ようこそゲストさん

ローゼンベルク家の食卓

【3-10】赤いグリフォン

2008/04/26 0:44 三話十海
  • 前編、中編、後編の3部構成でお送りします。

記事リスト

拍手する

【3-10-0】登場人物

2008/04/26 0:45 三話十海
【ヒウェル・メイリール】
 フリーの記者。25歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。
 口先と舌先、指先を駆使して世を渡る、小悪党と言う言葉がぴったりのこずるい男。
 オティアに想いを寄せるが告白段階で激しく自爆。
 もはや報われないことがステイタスとして確立した、本編の主な語り手。
 そんな彼を漢字一文字で表すとしたら『狡』

【オティア・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だがヒウェルには徐々に心を開きつつあった、が。
 告白の際に著しく心を傷つけられ、今はひたすら『空気』扱い。
 口数は少なく喋る言葉は鋭い。
 ポーカーフェイスの裏側で実は意外に心揺れ動いている。
 そんな彼を漢字一文字で表すなら『独』。

【シエン・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 また素直そうに見えて巧みに本心を隠してしまう一面も。
 ディフになつきつつある。
 オティアとヒウェルの間がこじれたことを心配し、何かと心を砕いていたが……。
 そんな彼を漢字一文字で表すなら『控』

【レオンハルト・ローゼンベルク】
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフとは恋人同士。
 恋人と双子に害為す者に対してはとてもとても心が狭い。
 ヒウェルに対してはとことん容赦無い。
 そんな彼を漢字一文字で表すなら『峻』。

【ディフォレスト・マクラウド】
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。25歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 がっちりした骨格に適度な筋肉のついた頑丈そうな体格。(実際、丈夫)
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢。
 レオンとは恋人同士だが、家族にはまだその事実を告げられずにいる。
 双子に対して母親のような愛情を抱いている。
 漢字で表すなら『直』の一文字につきる。

【アレックス】
 レオンの秘書。もともとは執事をしていた。
 漢字一文字で表すなら『全』。

【結城朔也】
 通称サリー。カリフォルニア大学に留学中の日本人。
 ディフやヒウェルの同級生だったヨーコ(羊子)の従弟。
 サクヤという名が言いづらいためにサリーと呼ばれているが、男性。
 漢字一文字で表すなら『和』

【結城羊子】
 通称ヨーコ、もしくはメリィさん。サリーの従姉。
 高校時代、サンフランシスコに留学していた。
 ディフやヒウェルとは同級生。現在は日本で高校教師をしている。
 漢字一文字で表すなら『豪』
 

次へ→【前編】

【3-10-1】双子シャッフル

2008/04/26 0:51 三話十海
 12月も半ばを周り、一年中で一番慌ただしい季節が到来した。
 楽しい楽しい休暇の前にクリスマス前進行と言うおそるべき試練がまちかまえている。

 休みたいのなら、印刷所が休みに入る前に書くべきものを書け、倒れてもいいから倒れる前に書き上げろ、原稿を出せ! ……と言う訳だ。
 俺みたいなフリーランスの場合は印刷に入る前に契約先の編集者のチェックを受けなきゃいけない。だから自ずと〆切りも前に繰り上がる。

 自分でも馬鹿みたいだと思うんだ。このデスパレードな状況の中、本来の仕事の合間を縫って例のタトゥーを。サソリの尾を持つ蛇を追いかけているなんて。
 シエンが働かされていた『工場』と、オティアの囚われていた『撮影所』。二つを束ねる組織の影を。

 蛇の息の根を止めるには、頭を潰すに限る。
 しかし、頭には尻尾とちがって脳みそってものもくっついている。奴らもいずれ気づくだろう。誰が自分たちの資金源を潰し、じわじわと追いつめているのか。
 今回の一件で俺は極力表に出るのを避けてきた。自分の存在はちらとも見せず、文字を通じて事実だけを読み手の記憶に叩き込む。
 俺の残す印はただ一つ、記事の末尾に添えた『H』の文字のみ。

