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ローゼンベルク家の食卓

【3-9-1】夕食は四人分

2008/04/18 21:28 三話十海
 まだかな。

 シエンはさっきから、ドアの外が気になってしょうがない。
 そろそろ食事の仕度が終わるのに、一向に来る気配がないのだ。

「今日は皿、四人分でいいぞ」

(えっ?)

 ディフの言葉に思わず目を見開いた。

「ヒウェル……は?」
「あいつは今、出入り禁止くらってる。刑期は三日だ」
「オティアのせい?」
「オティアも関係ある。だが、今回はヒウェルの自業自得だ」


 ディフは微妙に嘘をつく。
 まったくの嘘じゃないけれど。それが、自分やオティアを守ろうとする思いから来るものだってことも、わかるようになったのだけど。
 今みたいな言い方をするってことは、やっぱりオティアが原因なんだ。

 うなだれていると、ディフが遠慮がちに声をかけてきた。

「シエン……………その………あー……」
「ヒウェルごはんどうするのかな」
「プロテインバーかチョコバーか、コーヒー。あとは……ヤニかな」


 何だかどれもあまり美味しそうじゃない。三日間、そんな食事ばっかりじゃ栄養もかたよりそうだ。体によくないよ。
 ちらりと今作っている夕飯を見る。

「………………これ、持っていっても……いい……?」

 ディフはじっとシエンの顔を見て、それからほんの少しだけ目元を和ませた。

「そうだな。多分、余る。これ使え」

 タッパーを渡してくれた。受けとって、料理をつめる。
 メインのポークとキャベツのポッドローストも。カボチャのサラダも、きっちり一人分。スープは……さすがに難しいかな。
 首をひねっていると、オティアが横を通り抜けながら一言、ぼそりと言った。

「甘やかすな」
「………」

 しょんぼりとうなだれ、力無く手を降ろす。


 一人分取り分けた夕食は、結局、持って行くことができなかった。


 ※  ※  ※  ※


 ずっと、一緒だった。
 二人で一人。お互いがこの世界で唯一の大切な存在。
 同じものを見て。
 同じことを思って。
 同じステップで歩いてきた。

 それは瞬き一つに満たないほどのかすかなゆらぎ。それでも確かにその瞬間、二人は別々の『一人』だった。


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【3-9-2】代理でデリバリー

2008/04/18 21:30 三話十海
 朝まで仕事して、眼鏡外してタイだけ緩めてベッドにひっくり返って。起きたらもう昼過ぎだった。
 ベッドから抜け出し、パソコンのフタを開けてメールをチェックする。昨夜開きっ放しにしておいたテキストファイルが目に入る。
 
 なんか、気になるな。寝る直前に書いた文章だから、微妙にガタガタだ。

 手直しを始めてそのまま数時間。
 なんだか妙にふらふらするなと思ったらうっかり飯を食うのを忘れていた。
 仕事に集中しているとよくあることだ。
 時計を見るともう夜の九時を回っていた。どうりで暗いはずだ。カーテンをしめて、部屋の明かりをつけた。

 さて、今日最後に固形物を口にしたのは……いつだったろう。それ以前に、誰かと直接、話をしただろうか?
 電話でもなく。メールでもなく。
 それ以前に俺、太陽の光浴びたかな。

 こうしてみると、晩飯だけでも上で食ってるってのは生活の中で確実に一つの区切りになってたんだな。
 
 とりあえず、糖分と水分だけでも補給しとくか。
 冷蔵庫を開けると、ボトルウォーターと牛乳と、缶ビールとマヨネーズしか入っていなかった。
 水をのどに流し込むと、体中の細胞がむさぼるように水分を吸収しているような気がした。
 よし、水分補給完了。

 リンゴ……は今朝、最後の一つを食っちまったし。チョコバーまだあったかな。

 上着のポケットをひっかきまわしてると呼び鈴が鳴った。

 がーっと原稿に集中していた余波が残っていて、まだ微妙に体の動きと意識が合っていない。
 まず体が動いて、その後を少し遅れて意識が着いて行く。
 浮遊する意識を引っぱりながら玄関まで歩いてゆき、ドアを開けると目の前に壁があった。

