系青年社長。ハンサムでゲイでお金持ち。
 サンフランシスコ在住の33歳、通称カル。
 骨の髄からとことん紳士。全ての女性は彼にとって敬うべき「レディ」。
 サンダーと言う大きな黒犬を飼っている。
 
【サンダー】
 レオンベルガー犬の血を引く真っ黒な子犬。
 ランドール社長はボス。おさんぽ大好き。ドッグランはもっと好き。
 
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【エドワード・エヴェン・エドワーズ/Edward-Even-Edwars】
 通称EEE、英国生まれ、カリフォルニア育ち。
 濃いめの金髪にライムグリーンの瞳。
 元サンフランシスコ市警察の内勤巡査でディフとレオンの友人。
 現在は父親から受け継いだ古書店の店主。やや引きこもり気味。
 飼い猫のリズは家族であり、よき相談相手。
 若い頃は相当にやんちゃをしていた。
 獣医のサリー先生のことが何かと気になるものの、バツイチな自分に今ひとつ自信の持てない36歳。
 
【リズ】
 本名エリザベス。
 真っ白で瞳はブルー、手足と尻尾に薄い茶色の混じるほっそりした美人猫。
 エドワーズ古書店の本を代々ネズミから守ってきた由緒正しい書店猫で、エドワーズのよき相談相手。
 6匹の子猫がいるが、それぞれもらわれて行った。
 末娘のオーレはオティアの元へ。
 
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【ヒウェル・メイリール/Hywel-Maelwys】
 職業はフリーのジャーナリスト。黒髪にアンバーアイ、ひょろ長猫背の不健康大王。
 レオンの後輩でディフとは高校時代からの友人。腹を割って話し合える間柄。
 オティアにぞっこん参ってるへたれ眼鏡。
 特技は『いらんひと言で痛い目を見る』こと。
 カニが怖い。とにかく怖い。ピーマンは人間の食い物じゃない。
 
illustrated by Kasuri
 
次へ→【ex13-1】シエンとエリック

【ex13-1】シエンとエリック

2013/01/13 2:46 番外十海
 
 ユニオン・スクエアには冬期限定でスケートリンクが出現する。
 広場の一角をフェンスで囲み、シートで覆って。いつもは人が普通に歩く路面の上に分厚い氷が出現するのだ。周囲のテントではシューズのレンタルもしているから、ふと思いついて手ぶらで行ってもOK。
 仕事や学校の行き帰り、あるいは買い物をする家族を待つ間や昼休みに気軽に楽しめる。

 老若男女、入り交じって頬を真っ赤にしてスケートを楽しむ中、あたかも地面の上を歩くように仲むつまじく連れ立って滑る二人がいた。
 一人はひょろりと背の高い金髪の北欧系の青年。青緑の瞳の上に金属フレームの眼鏡をかけ、セーターの上から薄手のダウンジャケットを羽織っている。フードを被ってはいるもののマフラーは巻かず、手には薄手の黒い手袋。全体的に動きやすさを重視した服装だ。
 もともと寒さに強いのだろう。

 もう一人は小柄な少年だった。くすんだ金髪に紫色の瞳、明るいきつね色のダッフルコートを着て、ピスタチオグリーンの手袋をはめている。二人とも楽しげに言葉を交わしながら軽快な足取りで氷の上を滑っていた。

「……でね、オーレがヒウェルの頭を踏み台にして……」
「ああ、猫ってよくやるよね! っあ」

 急に眼鏡の青年が顔を強ばらせて立ち止まる。

「どうしたのエリック」

 少年もまた足を止め、怪訝そうに見上げた。エリックは警察官だ。ひょっとしたら雑踏の中に容疑者を見かけたのかも知れない。知らず知らずのうちに顔が強ばり、青年の腕にしがみついていた。

「あ……ちがうんだ、シエン。そうじゃないよ」

 エリックは目元の力を抜いて表情をなごませ、シエンに笑みかけた。少年もほっと安堵の息をつく。言葉に出さずとも自分の不安を読み取り、答えてくれた。その事が嬉しかったのだ。

「今、そこにセンパイが居たような気がして」

 すっと黒い手袋をはめた指先が示す先は、ホリデーシーズンの買い物客でごった返していた。

「んー」

 シエンは紫の瞳をこらしてじっと見つめた。人混みの中、ちらっとがっしりした広い背中が見えた。
 背が高くて、筋肉質で、緩やかにウェーブのかかった長い髪。確かに背格好はディフ……自分と双子の兄弟オティアの保護者の一人、時々冗談まじりに『まま』と呼んでいる男性に良く似ている。
 けれど。

「確かに背格好は似てるけど、違うよ。ディフの髪はもっと赤みが強くて長いし。それに、あんな風に背中丸めて歩いたりしないよ」
「それもそうだね!」

 エリックはほっと胸をなで下ろした。
 例の人影を見た瞬間、正直心臓が縮み上がった。ランチタイム後のささやかな一滑りを、保護者が監視していたのかと。特にやましいことはしていないが、それでも強面のセンパイに睨まれると落ち着かない。
 よかった。本当に良かった、人違いで。

「もう一回りしてこようか」
「うん!」

 エリックとシエンは再び氷を蹴って滑り始めた。一方で背の高い男はあっちにふらふら、こっちにふらふらしながら次第に遠ざかり、やがて人混みに紛れて見えなくなった。

次へ→【ex13-2】オティアと謎のコーヒー猫

【ex13-2】オティアと謎のコーヒー猫

2013/01/13 2:47 番外十海
 
 ガラスのドアをくぐり抜け、オティアはコーヒースタンドを後にした。
 彩り鮮やかなホリデーシーズン限定ブレンドにはあえて背を向けて、買ったのはデカフェのコーヒー。
 カフェインの過剰摂取でいつも胃を押さえている、黒髪のへたれ眼鏡に飲ませるためのものだった。

 外に出た途端、冷たい風が吹きつける。去年の寒波に比べればだいぶマシだが、それでも冷たいものは冷たい。
 フード付きの真新しいネイビーブルーのコートの襟元をかきあわせる。去年まで着ていたコートの袖が短くなっていたので、衣替えの時買い替えたのだ。

『育ち盛りだからな』

 そう言って古いコートをたたむディフはなぜか嬉しそうだった。

『それ、どうするんだ?』
『そうだな、リサイクルショップに売るか、寄付するか……何か希望はあるか?』
『……テリーのとこに持ってくのはどうだろう』

 テリーはカリフォルニア大学で学んでいる獣医学部の学生だ。時々、探偵事務所の手伝いをしてくれる。
 彼は自分たち同様、早くに両親を亡くし里親のもとで育った。『テリーのとこ』とはすなわち彼が育った里親の家で、いつも十人近い里子が世話されている。

『なるほど、いい考えだな』
『ん』
『テリーには、お前が自分で渡してくれ』
『わかった』

 今ごろ、あのコートはテリーの『弟』の誰かが着ていることだろう。
 
     ※

 人混みを避けつつ、事務所に向って歩き出す。クリスマスを間近に控え、街は日々赤と緑に席巻されつつあった。周囲の建物はクリスマスの飾り付けで鈴なり。これ以上どこに増やすのかと思っても、予想外の所にぽこっと新しいのが増えていたりするから不思議だ。

「ん?」

 ある店の前で足が止まる。そこはよくあるデリカテッセンだった。この辺りのオフィスに勤める人間が主なお客で、自分も何度かここでコーヒーやサンドイッチを買った事がある。
 木枠にガラスの嵌まった古風なドアに、大きなクリスマスリースがかかっている。昨日は無かった。
 確かに緑と赤の鮮やかなクリスマスカラーなのだが、どこか異質だ。
 首をかしげて、まじまじと観察する。

「ああ」

 違和感を感じたのも道理。リースは色鮮やかなピーマンでできていたのだ。緑を基調に所々、アクセントで赤ピーマンが混じっている。そして輪の真ん中にはさん然と、大きな大きなイチョウガニが掲げられていた。
 ピーマンと違ってこちらは本物ではない。精巧なプラスチックの模型だ。食べ物を扱ってる店だから、こう言う飾り付けも有りなんだろう。
 ピーマンは色鮮やかで日保ちがするからリースの材料としてぴったりだし、カニはサンフランシスコの名物だ。フィッシャーマンズワーフの看板にもでかでかと載っている。
 
 しかしこの組み合わせは……。
 顔面蒼白になって腰を抜かす奴がいそうだ。そう、黒髪のひょろっとしたへたれ眼鏡とか。
(作ってみるか?)
 それとなく構造を調べようとしみじみ見つめていると。いきなり、びったん! と焦げ茶色の生き物が張り付いた。

「わっ」

 猫だ。どこから飛んで来たものか、ドアの木枠のわずかな凹凸に四つ足を踏ん張ってる。
 鼻面をふくらませ、ヒゲをぴーんっと前に倒している。長い尻尾がひゅんひゅんと左右に揺れる。完全にやる気だ。金色の目をらんらんと輝かせ、ひたとカニに狙いを定めていた。
 
「ぴゃ……」

 カニに向って伸び上がったその瞬間、ずりっと足が滑った。

「ぴぃいいっ!」

 バランスを崩してあわや滑落しかけた所を、はっしと両手で受け止めた。

「んぴゃっ!」
「それ、本物じゃないから食えないぞ」
「ぴゃー」

 こげ茶の猫は耳を伏せ、目を半開きにしている。

「確かめてみるか?」

 腕を伸ばし、カニに向って猫を差し伸べてみる。こげ茶猫はふん、ふん、とプラスチックのカニのにおいを嗅ぎ、ぷいっと顔をそむけた。食べられないとわかったらしい。

「納得したか」
「ぴぃう」

 人懐っこい猫だ。抱かれても暴れないし、何より人と会話することに慣れている。背中にいささか肉がつきすぎてる気もするが、毛並はふかふかとして柔らかく、健康そのもの。そして首にはオレンジ色の革ひもを編んだ首輪を付けていた。
 まちがいなく、飼い猫だ。

「ちょっとごめんな」

 首輪に手を触れて調べてみる。色とりどりのウッドビーズと、きらきらしたオレンジの模様入りの玉が下がっていた。だが生憎と、飼い主の住所も電話番号も書かれていない。
 迷子だろうか。逃げ出したんだろうか。とにかく、こんな車通りの多い所に放っておく訳には行かない。