 しかしレオンは違う。弁護士として表に立ち、FBIにも協力し、双子の保護者にもなっている。
 ディフに至っては……。倉庫を崩壊させたのは奴だと思われているんじゃなかろうか。何てったって元爆発物処理班だものなあ。
 それ以前に管理棟にスタングレネード投げ込んでるし。
 少なくとも車で突っ込んでぶち破ったシャッターと。蹴り壊した部屋のドア一枚は実際に破壊してる。
 工場でやらかしたことについては……これは本人がやっちゃったことだから隠しようがない。

 とにかく、ケツに火がついて慌てふためいた組織が報復に出るとしたら、ターゲットはおそらくあの二人だ。
 だから気づかれる前に喉元に食らいついてやりたい。
 社会的な正義なんかのためじゃない。
 オティアとシエンと。レオンと、ディフと。
 5人で晩飯の食卓を囲む時、つかの間孤独を忘れる。自分は一人じゃないと安堵する。
 あのあたたかいひと時を守るためなら、俺は、どんなことでもする。

 だけど。
 今、俺がマクラウド探偵事務所の前に居る理由は…………ただ一つ。
 オティアの顔が見たいからだ。

 たとえ空気扱いされようとも。うっとおしがられようとも。

 妙な話だ。高校生の時っからずーっと言いよられたり告られることはあっても、自分からこんな風に夢中になって誰かを追いかけるってことはなかった。
 何だって二十歳すぎて今さら思春期のお子様みたいなマネをしてるのか。

 うだうだしていても始まらない。
 よし。
 行くぞ。


 ※ ※ ※ ※


 呼び鈴を押そうとした瞬間、すっとドアが開いた。向こう側には控えめに、灰色の髪に水色の瞳、グレイのスーツを一分の隙もなくピシっと着こなした男が立っていた。
 アレックスだ。
 ちょうど出ようとした所にはち合わせしたらしい。

「……どうぞ」
「どうも」

 すっと一歩脇に避けて、うやうやしく招き入れられる。
 入れ替わりにアレックスは一礼し、部屋を出て行った。

「……ふぅ」
 
 改めて事務所の中を見渡す。正面のでかいデスクは空っぽ。その隣の少し小さめのスチールの事務机では、金髪の少年が黙々とデスクワークに専念していた。
 カフェオレ色のセーターと重ね着した白のポロシャツがよく似合ってる。
 パソコンの画面を見てかたかたとキーボードに指を走らせ、ちらりとこっちを見て、またパソコンの画面に視線を戻した。

「あー……その……………所長、留守、か?」
「今出てった」
「そっか……戻り、いつ頃?」
「聞いてない」
「そうか…………………………………」

 天井を見て。
 壁を見て。
 本棚を見る。
 別にディフじゃなきゃ困るって用事でもない。犯罪記録の資料を借りに来ただけだ。
 元警察官だけあって奴の方が断然、データ量が豊富だし、市警察に知り合いも多い。フリーの記者には口をつぐむ事も、前の同僚には話せるってことだ。

 それでも、あえて言ってみる。
 なけなしの勇気をふりしぼり、精一杯さりげない風を装いながら。

「し、しばらく待たせてもらってもいいか?」

 いきなり、ぷっとオティアがふき出した。

「え? あ? その笑い方………………」

 じーっと顔を見る。ちょっと遠慮しながらも、楽しそうに笑ってる。
 俺の知ってる限りオティアは一度だってこんな顔を見せたことはなかった。

「あーっ、お前、シエンかっ!」
「ごめん、やっぱりわかんないよね」
「っかー、やられたっ! 最初にその表情(かお)見てりゃ一発だったよっ」

 まだ笑ってるよ……くそ。ちょっぴり悔しいぞ。

「お前がこっちにいるってことは、オティアは今、上に行ってる訳か」
「うん。オティアじゃなくて、ごめんね」
「あやまるな。俺が勝手にまちがえただけなんだから。それで、何で、お前ら入れ替わったりしたんだ?」
「ん、たまには気分転換しようと思って」