「生きてたか」
「……よお」

 ディフだった。
 
「何か用か?」

 ずいっと目の前に四角いタッパーがさし出される。
 肉と野菜のにおいがした。
 ぐぎゅーっと腹が鳴る。

「食え」
「いいのか?」
「シエンがな。お前にこれ持ってってもいいかって言うんだよ。滅多にこうしたいって言わないあの子が」

 問答無用で手の中に押し付けられる。まだほんのりと温かい。

「……だから。代理だ」
「すまん」
「謝るな」
「すまん」

 ディフは軽く拳を握って、とん、と胸を突いてきた。ふらっと体が揺れる。

「ったく。謝るなっつったろうが」
「……うん」

 ゆるく握った拳で同じように胸を叩く。
 びくともしねえ。

「ありがとな。今日始めてのまともな食い物だよ」
「ったく。お前は不健康すぎだ。せめて野菜ジュースだけでも飲んどけ」
「気が向いたらな」

 やれやれ、と肩をすくめてる。今まで何十回もくり返された会話だ。俺も素直に飲むつもりはないし、向こうもそれぐらいは百も承知。
 高校時代、寮の同じ部屋に住んでた時はこんな会話の後は決まって野菜ジュースのボトルが冷蔵庫に入ってた。(しかも特大だ)

 今はそこまではしない。
 お互いの間にきっちり境界線ができている。『ここまで』って。大人になったってことなのかな、これが。

「それじゃ、おやすみ。シエンに…………よろしくな」
「ああ。伝えとく」

 本命は、言えなかった。


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【3-9-3】ヒウェル出所前夜

2008/04/18 21:32 三話十海
 三日間のヒウェルの出入り禁止も今日で終わりだ。
 明日から夕食をいちいち運ぶ手間が省けるかと思うと清々する。
 まったくあいつと来たら、ドアを開けて俺の顔見るたびに露骨にがっかりした顔しやがるんだ。

(何を期待していたのか。誰を待っているのか。あえて追求するまでもないし、したところでヒウェルが口を割るとも思えない。第一答えなんかわかり切ってる)

 そんな事を考えながら鍋を洗っていると、携帯が鳴った。ざっと手をすすいで、水気をふきながら液晶画面を確認する。
 当の本人からだ。

「どうした、こんな時間に………」

 どこか、こう、別次元から聞こえてくるような声で『借りたいものがある』と言ってきた。
 今日の分の夕飯はまだ届けていない。
 あいつ、また一日飯抜きでぶっ通しで仕事してたな?

「かまわんぞ。何を?」

 抑揚の無い口調で、呪文でも唱えるみたいに淡々と、必要な本や雑誌、ファイル名を挙げて行く。

「あー、その資料は事務所に置いてあるんだ」

 少し迷った。
 奴が事務所に来れば必然的にオティアと顔を合わせることになる。
 明日はそれほど外に出る用事はないが、タイミングによっては事務所で二人きり、なんてことにもなりかねない。

「明日、午後一番で取りに来てくれ。じゃあな」

 その時間なら、確実に俺も事務所にいる。
 携帯を閉じて、ふと横を見ると……シエンと目があった。どうやら気にしていたようだ。

「……元気だぞ。ヒウェル。飯、美味かったって」
「………そう」

 ほわっと顔をほころばせた。ほんの少しだけ。


「……明日、事務所に来るから……その……気が向かないなら、バイト休んでもいいって…オティアに伝えといてくれ」
「休まないよ」
「……そうか」
「うん」
「わかった」


 今度は俺がほっとする番だった。


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【3-9-4】俺は空気か

2008/04/18 21:34 三話十海
 翌日、ディフの事務所に資料を借りに行った。約束通り、午後一番に。
 俺が事務所に入ってった時からオティアは顔もあげないし、こっちを見ようとさえしない。

 俺は空気か?