「おいで」
「ぴゃあああ!」

 猫はするするっと腕から抜け出した。一瞬、逃げられるかと焦ったが、離れる様子はない。肩に後脚を踏ん張り、前足でのしっと頭にしがみついて来た。オーレと同じだ。

「お前いつもこうやってるのか」
「ぴゃああ」
「しっかりつかまってろよ?」

 コーヒー色の猫を頭に乗っけて歩き出す。すれ違う人が振り返ってこっちを見ていたが、あえて気付かないふりをした。
 こちらが平然としていれば、変に注目される事もない。それほど難しい事じゃなかった。実際、家ではいつもオーレをこんな風に乗っけて歩いてるのだから。

     ※

 オフィスビルの二階、廊下をずーっと歩いた先の突き当たり。マホガニー色のドアに嵌められたすりガラスの窓には、かっちりした書体で「マクラウド探偵事務所」と書かれている。
『休憩中』の札を外し、鍵を開けて中に入る。その間、こげ茶猫は器用に頭の上でバランスをとっていた。
 慣れたもんだ。普段から飼い主にこうやって乗っかっているのだろう。

「ただ今」
「にうーっ!」

 サークルの中で白い猫がぴょんぴょん飛び跳ねる。扉を開けるとしっぽをぴーんっと立ててすり寄ってきた。

「オーレ」
「うにゃあるるる、ぐるるるみゃあお」
「……よしよし」

 ひとしきり挨拶を済ませると、白い猫はじっとこげ茶の猫を見上げた。
 しっぽをぴーんっと立てている。するとこげ茶の猫がすとっと床に飛び降りて、両者は同じ視点で見つめ合った。
 互いに鼻をつきだして、くんくんとにおいを嗅ぐ。しかる後、ぴとっと鼻をくっつけ合った。

「にうっ」
「ぴゃ!」

 どうやら、コーヒー色の猫はオーレと意気投合したらしい。
 看板に飛びついたぐらいだから、腹が減ってるんだろう。事務所に備え付けの皿を出してきて、キャットフードをぱらぱらと盛った。

「そら」

 コーヒー猫はくんくんとにおいを嗅いで首をかしげている。するとオーレが横からひょいと顔をつっこみ、一口かりっと食べた。

「にうっ」
「………」

 コーヒー猫は真似してドライフードを口にする。ためらいがちにかりかりとかじって、ぱああっと目を輝かせた。

「ぴゃああああっ」

 気に入ったらしい。がっしがっしと食べ始める。
 一安心してオティアはデスクに座り、電話を手に取った。かける先はアニマルポリスだ。

「ハロー、迷い猫を保護しました。特徴は……」

 猫の毛色、およその大きさ、しっぽの長さ、身に着けた首輪の色と形、目の色を手短に伝える。
 特徴の一致する迷子の届け出はまだ出ていなかった。続いて近所の動物病院に問い合わせるが、こちらも空振り。飼い主はこいつがいなくなった事にまだ気付いていないのか、あるいは……。
 取り乱して必死で探し回っている最中なのかも知れない。早い所落ち着いて、冷静な判断力を取り戻してくれるのが望ましいのだが、愛猫がいなくなってとっさに落ち着いていられる飼い主は少ない。
 普段は温厚で冷静な古書店主、Mr.エドワーズさえも、かつて子猫が行方不明になった時は取り乱して酷い有り様だったものだ。
 幸いその子は無事に保護されて、今ではこうして、探偵事務所の『びじんひしょ』を務めている。

「んぴゃぁう」

 カタンとかすかな音がした。顔をあげると、皿は空っぽになっていた。コーヒー猫は満足げに顔を洗っている。
 
「どんだけ腹へってたんだ」
「んっぴゃあるるるぅう」
「にーう、ぐるるるにゃう」

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【ex13-3】古書店の客

2013/01/13 2:48 番外十海
 
 表通りから一本ひょいと奥に入り込み、パン屋に魚屋、レストラン、花屋に時計屋……赤レンガを敷き詰めた通りに沿って、昔ながらのこじんまりした店が建ち並ぶ一角にその店はあった。
 砂岩造りの細長い建物の軒先には、ぴかぴかの真鍮の看板がかかっていた。そこには「エドワーズ古書店」と記されている。深みのある緑色で塗られた木枠に縁取られた出窓からは、本のぎっしり並んだ店内がかいま見える。
 
 その窓の一つから今、一人のお客が熱心に店内をのぞき込んでいた。本に興味は引かれるものの、中に入ったものかどうか、今ひとつ決め兼ねているらしい。毛織りのチュニックを来た、小柄な亜麻色の髪の男性だった。
 冷やかしでないのは明らかだ。蜂蜜色の瞳に浮かぶ表情は真剣そのもの。
 
 エドワード・エヴェン・エドワーズはただ黙って待っていた。この表情は今まで何度も見てきた。静かな中に、知的好奇心を抑え切れないと言った風情だ。ここでみだりに声をかけては逆効果。
 と、目の前をひゅうっと白い尻尾が過る。飼い猫のリズがとことこと窓に歩み寄り、とんっと出窓に飛び乗った。男性は『お』と言う表情をして、白い猫の動きを目で追っている。
 リズはちょこんと首をかしげて一声、呼びかけた。

「みゃおう!」

 男性客は目元に笑い皺を浮かべてほほ笑んだ。一端、出窓からは姿が消えたが、入り口に回る気配がする。ほどなくドアベルの音色が響いた。

「いらっしゃい」
「邪魔するよ」

(おや?)
 彼が入ってきた時、ふわっと柔らかな香りが漂った。合成されたものではない。自然な植物の香りだ。
(庭いじりをする人なのだろうか)
 果たして、彼の興味を引いたのは、植物に関する本の並ぶ一角だった。
 後ろ手に手を組んで、静かに、熱心に本を吟味している。時折、棚から引き抜いてページをめくる。古い書物を扱い慣れた動きだ。その合間に、足元に付きそうリズとごく自然に話している。

「なるほど、お前さんはこれを見せたかったんだな、お嬢さん?」
「みゃう」

 それとなく観察しているうちに気付いた。彼の服に、ふわふわした茶色の毛がついている事に。

「もしかして猫、飼ってらっしゃいますか?」
「うん、うちのはこげ茶だ」

 やはり、そうだったか。
 男性は屈みこんで手を伸ばし、リズを撫でた。

「このべっぴんさんは、何てお名前なのかな?」
「リズです」
「みゃう」
「そうか、リズ。リズはかしこいな」
「んみゃあ」
「ちゃんと俺がどの本を読みたいのかわかってたものな」
「みぃう」

 ほほ笑みながら亜麻色の髪の男性は、きちっと座るリズの目の前の本を抜き取った。
 ぱらっとめくり……はっと目を見開いた。それは写真を豊富に使った植物図鑑だった。

「む、むむ……こりゃすごい」

 食い入るように見入っている。さっきまでまとっていたどこか眠そうな、ゆったりした空気がきれいに消し飛んでいる。
 経験からエドワーズは察した。どうやら、彼は『運命の一冊』に巡り合ってしまったようだ。

「いかがでしょう? 今でしたら、ホリデーシーズンのセールでお求めやすくなっていますが……」
「うーん、今、持ち合わせがないんだよなあ」

 こりこりと頭をかいてから、男性は懐を漁り始めた。サイフを探しているようだが、別の物も引っ張り出してしまったらしい。ばさりと小さな本が落ちる。

「おや、これは……」

 今度はエドワーズが目を見開く番だった。
 それは大きさも、厚みもA5判の手帳ほどの本だった。

「見せていただいてもよろしいですか?」
「おう? どうぞ、こんなもんでよけりゃ」
「では、失礼して」

 こんなもん、どころの話じゃなかった。装丁は牛の革。丁寧な細工で、ほころび一つなくしっくり手に馴染む。そして中味は紙ではなく、全て羊皮紙だった。合成した模造品ではない。本物の羊皮紙だ!
 精彩な筆致で、図版と文字が書き込まれている。
 エドワーズは感嘆のため息をついた。

「これは、どちらで手に入れられたのですか?」
「ん? ああ、俺が作ったんだ」
「素晴らしい! 何て素晴らしい技術をお持ちだ」

 エドワーズは本を売るのみならず、自らの手で古い本を修復し、装丁もする。ひとめで技術の高さがわかったのだ。

「よろしければ、これを譲っていただけますか。この本と交換で!」
「いいのか?」
「はい、ぜひに」

 この本には、それだけの価値がある。

「よし、それじゃ取引成立ってことで」
「はい」

 二人はほほ笑みあい、固い握手を交わした。

「ありがとうございました、お気を付けて
「ほいよ、こっちこそありがとさん。じゃあな、リズ、ごきげんよう」
「みゃっ」

 包装された植物図鑑を抱えて、亜麻色の髪の男性は上機嫌で帰って行った。
 エドワーズも上機嫌。手にした本を、改めてじっくりと愛で回す。

「本当に、すばらしい。こんなに質のよい羊皮紙は見たこともない」
「みゅっ」
「ご覧、この絵。この文章」

 そこには、この世を構成する五つの元素、そして聖と魔、二つの流れを汲む十三柱の神々についての物語が書かれていた。
 うっとりしながらページをめくると、リズがカウンターに飛び乗り、のぞき込んできた。

「まるで魔法使いのジャーナル(魔法書)だね、リズ」
「みゃ」

 リズが本に鼻を寄せてにおいをかいでいる。自然とエドワーズの意識も、香りに向けられた。
 皮のにおいに混じって本から漂うかすかな香り。甘さとつんとした爽やかさの入り交じるそれは、彼のまとっていた香りと同じだった。
(ああ、そうか。これはハーブの香りだ)
 薬草と香草の香りをまとい、猫と話す。しかも言葉の端はしにまるでシェイクスピア俳優のような、古風な響きが感じられた。
 そして、この本だ。