 ※ ※ ※ ※


 前の日の夜。シエンはオティアに提案してみたのだ。

「たまには違う仕事してみる?」
「………………」

 オティアは思った。
 確かにレオンの事務所に行けば奴と顔を合わせずにすむ。だが、何だか逃げてるような気がして、わずかにしゃくに障る。
 けれどシエンが珍しく自分からこうしようと言い出したのだ。断ることなんか、できるはずがなかった。

 結局、若干のもやもやするものを抱えながら、うなずいた。

 そして、朝食の席で。

「仕事を入れ替わってみたい?」
「うん」
「つまり君が探偵事務所に行って、オティアが俺の所に来る、と」
「そう、今日だけ」

 レオンとディフは顔を見合わせた。

「電話番だけでしょ? だったら俺でも大丈夫だよ」
「客が来たらどうするんだ、シエン」
「その時は……」

 ぼそりとオティアが言う。

「電話しろ。俺が降りてく」
「ん」

「まあ……そう言うことなら……」
「俺の方はとくに反対する理由はないね」


 ※ ※ ※ ※


「くっそー。お前たちの見分け、完ぺきにつくようになったって信じてたんだけどなあ」


 すうっとシエンの顔から表情が消えた。

「『ディフなら当分戻ってこない。用があるなら出直すんだな』……こんな感じ?」

 声も心無しか低くなってる。怖いくらいにオティアにそっくりだ。

「うわ、さすが一卵性。……けど……やっぱ違う…ね」
「注意してればね」
「オティアは俺に話しかける時、微妙に視線そらすからな」
「ちらっと見てからこう……『いつまで居る気だ、ボケ』」
「そう、そんな感じ! 待たせてくれって言うヒマもねぇ」
「昔はよく入れ替わって遊んだよ」
「服、とりかえて?」
「服かえなくても、気づかれなかった」
「ああ、双子って、ちっちゃい頃だと余計に見分けつかないからな…」

 オティアがシエンの身代わりになったとき。あの施設の連中は誰一人気づかなかった。
 姿形がそっくりだったと言うのもあるんだろうけれど。
 そもそも、奴らにとって子どもなんて『もの』は八百屋の店先のジャガイモよりも見分けのつかない代物だったのだ。
 頭数さえそろっていれば、自分の義務は果たしたことになる。その程度の存在でしかなかったんだ。

「……お茶でもいれようか」
「あーうん、ごちそうになろっかな」

 応接セットのソファに腰かけて待っていると、カップに入った紅茶が出てきた。そえられたマフィンはこれ、手作りか?
 アレックスだな、多分。
 ブルーベリーか、プレーンか、バナナか。どれにするか迷って、ブルーベリーのを一つ取る。
 うん、やっぱりアレックスのお手製だ。


「うまい」
「よかった」
「……ここの事務所でこんな待遇を受ける日が来るなんてっ」

 マフィンをほおばったまま、目を閉じて。しみじみと紅茶を口にふくんだ。
 行儀悪ぃとわかっちゃいるんだが、この紅茶にひたひたになったのが好きなんだよな。
 ほろほろと舌先でつついて崩したマフィンとブルーベリーを心行くまで味わい、飲み込んだ。


「ディフだけの時はやれ煙草を吸うな、勝手にコーヒー飲んでんじゃねえと散々小言食らってさ…」
「お客様じゃないから……」
「おかげでここに来る時は禁煙する習慣がついたよ」


「ところでディフに用事って何? 急ぎ?」
「あー追っかけてるヤマと類似のケースがあるかどうか…俺のデータベースじゃ足りないんだよ」
「そっか……どんな内容か聞いてもいい?」