「…………………………さんきゅ。使い終わったらまた返しに来るから」
「ああ。部屋でもいいぞ」
「……いや。こっちに来る」
「そうか」

 電話が鳴る。オティアは書類から顔を上げて、受話器を取った。

「はい、マクラウド探偵事務所。……しばらくお待ちください」

 保留にしてから、つかの間こっちを見たような気がしたが。

「ディフ」
「ん」

 やっぱり俺は無視かよ。
 仕方ないよな。それだけのことはしたんだ。蹴り出されないだけマシと思おう。
 頭じゃ理解できる。
 だが今、この瞬間、腹の中でうじゃうじゃのたくってるこの苛立ちをどうしてくれよう。
 どこかにぶつけなきゃ気がすまねえ!

「ちょっとノーパソ借りていいか?」
「……ああ」

 ディフが電話に出ている間に素早くトラックパッドに指を走らせる。
 確か、俺が前に撮ってやったレオンの写真が……あったあった。よし、これを壁紙にセットしてっと。

「ありがと、助かったよ」
「おう」
「それじゃ、また飯時に」

 涼しい顔して事務所を出た。
 ドアを閉めた瞬間、口がぐんにゃりと歪んで……慌ただしく煙草を一本取り出し、歩きながら火を点けた。
 手の中のライターをしみじみ見つめる。すり傷だらけの銀色のオイルライター。表面には赤いグリフォンの紋様、裏面に一筋、『唯一の傷』。
 里親の家を出る時、親父さんからもらった思い出の品。
 もう二度とこの手にすることがないとあきらめていた。『撮影所』の瓦礫の中からオティアが見つけてくれるまでは。

『ここで死なれたら、寝覚めが悪い』

 少なくともあの時は、俺を見てくれた。
 俺に話しかけてくれた。
 
 俺は……どこで道をまちがえてしまったのだろう?

 もう、お前にとって俺は存在しないも同じなのか。

 いつからお前に惚れていたのか。惹き付けられていたのか。
 最初に出会った瞬間か。それとも、倒れたお前の手を握って、弱々しくにぎり返された時だろうか。
 あるいは……ボコボコに殴られて倉庫の床にひっくり返っていた俺の目の前に、ふいっとお前が現れた時。

 少しくすんだ金色の髪。優しく煙るアメジストの瞳。ぐいと結んでへの字にした口も。斜めにしかめた眉さえも愛おしくてたまらなくって。
 幻でも現実でもかまわない。もう一度会えた事が、ただひたすら嬉しかった。
 
 誰はばかることなくお前が好きだと言いたい。言ってほしい。
 キスして、抱きしめて、その金色の髪を思うさま撫でて……顔を埋めたい。
 腕の中にお前の温もりを感じたい。
 そんなありとあらゆる自分の『したい』を投げ出して、今、ただひたすらに冀う(こいねがう)。

 俺を見てくれ。
 俺が、今、ここに存在するって認めてくれ。
 
 ただ一度でいい。お前がほほ笑みかけてくれるのなら……
 どんな代価も喜んでさし出そう。
 この心臓、えぐり出しても構わない。

「…ん……こほん」

 唐突に遠慮がちな咳払いが聞こえて我に返った。スーツを着た初老の紳士がこっちを見てる。さりげに示された壁面に、「NO SMOKING」のサイン。
 すれ違う人々の視線が痛い。

「あ」

 あ………うん。確かにここの廊下って……………全面禁煙だったね。
 むすっとした顔のままポケットから携帯用灰皿を取り出す。最後に一服深々と吸い込んでから、煙草を口から離して。
 ねじ込んだ。
 ぎりぎりと、思いっきり強く。

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【3-9-5】所長、仕事しろ

2008/04/18 21:36 三話十海
 ドアが閉まった瞬間、小さなため息が漏れた。
 やれやれ、やっと帰ったか、あのバカが。

 三日間の出入り禁止は昨日で終わり。今日の夕食の時間になれば嫌でもあいつと顔を合わせなければいけない。

 どうかしてる。
 
 他人なんか居ても居なくても同じだ。簡単に存在を自分の意識から抹消できる。
 それなのに、何だってあいつを。あいつなんかを、わざわざ意識して『無視』しなきゃいけないんだ?

