▼ 【ex13-5】社長、美形を拾う
その日、カルヴィン・ランドールJrはホリデーシーズンの休暇を利用して久々に愛犬サンダーとゆっくり時間を過ごしていた。
朝食には生のトマトを添えて、食後はとっくみあってレスリングを楽しむ。心ゆくまでふさふさした毛並にブラシをかけ、昼はドッグランに出かける事にした。
彼らの住むマンションからドッグランのある公園までは、少しばかり距離がある。車で行こうかとも思ったが、期待に目を輝かせて尻尾を振るサンダーを見て心を決めた。
「歩いて行こうか」
途端に尻尾が加速して、目にも止まらぬ早さでぶんぶんぶぶんと揺れる。満面笑み崩しながら丈夫なリードを取り、首輪に繋ぐ。糞回収用の袋と、ペットボトルに入れた水、おやつ用のドライトマト、そして忘れちゃいけないゴムのワニさん。
丈夫なキャンバス地のトートバッグに入れて肩にかけた。
「おいで、サンダー」
「わうっ」
犬を連れて歩いていると、犬好きな人間はすぐわかる。遠くから犬の一挙一動を見守り、嬉しそうに笑っているから。
特にサンダーは大型犬だ。四つんばいで歩く子グマほどの真っ黒な犬を見て、にこにこしているのはまず、犬好きと見てまちがいない。
「わんわーん」と言いながら手を振る子供も居る。呼ばれているのがわかるのか、サンダーもその子の方を見て、尻尾を振る。
上機嫌で道を歩き、公園に入った。手入れの行き届いた芝生と、すっくと伸びた木々の間をゆるやかにうねった遊歩道が延びている。
既にリードフリーOKの表示があるものの、念のためリードは着けたまま進む。サンダーは体が大きく、力も強い。それでいてまだ、子犬特有の悪戯っ気が抜けていない。当人(犬?)にその気は無くても、ちょっとした動作が破壊活動になりかねないのだ。
飼い主には、自らの飼い犬が人間社会の中で迷惑をかけずに生きて行けるよう、常に気を配る義務と責任がある。
サンダーの生涯のうち最初の数ヶ月は不幸なものだった。左目の上に今も残る白いラインはその名残だ。それだけに一層、この毛むくじゃらな生き物を愛おしみ、大事に育てなければと感じる。
ふと、視線を感じて顔を上げた。
(おや?)
行く手にすらりとした銀髪の青年が立っている。庭いじりの途中で抜け出して来たのか、あるいは近くのカフェの店員か。
白いシャツの袖をまくり、藍色のシンプルなエプロンを着け、同じく藍色のスラックスを履いている。足元は革のサンダルだ。さらさらとした銀髪をポニーテールに結い上げた姿は実に活動的だ。
うっとりと頬を染め、真冬の海にも似たメノウ色の瞳を輝かせ、ひたとこちらを見据えていた。白い肌は大理石のように染み一つなく透き通り、体つきはランドールの好みからすればいささか線が細いものの、まくった袖からのぞく腕はしっかりとしていた。
なかなかに見目麗しい青年だ。目線が合うとにっこり笑った。その曇りのない笑顔が何とも心地よい。ごく自然にこちらもほほ笑み返し、声をかけていた。
「こんにちは」
「こんにちは! あなたの犬ですか?」
「そうだよ」
「まだ子犬ですよね。かわいいなあ……なでていいですか?」
「どうぞ」
銀髪の青年は迷いの無い足取りで近づき、すっと片方の膝をついて座った。一連の仕草は流れるようにしなやかで、思わず知らず目が引き寄せられる。
「おいで」
ゆるく手の指を曲げ、手のひらを上にして差し伸べて来る。サンダーの顔に対して低い位置をキープして。
サンダーはふん、ふん、と青年のにおいを嗅ぎ……わっしとばかりに前足で抱きつき、顔と言わず体と言わずぺろぺろとなめ回す。
「あ、こら!」
「大丈夫ですよ。ふふっ、可愛いなあ、ふかふかしてるなあ」
銀髪の青年は嬉しそうにサンダーの首に抱きつき、撫で回す。そのうち、一緒になって芝生の上をころころ転げ始めた。