 少し考えて。できるだけシエンの記憶を波立たせないように、外側だけを伝える。
 事件の起きた月日と、地区と。
 内容や、例のタトゥーについては伏せたまま。
 するとシエンは、資料のファイルを収めた棚にとことこと歩いて行き

「確か……このへんに」

 迷わず、すっと一冊抜き出した。

「はい、これ」

 半信半疑のままファイルを開くと、ほどなく目的の事件のページを見つける。新聞には絶対載っていない、細かな事まで記された……元の同僚から伝え聞いたり。あるいは自分の記憶していた情報を細部まできっちり記入した、ディフが独自に作成した犯罪の記録。


「よく把握してるなあ。いつもはレオンの手伝いやってるんだろ?」
「たまに、レオンに頼まれて探しに来るんだ」
「ああディフはしょっちゅうレオンの調査員やってるからな…」

 話す傍ら、目を通して行く。
 ……あった。この二件だな。


「これとこれ、コピーとらせてもらっていいかな」
「いいんじゃないかな。いつも俺してるし」
「サンキュ!」
「あとでディフには言っとく」
「助かるよ」

 シエンはうれしそうに、にこっと笑った。小さな花がほころぶような笑顔で。


「……その顔見れば一発でわかったんだけどなぁ…」

 つられてこっちも笑顔になる。ポケットを探り、m&mのチョコレート、小袋一つ取り出してシエンに渡した。

「これ、感謝のシルシな。それじゃ、また飯時に」
「……ありがと」



 ※ ※ ※ ※


(行っちゃった)

 ヒウェルを見送った後、シエンは小さくため息をついた。



 それから2時間ほどして、ディフが戻ってきた。何となく朝出て行ったときより、ヨレヨレしている。
 髪の毛もぐしゃぐしゃで、上着にも、シャツにも、ズボンにも、びっしり動物の毛がついていた。

(猫……ううん、堅そうだから、犬かな?)

「おかえり」
「ただいま……アレ持ってきてくれるかな」
「はい」

 粘着テープを巻いたハンド式のローラー、通称コロコロをさし出す。ディフは腕や胸、肩に転がして犬の抜け毛をとりのぞいてゆく。

「犬探し?」
「ああ。脱走の常習犯だ、あのジャックめが」

 ふう、とため息をついた。すごく疲れてるらしい。いったいどんな大きな犬を追いかけていたんだろう?

「これ食べる?」
「お、サンキュ」

 赤やオレンジ、黄色に緑。お皿に盛った色とりどりのチョコレートの粒をさし出すと、ディフは一粒とって、ぽりっとやってからぽつりと言った。

「……ヒウェル来てたのか」
「資料探してるって言ったから……適当に探してコピーしといた」

「そうか……ご苦労さん」
「……うん」

 少しだけ、目を伏せる。
 自分だけを見て、自分だけに話しかけてくれたヒウェルの目を。表情を。声を思い出して。

「シエン?」

 いけない。心配させちゃう。ぱっと顔をあげて、明るい声を出した。

「ディフ、お昼ご飯食べた?」
「いや。食う暇なかった」
「食べるかどうかわかんなかったからさっきサンドイッチつくっておいたよ。はい!」

 お皿に載せてラップしておいたサンドイッチを切り分けようとすると、ディフがゆるく首を振った。

「ああ、そのままでいい」
「そう? じゃあ、これ」
「サンキュ」

 耳を落していない食パン二枚ではさんだサンドイッチを無造作に手でとって、がぶっと一口。もしゃもしゃと噛んでごくっと飲み込んだ。
 相変わらずダイナミックな食べ方するなあ。

「ん……美味い。作る度にどんどんお前、料理上手くなってくよな」
「こういうの好きなんだ。それに、自分の好きなものつくっても怒られないし」
「そうか。今度、時間できたらまた料理教えてやろうか?」
「うん」
「味付けは自分の好きなように変えていいぞ」
「……うん」