 おそらく自分が一言「来るな」と言えば、あいつは三日どころか二度と部屋には顔を出さないだろう。だが、何故かシエンの顔が……どこか悲しそうな顔がちらついて、できない。

 ……いいや。もうあいつの事を考えるのすら面倒くさい。
 もう一度ため息をつくと、オティアは目の前の仕事に集中しようとした。

(踏みにじられるのは慣れている。別にあの男が初めてじゃない)


 ※  ※  ※  ※


「……ん?」

 書類の整理をしていてふと行きづまる。
 ずっとこの事務所はディフが一人で切り盛りしていた。
 だから報告書や業務記録に何カ所か、彼にしか分らない独自の略号や記述がある。

「なぁ、ディフ、これって……」

 一度、聞けばすぐ覚えるが、今みたいに初めて見つけた暗号は本人に聞くしかない。

「…………」

 返事がない。
 珍しいな。
 顔を上げて、所長のデスクに目を向ける。
 じっとパソコンに見入っているが、手がとまっている。しかも顔全体がゆるみきってる。
 頬杖をついて、目を和ませて、ティーンエイジャーみたいにうっすら頬まで染めてやがる。

「……………………………ふふっ」

 笑った。


「……顔がキモくなってるぞ」
「……んー」

 かろうじて返事はあった。でも相変わらず目は画面に釘付け、手は止まったまま。
 まさかと思うがネットでエロサイトでも見てるんじゃあるまいな?
 さらに30分ほど放置してみる。
 スクリーンセイバーが作動するたびに、トラックパッドをちょんとつついてまた壁紙を表示する。
 しかし一向に仕事に戻る気配はない。

「…………やっぱり美人だよな」

 ぴくっと片眉が跳ね上がる。
 こいつがこんな台詞吐く相手はこの世にただ一人しか居やしない。
 新聞を手に立ち上がり、背後に回るが、気づきゃしない。
 パソコンの画面をのぞきこむと、予想通りレオンがほほ笑んでいた。

 新聞紙をくるくるとまるめて棒にする。
 いつものディフならとっくに気配を察して反応してるはずだが……画面を見てしきりにうなずいている。
 いっそ不意打ちしてやろうかとも思ったが、棒状にした新聞紙を肩にかついでひとこと言ってやった。

「あんたほんっとーにレオンの嫁だよな」
「誰が嫁だっ」

 すぱーん!
 事務所の中に景気良く軽い炸裂音が響いた。

「痛ぇっ! 何しやがるっ!」

 柄の悪さ全開で歯をむき出してうなる所長に、冷めた一言でぐさりと切り込む。

「仕事しろバカ」
「……………………………………………すまん」

 背中丸めてうなだれた。まるで叱られた犬だな。さっきの勢いは欠片もない。どうやら、大人げないマネをした自覚はあるらしい。
 さっと手を伸ばし、ちゃっちゃと危険な壁紙を外して無機質な青い画面に戻す。

 するべき事を終えると書類を差し出し、本来の用事をさらりと告げた。

「これ、どう言う意味なんだ?」
「ああ……こっちが依頼受けた日で、これが調査の終わった日付だ」
「それは分る。このDisってのは?」
「discontinuation(継続中止)」
「……わかった」

 そして何事もなかったように仕事に戻った。

「……何でレオンになってたんだ……」

 ディフが首をひねってる。

(あのバカがやったに決まってるだろう)

 思ったが、口には出さなかった。


 ※  ※  ※  ※


 お茶の時間になって、上の法律事務所からシエンとアレックスが降りてきた。
 仕度を整えると、アレックスはうやうやしく一礼して。一足先に上に戻って行った。

 いつものように三人でテーブルを囲み、いつものように、おだやかなひと時が過ぎて行く。

(……変だな)

