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ローゼンベルク家の食卓

【ex13-2】オティアと謎のコーヒー猫

2013/01/13 2:47 番外十海
 
 ガラスのドアをくぐり抜け、オティアはコーヒースタンドを後にした。
 彩り鮮やかなホリデーシーズン限定ブレンドにはあえて背を向けて、買ったのはデカフェのコーヒー。
 カフェインの過剰摂取でいつも胃を押さえている、黒髪のへたれ眼鏡に飲ませるためのものだった。

 外に出た途端、冷たい風が吹きつける。去年の寒波に比べればだいぶマシだが、それでも冷たいものは冷たい。
 フード付きの真新しいネイビーブルーのコートの襟元をかきあわせる。去年まで着ていたコートの袖が短くなっていたので、衣替えの時買い替えたのだ。

『育ち盛りだからな』

 そう言って古いコートをたたむディフはなぜか嬉しそうだった。

『それ、どうするんだ?』
『そうだな、リサイクルショップに売るか、寄付するか……何か希望はあるか?』
『……テリーのとこに持ってくのはどうだろう』

 テリーはカリフォルニア大学で学んでいる獣医学部の学生だ。時々、探偵事務所の手伝いをしてくれる。
 彼は自分たち同様、早くに両親を亡くし里親のもとで育った。『テリーのとこ』とはすなわち彼が育った里親の家で、いつも十人近い里子が世話されている。

『なるほど、いい考えだな』
『ん』
『テリーには、お前が自分で渡してくれ』
『わかった』

 今ごろ、あのコートはテリーの『弟』の誰かが着ていることだろう。
 
     ※

 人混みを避けつつ、事務所に向って歩き出す。クリスマスを間近に控え、街は日々赤と緑に席巻されつつあった。周囲の建物はクリスマスの飾り付けで鈴なり。これ以上どこに増やすのかと思っても、予想外の所にぽこっと新しいのが増えていたりするから不思議だ。

「ん?」

 ある店の前で足が止まる。そこはよくあるデリカテッセンだった。この辺りのオフィスに勤める人間が主なお客で、自分も何度かここでコーヒーやサンドイッチを買った事がある。
 木枠にガラスの嵌まった古風なドアに、大きなクリスマスリースがかかっている。昨日は無かった。
 確かに緑と赤の鮮やかなクリスマスカラーなのだが、どこか異質だ。
 首をかしげて、まじまじと観察する。

「ああ」

 違和感を感じたのも道理。リースは色鮮やかなピーマンでできていたのだ。緑を基調に所々、アクセントで赤ピーマンが混じっている。そして輪の真ん中にはさん然と、大きな大きなイチョウガニが掲げられていた。
 ピーマンと違ってこちらは本物ではない。精巧なプラスチックの模型だ。食べ物を扱ってる店だから、こう言う飾り付けも有りなんだろう。
 ピーマンは色鮮やかで日保ちがするからリースの材料としてぴったりだし、カニはサンフランシスコの名物だ。フィッシャーマンズワーフの看板にもでかでかと載っている。
 
 しかしこの組み合わせは……。
 顔面蒼白になって腰を抜かす奴がいそうだ。そう、黒髪のひょろっとしたへたれ眼鏡とか。
(作ってみるか?)
 それとなく構造を調べようとしみじみ見つめていると。いきなり、びったん! と焦げ茶色の生き物が張り付いた。

「わっ」

 猫だ。どこから飛んで来たものか、ドアの木枠のわずかな凹凸に四つ足を踏ん張ってる。
 鼻面をふくらませ、ヒゲをぴーんっと前に倒している。長い尻尾がひゅんひゅんと左右に揺れる。完全にやる気だ。金色の目をらんらんと輝かせ、ひたとカニに狙いを定めていた。
 
「ぴゃ……」

 カニに向って伸び上がったその瞬間、ずりっと足が滑った。

「ぴぃいいっ!」

 バランスを崩してあわや滑落しかけた所を、はっしと両手で受け止めた。

「んぴゃっ!」
「それ、本物じゃないから食えないぞ」
「ぴゃー」

 こげ茶の猫は耳を伏せ、目を半開きにしている。

「確かめてみるか?」

 腕を伸ばし、カニに向って猫を差し伸べてみる。こげ茶猫はふん、ふん、とプラスチックのカニのにおいを嗅ぎ、ぷいっと顔をそむけた。食べられないとわかったらしい。

「納得したか」
「ぴぃう」

 人懐っこい猫だ。抱かれても暴れないし、何より人と会話することに慣れている。背中にいささか肉がつきすぎてる気もするが、毛並はふかふかとして柔らかく、健康そのもの。そして首にはオレンジ色の革ひもを編んだ首輪を付けていた。
 まちがいなく、飼い猫だ。

