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ローゼンベルク家の食卓

【ex13-3】古書店の客

2013/01/13 2:48 番外十海
 
 表通りから一本ひょいと奥に入り込み、パン屋に魚屋、レストラン、花屋に時計屋……赤レンガを敷き詰めた通りに沿って、昔ながらのこじんまりした店が建ち並ぶ一角にその店はあった。
 砂岩造りの細長い建物の軒先には、ぴかぴかの真鍮の看板がかかっていた。そこには「エドワーズ古書店」と記されている。深みのある緑色で塗られた木枠に縁取られた出窓からは、本のぎっしり並んだ店内がかいま見える。
 
 その窓の一つから今、一人のお客が熱心に店内をのぞき込んでいた。本に興味は引かれるものの、中に入ったものかどうか、今ひとつ決め兼ねているらしい。毛織りのチュニックを来た、小柄な亜麻色の髪の男性だった。
 冷やかしでないのは明らかだ。蜂蜜色の瞳に浮かぶ表情は真剣そのもの。
 
 エドワード・エヴェン・エドワーズはただ黙って待っていた。この表情は今まで何度も見てきた。静かな中に、知的好奇心を抑え切れないと言った風情だ。ここでみだりに声をかけては逆効果。
 と、目の前をひゅうっと白い尻尾が過る。飼い猫のリズがとことこと窓に歩み寄り、とんっと出窓に飛び乗った。男性は『お』と言う表情をして、白い猫の動きを目で追っている。
 リズはちょこんと首をかしげて一声、呼びかけた。

「みゃおう!」

 男性客は目元に笑い皺を浮かべてほほ笑んだ。一端、出窓からは姿が消えたが、入り口に回る気配がする。ほどなくドアベルの音色が響いた。

「いらっしゃい」
「邪魔するよ」

(おや?)
 彼が入ってきた時、ふわっと柔らかな香りが漂った。合成されたものではない。自然な植物の香りだ。
(庭いじりをする人なのだろうか)
 果たして、彼の興味を引いたのは、植物に関する本の並ぶ一角だった。
 後ろ手に手を組んで、静かに、熱心に本を吟味している。時折、棚から引き抜いてページをめくる。古い書物を扱い慣れた動きだ。その合間に、足元に付きそうリズとごく自然に話している。

「なるほど、お前さんはこれを見せたかったんだな、お嬢さん?」
「みゃう」

 それとなく観察しているうちに気付いた。彼の服に、ふわふわした茶色の毛がついている事に。

「もしかして猫、飼ってらっしゃいますか?」
「うん、うちのはこげ茶だ」

 やはり、そうだったか。
 男性は屈みこんで手を伸ばし、リズを撫でた。

「このべっぴんさんは、何てお名前なのかな?」
「リズです」
「みゃう」
「そうか、リズ。リズはかしこいな」
「んみゃあ」
「ちゃんと俺がどの本を読みたいのかわかってたものな」
「みぃう」

 ほほ笑みながら亜麻色の髪の男性は、きちっと座るリズの目の前の本を抜き取った。
 ぱらっとめくり……はっと目を見開いた。それは写真を豊富に使った植物図鑑だった。

「む、むむ……こりゃすごい」

 食い入るように見入っている。さっきまでまとっていたどこか眠そうな、ゆったりした空気がきれいに消し飛んでいる。
 経験からエドワーズは察した。どうやら、彼は『運命の一冊』に巡り合ってしまったようだ。

「いかがでしょう? 今でしたら、ホリデーシーズンのセールでお求めやすくなっていますが……」
「うーん、今、持ち合わせがないんだよなあ」

 こりこりと頭をかいてから、男性は懐を漁り始めた。サイフを探しているようだが、別の物も引っ張り出してしまったらしい。ばさりと小さな本が落ちる。

「おや、これは……」

 今度はエドワーズが目を見開く番だった。
 それは大きさも、厚みもA5判の手帳ほどの本だった。

「見せていただいてもよろしいですか?」
「おう? どうぞ、こんなもんでよけりゃ」
「では、失礼して」

 こんなもん、どころの話じゃなかった。装丁は牛の革。丁寧な細工で、ほころび一つなくしっくり手に馴染む。そして中味は紙ではなく、全て羊皮紙だった。合成した模造品ではない。本物の羊皮紙だ!
 精彩な筆致で、図版と文字が書き込まれている。
 エドワーズは感嘆のため息をついた。

「これは、どちらで手に入れられたのですか?」
「ん? ああ、俺が作ったんだ」
「素晴らしい! 何て素晴らしい技術をお持ちだ」

 エドワーズは本を売るのみならず、自らの手で古い本を修復し、装丁もする。ひとめで技術の高さがわかったのだ。

「よろしければ、これを譲っていただけますか。この本と交換で!」
「いいのか?」
「はい、ぜひに」

 この本には、それだけの価値がある。

「よし、それじゃ取引成立ってことで」
「はい」

 二人はほほ笑みあい、固い握手を交わした。

「ありがとうございました、お気を付けて
「ほいよ、こっちこそありがとさん。じゃあな、リズ、ごきげんよう」
「みゃっ」

 包装された植物図鑑を抱えて、亜麻色の髪の男性は上機嫌で帰って行った。
 エドワーズも上機嫌。手にした本を、改めてじっくりと愛で回す。

「本当に、すばらしい。こんなに質のよい羊皮紙は見たこともない」
「みゅっ」
「ご覧、この絵。この文章」

 そこには、この世を構成する五つの元素、そして聖と魔、二つの流れを汲む十三柱の神々についての物語が書かれていた。
 うっとりしながらページをめくると、リズがカウンターに飛び乗り、のぞき込んできた。

「まるで魔法使いのジャーナル(魔法書)だね、リズ」
「みゃ」

 リズが本に鼻を寄せてにおいをかいでいる。自然とエドワーズの意識も、香りに向けられた。
 皮のにおいに混じって本から漂うかすかな香り。甘さとつんとした爽やかさの入り交じるそれは、彼のまとっていた香りと同じだった。
(ああ、そうか。これはハーブの香りだ)
 薬草と香草の香りをまとい、猫と話す。しかも言葉の端はしにまるでシェイクスピア俳優のような、古風な響きが感じられた。
 そして、この本だ。

「リズ。ひょっとしたらあの人は、本物の魔法使いかもしれないよ」
「みい」

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