 ディフはわずかな違和感を感じていた。
 いつもと同じ様にほほ笑んでいるけれど、ふとした瞬間に見せる、あの不安そうな顔は何だ?
 伏し目がちに紫の瞳が見つめる先には、無言でお茶を飲むオティアの姿。
 目線すら合わせようとしない。
 よくあることだ。
 それでもちゃんと通じ合っている。知ってはいるが、今日は何だか胸の奥がざわり、と波打った。

 思い切って、シエンが帰るまぎわに声をかけてみた。

「どうした、シエン。浮かない顔だな」
「……そんなことないよ。じゃあ、戻るね」

 笑って手を振って帰って行くシエンにそれ以上何も言えず、ディフも黙って手を振った。

「………何も……ないわけないだろ……」

 見送ってから小さな声でつぶやくがオティアからはノーコメント。
 沈黙のうちに言われた気がした。『あんたには関係ない』『必要以上に関わんな』と。

 小さくため息をつくと、ディフは仕事に戻った。


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【3-9-6】誰が“まま”だ!

2008/04/18 21:38 三話十海
 ドアの前でしばらく迷ってから深呼吸して入る。
 三日の出入り禁止は解けた。堂々と入って行けばいい。

「腹減った。今日の飯、何?」

 いつものように入って行くと、テーブルセッティングをしているオティアと顔を合わせた。焦るな。慌てるな。こいつがいつもやってることじゃないか。
 予測できた事態、それなのに何でこんなにうろたえるんだろう。


(何て言おう)
(何て言えばいいんだ)
(言っても、また無視されるんじゃないか? 事務所の時みたいに)

 さんざん迷ってから、結局出たのは平凡きわまりない挨拶の言葉だった。

「……よお」


 オティアは顔をあげて、こっちを見て、ちょっと眉をしかめて。横を向いて小さくため息をついた。


「くだんない報復はやめろよな」

 どうやら、昼間の壁紙のすり替えのことを言っているらしい。

「…ちょいと殺風景なデスクトップを模様替えしてやっただけだ」


 それ以上はちらともこっちを見ないで黙々と作業を続ける。
 いいさ。
 こっちを見てくれた。話をしてくれた。それだけで、嬉しい。
 天使のハープが聞こえた気分だ……。

 キッチンからシエンがこっちを見ている。手をふって近づいた。

「……飯の心配してくれてありがとな」
「……ん」


 ※  ※  ※  ※


 キッチンの奥をのぞきこむと、ディフがいそいそと料理を盛りつけていた。
 エプロンつけて髪の毛をきゅっと一つにくくって、腕まくりして。左手首の頑丈な腕時計がすさまじく浮いて見える。

「お、いいにおい。ミートパイ? それともミートローフ?」
「……ミートローフだよ。何にやついてんだ」
「別に? 俺はいつもこーゆー顔ですよ?」
「そうだな」

 あっさり納得しやがった。それはそれでむかっとしたが、些細な事だ。
 テーブルに並べられた皿は四人分。だが料理はきっちり五人分。ってことはレオンは今日は帰りが遅いんだな。

「できたぞ。冷めないうちに、食え」

 四人で食卓を囲んだ。
 この四人って人数が……微妙だ。オティアは俺の方をろくに見ようともしないし。もちろん話しかけようともしない。
 いつも飯食ってる時はもの静かな奴だが、今日は格別。
 奴の周囲に目に見えない透明な壁が張り巡らされている。
 俺にだけ有効な、とんでもなく堅い壁が。