常に犬に不安を抱かせず、それでいて決して自分より上位には立たせない。どうやら、かなり犬の扱いに慣れているらしい。
「君も犬を飼っているのかい?」
「え、あ、はい。実家にたくさんいるんです」
髪の毛や体に芝生や落ち葉をくっつけたまま、青年はふと目を伏せて切なげな表情を浮かべた。
「皆どうしてるかな……」
あまりに切なげな表情をするものだから、つい、ランドールは手を伸ばして青年の髪についた落ち葉を払い落としてやった。
「あ、ありがとうございます」
一拍遅れて銀髪くんも、慌てて手のひらで体や服をぱしぱしと払う。そんな彼の仕草を見ていて、ごく自然に申し出ていた。
「しばらくリードを持ってみるかい?」
「え、いいんですか! ありがとうございます!」
「この子はサンダー、私はカルヴィン・ランドールJrだ」
「私はシャルダンと言います。シャルって呼んでください」
「わかった。では私もカルと呼んでくれ」
シャルは慣れた手つきでリードを捌き、サンダーは速やかに彼の横に着いて歩き始めた。
左側に立たないよう、忠告すべきかと思ったが無用だった。ほんの短い間サンダーと触れ合っただけで、シャルは全てを理解していたのだ。歩調を合わせ、決して前には出ない。主導権を握っているのはどちらなのか、ちゃんと心得ているのだ。
実家に犬がたくさんいると言っていたが、ひょっとしたらブリーダーか、トレーナーをしているのかも知れない。
「カルさんは、何か運動をしてらっしゃるんですか?」
「ああ、水泳を少しね。体を動かすのに一番効率が良いから」
「すごいな、鍛えてるんですね!」
シャルはほうっと感嘆のため息をついている。のみならず、こちらの腕や肩、胸板に熱い視線を向けて来る。
「いいなあ……ムキムキ、いいなあ……」
それはまるで恋する乙女にも似た表情で、見ていて妙に胸がざわつき、心拍数が早くなる。
(これは……)
ちらりとランドールの中で本能が頭をもたげる。
(もしかして脈有り、か?)
ひょっとしたら彼は自分同様、『男に惹かれる男』なのかも知れない。だとしたら、この出会いを通りすがりの好意以上のものに発展させる可能性は、皆無ではない訳で。
話していて気持ちの良い相手だし、顔立ちも美しい。問題はどうやってさりげなく、いやらしさを感じさせない程度にその事実を『確認』するか、だ。
もちろん、彼氏の有無を含めて。まずは、試みに。
「シャル」
「はい、何でしょう」
「ちょっと失礼」
すっと手を伸ばし、彼の髪に触れる。先ほどよりじっくりと指先を滑らせ、その絹のような感触を味わった。
「葉っぱがついていたよ」
「あ……」
ほわあっと大理石のような頬に赤みが広がった。
「す、すみません、全然気付かなくて」
ふむ。とりあえずここまではOK、と。さて次はどうしたものか。
(これは久しぶりに楽しくなってきたぞ……)
昼食には少し遅い。だがお茶の一杯ぐらいは誘っても不自然ではないだろう。午後の散歩は思いも寄らず楽しい方向へと転がりつつあった。
※
一方。ディフとエミルは連れ立って公園の遊歩道をドッグランへと向かっていた。
目的地へと近づくにつれ、犬を連れた人の数が増えてくる。大きいの、小さいの、毛の長いの、短いの。テンション高く走り回ってる奴もいれば、大人しく主人と歩調を合わせて歩いている奴もいた。
「ほんとだ、犬がいっぱいいる」
「うん。今日は天気がいいからな」
「ディフさんのお知り合いも多いんですね」
然り。ここに来るまでの間、何度もすれ違う飼い主と挨拶を交わしていた。
「知り合いって言うか、顧客かな」
「お客さん、ですか」
「うん。俺、いなくなった犬とか猫を探す仕事もやってるから」
「ああ、なるほど」
「もちろん、人も、な」
だから安心しろと伝えたつもりだったが生憎と逆効果だったようだ。エミリオは顔を強ばらせ、拳を握って小刻みに震え出した。
(参ったな、また発作が出たか?)
