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ローゼンベルク家の食卓

【ex10】水の向こうは空の色(後編)

2010/05/02 23:58 番外十海
  • 夢魔『メリジューヌ』を追って、悪夢の中にダイブした6人の狩人たち。偽りの記憶を打ち砕き、無事に取り憑かれた女性を救い出したかに見えたが。
  • 夢魔は最後の力を振り絞って巨大な津波を巻き起こし、自らの崩壊に狩人たちを巻き込もうとする。
  • 『あなたは私と同じ……』夢魔の呼びかけに羊子が振り向き、漆黒の津波に飲み込まれ、消えた。
  • 今回は番外編中の番外編、【ex8】桑港悪夢狩り紀行【ex5】熱い閉ざされた箱と同じ背景世界に基づくお話で、いつもの『食卓』の世界観とは少しだけ、別の世界にシフトしています。
  • 書いてる人間が変わらないので基本は同じ流れなのですが、ほとんどスピンオフ作品と言っていいかもしれません。
  • 海外ドラマで言うと、「CSI」や「フルハウス」よりはむしろ「デッドゾーン」寄りです。
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【ex10-14】かごめかごめ

2010/05/03 0:00 番外十海
 
 彼女が立っていた。押し寄せる黒い水の壁の前に、白い袖と赤い裾、長い黒い髪をなびかせて。
 
「早く、こっちへ!」

 手をさしのべる。彼女も手をのばし………ふと、動きを止め、振り返った。

「ヨーコ!」

 轟音とともに漆黒の津波が崩れ落ち、彼女を飲み込んだ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 布越しに差し込む真昼の光。
 すぐに現状は理解できる。ここはサンフランシスコだ。ヨーコのいる日本は遠い海の彼方。だが、それは身体だけだ。
 彼女の本質とも言うべき精神体は今、悪夢の手の内にある。

「シモーヌさんは?」
「ああ……大丈夫だ。眠っている」

 眠るシモーヌ・アルベールはやつれてはいたけれど、鬼気迫る死相は消えていた。少なくとも、彼女を救うことはできたのだ。

「良かった………」
「サリー」

 肩に置かれたランドールの手に、そっとサリーは自らの手のひらを重ねた。

「ヨーコさんを迎えに行きます。このままじゃ、悪夢の底に飲み込まれてしまう。すぐに連れ戻さないと……」
「いや」

 ランドールはきっぱりとした口調で告げ、首を横に振った。

「私が行く。君は道を開いてくれ」
「でも」
「君ではだめだ。つながりが強すぎて、引っ張られる」
「……わかりました」

(ランドールさんの判断は、正しい)

 仮に今自分が日本に居たとしても、やはり止められるだろう。
 深く呼吸をして、鈴を手に取った。

(待っていて、よーこちゃん)

 ランドールは胸ポケットから手帳を取り出し、開いた。ページの間にはさんだ赤い絹のリボン。初めて夢の中を歩いた時、彼女に渡された……こんな風に。
 しなやかな布を、くるりと左手に巻き付けた。

「始めよう」
「はい」

 鈴の音が鳴る。サリーの手元から一つ。ランドールの胸元から一つ。二つの鈴は重なり一つとなり、海の向こうのもう一つと響きあう。
 祈りの言葉は必要ない。ただ、求める人の名を呼ぶだけでよかった。

「……よーこちゃん……」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「く」

 わずかにうめくと、三上蓮は床から身を起こした。かろうじて膝をついただけで持ちこたえたが、段差を踏み抜いたような衝撃がまだ残っている。

「大丈夫ですか……ロイくん、風見くん」
「平気……です」
「何ノ、これしきっ」

 多少、よれた感はあるものの声はしっかりしている。振り返りはしない。よろけた姿を見ずにいるのが武士の情けと言うものだろう。
 それよりも、気掛かりなのは……。

「結城さん」

 返事はなかった。
 花が一輪、落ちている。目の前の畳の上に巫女装束の白い袖が。緋色の袴が広がって、まるでぽとりと地面に落ちた椿の花だ。白と赤の入り交じった四海波……彼女の一番好きな花だと聞いたのは、ついこの間のことだった。

「羊子先生っ」
「センセイっ」

 目を閉じてうつぶせに横たわり、生徒の呼びかけにもぴくりとも反応しない。
 最悪の事態だ。
 結城羊子の精神はナイトメアの引き起こした津波に巻き込まれ、悪夢の奥底へと引き込まれた。夢魔の眠りの中、深い昏睡状態に陥っている。