 ディフも気にしているのだろうが、あえて話を振ってきたりはしない。
 会話が成立しないまま、四人そろって黙々と皿の上のものを片付ける。

 不意にシエンが明るい声で言った。

「ぱぱ、遅いねー」

 ナチュラルにディフが答える。

「ああ遅いな」

 2秒ほど沈黙。
 目をぱちくりさせてから、素っ頓狂な声を出した。

「待て。レオンがぱぱなら、ままは誰だ?」

 一斉に視線が集中する。紫の瞳が2ペア。俺の目が1ペア。

「…………俺……か?」


 シエンがうなずいた。


「冗談だろ? こんなゴツいままがどこの世界に居るってんだ!」
「あー日本あたりにいるかもね、SHINGOママとか」
「どう見てもレオンの嫁」
「誰が嫁だ、誰がーっ」

 歯を剥いて怒鳴ってからディフは、ふと思い出したように言った。

「あ。お前それ昼間も言ったよな」

 しかしオティアさらりとスルー。シエンと顔を見合わせている。

「いつも仲良いよね」
「夫婦だし」

「誰が夫婦かっ」

 ちょこんと首をかしげて言ってやった。

「………自覚なかったんだ?」
「貴様ーーーーっ」
「そんなに怒らなくても……えっと…ごめんね?」
「謝ることないだろ事実なんだから」


「あ……いや……別に怒ってる訳じゃないから」
「よかったなあ、まま」
「貴様に言われたくはない!」

 そう、実際、ディフの奴は怒ると言うより明らかに恥ずかしがっていた。
 耳まで赤くして。左の首筋にくっきりと『薔薇の花びら』を浮び上がらせて。

(あーあ。ここにレオン本人が帰って来たらこいつ、どーなっちゃうんだろうねえ?)

 照れ隠しなんだろうか。ものすごい雑に切り分けたアップルパイをもってきて、だんっと食卓の真ん中に置いた。

「甘み足したい奴ぁシロップかけて食え!」
「いらん」

 がたん、とオティアが席を立った。

「気にしてんのか」
「……甘いのもリンゴ焼いたのも……苦手だ。」

 オティアは自分の分の皿を片付け、部屋に戻って行った。

 ディフが黙ってうつむく。事務所じゃ普通に会話してたのにな。何故かあの二人、家に帰ると途端に会話が続かなくなる。

「その……嘘じゃ、ないよ」
「……そうか。じゃ、オティアにはこっちのがいいかな」

 ころんとテーブルの上にちっちゃなリンゴが転がる。手の中にすっぽり収まるくらいのマッキントッシュ。
 アップルパイに使った残りだろうか。酸味の強い小粒のリンゴ。

「ありがと」
「お前は、平気か、これ?」
「うん………あ、でも」
「でも?」
「ちょっとだけ、シナモン、強い……かも」
「あー、それレオンの好みに合わせてあんだわ」
「そうなの?」
「うん。こいつのレシピって基本的にそうなんだよな。俺も同じこと前に指摘したんだけどさ。ぜってー聞かないの」
「そんなこともあったか」
「うわっ、記憶にすら残ってないし!」

 さっくりと俺の抗議を受け流してディフはシエンに向かってうなずいた。わずかに目元を和ませて、おだやかな声で。

「そうか。シナモンきつかったか。次は控えるよ」

「…………ありがと」

 自分の分を食べ終わるとシエンはさくさくとリンゴの皮をむき、部屋に持って行った。

「……それでさ、お前。嫁には過剰反応しても、ままは有りな訳?」
「…………………んー、それが、何って言うか、なあ……]

 エプロンを外して、今は白のシャツ一枚。まくっていた袖をもどしかけてはいるものの、袖口のボタンはまだ留めていない。
 襟元はいつものように上二つ開けている。
 どちらかと言えばワイルドな格好で、ディフは……桃の実の下半分にほんのり入った薄紅色みたいに頬を染めて。少しだけうつむいて、ぽそりと言った。

「むしろ、嬉しかった」

 よほど照れくさかったのか。言ってから、腕を持ち上げて髪の毛をわしわしと豪快にかき回して。
 顔をくしゃくしゃにして笑っている。

 一瞬、袖口からのぞく手首に目が引きつけられた。
 頑丈な腕時計(完全防水だ)を巻いた手。ついさっきまで惜しげもなく晒されていたが今は中途半端に白い袖に隠れている。
 袖口のスリットからのぞく腕の、内側の皮膚が妙に艶かしい……

 馬鹿な。どうかしてるぞ!