肩に手を置いたその時、気付く。彼の褐色の瞳が今まさに、反対側から近づいて来る二人の人物に釘付けになっている事に。
「お、お、おおおおおおっ」
「エミリオ?」
「俺のシャルが俺のシャルが俺のシャルが俺のシャルがっ」
何やらぶつぶつと呟いている。日焼けした健康そうな顔からは一切の表情が削ぎ落とされている。だが仮面のような無表情の内側では、凄まじい勢いで思考と感情がうねり、渦を巻いているようだ。
内面からとてつもなく物騒な気配が滲み出している。それこそ暗黒面にでも堕ちそうな勢いだ。
改めて前方から近づいてくる人物を観察する。一人はすらりとした銀髪の青年。なるほど確かに美人だ。これがシャルなのだろうか?
連れはと言えば、黒髪に青い瞳の上質なアラン編みのセーターに身を包んだ男。襟元にさりげなくのぞかせたアスコットタイがいい感じにポイントになっている。
肩幅は広く、背は高く、整った顔立ちの濃いめのハンサム。一緒にいる大きな子犬ともども、よく見知った顔だった。
「Mr.ランドール!」
「やあ、マクラウドくん」
ランドールの笑顔が引きがねとなったのか。エミリオがぶるぶると小刻みに体を震わせる。
「おおおおお、俺のシャルが俺のシャルが、黒髪のイケメンと親しげにーっ!」
確定。カルヴィン・ランドールJrの連れこそが、エミリオの探し人なのだ。
エミルの内なる暗黒フォースは膨れ上がり、今にも爆発しそうだ。どうする、ぶん殴って気絶させるか水でもぶっかけるか?
その時、女神が動いた。
少なくともディフにはそう見えた。手にしていた犬のリードを素早くランドールに返し、銀の髪をなびかせてシャルが走る。遊歩道を軽やかに駆け抜けて、飛び込んだ先は硬直するエミルの腕の中。ぐるりと腕を巻き付け頬をすりよせる。
「エミル! 会いたかった!」
途端にぷしゅうううっと周囲に充満していた暗黒フォースが浄化される。たくましい腕を姫の背中に回し、エミルはひしっと抱き返した。
「俺も。すごく、探した」
「んもう。勝手に離れちゃだめだよ?」
「うん、ごめん」
かくて銀河の平和は守られた。
シャルはきゅっとエミリオの服の胸元をつかんで上目遣いで見上げる。それでも足りないのか、一生懸命つま先立ちになって、のびあがって目線を合わせようとした。
(なるほど、これは確かにいじらしい)
「エミルはハンサムだしたくましいし、ただでさえ女の子が放っておかないんだ。一人でふらふら歩いてたらって思ったら気が気じゃなかった!」
「ごめん、気を付ける」
ランドールとディフは思わず顔を見合わせた。両者の瞳にある思いは同じ。すなわち『君が言うな!』の一言に尽きる。だがどちらも大人だ。あえて口には出さない。
「どうやら、無事再会できたみたいだな」
「マクラウドくん、彼らは……」
「銀髪の彼が迷子になって、黒髪が探してた」
「なるほど」
シャルとエミルは固く抱き合ったまま。どれだけ会えて嬉しいか、心配していたか、報告しあっている。
どんどんエミルの頬が赤みを増し、口元がうずうず震えてきた。キスしたい衝動を必死になってこらえているのだろう。
そんな若い二人の姿を、大人二人は温かく見守るのだった。
「いいね、初々しくて」
「ああ、ほほ笑ましいな」
足元にどっかと座って尻尾を振る、ふかふかのでっかい子犬をなでながら。
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