「リズ。ひょっとしたらあの人は、本物の魔法使いかもしれないよ」
「みい」

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【ex13-4】迷える暴走青年

2013/01/13 2:49 番外十海
 
 ディフォレスト・マクラウドは元警察官で今は私立探偵だ。背は高く、肩幅も広く、腕にも胸にも筋肉がみっしりと盛り上がっている。日常的に体を動かすことで作られた自然で実用的な肉付き。鋭い眼光、油断のない動き。
 黒い革のライダーズジャケットを羽織り、ジーンズの腰にくくりつけたホルスターには凹凸の少ないオートマチックの拳銃が忍ばせてある。
 見てくれに限って言えば、この上もなくTVドラマに出て来る『タフで腕っ節の強い探偵』のイメージにぴったりだ。

 しかし、ゆるくウェーブのかかった赤い髪はふわふわと肩から背中にかけて流れ、ヘーゼルブラウンの瞳には時折、やわらかな光がにじむ。何より引き締まった腰から尻にかけてのラインは妙に艶めかしく、見る目を持った男の胸を訳も無くざわつかせる危うさを漂わせていた。

 剛と柔。相反するちぐはぐな印象が、全て一人の男の中に矛盾なく存在している。
 何となれば彼は腕利きの弁護士レオンハルト・ローゼンベルクの最愛の伴侶であり、双子の兄弟オティアとシエンの母親代わりでもあるのだ。

 今日は依頼人の元へ調査資料を届け、さらに市役所に立寄って細々とした手続きを済ませて来た所。
 とかくお役所仕事と言う奴は些細な事でいちいち待たされ、時には建物の反対側の窓口にまわされるのがお約束。覚悟はしていたもののかなり手間取り、結局ランチを食べそびれてしまった。弁当は持参していたが、食べる時間が無かったのだ。
 ようやく自由の身になって事務所に戻る途中、我慢できなくて公園で車を止めた。良い天気だったし、なまじ近くに食べ物があると思うとどうにも腹が鳴って仕方がなかったのだ。
 かと言って車の中でもそもそ食べるのも味気ない。ランチボックスを抱えて外に出る。
(その辺のスタンドでコーヒーを買って、ベンチで食べよう)
 のっしのっしと大股で手近のコーヒースタンドに歩いて行く途中、奇妙な情景に出くわした。
 公園の一角にそこはかとなく人が集まっている。人垣を作るほどではないものの、そこを通過する時は明らかに歩調を緩め、遠巻きにしある一点に注目している。
 幸い、怯えたり警戒したりしている様子はない。ただ何やらこう、不思議なものを……本来ならあるはずのない物を見て、戸惑ってるようだ。
 さらに近づくと原因がみえてきた。老若男女一様に首をかしげて、一人の青年の一挙一動を目で追いかけているのだ。

「ドラマの撮影?」
「コスプレ?」
「ドッキリ?」

 そんな囁きがさやさやと、さざ波のように伝わってくる。
 黒髪のがっちりした体格の青年だった。年ごろは18歳かそこら、大学生ぐらいか。陽に焼けた肌は健康そのもの、だがその服装が一風変わっていた。
 ジェダイの騎士か、修道士か魔法使い、はたまたスランケット(元祖着る毛布)のような深緑のローブを着ているのだ! 明らかに、浮いている。だが本人はまったく気にしていない。
 眉根を寄せ、せわしなく周囲を見回している。せかせかとあっちに歩いていったと思ったらこっちに戻ってくる。何か、探してるのだろうか。
 立ち去りがたく、見守っていると彼がこっちを見て、はっとした顔つきになった。何かを見つけたらしい。ものすごい勢いで駆け寄って来た。
(うおっ、俺か?)
 黒髪の青年は、半泣き半笑いでしがみついてきた。

「ダイン先輩っ! 良かった、ここで会えるなんてっ」
「え?」
「……あ」


 青年の表情が、安堵から急転直下、戸惑いに変わる。おずおずと腕を放し、申し訳なさそうにうつむいた。

「申し訳ありません。人違いでした」

 がっくりと肩を落とし、頭を下げる。
 演劇科の学生だろうか? 仕草も古風だし、何だかシェイクスピア劇みたいな古めかしい喋り方だ。

「先輩に似てたから、てっきり」
「いや、いいんだ。それよりどうした、君。誰かを探してるのか?」
「……はい」
「その、ダイン先輩って人か?」
「いえ、実は探してるのは……」

 ぶるっと震えると、青年は両手の拳を握って叫んだ。

「お、俺の大事な人なんですっ!」

     ※

 いきなり話が深刻になった。とりあえずベンチに座って事情を聞いてみる。

「とりあえずこれでも飲んで一息つけ」
「あ、はい、ありがとうございます」

 差し出したコーヒーの紙カップ手に、青年はほっとひと息。

「あ、あったかい」

 鬼気迫った形相がほんの少し緩んだようだ。

「まずは名前を教えてくれないか? 君と、その探している大事な人の」
「はい。俺はエミリオ。エミルって呼ばれてます」
「OK、エミル。俺はマクラウドだ。ディフォレスト。マクラウド。マックスとかディフって呼ばれてる」
「探しているのは、俺の幼馴染で、シャルって言います」

 ほんのりとエミルの目の周りが赤い。どうやらただの幼馴染ではなさそうだ。

「どんな子なんだ?」
「美人です」
「……そうか、美人か」
「はい」

 真剣な表情だ。冗談でものろけでもない。素直に聞かれたことに答えただけのようだ。
 言わんとする事はわかる。自分もレオンの特徴を尋ねられたら迷うことなく即答するだろう。
『美人だ』と。
 だが、人探しの場合はそれでは困るのだ。

「それ以外の特徴は?」
「すごい、美人」

 ダメだ、こいつ。

「エミル」
「はい」
「ちょっと、落ち着こうか」
「……はい」

 一口コーヒーをすするのを見届けてから、今度はこちらから質問してみる。

「もっと、具体的な特徴があるだろ。髪の色とか、瞳の色とか、背丈とか」
「髪の毛は銀色で、癖がなくってつやつやでさらさらで。顔埋めるとすげえいい匂いがして」
「……落ち着け、エミリオ」
「瞳は青緑です。背丈は俺よりちょっとだけ低くて」
「ふむふむ」
「ちっちゃい頃は同じくらいだったからそれが悔しいみたいで、並んでると時々背伸びしてくる時があるんですよね。可愛いやらいじらしいやらで、もうキスしたくなる衝動を抑えるのに必死で!」
「エミル、エミル、エミル!」
「あ………」

 エミルは一瞬硬直し、それからしおしおうなだれた。

「すんません」
「うん、背丈が君よりちょっと低いってのはわかった」

 君がどれほどシャルに夢中なのかもな。思ったけれど口には出さない。

「他には? シャルの足取りを知る手がかりになるかもしれない。どんな細かい事でもいい、話してくれ。前にこの街に来たことは?」
「いえ、初めてです」
「そうか……じゃあ、シャルが興味を持ちそうなものに心当たりはあるか? 好きなスポーツとか、後は、そうだ、高いとこが好き、とか海がお気に入り、とか……」
「……マッチョかな」

 そう来るとは、予想外。

「……君以外で?」
「憧れてるんです。自分じゃ鍛えてもなかなか筋肉がつかないから」

 と、なると。どこぞのジム見学に行ってるのかもしれない。海軍基地も候補に入れとくべきか?

「触るのなら、俺の筋肉を好きなだけ触ってくれればいいのに。うっかりするとすぐ先輩とか隊長(チーフ)の筋肉をうっとりしながら撫でてるから、俺はもう心配で心配で心配でっ」
「あー、その、エミリオ?」
「わかってるんです、ダイン先輩は筋金入りの朴念仁だし心に決めた人がいるから安心だって。チーフもシャルの事は部下としてしか見てない! でもね、万が一ってこともあるじゃないすか! うっかりムラっと来ないことがないとも言い切れないでしょう! そうでなくても騎士団なんて血気盛んな野郎の巣窟だしっ!」
「うん、わかった。わかったからとりあえずこれ、食え」

 アルミホイルで巻かれたブリトーを握らせる。キョトンとしてたのでホイルを剥いて中身を見せてやった。

「何すか、これ」
「ブリトー。トウモロコシの粉で作った薄いパンケーキで肉とか野菜を巻いた食べ物だ。ロールサンドの一種だよ」
「……いただきます」

 がぶりと食いつくのを見届けてから自分の分にかぶりつく。もっしゃもっしゃと噛んでる間、二人はちょっとだけ静かになった。

「うまいっすね、これ」
「そーかそーか。豆腐アボカドと小エビを入れたんだ。あと青梗菜な」
「不思議な食感ですね」
「うん、日本風と中華とカリフォルニアのミックスだ」

 かじりながらこっちも考える。
 薄々事情が見えてきたぞ。シャルは彼女じゃなくて、彼なのだ。
 それに今、騎士団と言った。つまり、彼らは………

(中世騎士団ショーのメンバーなんだな!)