「ちょっとごめんな」

 首輪に手を触れて調べてみる。色とりどりのウッドビーズと、きらきらしたオレンジの模様入りの玉が下がっていた。だが生憎と、飼い主の住所も電話番号も書かれていない。
 迷子だろうか。逃げ出したんだろうか。とにかく、こんな車通りの多い所に放っておく訳には行かない。

「おいで」
「ぴゃあああ!」

 猫はするするっと腕から抜け出した。一瞬、逃げられるかと焦ったが、離れる様子はない。肩に後脚を踏ん張り、前足でのしっと頭にしがみついて来た。オーレと同じだ。

「お前いつもこうやってるのか」
「ぴゃああ」
「しっかりつかまってろよ?」

 コーヒー色の猫を頭に乗っけて歩き出す。すれ違う人が振り返ってこっちを見ていたが、あえて気付かないふりをした。
 こちらが平然としていれば、変に注目される事もない。それほど難しい事じゃなかった。実際、家ではいつもオーレをこんな風に乗っけて歩いてるのだから。

     ※

 オフィスビルの二階、廊下をずーっと歩いた先の突き当たり。マホガニー色のドアに嵌められたすりガラスの窓には、かっちりした書体で「マクラウド探偵事務所」と書かれている。
『休憩中』の札を外し、鍵を開けて中に入る。その間、こげ茶猫は器用に頭の上でバランスをとっていた。
 慣れたもんだ。普段から飼い主にこうやって乗っかっているのだろう。

「ただ今」
「にうーっ!」

 サークルの中で白い猫がぴょんぴょん飛び跳ねる。扉を開けるとしっぽをぴーんっと立ててすり寄ってきた。

「オーレ」
「うにゃあるるる、ぐるるるみゃあお」
「……よしよし」

 ひとしきり挨拶を済ませると、白い猫はじっとこげ茶の猫を見上げた。
 しっぽをぴーんっと立てている。するとこげ茶の猫がすとっと床に飛び降りて、両者は同じ視点で見つめ合った。
 互いに鼻をつきだして、くんくんとにおいを嗅ぐ。しかる後、ぴとっと鼻をくっつけ合った。

「にうっ」
「ぴゃ!」

 どうやら、コーヒー色の猫はオーレと意気投合したらしい。
 看板に飛びついたぐらいだから、腹が減ってるんだろう。事務所に備え付けの皿を出してきて、キャットフードをぱらぱらと盛った。

「そら」

 コーヒー猫はくんくんとにおいを嗅いで首をかしげている。するとオーレが横からひょいと顔をつっこみ、一口かりっと食べた。

「にうっ」
「………」

 コーヒー猫は真似してドライフードを口にする。ためらいがちにかりかりとかじって、ぱああっと目を輝かせた。

「ぴゃああああっ」

 気に入ったらしい。がっしがっしと食べ始める。
 一安心してオティアはデスクに座り、電話を手に取った。かける先はアニマルポリスだ。

「ハロー、迷い猫を保護しました。特徴は……」

 猫の毛色、およその大きさ、しっぽの長さ、身に着けた首輪の色と形、目の色を手短に伝える。
 特徴の一致する迷子の届け出はまだ出ていなかった。続いて近所の動物病院に問い合わせるが、こちらも空振り。飼い主はこいつがいなくなった事にまだ気付いていないのか、あるいは……。
 取り乱して必死で探し回っている最中なのかも知れない。早い所落ち着いて、冷静な判断力を取り戻してくれるのが望ましいのだが、愛猫がいなくなってとっさに落ち着いていられる飼い主は少ない。
 普段は温厚で冷静な古書店主、Mr.エドワーズさえも、かつて子猫が行方不明になった時は取り乱して酷い有り様だったものだ。
 幸いその子は無事に保護されて、今ではこうして、探偵事務所の『びじんひしょ』を務めている。

「んぴゃぁう」

 カタンとかすかな音がした。顔をあげると、皿は空っぽになっていた。コーヒー猫は満足げに顔を洗っている。
 
「どんだけ腹へってたんだ」
「んっぴゃあるるるぅう」
「にーう、ぐるるるにゃう」

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