「うん……嬉しかったんだ、俺」

 頼む。そこで。そのタイミングで、目を伏せるな。

 思わず喉が鳴りそうになる。かと言ってここで目をそらせるのも不自然だ。余計に気まずい。

 ごついのに。
 大雑把なのに。
 何でそんなに色っぽいんだ、お前。

(絶対おかしい。いくら最近ご無沙汰だからって……今さら、こいつ見てどぎまぎしてどうするよっ?)

 頭を抱えたくなったその時、呼び鈴が鳴った。
 いそいそとディフが玄関に迎えに出る。

 よかった。『ぱぱ』のお帰りだ。
 一人になった隙に、こっそり深呼吸する。

(ああ、いい加減どっかで発散しないと俺、やばいかもしれない)


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【3-9-7】“ぱぱ”の帰宅

2008/04/18 21:41 三話十海
「オティアと話したって?」

 報告を聞くなり、レオンはまばたきして。小さく首をかしげて、言った。

「それはまた簡単に許したものだね」
「昼間は口もきいてくれなかったけど……夜は話せたから」
「もっと長引くと思ったんだがな」
「っ……おもしろがってませんよね、まさか?」
「うーん面白がっていていいならそうしたいところなんだが」


 ああ、こいつってば、まつげはふさふさしてくりっとカールしていて、唇なんかキューピットの弓矢みたいで、まるで陶器の人形みたいで……とにかく、顔だけはきれいなくせに性格悪ぃんだからーっ!


「あの子はわからないな……」
「わからないから、知りたくなる」

 レオンは秘かに思った。

 最悪、ヒウェルが二度と来ないようにするか、双子がこの家を出ていくかの二択になる可能性もあったのにな、と。
 しかしあえて今、そのことを口にしてヒウェルにとどめを刺す必要もないだろう。


「そうだ。二人に見てほしいものがあったんだ」

 ヒウェルが上着のポケットから写真を二枚取り出し、テーブルの上に広げた。

「こっちがね…例の『撮影所』のスタッフの一人が腕に入れてたタトゥー。日付が入ってる。こっちは…シエンの居た工場でパクられたやつ。望遠で撮ったのを拡大したから荒れてるけど……」


 並べた写真をこつこつとひょろ長い指先で叩く。

「どっちも同じだ。蠍の尻尾の蛇」
「同じグループということか」
「おそらく」

 まずレオンが写真を手にとり、自分で見てからディフに渡す。
 代わる代わる二枚の写真を見てから、ディフはテーブルの上に写真を並べ、タトゥーに入れられた日付を指さした。

「こいつは多分入団の日だな……最近出てきた『新しい連中』が好むやり方だ。古くからのマフィアなんかには、こう言う風習はない」
「マフィアは『紳士』だから?」
「ああ。新しいギャングは目に見える形で仲間の繋がりを求める。自分達に組織の後ろ盾があるってことを誇示したがるんだ」
「なるほど、タトゥー見せびらかしてにらみを利かすんだな。『俺にはバックがついているぜ』って」
「ああ。こいつを見れば、組織を知ってる相手はビビるからな。刑務所の中でも羽振りをきかせられるし……」

 少しためらう気配がして、声のトーンが落とされる。

「警官の中には、いろいろと便宜を計る奴もいる」

『いろいろと』の部分はこころもち重く、若干の苦さを含んで響いた。

 ヒウェルは思った。
 なるほど、こいつもまったくの純真無垢って訳でもないのだ。仕事に関しては多少の泥水もくぐっているらしい。
 それでも心の底では人の善き魂を信じてしまう。信じようとする。それがディフの甘さであり、強さでもある。

(百回生まれ変わっても俺には無理だ、絶対に)