 中世の騎士さながらに鎧兜を身に着けて、馬上槍試合を行う人々がいる。
 ヨーロッパのみならず、アメリカにも槍試合を再現したアトラクション施設が存在する。サンフランシスコの南、ブエナパークにその名も「Buena Park Castle」と呼ばれる城があった。
 他の州や国外から『騎士団』を呼んで試合をすることもあると聞いている。
 ここに来るまでにポスターを見かけた。ホリデーシーズン中は、サンフランシスコ市内でも出張試合が開催されると書かれていた。おそらく彼らのチームは、招待されて他所からやって来たのだ。公演の合間に町中に宣伝に出て、はぐれしまったのだろう。

「他には、何か?」
「シャルは、動物好きなんです。犬とか猫とか! 特に犬。実家でいっぱい飼ってるんで」
「なるほど」
「俺のシャルが一人でふらふら歩いてると思うともう、心配で心配で心配で心配でっ」
「わかった、わかったからとりあえず」

 紙ナプキンを握らせる。

「口、拭け」
「おっと」

 エミルはごしごしと口についた豆腐の欠片とマヨネーズを拭き取った。
 ディフは微笑ましい気持ちで見守った。
 ここはサンフランシスコだ。男に惹かれる男は多い。エミルが取り乱すのも無理はない。実際、それほどの美形「騎士」が迷子になっていたら、男女問わず手を差し伸べたくなるだろう。下心の有無は別として。
 自分にしたってもし、レオンが一人でうろちょろ迷子になっていたらと思うと……。
 とてもじゃないが、エミルの取り乱しぶりを他人事とは思えない。

「なあエミル。ここの近くにドッグランがあるんだ」
「何すかそれ」
「犬を放し飼いにできる場所だよ。要するに、犬連れた人が、いっぱい来る」
「連れてってください!」
「……OK、わかった」

 ものすごく真剣な表情だ。矢も盾もたまらず、シャルを探しに飛び出し、舞台衣装のまんま駆けずり回ってたのだろう。

「よし、行くぞ、エミル」
「はい、マクラウドさん!」

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【ex13-5】社長、美形を拾う

2013/01/13 2:50 番外十海
 
 その日、カルヴィン・ランドールJrはホリデーシーズンの休暇を利用して久々に愛犬サンダーとゆっくり時間を過ごしていた。
 朝食には生のトマトを添えて、食後はとっくみあってレスリングを楽しむ。心ゆくまでふさふさした毛並にブラシをかけ、昼はドッグランに出かける事にした。
 彼らの住むマンションからドッグランのある公園までは、少しばかり距離がある。車で行こうかとも思ったが、期待に目を輝かせて尻尾を振るサンダーを見て心を決めた。

「歩いて行こうか」

 途端に尻尾が加速して、目にも止まらぬ早さでぶんぶんぶぶんと揺れる。満面笑み崩しながら丈夫なリードを取り、首輪に繋ぐ。糞回収用の袋と、ペットボトルに入れた水、おやつ用のドライトマト、そして忘れちゃいけないゴムのワニさん。
 丈夫なキャンバス地のトートバッグに入れて肩にかけた。

「おいで、サンダー」
「わうっ」

 犬を連れて歩いていると、犬好きな人間はすぐわかる。遠くから犬の一挙一動を見守り、嬉しそうに笑っているから。
 特にサンダーは大型犬だ。四つんばいで歩く子グマほどの真っ黒な犬を見て、にこにこしているのはまず、犬好きと見てまちがいない。
「わんわーん」と言いながら手を振る子供も居る。呼ばれているのがわかるのか、サンダーもその子の方を見て、尻尾を振る。

 上機嫌で道を歩き、公園に入った。手入れの行き届いた芝生と、すっくと伸びた木々の間をゆるやかにうねった遊歩道が延びている。
 既にリードフリーOKの表示があるものの、念のためリードは着けたまま進む。サンダーは体が大きく、力も強い。それでいてまだ、子犬特有の悪戯っ気が抜けていない。当人(犬?)にその気は無くても、ちょっとした動作が破壊活動になりかねないのだ。

 飼い主には、自らの飼い犬が人間社会の中で迷惑をかけずに生きて行けるよう、常に気を配る義務と責任がある。
 サンダーの生涯のうち最初の数ヶ月は不幸なものだった。左目の上に今も残る白いラインはその名残だ。それだけに一層、この毛むくじゃらな生き物を愛おしみ、大事に育てなければと感じる。

 ふと、視線を感じて顔を上げた。
(おや?)
 行く手にすらりとした銀髪の青年が立っている。庭いじりの途中で抜け出して来たのか、あるいは近くのカフェの店員か。
 白いシャツの袖をまくり、藍色のシンプルなエプロンを着け、同じく藍色のスラックスを履いている。足元は革のサンダルだ。さらさらとした銀髪をポニーテールに結い上げた姿は実に活動的だ。
 うっとりと頬を染め、真冬の海にも似たメノウ色の瞳を輝かせ、ひたとこちらを見据えていた。白い肌は大理石のように染み一つなく透き通り、体つきはランドールの好みからすればいささか線が細いものの、まくった袖からのぞく腕はしっかりとしていた。
 なかなかに見目麗しい青年だ。目線が合うとにっこり笑った。その曇りのない笑顔が何とも心地よい。ごく自然にこちらもほほ笑み返し、声をかけていた。

「こんにちは」
「こんにちは! あなたの犬ですか?」
「そうだよ」
「まだ子犬ですよね。かわいいなあ……なでていいですか?」
「どうぞ」

 銀髪の青年は迷いの無い足取りで近づき、すっと片方の膝をついて座った。一連の仕草は流れるようにしなやかで、思わず知らず目が引き寄せられる。

「おいで」

 ゆるく手の指を曲げ、手のひらを上にして差し伸べて来る。サンダーの顔に対して低い位置をキープして。
 サンダーはふん、ふん、と青年のにおいを嗅ぎ……わっしとばかりに前足で抱きつき、顔と言わず体と言わずぺろぺろとなめ回す。

「あ、こら!」
「大丈夫ですよ。ふふっ、可愛いなあ、ふかふかしてるなあ」

 銀髪の青年は嬉しそうにサンダーの首に抱きつき、撫で回す。そのうち、一緒になって芝生の上をころころ転げ始めた。
 常に犬に不安を抱かせず、それでいて決して自分より上位には立たせない。どうやら、かなり犬の扱いに慣れているらしい。

「君も犬を飼っているのかい?」
「え、あ、はい。実家にたくさんいるんです」

 髪の毛や体に芝生や落ち葉をくっつけたまま、青年はふと目を伏せて切なげな表情を浮かべた。

「皆どうしてるかな……」

 あまりに切なげな表情をするものだから、つい、ランドールは手を伸ばして青年の髪についた落ち葉を払い落としてやった。

「あ、ありがとうございます」

 一拍遅れて銀髪くんも、慌てて手のひらで体や服をぱしぱしと払う。そんな彼の仕草を見ていて、ごく自然に申し出ていた。

「しばらくリードを持ってみるかい?」
「え、いいんですか! ありがとうございます!」
「この子はサンダー、私はカルヴィン・ランドールJrだ」
「私はシャルダンと言います。シャルって呼んでください」
「わかった。では私もカルと呼んでくれ」

 シャルは慣れた手つきでリードを捌き、サンダーは速やかに彼の横に着いて歩き始めた。
 左側に立たないよう、忠告すべきかと思ったが無用だった。ほんの短い間サンダーと触れ合っただけで、シャルは全てを理解していたのだ。歩調を合わせ、決して前には出ない。主導権を握っているのはどちらなのか、ちゃんと心得ているのだ。
 実家に犬がたくさんいると言っていたが、ひょっとしたらブリーダーか、トレーナーをしているのかも知れない。
 
「カルさんは、何か運動をしてらっしゃるんですか?」
「ああ、水泳を少しね。体を動かすのに一番効率が良いから」
「すごいな、鍛えてるんですね!」

 シャルはほうっと感嘆のため息をついている。のみならず、こちらの腕や肩、胸板に熱い視線を向けて来る。

「いいなあ……ムキムキ、いいなあ……」

 それはまるで恋する乙女にも似た表情で、見ていて妙に胸がざわつき、心拍数が早くなる。
(これは……)
 ちらりとランドールの中で本能が頭をもたげる。
(もしかして脈有り、か?)
 ひょっとしたら彼は自分同様、『男に惹かれる男』なのかも知れない。だとしたら、この出会いを通りすがりの好意以上のものに発展させる可能性は、皆無ではない訳で。
 話していて気持ちの良い相手だし、顔立ちも美しい。問題はどうやってさりげなく、いやらしさを感じさせない程度にその事実を『確認』するか、だ。
 もちろん、彼氏の有無を含めて。まずは、試みに。

「シャル」
「はい、何でしょう」
「ちょっと失礼」

 すっと手を伸ばし、彼の髪に触れる。先ほどよりじっくりと指先を滑らせ、その絹のような感触を味わった。

「葉っぱがついていたよ」
「あ……」

 ほわあっと大理石のような頬に赤みが広がった。

「す、すみません、全然気付かなくて」

 ふむ。とりあえずここまではOK、と。さて次はどうしたものか。
(これは久しぶりに楽しくなってきたぞ……)
 昼食には少し遅い。だがお茶の一杯ぐらいは誘っても不自然ではないだろう。午後の散歩は思いも寄らず楽しい方向へと転がりつつあった。

     ※

 一方。ディフとエミルは連れ立って公園の遊歩道をドッグランへと向かっていた。
 目的地へと近づくにつれ、犬を連れた人の数が増えてくる。大きいの、小さいの、毛の長いの、短いの。テンション高く走り回ってる奴もいれば、大人しく主人と歩調を合わせて歩いている奴もいた。

「ほんとだ、犬がいっぱいいる」
「うん。今日は天気がいいからな」
「ディフさんのお知り合いも多いんですね」

 然り。ここに来るまでの間、何度もすれ違う飼い主と挨拶を交わしていた。

「知り合いって言うか、顧客かな」
「お客さん、ですか」
「うん。俺、いなくなった犬とか猫を探す仕事もやってるから」
「ああ、なるほど」
「もちろん、人も、な」

 だから安心しろと伝えたつもりだったが生憎と逆効果だったようだ。エミリオは顔を強ばらせ、拳を握って小刻みに震え出した。
(参ったな、また発作が出たか?)
 肩に手を置いたその時、気付く。彼の褐色の瞳が今まさに、反対側から近づいて来る二人の人物に釘付けになっている事に。

「お、お、おおおおおおっ」
「エミリオ?」
「俺のシャルが俺のシャルが俺のシャルが俺のシャルがっ」

 何やらぶつぶつと呟いている。日焼けした健康そうな顔からは一切の表情が削ぎ落とされている。だが仮面のような無表情の内側では、凄まじい勢いで思考と感情がうねり、渦を巻いているようだ。
 内面からとてつもなく物騒な気配が滲み出している。それこそ暗黒面にでも堕ちそうな勢いだ。
 改めて前方から近づいてくる人物を観察する。一人はすらりとした銀髪の青年。なるほど確かに美人だ。これがシャルなのだろうか?
 連れはと言えば、黒髪に青い瞳の上質なアラン編みのセーターに身を包んだ男。襟元にさりげなくのぞかせたアスコットタイがいい感じにポイントになっている。
 肩幅は広く、背は高く、整った顔立ちの濃いめのハンサム。一緒にいる大きな子犬ともども、よく見知った顔だった。

