▼ 【3-9-4】俺は空気か
翌日、ディフの事務所に資料を借りに行った。約束通り、午後一番に。
俺が事務所に入ってった時からオティアは顔もあげないし、こっちを見ようとさえしない。
俺は空気か?
「…………………………さんきゅ。使い終わったらまた返しに来るから」
「ああ。部屋でもいいぞ」
「……いや。こっちに来る」
「そうか」
電話が鳴る。オティアは書類から顔を上げて、受話器を取った。
「はい、マクラウド探偵事務所。……しばらくお待ちください」
保留にしてから、つかの間こっちを見たような気がしたが。
「ディフ」
「ん」
やっぱり俺は無視かよ。
仕方ないよな。それだけのことはしたんだ。蹴り出されないだけマシと思おう。
頭じゃ理解できる。
だが今、この瞬間、腹の中でうじゃうじゃのたくってるこの苛立ちをどうしてくれよう。
どこかにぶつけなきゃ気がすまねえ!
「ちょっとノーパソ借りていいか?」
「……ああ」
ディフが電話に出ている間に素早くトラックパッドに指を走らせる。
確か、俺が前に撮ってやったレオンの写真が……あったあった。よし、これを壁紙にセットしてっと。
「ありがと、助かったよ」
「おう」
「それじゃ、また飯時に」
涼しい顔して事務所を出た。
ドアを閉めた瞬間、口がぐんにゃりと歪んで……慌ただしく煙草を一本取り出し、歩きながら火を点けた。
手の中のライターをしみじみ見つめる。すり傷だらけの銀色のオイルライター。表面には赤いグリフォンの紋様、裏面に一筋、『唯一の傷』。
里親の家を出る時、親父さんからもらった思い出の品。
もう二度とこの手にすることがないとあきらめていた。『撮影所』の瓦礫の中からオティアが見つけてくれるまでは。
『ここで死なれたら、寝覚めが悪い』
少なくともあの時は、俺を見てくれた。
俺に話しかけてくれた。
俺は……どこで道をまちがえてしまったのだろう?
もう、お前にとって俺は存在しないも同じなのか。
いつからお前に惚れていたのか。惹き付けられていたのか。
最初に出会った瞬間か。それとも、倒れたお前の手を握って、弱々しくにぎり返された時だろうか。
あるいは……ボコボコに殴られて倉庫の床にひっくり返っていた俺の目の前に、ふいっとお前が現れた時。
少しくすんだ金色の髪。優しく煙るアメジストの瞳。ぐいと結んでへの字にした口も。斜めにしかめた眉さえも愛おしくてたまらなくって。
幻でも現実でもかまわない。もう一度会えた事が、ただひたすら嬉しかった。
誰はばかることなくお前が好きだと言いたい。言ってほしい。
キスして、抱きしめて、その金色の髪を思うさま撫でて……顔を埋めたい。
腕の中にお前の温もりを感じたい。
そんなありとあらゆる自分の『したい』を投げ出して、今、ただひたすらに冀う(こいねがう)。
俺を見てくれ。
俺が、今、ここに存在するって認めてくれ。
ただ一度でいい。お前がほほ笑みかけてくれるのなら……
どんな代価も喜んでさし出そう。
この心臓、えぐり出しても構わない。
「…ん……こほん」
唐突に遠慮がちな咳払いが聞こえて我に返った。スーツを着た初老の紳士がこっちを見てる。さりげに示された壁面に、「NO SMOKING」のサイン。
すれ違う人々の視線が痛い。
「あ」
あ………うん。確かにここの廊下って……………全面禁煙だったね。
むすっとした顔のままポケットから携帯用灰皿を取り出す。最後に一服深々と吸い込んでから、煙草を口から離して。
ねじ込んだ。
ぎりぎりと、思いっきり強く。
次へ→【3-9-5】所長、仕事しろ
俺が事務所に入ってった時からオティアは顔もあげないし、こっちを見ようとさえしない。
俺は空気か?
「…………………………さんきゅ。使い終わったらまた返しに来るから」
「ああ。部屋でもいいぞ」
「……いや。こっちに来る」
「そうか」
電話が鳴る。オティアは書類から顔を上げて、受話器を取った。
「はい、マクラウド探偵事務所。……しばらくお待ちください」
保留にしてから、つかの間こっちを見たような気がしたが。
「ディフ」
「ん」
やっぱり俺は無視かよ。
仕方ないよな。それだけのことはしたんだ。蹴り出されないだけマシと思おう。
頭じゃ理解できる。
だが今、この瞬間、腹の中でうじゃうじゃのたくってるこの苛立ちをどうしてくれよう。
どこかにぶつけなきゃ気がすまねえ!
「ちょっとノーパソ借りていいか?」
「……ああ」
ディフが電話に出ている間に素早くトラックパッドに指を走らせる。
確か、俺が前に撮ってやったレオンの写真が……あったあった。よし、これを壁紙にセットしてっと。
「ありがと、助かったよ」
「おう」
「それじゃ、また飯時に」
涼しい顔して事務所を出た。
ドアを閉めた瞬間、口がぐんにゃりと歪んで……慌ただしく煙草を一本取り出し、歩きながら火を点けた。
手の中のライターをしみじみ見つめる。すり傷だらけの銀色のオイルライター。表面には赤いグリフォンの紋様、裏面に一筋、『唯一の傷』。
里親の家を出る時、親父さんからもらった思い出の品。
もう二度とこの手にすることがないとあきらめていた。『撮影所』の瓦礫の中からオティアが見つけてくれるまでは。
『ここで死なれたら、寝覚めが悪い』
少なくともあの時は、俺を見てくれた。
俺に話しかけてくれた。
俺は……どこで道をまちがえてしまったのだろう?
もう、お前にとって俺は存在しないも同じなのか。
いつからお前に惚れていたのか。惹き付けられていたのか。
最初に出会った瞬間か。それとも、倒れたお前の手を握って、弱々しくにぎり返された時だろうか。
あるいは……ボコボコに殴られて倉庫の床にひっくり返っていた俺の目の前に、ふいっとお前が現れた時。
少しくすんだ金色の髪。優しく煙るアメジストの瞳。ぐいと結んでへの字にした口も。斜めにしかめた眉さえも愛おしくてたまらなくって。
幻でも現実でもかまわない。もう一度会えた事が、ただひたすら嬉しかった。
誰はばかることなくお前が好きだと言いたい。言ってほしい。
キスして、抱きしめて、その金色の髪を思うさま撫でて……顔を埋めたい。
腕の中にお前の温もりを感じたい。
そんなありとあらゆる自分の『したい』を投げ出して、今、ただひたすらに冀う(こいねがう)。
俺を見てくれ。
俺が、今、ここに存在するって認めてくれ。
ただ一度でいい。お前がほほ笑みかけてくれるのなら……
どんな代価も喜んでさし出そう。
この心臓、えぐり出しても構わない。
「…ん……こほん」
唐突に遠慮がちな咳払いが聞こえて我に返った。スーツを着た初老の紳士がこっちを見てる。さりげに示された壁面に、「NO SMOKING」のサイン。
すれ違う人々の視線が痛い。
「あ」
あ………うん。確かにここの廊下って……………全面禁煙だったね。
むすっとした顔のままポケットから携帯用灰皿を取り出す。最後に一服深々と吸い込んでから、煙草を口から離して。
ねじ込んだ。
ぎりぎりと、思いっきり強く。
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