 どうしてこの人はこんなに優しいんだろう。何の関係もないのに。

 初めて会った時は怖い人が来たと思った。
 オティアとヒウェルを助けに倉庫に突入した時のディフも、すごく怖かった。

 だけど今は……。

 穏やかな目。穏やかな声。いつもオティアと自分を見守っている。朝と夜と、毎日食事を作ってくれるし、着るものも用意してくれる。
 確かにディフは優しい。
 だけど、その優しさには法律上の義務とか、血のつながりとか、職業上の役目とか。何ひとつ確かな土台がない。
 ただ、彼の気まぐれな感情に根ざしているだけ。とても不安定で、いつ消えてもおかしくない。

 だから不安になる。

 レオンやヒウェルの方が、よっぽど理解できるし……信用してもいいかなって言う気持ちが強いのだ。

 もしゃもしゃとサンドイッチを頬張るディフの横でお茶をいれて、自分でもチョコレートを一粒、つまんで口に入れてみた。
 甘いけど、これくらいの大きさなら平気かな。

「ヒウェルのやつ、下手すると一食、それですませるんだ。あとアレだな、スニッカーズとか」
「……そっか……」
「飯らしいものを食えって言ったらテイクアウトの中華ばっかりで…見かねていっぺん、飯食わせてやったらそれ以来」

 肩をすくめた。


「………ヒウェル、どんな食べ物好きなのかな。ピーマンは苦手なんだよね?」
「ああ」
「でも、ディフが入院してたとき、俺の作ったチンジャオロースー、残さず食べてくれた」
「そうだったな。気に入ったんだろ。多分、同じ作り方で俺が作っても食わないだろうよ」
「そう……かな」
「そうだよ」
「あのときは……まだ、オティアがつくったんだと思ったんじゃないのかな」

 ディフは拳を握って口の所に当てて、ちょっと考えてから、静かな声で言った。

「二人で作ったと思ってる」
「もう……ピーマン使わないようにしたほうがいいのかな……」
「いや、いい機会だから克服させよう!」
「うーん……」

 いいのかな。
 だからって嫌いな食べ物ばかり使ったら、きっとヒウェル、困るよ。最初はピーマン買って来るのもいやがってたくらいなんだから、よっぽど苦手なんだ。

「美味いって、あまり口に出して言わないだろ、ヒウェルのやつ。残さず食ったってことは美味かったってことなんだよ」
「……じゃあ……こんど、つくってみる」
「そうしてやってくれ。サンドイッチ美味かったよ、ごちそうさん」
「ん」



次へ→【3-10-2】色柄物は混ぜちゃいけない

【3-10-2】色柄物は混ぜちゃいけない

2008/04/26 0:53 三話十海
 その日は珍しく二人ともオフだった。
 ヒウェルは……まあ、彼は年中オンでありオフであるようなものだ。
 天気が良かったから、一気に家中のシーツとカバーを洗おうとディフが言い出した。ところが、いざ洗おうとすると、ちょっと困ったことが起こった。
 洗濯機に全部入り切らなかったのだ。
 干す場所も、到底家のスペースだけでは足りそうにない。乾燥機を使えば、と言ったがディフはガンとして聞かなかった。

「太陽の光に当てるから意味があるんだよ。においも手触りもいいし……第一、時間がかかりすぎるだろ」

 もっともだ。

「よし、俺の部屋の洗濯機も使おう」
「手伝うよ」
「ありがとう。助かる!」

 そして、二人で洗濯物を抱えて隣の部屋へとやってきた。

「あ、その赤いランチョンマットは脇によけといてくれ。シーツがピンク色に染まる」
「……わかった」

 そうだったのか。初めて知った。

 ディフの指示に従って、抱えてきたものを洗濯機に放り込む。
 色の濃いものはよけて、脇に積む。
 入れ終わると、彼はきっちり洗剤を計って、柔軟剤をセットしていた。慣れた手つきだ。