「Mr.ランドール!」
「やあ、マクラウドくん」

 ランドールの笑顔が引きがねとなったのか。エミリオがぶるぶると小刻みに体を震わせる。

「おおおおお、俺のシャルが俺のシャルが、黒髪のイケメンと親しげにーっ!」

 確定。カルヴィン・ランドールJrの連れこそが、エミリオの探し人なのだ。
 エミルの内なる暗黒フォースは膨れ上がり、今にも爆発しそうだ。どうする、ぶん殴って気絶させるか水でもぶっかけるか?
 その時、女神が動いた。
 少なくともディフにはそう見えた。手にしていた犬のリードを素早くランドールに返し、銀の髪をなびかせてシャルが走る。遊歩道を軽やかに駆け抜けて、飛び込んだ先は硬直するエミルの腕の中。ぐるりと腕を巻き付け頬をすりよせる。

「エミル! 会いたかった!」

 途端にぷしゅうううっと周囲に充満していた暗黒フォースが浄化される。たくましい腕を姫の背中に回し、エミルはひしっと抱き返した。

「俺も。すごく、探した」
「んもう。勝手に離れちゃだめだよ?」
「うん、ごめん」

 かくて銀河の平和は守られた。

 シャルはきゅっとエミリオの服の胸元をつかんで上目遣いで見上げる。それでも足りないのか、一生懸命つま先立ちになって、のびあがって目線を合わせようとした。
(なるほど、これは確かにいじらしい)

「エミルはハンサムだしたくましいし、ただでさえ女の子が放っておかないんだ。一人でふらふら歩いてたらって思ったら気が気じゃなかった!」
「ごめん、気を付ける」

 ランドールとディフは思わず顔を見合わせた。両者の瞳にある思いは同じ。すなわち『君が言うな!』の一言に尽きる。だがどちらも大人だ。あえて口には出さない。

「どうやら、無事再会できたみたいだな」
「マクラウドくん、彼らは……」
「銀髪の彼が迷子になって、黒髪が探してた」
「なるほど」

 シャルとエミルは固く抱き合ったまま。どれだけ会えて嬉しいか、心配していたか、報告しあっている。
 どんどんエミルの頬が赤みを増し、口元がうずうず震えてきた。キスしたい衝動を必死になってこらえているのだろう。
 そんな若い二人の姿を、大人二人は温かく見守るのだった。

「いいね、初々しくて」
「ああ、ほほ笑ましいな」

 足元にどっかと座って尻尾を振る、ふかふかのでっかい子犬をなでながら。

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【ex13-6】探索の騎士

2013/01/13 2:53 番外十海
 
 その日、ヒウェル・メイリールはちょっとばかり不幸だった。

 いつものデリで昼食を食べようとしたら、ドアにでーんっと忌まわしい野菜と甲殻類が掲げられていたのだ。
 見た瞬間、背筋に冷たい稲妻が走り、髪の毛が逆立った。しかしヒウェルは大人だ。いい年だ。
 五歳児のように涙目で逃げる訳には行かない。平静を装いつつすーっとムーンウォークで後退し、何事もなかったように通り過ぎる。
 そのまま5ブロックほど歩き続けた所で空腹に耐え兼ねエネルギー切れ。あわや寒空に行き倒れかと言うその時、ホットドッグの屋台に出会って事無きを得る。ヴェスヴィオ火山も飛び起きそうな濃いブラックコーヒーとチリドッグ二つで腹を満たし、ようやく人心地ついたその時だ。

「お?」

 ホリデーシーズンの買い出しでごった返す街の中、ふと見覚えのある後ろ姿を見かけた。着ているものの趣味が普段とはいささか趣が異なっていたが、あの体格と髪形はそう滅多に居るもんじゃない。
 足早に歩み寄り、いつものようにごっつい背中をぽんっと叩く。妙に固かった。

「よっ、ディフ。何やってんだ!」
「え?」

 ぬぼーっとした動きで振り返った男は、今し方名前を呼んだ人物によく似ていた。だがもっと年下で瞳の色も髪の毛の色も違っている。
 何より、ディフにあるはずの包容力と母性がすっぽり抜けていた。
 人違いを詫びるより先に、男はぱちぱちとまばたきして首をかしげてこっちの顔をじっと見た。明らかに知り合いを見る眼差しで。

「ハインツ、何眼鏡なんかかけてるんだ?」
「へ?」

 どうやら、互いに知ってる誰かと間違えたらしい。しばし見つめ合い、同時に頭をさげる。

「すまん、間違えた」
「ごめん、こっちもだ」

 誤解が解けた所で改めて観察する。
 どうやらこの男、猫背癖がついているようだ。常に少し背中を丸めている。
 髪の色も赤と言うより茶色だ。所々金髪が混じっててきらきらしてる所なんざ、どことなくゴールデンレトリバーっぽい。図体はでかいし、がっしりした顎と太い眉、通った鼻筋と、いかつい中にもどこか幼さが残る。
 どんなに快活に振る舞っても、常に危うい艶っぽさを漂わせるディフとは対照的だ。こいつを見てると、尻をなでるよりむしろ頭をわしわしかき回したくなる。
(おおっと、あくまで物の例えだぞ。頼むからそんないい笑顔しないでくれ、レオン!)

 年齢は5つ6つ年下ってとこか。
 耳の脇の髪が一房、三つ編みになってる。ああ、このせいで間違えたんだな。
 いつだったかのクリスマス前にディフがあんな風に三つ編みにしてた事があったっけ。
(結ったやつのことはこの際考えまい)

 しかし、すごい格好してるなあ。羊毛織りのマントをくるっと体に巻き付け、足には頑丈な革のブーツを履いている。おまけにマントの合わせ目からのぞく服と着たら、チュニックと言うべきか、サーコートと呼ぶべきか。とにかく、まるで時代劇の登場人物みたいなレトロなぞろーっと長い上着なのだった。
 アメリカ全体で考えればさほどおかしな服装ではないが(SFコンベンションの会場込みで)、サンフランシスコのど真ん中では目立つ服装だ。
(待てよ、この服装、どっかで見たぞ? それもついさっき)
 首をかしげて見回し、見つけた。すぐ傍のバス停にポスターが貼ってある。

『ブエナパークキャッスルの騎士がサンフランシスコにやって来る!』

(これか!)
 そうか、このディフの色違い君は中世騎士団ショーの出演者なんだ。舞台衣装のまんまうろつくのはやっぱあれか、宣伝活動か?
 どっしりした騎士の衣装を着込んだ男は、ちょこんと首をかしげてしげしげとこっちを見てる。改めて向き合うと、腰に巻いたベルトにはご丁寧な事に幅の広い剣までぶらげてる。もちろんレプリカだろうが、見るからにずっしりと重そうだ。
 ずいぶんとまあ、本格的に作り込んでるじゃないか。ポスターより本物っぽいよ。
 
「俺ヒウェルっての。君は?」
「……ディートヘルム・ディーンドルフ」
「長いな」
「ダインって呼ばれてる」

 あれ、何だろうこの既視感。名前がディで始まるとこも同じだよ。
 
「ハインツってのは誰だ。連れか?」
「いや。ここには来てない。養成所の同期生で、今は同じチームに居る奴なんだ」
「そんなに俺に似てるのか?」
「うん。髪の毛も瞳の色も、あと、ひょろっとしたとことか。背丈は君の方が高いかな?」
「なるほどね」

 互いに学生時代からの友人に似てたって事か。
『騎士』ダインは眉間に皴をよせて困り顔だ。ディフに似てるせいか、どうしても無下にできなくてつい、たずねてしまう。

「ひょっとしてダインくん。何かお困りか?」
「っ、何でわかったんだ?」
「うん、まあそこは人生経験の差ってやつだね」

 のびあがってがっしりした背中をぽんぽんと叩く。
 ……やっぱ、固いなあ。もしかしてマントの下に鎧着けてんのか、こいつ! あと足りないのは馬だけか。

「ささ、遠慮せず、おにーさんに話してみたまい」
「……ちびを探してるんだ」
「ちび?」
「猫なんだ」

 何とまあ。
 困り顔の騎士が探しているのは、馬でも姫君でも聖杯でもなく、猫だった。

「こげ茶色で、これと同じ首輪してる」

 そう言ってダインは袖をまくり、左の手首を出した。
 ごっつい手首に華奢な作りのブレスレットが巻かれている。明るいオレンジ色で染められた革ひもに、透き通った珠が通してある。
 水晶か? 中に針状のインクルージョンが入ってるからルチルクォーツって奴だな。両脇のウッドビーズは珠の固定用ってとこか。

「ちょっと失礼」

 携帯のカメラでブレスレットを撮影する間、ダインは首をかしげて、しげしげと俺の携帯を見つめていた。

「それ、初めて見る」
「うん、最新型なんだ。あんまし持ってる奴ぁいないよな、まだ?」

 大写しにしたブレスレットの写真を添付してメールを打つ。宛先はマクラウド探偵事務所のパソコンだ。ただし、所長じゃなくて有能アシスタントに宛てて。

「俺の知り合いに、そーゆーの探す専門家がいるんだ。連絡とってやるよ」
「ほんとかっ、ありがとう!」

 おーおー、いきなりぱああっと表情明るくなったよ、可愛いじゃねえの。

「ちょっとだけ待ってろな、騎士サマ」
「……何でわかったんだ?」
「何でわからないと思った?」

     ※

 一方こちらはマクラウド探偵事務所。

「ハロー」

 オティアはアニマルシェルターに電話をしていた。ネットにも情報は出ているがやはりタイムラグがある。

「マクラウド探偵事務所です」
「ハロー、その声はオティアね!」

 威勢の良い中年女性の声が響いてくる。アニマルシェルターの肝っ玉おばちゃま、マージだ。

「どうしたの、迷子探し?」
「いえ、迷い猫を保護しました。そちらに問い合わせが来ていないかと確認を」
「まあ、ありがとう、助かるわ。ちょっと待ってね、メモを準備するから……」

 電話の向うでごそごそと動く気配がする。紙がこすれ合い、カチっとボールペンを押す音がした。

「OK、どうぞ」
「大きさは小さめ、多分生後一年前後。短毛、こげ茶、目は金色、尾は長い。首にオレンジ色の首輪有り。首輪の材質は革ひもでウッドビーズと水晶の珠がついてます」
「OKOK。ありがとう、問い合わせがあったらすぐ連絡するわ」
「お願いします、では」
「またね。所長さんにもよろしく!」