「警官時代に逮捕した連中の中にも、こいつを入れてる奴がいた。腕だったり胸だったり背中だったり、場所はばらばらだけどな。モチーフは同じだった」
「ふむ……その古い事件もあたってみよう。何かわかるかもしれない」
「お願いします。俺も手繰ってみる。警察の記録は……頼めるかな」
「ああ」
「多分、二つを束ねるもっと上がいる……」

 二人とも黙ってうなずく。同じことを予測したのだろう。たった二枚の写真から。

「……ってモルダーとスカリーがまだお気づきでないようなら示唆しといていただけます? 俺どーにもあの人苦手でっ」
「ああ……」

 双子の事件以来、レオンはFBIに協力していて担当捜査官とも密に連絡をとっている。
 男女の二人組で俺は秘かに「モルダーとスカリー」とお呼びしている。
 『モルダー』ことバートン捜査官ははもともと法律畑の人間だったらしく、レオンと気が合うようだ。
 そこそこいい男だし、適度に話の通じる付き合いやすい奴なのだが、『スカリー』は……。

 小柄な体に穏やかな声。くりっとした瞳でむしろ可愛いとさえ言える風貌なのだが、中味が鋼鉄。
 あのグレイの瞳で見据えられて『H!』なんて呼びつけられたら最後、逆らえない。逃げ出せない。はっと気がつくと顎で使われてたりする。

(俺は彼女の部下でも何でもないっつーのに!)

「君が苦手なのは彼女のほうだけだろう」
「そーなんすけどね。何故かコンタクトとろうとすると必ず彼女とかち合わせる」

 ふとレオンが笑った。
 形の良い唇の端をわずかに上げ、かっ色の瞳の奥に小悪魔めいた光を閃かせて。
 あの顔は知ってるぞ。
 人の手からかっさらった猫じゃらしをくわえて、たーっと走ってく直前の猫の顔だ。

「それは"運命"って言うのさ」
「そーゆー運命は……願い下げ………」

 げんなりと肩を落した。


 ※  ※  ※  ※


 ヒウェルが帰ってから、二人っきりになったリビングでディフがぽつりと言った。

「シエンに言われたよ。お前がぱぱで、俺がままだとさ」
「ふむ………」

 確かにあの子はディフに懐いているようには見える。しかし、実際はまだそこまで心は許していないはずだ。
 おそらく意図的にやったのだ。では、何故そうしなければならなかったのか?
 原因は、容易に想像がつく。オティアとヒウェルが顔を突き合わせたのだ。食卓にはある種の緊張感と重苦しさが漂っていたにちがいない。

 空気を変えようとしたのだろう。
 だが……シエンの本意がわからない。あの子は巧みに隠してしまう。自分の本当の心の動きを。

 最初にヒウェルがオティアを傷つけた時、あの子は必死に兄弟を守ろうとした。ヒウェルを追い払おうとさえした。
 今回は明らかに、反応が違う。
 なぜだろう?

「レオン?」
「ああ……何でもない。しかし、君が、ママか」

 彼はほんのりと頬を染めて、ほほ笑んだ。嬉しそうに。少しだけ、はにかんで。
 手を伸ばして、なでる。ゆるくウェーブのかかった赤い髪を。

「よせよ、くすぐったい」

 答えずに引き寄せ、抱きしめる。彼がいつもそうしてくれるように、胸の中にすっぽりと包み込んで。
 あったかいな……君は。

「レオン。どうした?」

 けげんそうに見上げてくる瞳。中央の瞳孔は細い炎にも似た緑色のラインに縁取られ、外側に行くにつれて淡い、明るいヘーゼルブラウンに変わってゆく。
 感情が昂るとその炎は全体に広がり、彼の瞳を緑に染めるのだ。

「………今夜は泊まって行くんだろう?」

 うなずく彼の肩を抱いて立ち上がり、そのまま寝室へと誘う。

 真実なんてものはさして重要じゃない。
 君が嬉しいのなら、それでいい。


(アップルパイ/了)


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