「結城さん……失礼」

 注意深く抱き起こして仰向けに寝かせる。襟元と袴の裾を整えていると、か細い澄んだ音色が聞こえた。体を安定させ、手を離してからもまだ聞こえる。

 リー……ン………リ、リ、リィン………。

 鈴が鳴っていた。
 巫女装束の胸元に光る、薄紅色の勾玉。その隣に添えられた、小さな金色の鈴が。

「どうやら、Mr.ランドールがダイブしたようですね」
「どうしてわかるんですか?」
「おそらく、結城くんが中継しているのでしょう。ほら、鈴が鳴っている」
「ホントだ!」
「これ………」

 風見光一は思い出していた。
 あれは昨年のクリスマス休暇に、早朝のスーパーマーケットで自分がこの手で鎖にとりつけ、お守りに渡した鈴だ。サクヤさんも、ランドールさんもおそろいのを持っている。

「俺が渡した鈴だ……」
「ずっと、身に付けていたのでしょうね」
「……っっ!」

 うつむき、唇を噛む。
 ロイが、きっと顔をあげた。

「ボクたちも、早く行きましょう!」
「ええ、急いで……むっ!」

 ぐらっと、社殿の中の空気が。空間が揺れる。羊子の髪を束ねていた組み紐が、ぱつっと切れて黒髪が広がる。
 あまつさえ、額にぽつっと小さな傷が生じた。

「これは、まずい」

 びきっ!
 畳に亀裂が生じた。横たわる羊子を中心に、びき、めき、びき、と広がる。さながら蛇が這いずる姿も似た、歪な螺旋を描き出す。

「せえいっ!」

 風見はとっさに愛剣十六夜丸を引き抜き、亀裂の先端に突き立てた。
 手応え有り。
 裂け目に沿ってぬらぬらと、禍々しい波動がのたうつのを感じた。渾身の力で押さえ込む。が、凄まじい力だ。ぐらぐら揺れる。しかし突き立てた刃は微動だにしない。

「くっ……」
「コウイチ!」

 ロイは迷わず袖口に仕込んだクナイを繰り出し、突き立ててた。
 抜き身の日本刀、それも神に捧げられた刀と純粋な鉄。二本の刃に縫い止められ、見えない蛇の勢いがわずかに削がれる。

「持ちこたえてください、あと少し!」

 三上の手のひらから炎が走り、畳の表面に六芒星を焼き付ける。
 篭目紋。
 魔物封じの印が螺旋の亀裂を囲い込み、侵攻が止まった。

「ふう……もう大丈夫ですよ……当面は……」

 三上はじっと亀裂の奥を睨んだ。わずかに眉の間に皺が寄る。
 悪夢の中で大きな変動が起きたようだ。力のバランスが崩れ、『夢の結界』が不安定な状態になっている。今、結界が崩れれば、結城さんのみならず、救出に行った社長も戻れなくなる。

「これではこちらは動けませんね……。仕方ありません、我々はここで結界の維持に専念しましょう。ああ、お手数ですが二人とも、その刃は抜かないでください」
「わかりました」
「承知」

 社殿の扉の向こうで人の動く気配がした。一瞬、緊張が走る。だが、それは三人ともよく知った人間のものだった。

「あ」
「もしかして」

 ほどなく壁越しによどみない読経の声が響き、風見とロイは刃の先で蠢く夢魔の気配が弱まるのを感じた。

「……助っ人が来てくれたようですね。心強い」

 三上は十字架を逆手に構え、羊子の枕元に跪いた。事あらばいつでも動けるよう、身構えて。
 静かな寝顔だ。それこそ人形のように空っぽで、穏やかすぎる。確かに体はそこにあるはずなのに、欠片ほども感じることができない。
 結城羊子と言う女性の存在を。
 左手を伸ばし、指先で額に浮いた赤い雫をぬぐう。皮肉なことだ。唯一、傷を治せる能力の持ち主が今、夢魔の眠りに捕らわれているとは。

(恐れていたことが起きてしまいましたね、結城さん)

 予兆はあった。
 しかし彼女の意志の強さが、それを表に出さなかった。

(うかつでした。私が感知していたよりずっと強く、あなたは夢魔に共鳴していたのですね)

 まったく、困った意地っ張りの羊さんだ。
 支え切れるつもりでいた。だが、彼女はもう『ちっちゃなよーこ』でも。新米ハンターの『メリィちゃん』でもない。

 かくなる上は、ランドール社長に全てを託すしかあるまい。
 飲まれた悪夢が悪夢なだけに、彼でなければ連れ戻せそうにない。彼が行ってくれているのは、むしろありがたいくらいだ。
 ついでに少しくらいは進展してくれているといいが。

(むしろそっちの方が心配、ですか……ね)


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