 電話を切ってほっとひと息。マージおばちゃまのパワーにはいつも圧倒されてしまう。
 ほっとひと息つくと、パソコン画面に目を走らせた。
 ネットで民間のシェルターや迷い犬・迷い猫探しのサイトに捜索範囲を広げ該当する猫の情報を探す。
 その間、当のコーヒー猫はオーレと連れ立って事務所の中をうろちょろ。あちこちに鼻をつっこんでいる。
 いきなり知らない所に連れてこられたはずなのに、物おじしないと言うか、度胸のある奴だ。

「にゃうぅ、ぐるるなぉう」
「んぴゃあああ、ぴゃあるるる」

 何やらひそひそ話をしながらソファの下に鼻の下をつっこむ二匹から、パソコンの画面に目を戻すとメールが届いていた。差出人はヒウェル。携帯から送られてる。いつもなら後回しにする所だが、何故か今回は『すぐに見なければ』と感じた。
 内容は簡潔にして明瞭だった。曰く。

『こげ茶色の猫さがしてる男がいる。添付した写真のブレスレットとおそろいの首輪。名前はちび』

 添付ファイルを開く。写真のブレスレットは、オレンジの革ひもと水晶の粒、そしてウッドビーズ。見事に猫の首輪とおそろいだった。
 試しに呼びかけてみる。

「……ちび」

 即座にコーヒー猫は顔を上げ、こっちを見て赤い口をかぱっと開いた。

「ぴゃーっ!」
「ちーび」
「ぴゃっ」
「ちび」
「ぴゃああ」

 尻尾をつぴーんと立てて細かく震わせている。
 速やかに返信した。

『事務所に、いる』

   ※


「見つかった」
「ほんとかっ! 魔法だ、奇跡だ、ありがとうヒウェル!」

 よっぽど嬉しかったんだろう。ダインはうるっと目を潤ませて抱きついてきた。ものすごい勢いだ。体の奥で骨がみしっと軋む。固いわごっついわ、声でけーわ目立つわで逃げ出したいのは山々だ。けれど多少もがいた程度じゃがっちり締められる鋼鉄の腕はびくともしない。ひ弱な拳でぽこぽこ叩いた所で反撃にもなりゃしない。

「うげげげげ、全力でやるな、この馬鹿力ーっ!」

 悪態をつくのが精一杯だった。関節技じゃないだけまだマシ……かな?
 多分。

     ※

 探偵事務所に連れてった客が何者なのか、オティアに説明する必要はほとんどなかった。ダインが入って行くなり、コーヒー色の猫が文字通り、飛びついてきたのだ。

「ぴゃーっっ」
「探したぞ、ちび」
「ぴゃ、ぴゃ、ぴゃっ」

 ひしっと胸にしがみつくコーヒー猫を抱きしめて、騎士さまは顔中笑み崩して頬ずりしてる。
 ひとしきり互いの無事を確認すると、ダインは背筋を伸ばしてきちっと一礼した。

「ありがとう。ちびを見つけてくれて」
「……迷子になっていたのを、保護しただけだから」
「感謝する」
「ぴゃあああ」

 コーヒー猫はするりと飼い主の肩に上り、後脚を踏ん張るとぺったりと頭の上にうつ伏せにかぶさった。

「あ」
「どうした、オティア」
「……何でもない」

 猫を頭に乗せたまま、ダインは帰って行った。ヒウェルと固い握手を交わして。

「何か、サムライみたいな男だったな。言葉遣いも妙に古めかしかったし」
「ん」

 しばらく考えてからオティアは口を開いた。

「サムライと言うより、騎士なんじゃないか、あの格好は」
「ああ、中世騎士団ショーの出演者なんだ、あいつ」

 なるほど。それなら納得だ。街の中にポスターが貼ってあった。

「にぅうう」

 オーレは名残惜しげに窓辺に座り、じいっと下の通りを見下ろしている。オティアは目を細めてそっと、白いつやつやした毛並を撫でた。

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【ex13-7】旅人たちの帰還

2013/01/13 2:54 番外十海
 
 オーレは窓際に座り、じいっと下の通りを見つめている。背後では「おうじさま」と「へたれめがね」が電話をかけていた。

「……はい、こげ茶猫は飼い主が見つかりました」
「さっき迎えに来た所ですので、ご心配なく。はい、ありがとうございました!」

 ぴっと耳を伏せて、横目で睨む。どうしてあの「へたれめがね」は電話でぺこぺこするのかしら。
 誰もいないのに、ばかみたい!
 再び外に目を向ける。
 こげ茶色のお友達が、「とーちゃん」と一緒に帰って行く。ちょっぴりさみしい。兄弟たちと遊んでる時を思い出して楽しかったのに。また、遊びに来てくれないかな。

 どこからともなく、ふわふわの羽根が降りてきて鼻にくっついた。色はお友達と同じこげ茶色。
(あっ、お友達のにおいがする!)
 くんくんくん、くんくんくん。熱心に嗅ぎすぎて、うっかり吸い込みそうになる。

「くっしゅん!」

 盛大なクシャミが爆発。うっかり目をつぶってしまった。そのわずかの間に、お友達と「とーちゃん」の姿は見えなくなっていた。

「……にう」

 うつむいてると、ヒウェルがにやにやしながら声をかけてきた。

「ほい、お大事に。すっげえ派手なクシャミだったなあ」

 んもう、乙女が感慨にひたってる時にこのへたれめがねってばどんだけデリカシーがないのーっ!
 お尻をふりふり、へたれめがねに狙いを定めて……ダッシュ。ズボンを一気に駆け登る。

「いででっ、オーレさんやめて、お願い、爪は立てないでーっ」

     ※

 エドワーズ古書店に向う途中、サリーは小柄な男性とすれ違った。ふわっと漂う干した草とお日様と花の香りに懐かしい記憶が蘇る。
(何だか今の人、ゆーじさんに似てたな)
 足を止めて振り返ると、もう居なかった。ほんの少し寂しいような、残念なような気持ちになる。
(こんな所に居るはずないよね。ゆーじさんは日本に居るんだから)
 小さくうなずき、歩き始める。程なく行く手に、砂岩造りの建物が見えて来た。深みのあるドアベルの響きに迎えられ、中に入る。

「こんにちは、エドワーズさん!」
「ようこそ、サリー先生」
「みゃおう」
「こんにちは、リズ」

     ※

 ランドールとディフは、再会した恋人たちを温かく見守っていた。
 銀髪のシャルがくいくいとエミリオのローブの袖を引っ張る。エミルははっとしてようやく、思い出したようだ。この場所にいるのが自分たちだけではない、と。
 二人はそろってランドールとディフの方に向き直り、きちっとお辞儀をした。

「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
「もう離れるんじゃないぞ?」
「はいっ」
「わふっ!」

 しっかり腕を組んで、銀髪と黒髪のカップルが歩き出す。ふと途中で立ち止まり、シャルがエミルの頬に手を当てた。つま先立ちで伸び上がり、顔を寄せる。次に待ち受ける動作を予期して、大人二人はほほ笑ましい気持ちで目を細める。
 と、ちょうどその時。自転車に乗った小学生の一団がやって来た。ディフとランドール、そしてサンダーは道の端に寄ってやり過ごした。
 にぎやかな自転車軍団が通り過ぎた時、恋人たちの姿はもう、無かった。

「おや、もう行ってしまったのか。ずいぶんと健脚だね」
「ああ。何だか不思議な子たちだったな」

      ※

 召喚士ナデューはじっと目を閉じて跪いていた。場所は騎士団の砦の中庭。普段、詰襟の制服に身を固めた騎士たちが集合したり、馬術や剣術の稽古に励む場所だ。
 だが今はただ一人、目つきの鋭い金髪の男が腕組みをして、瞑目する召喚士を見守るのみ。
 ナデューは身じろぎもせずに集中している。
 その手には金色に光る糸が握られ、足元に描かれた魔法円……正確には、異界の存在を呼び寄せる『召喚円』の中に吸い込まれている。円の直径は1mほどだ。

「……よし、見つけた」

 くわっと目を開くなり、ナデューは糸を引いた。途端に円に沿って金色の光が走り、さらに……召喚円を囲むようにして外側に、二回り大きな円が浮かび上がった。あたかも、ナデューの引く糸に引っぱり上げられたように。高々と結い上げられた癖のない黒髪が、風もないのにふわりとなびく。前髪に一房混じる炎の赤が、ひときわ鮮やかに翻る。
 ナデューは素早く糸をたぐり寄せた。空中にひらめく糸がもつれ、絡み合い、文字を描き出す。
 形の良い唇から零れ出す呪文は簡潔にして短い。

『さまよえる輪よ、しばし留まれ。あるべき者をあるべき場所に還したまえ!』

 詠唱に合わせて円は一段と強く輝く。外側に浮かんだ第二の円が、糸車のようにくるくる回り始める。くいっとナデューは糸を引っ張った。途端に外側の円は編み目がほどけるように散り散りに分解し、光の粒となって飛び散った。
 小さな光の欠片が街のあちこちへと飛んで行く。その行く末を見届けて、ナデューはふーっと長く息を吐いた。

「これでおしまい。いなくなった人もそれぞれ、元居た場所に戻ってるはずだよ」

 ナデューは立ち上がり、額に滲んだ汗を拭った。

「お疲れ様です、ナデュー師」

 傍らで見守っていた騎士が歩み寄る。くすんだ金髪を首の後ろで三つ編みにした、灰色がかった紫の瞳の男。無駄の無い引き締まった体つきで、肩や腕にみしっと盛り上がった筋肉が身に着けた軍服の上からもうかがい知れる。
 襟元には銀の星が三つ輝いていた。

「ご助力感謝します。何分、今回のような事件では我々は手出しできないので……」
「うん、まさか街の中に『妖精の輪』が出現するなんてね。滅多にない事だから、私も驚いたよ」

 妖精の輪。
 異界とこの世界をつなぐ『門』の一種だが術師が意図的に開いたのではなく、自然に存在する天然ものだ。しかもふらふらと不規則に移動する困った性質を持っている。
 この為、アインヘイルダールの街のあちこちで人や物が消える事件が勃発、街を大混乱に陥れていたのだ。
 街の治安を預かる西道守護騎士団の隊長ロベルトは、魔法学院の教官であり優れた召喚士でもあるナデューに協力を要請。
 一計を案じたナデューは騎士の一人に『目印』を渡し、輪の追跡を命じた。出現したらすぐに飛び込むようにと指示して。
 そして向こう側に送り込まれた『目印』を手がかりにさまよう『妖精の輪』をたぐり寄せ、塞いだのであった。

「ディーテ……もとい、ダインくんならやってくれると思ったよ。彼は『妖精の輪』が目視できるからね」
「お役に立てたようで、光栄です」

 ロブ隊長は言葉少なに部下を評価された礼を述べた。
 爾来、騎士は魔法に頼ることを潔しとしない。
 ことに魔法を疎んじる傾向のある王都では、ダインの才能は忌むべき呪いとされ、疎まれていた。だがこの西の辺境では、違う。思い込みや因習に目を曇らせる事なく、まっすぐに受け止め、認める人々が存在する。

「ところでナデュー師」
「何だい、ロブ隊長?」
「ディーンドルフに渡した目印とは、一体何なのですか?」
「ああ、どんなに離れていても私が感知できるもの……私の最も信頼する『喚ばれし者』、ノーザンライトのたてがみだよ」
「なるほど」

 召喚士と『喚ばれし者』は、固い絆で結ばれているのだ。たとえ世界の境目を越えても。

「ロブ隊長ーっ!」

 砦の門から息せききって、黒髪のひょろりとした男が走ってくる。騎士団の制服に身を包んではいるが、小柄で細身。黒い髪に琥珀色の瞳の、どことなく齧歯類を思わせる風貌の男だった。

「どうした、ハインツ!」
「街のあちこちで、行方不明だった人たちが発見されたと言う報告が、相次いでいます!」
「ご苦労」

 うなずくロベルトの背後で、ナデューがしれっとした顔で首を傾げた。

「今回のケースは、異界門のクシャミみたいなものだからね」
「……クシャミ、ですか」
「何かのはずみで、また繋がっちゃうかも知れないよ?」
「なっ!」

 絶句する騎士二人を尻目に、ナデューはけらけら笑いながら歩き出した。いつの間にか傍らに控えていた、金髪の偉丈夫と腕を組んで。褐色の肌に分厚い胸板、背は高く腕も足もたくましい。さながら大型の馬のように。

「まあ、今回ほど派手なのは、そうそう起こらないとは思うけどね!」
「……勘弁してくださいよぉ」

 憮然として腕組みするロブ隊長の傍らで、ハインツは『たはっ』と情けない声を上げ、額に手を当て、肩をすくめるのだった。

大人向けルート→【ex13-8】その夜のぱぱとまま★★
全年齢向けルート→【ex13-9】実はまだ……

【ex13-8】その夜のぱぱとまま★★

2013/01/13 2:55 番外十海
 
「……って言う事があったんだ、今日」
「なるほど、思わぬ所で人助けをしたんだね」

 レオンハルト・ローゼンベルクは愛しい伴侶を見上げた。緩く波打つ赤毛が絹のカーテンのように流れ落ち、彼の背を、肩を覆っている。

「エミルの嫉妬深いとことか、すぐにシャルの事を考えてテンパってる所とか……暗黒面に落ちそうな程の独占欲を見てたら、何となく他人とは思えなくてな」
「ほう?」

 レオンはわずかに眉をひそめた。
 確かに自分は嫉妬深いし独占欲も強い。通りすがりの男がディフに色目を使っただけで、そいつの首に重りをつけて金門橋の下に沈めたい衝動に駆られる。だが極力、彼には悟られまいと抑えている……はずだ。
 情熱と本能に身をまかせ、ベッドの中で愛を交わす時を除いては。

「お前が迷子になったらって想像したら……とてもじゃないけど俺、エミルを笑えなかった」

 ああ、君って子は!
 ほんのりと目の周りを赤らめている。
(恥じらってるんだな)
 口元に笑みがにじむ。

「それは……嬉しいね」
「そうか」

 ほっと安堵の息をつくと、ディフは手のひらでレオンの頬を覆った。

「再会したときの二人の喜びようったら、なかった。砂糖吐きそうなくらい甘くて、見ていて火が着きそうなくらいに熱くて……」
「それで、こんな事をしたと?」

 ここはローゼンベルク家の夫婦の寝室。キングサイズのベッドに横たわるレオンの体をまたいでディフがのしかかり、その端正な美貌を見下ろしていた。
 柔らかな素材の藍色のガウンの裾からは引き締まった素足が突き出し、襟元の合わせ目からはバランス良くついた筋肉の上を覆う雪花石膏(アラバスター)のような滑らかな肌がのぞいている。
 こぼれかかる赤毛と相まって、ことさらにその白さが際立って見えた。
 眺めているだけでレオンは指先がむずむずと疼くのを感じた。
 今すぐに触れたい。布の内側に手を入れて、その唇から漏れる可愛い声を聞きたい。だが、ここは我慢だ。

「……そうだ」

 ヘーゼルブラウンの瞳の奥にちらちらと緑色が揺れている。感情が昂ぶっているサインだ。
 左の首筋に、薔薇の花びらそっくりの火傷の痕がくっきりと赤く浮かぶ。
 そこに唇を這わせたら、どうなるか。思い起こすだけで血がたぎる。

「可愛いな」

 つややかな髪に指を絡め、わざと毛先がうなじを掠めるようにかきあげる。

「あっ」

 小さく声を上げ、ディフが身をすくませる。その隙にガウンのベルトをほどいてしゅるりと引き抜いた。

「っ、こら、何をっ」

 ガウンの前が開く。
 布の間から形の良い乳首も。引き締まった腹も、くびれた腰も、きゅっと上がった尻までつぶさに眺める事ができた。

「やっぱり下に何も着てなかったんだね? いけない子だ」

 頬を包む手がぶるぶる震えている。前をかき合わせたいのを必死でこらえているのだろう。ちらりと視線をそらし、低い声で言い返して来る。

「指輪は着けてるぞ」
「では指輪だけになってくれ」
「……」

 真っ赤になって小刻みに震えている。乳首の薄紅色がさらに濃くなり、存在を主張する。まだ触れてもいないのに。
 辛抱強くレオンは待った。触れるか触れないかの距離を保ち、みっしりと筋肉のついた太ももを撫で回しながら。

「はっ……はぁ……っ、何、さわってっ」
「何か問題があるかな。ここはベッドの中だし今は夜なんだよ?」

 焦れったいながらも幸福なひと時だった。最愛の人の恥じらう姿をたっぷりと堪能できるのだから。
(君に触れていいのは、俺だけだ)
 やがて、きゅっと唇を引き結ぶとディフはガウンの襟元に手をかけ、肩から滑り落とした。

「ああ……とても、よく似合うよ」
「言うなっ、今にも溶けて、バターになりそうな気分なんだっ」
「それは大変」

 背中に腕を回し、刻まれたライオンと翼をなぞる。

「あ……」

 さざ波のように走る刺激にディフの表情が蕩け、唇から切なげな吐息が漏れる。
 ゆっくりと時間をかけてなで下ろし、魅惑的な曲線を描く腰に腕を巻き付け、引き寄せた。

「わっ」

 素早く体勢を入れ替え、逆にのしかかった。ゆるやかに波打つ髪がシーツの上に広がる。

「しっかり、捕まえておかないとね」
「言ってろ、ばかっ」

 憎まれ口を叩く唇をキスで封じる。
 程なく、艶めいた吐息と短いAの音がこぼれ落ち、夜の空気に溶けて行った。

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【ex13-9】実はまだ……

2013/01/13 2:56 番外十海
     ※

 ローゼンベルク家のキッチンでは、オーブンからつーんと香ばしいショウガの香りが漂っていた。
 双子と『まま』がエプロンに身を包み、ホリデーシーズン恒例のジンジャークッキーを焼いている真っ最中なのだ。

「……あれ?」

 シエンは思わず首を傾げた。さっき天板を網の上に乗せ、焼き上がったクッキーを冷ましてあったはずなのに。残っているのは空っぽの天板とクッキングペーパーのみ。

「無くなってる!」

 ディフはじとーっと目を半開きにして、黒髪のひょろっとした眼鏡男をにらんだ。

「ヒウェル……お前って奴は、待ち切れなかったのか」
「濡れ衣だーっ!」

 大げさに叫んでのけぞるヒウェルの口元には、クッキーの粉がこびりついている。
 オティアは黙ってへたれ眼鏡の口元を指さした。
 眼鏡男はくしくしと手の甲で拭い、証拠物件を見て、しかる後ささっと払い落とした。この間、ままと双子は沈黙の内に全てを見守っていた。

「俺は、一枚しか食ってない!」
「やはり貴様か」

 ごごごごっと怒りの炎を燃やしながら、ディフがべき、ばき、と指を鳴らして詰め寄る。ヒウェルはたじたじと後ずさり。だがじきに背中が壁にぶつかった。

「反省しろ!」
「いでで、ぎぶあっぷ、ぎぶあーっぷ」

 情け無用のオクトパスホールドを決められるヒウェルの姿を、物陰からうかがう小さな生き物たちが居た。亜麻色の髪の毛に蜜色の瞳の、まるまっちい二頭身の小人。家つき妖精、ちっちゃいさんだ。

「きゅっふっふ」

 ほくそ笑み、さくさくと両手で抱えたジンジャークッキーをかじる。

「きゃわきゃわ」
「きゃわわっ」
「……でりしゃす」

 まだ、つながってるみたいです。

(ローゼンベルク家のとりねこ/了)

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カボチャとサクヤちゃん

2013/01/13 3:01 短編十海
 
 10月も終わりに近い土曜日の午後。
 結城サクヤが伯父の羊治に連れられて占い喫茶「エンブレイス」を訪れると、大量の『笑顔』に出迎えられた。
 オレンジ色のカボチャがごろりんごろん。
 丸や三角の目をくりぬいて、ぎざぎざの口で笑っている。

「わーカボチャがいっぱい……」

 しげしげと眺めている所に、天井からばさばさっと黒い翼が舞い降りる。烏のクロウだ。

「いぇーい、さっくーや! はっぴーはろうぃーん!」

 相変わらずテンションが高い。しかも英語の発音は完璧だ。(どこで覚えたんだろう)

「え、はろういん? スヌーピーのアニメでやってた、あれ?」
 
 結城サクヤは神社の子だ。洋風のイベントにはあまり馴染みがない。時に1995年、日本ではまだそれほどハロウィンが定着していなかった。
 ハロウィン限定パッケージのお菓子がスーパーやコンビニで普通に売られるようになるのは、まだまだ先の事だったのだ。

「おう、サクヤ。来てたのか」

 カウンターの奥から裕二さんが出て来る。お店のオーナー、藤野先生のお孫さん。てっきり高校生だと思ってたら、実は大人の人だった。手にはオレンジ色のカボチャを持っている。ちょうどでき上がったばかりなんだろう。目や口の切り口が新しい。

「こんにちは、裕二さん。それ、ハロウィンのカボチャ?」
「ああ」
「これ、何に使うの?」

 スヌーピーのアニメではそこまで詳しく出てなかった。ただカボチャをくりぬいて顔を作るだけとしか知らなかったのだ。

「こうやって中味をくりぬいて、ロウソクを入れるんだ」

 そう言って裕二さんはカボチャの提灯を隅のテーブルに運び、窓のカーテンを閉めた。日の光が遮られ、そのテーブルの周りだけがほんのり薄暗くなる。

「見てろ」

 取り出されたのは、銀色の円筒形の器に入った平べったいロウソク。アロマポット用のキャンドルだ。そーっとカボチャの中に入れて、火をつける。

「あ」

 カボチャの目と口がぽやあっとオレンジ色に光ってる!

「ほい、カボチャのランタン……ジャック・オ・ランタンのできあがりっと」
「わあ、すごい!」
「元はカブだったらしいが、カボチャの方が皮があるし細工しやすいからな」
「提灯みたいだね」
「ははっ、そうだな。日本で言うとお盆に当たる行事だしな」
「………じゃあ、これ持ってお墓参りに行くの?」

 お墓にずらあっとカボチャのランタンが並んでいる所を想像する。ちょっと、怖い。

「いや、これは魔除けだよ」
「魔除け?」
「うん。昔のヨーロッパの暦では、一年は10月31日でおしまい。11月1日からは新しい年が始まっていたんだ」
「早いね」
「丁度、季節が切り替わる時期だからな。特に北の方では11月になると日の出がどんどん遅くなって、その分、日の入りが早くなる。昼の時間が短くなって、気温も下がる。湖もカチコチに凍っちまう」

 想像して、サクヤはぶるっと身震いした。日本の暦ではまだ霜が降りるかどうかと言う時期なのに。北ヨーロッパではもう、湖が凍るほど寒いのだ。

「一年の終わりの夜は、あの世とこの世の境目が無くなって。死者の霊や魔物がこの世にやって来るって信じられてたんだな」
「ほんとだ、お盆に似てるね」

 裕二さんは頷いた。

「死者の霊の中には懐かしい祖先もいるけれど、恐ろしい悪霊もいる。だから、おっかない顔を作って魔除けの火を灯したり。自分達もお化けの格好をして身を守ろう……ってのがメインさね」
「何でお化けの格好をするの?」
「悪霊や魔物に会っても、仲間だと思わせるためさね。まあ、元々はケルトの収穫祭なんだけどな」
「ふうん……ハロウィンって、ちょっと怖い日なんだね。あ、でも仮装は楽しそうだな」
「ま、ここは日本だ、楽しく仮装して、お菓子もらって遊べば良いのさ」
「それ……やったことない」
「おや、そうなのかい」
「うち、洋風のイベントはあまりやらないから。ちょうど七五三の準備で忙しい時期だし」

 今ごろ、家では母と伯母さんがエンジン全開で千歳あめの袋詰めをしているはずだ。
 伯父さんもこの後、家に帰ったら、千歳あめとお札のご祈祷ラッシュが待っている。

 サクヤの説明に頷きながら、裕二は思った。
 そんな忙しい中、わざわざ結城神社の宮司さんはここに来た。娘さんがアメリカに留学して以来、めっきり口数の少なくなった甥っ子を連れて。

『サクヤちゃんね、ほとんど家族以外とは話そうとしなかったんですって』

 祖母の言葉を思い出す。

『うちのお店に来て、あなたや私と話すようになって皆さん喜んでるわ。すごい進歩だって』

「サクヤ、ちょっと目、つぶってろ」
「うん」
「待ってろよー。まだだぞーまだー」

 カウンターの奥からごそごそと、かねて用意したある物を引っ張り出す。

「ようし、動くなよ?」
「う、うん」
 
 素直に目を閉じたサクヤの肩にそろっと黒いマントを羽織らせて、同じく黒のとんがり帽子を頭に乗せる。

「ほい、できあがり。目、開けていいぞ」

 ぱちっと目を開けて、サクヤはぽかーんっと口を開けた。
 肩を覆う黒いマントに。次いで頭の上の帽子を手で触って確かめる。

「こ、これって、もしかして……」

 魔法使いの帽子だ。魔法使いのマントだ!

「ハロウィンの、仮装?」

 ほわほわっとサクヤの頬に薄いピンクが広がる。

「ふふっ、ただの仮装じゃねぇぞ? 本物の『魔女(ウィッカ)の衣装』だからな」
「本物? 本物なの、これっ」
「おう、つっても作ったのは婆ちゃんじゃなくて俺だけどな……魔除けの印を入れてあるだけの、仮装に毛が生えた程度の代物さね」

 サクヤはぺろっとマントの裾を持ち上げた。黒地に銀色の糸でうねうねと、草を編んだような(何となく植物だなって感じたのだ)模様が刺繍されている。
 さらに胸元には、ハートとスペード、ダイヤとクラブ。左右対称に二つずつ、トランプのマークのアップリケが縫い付けられていた。

 刺繍とアップリケからは穏やかで、清々しい気配が伝わって来る。しんとした夜の空気を感じた。全てを青く染める月の光にも似た穏やかな気配が自分を包み込み、守ってくれるのを感じた。

「ほわあああ、すごい……」

 サクヤのほっぺは今やリンゴのように真っ赤っか。瞳はまん丸く見開かれ、潤み、きらきら輝いている。

「サクヤ、『トリックオアトリート』っつってみな?」
「とりっくおあとりーと?」

 首をかしげながら裕二さんの言葉をマネしてみる。

「おぉっと。お菓子くれなきゃ悪戯しちゃうってか?」

 裕二さんは大げさに目を見開き、ぎょっとした顔でのけ反った。

「悪戯されちゃあ敵わなねぇ、ほれ、もっていきな?」

 ひょい、とオレンジの丸いものが手のひらに乗せられる。プラスチックでできた小さなカボチャのランタン。中には、クッキーやキャンディが詰まってる。

「…………っ」

 同じだ。スヌーピーと同じだ!
 嬉しさのあまり、サクヤはぷるぷるぷる震えた。言葉も無く、無表情で立ち尽くす。
 嬉しい気持ちが強すぎて、顔から表情がすっ飛んでしまったのだ。

「おい、サクヤ?」

 名前を呼ばれて、すっ飛んだ喜びと感激がぐるっと一周回って戻って来る。目元が緩み、唇がほどけ、サクヤはほわあっとほほ笑んだ。

「こんなの始めて……ありがとう」
「ん、どーいたしまして」

(たったこれだけの事なのに、んーなに楽しそうな顔しちまってまあ)

 見守る裕二の視界がいきなり、ばささっと黒い翼で遮られる。

「っかーっ! とりっくおあとりーと! とりっくおあとりーとーっ」
「ええい、うるさいっ!」

 顔面に張り付くクロウをべりっとひっぺがし、ぽいっと空中に投げ捨てる。

「かーあ、かーあ、とりっくおあとりーとー! お菓子くれなきゃ悪戯するぞー」
「そら、持ってけ!」

 ぶんっと投げつけたパンプキンクッキーを、クロウは器用にくちばしでキャッチ。途端に静かになってテーブルの上に舞い降り、かつこつ砕いて飲み込んだ。

 くすくす笑いながら、サクヤは裕二を見上げた。

「ね、裕二さん、写真とっていいかな」
「ああ、それ、やるから持って帰って良いぜ? 写真も好きなだけどうぞ」
「いいのっ?」
「ああ」

(そのために準備したんだしな?)

「あ……あ……ありがとうっゆーじさんありがとう! すっごくうれしい!」
「どういたしまして」
 
    ※
 
 神社に戻って、魔女のとんがり帽子とマントを見せると、母と伯母さんは口をそろえてさえずった。

「着て、着て、サクヤちゃん」
「見せて! 見たい、すごく見たい!」
「う、うん」

 マントを羽織って帽子を被って、ふっと顔を見上げたら伯母さんの腕には、神社の飼い猫おはぎさんが……全身真っ黒な猫が抱かれていた。

「さあ、サクヤちゃん。おはぎさんを抱っこして」
「う、うん」
「はい、カボチャのランタンも持って」
「うん」

 おはぎさんを抱っこして、裕二さんからもらったカボチャのランタンを手に下げると母に呼ばれた。

「サクヤちゃーん、こっち向いてー」

 いつ持ってきたんだろう。しっかりカメラが構えられていた。

「はい、チーズ!」

 その日の夕方。結城神社の宮司、結城羊治が千歳あめの祈祷を終えて戻って来ると………。

「はーい、サクヤちゃんこっち見てー」
「いいねー、そのポーズいいねー」
「はい笑ってー」
「それじゃ今度はほうき持ってみよっか!」

 茶の間がグラビアの撮影会場と化していたと言う。 

     ※

 この時の写真は翌日、速攻で現像され、サンフランシスコの羊子に宛てて郵送された。
 羊子の元に写真が届くのと同じ頃、結城神社の郵便受けにもコトリと、アメリカから分厚い封筒が届いた。

「あれ?」
「あれれ?」

 海を越え国境を越え、時差を越え、ほぼ同時に写真を見たサクヤとヨーコは首を傾げずにはいられなかった。
 届いたのも。送ったのも、どちらも『黒猫を連れたハロウィンの魔女』だったからだ。
 ただし、ヨーコの隣の黒猫は眼鏡をかけて、ふてくされていたけれど。

(カボチャとサクヤちゃん/了)

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