「助かったよ。ありがとな。居間で休んでてくれ。俺もすぐ行くから」
「ああ」

 居間に戻った所で、電話が鳴った。発信者表示は「テキサス:マクラウド」。なにげなく受話器をとると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。


「ハロー、ディー?」

 やはりそうか。Mrs.マクラウド、ディフの母親だ。

「ハロー、あなたの息子ではありませんが」
「……あら、レオン? 元気?」
「はい。今丁度、ディフは洗濯してますよ」
「そう! 育ち盛りの男の子が二人だから…洗濯もたいへんでしょう」
「ええ。二人ともどちらかというと大人しい子なんですけどね」
「まあ、そうなの? 少しは私の苦労も味わってくれるとよかったのに」

 くすくす笑っている。少年時代の彼を思えば納得も行く。
 洗濯も繕いものも、叱られる前に自分でどうにかしようとして覚えたと言っていた。

「そちらはおかわりなく?」
「ええ、こっちは皆元気よ………………」

 ひとしきり挨拶をさえずってからMrs.マクラウドはぽつりと言った。少しだけ声のトーンを落して。

「あの、それでね、レオン」
「はい」
「あの子……大丈夫かしら?」
「それは、どういう意味で?」
「この間、聞いたのよ。あなたがオティアとシエンを引き取ったから自分も世話しに通ってるって…とても嬉しそう。でもはしゃぎ過ぎてて気になって。言いたくても言えない時、はしゃぐのよね、ディー」
「ああ。そうですね」
「ま、親に言えない事は友だちに言う子だし。それとなく気をつけてやってくれる? 世話押し付けちゃって申し訳ないんだけど、あの子あなたの言うことは素直に聞くから」
「はい。もちろん」

 少しだけ考えてから、口にする。心の中に浮かんだ理由の中で一番、無難な答えを。

「……今は……子供たちとの接し方で悩んでいるんだと思います。はじめてのことですから」
「そうね……末っ子だから……」

 電話の向こうで小さく笑う気配がした。

「ふふっ、なんだか高校の夏休み思い出したわ。いきなり言われたのよ。『母さん、ミートパイの作り方教えてくれる?』って」
「今でも作ってくれますよ、ミートパイ」
「ほんとに? すっかりマメになっちゃって」

 今度はころころと声をたてて笑い出した。声の高さはまるで違うのに、笑い方がディフにそっくりだ。
 同じメーカーのシャツみたいだな。
 型も色も材質も同じでサイズだけ違う。ディフがメンズのLサイズなら、彼女はレディスのSサイズって所だろうか。

「料理のレパートリーも増えてますね、子供に食べさせているから。すっかり一家の主婦ですよ」
「そう………んー、なんだかあまりびっくりする気がしないのが不思議ね。あの子けっこう世話好きさんだから……タフガイぶってるけどね」
「いや、実際、彼は丈夫(タフ)ですよ。それに、俺は料理はさっぱりだから、助かってます」
「助かってるのは……ディーの方かもしれないわよ? ありがとうね、レオン、あなたと話せてなんだか安心しちゃった。あの子によろしく伝えておいて」

 そして電話が切れる。結局、息子と話さないで終わってしまった。
 よかったのかな。
 彼女と話すといつもこうなる。

「あれ、電話だったのか」

 ディフが戻ってきた。
 まくりあげたシャツの袖口が少し濡れている。

「洗濯してたはずじゃなかったのかい?」
「あー、うん、ちょっと洗面台にホコリたまってたからな。ついでに掃除してた。それで、電話、誰から?」
「Mrs.マクラウドから」
「……………………お袋から?」
「この間の電話で、君が妙にはしゃいでたから気になったそうだよ」
「………う……………」

 軽く手を握って口のとこに当ててる。考え込む時のお決まりの仕草だ。

「まだ言ってなかったのかい。俺達のことは」

 静かに問いかける。Mrs.マクラウドには言えなかった、第一候補の答えを。

「……ああ」
「無理することはないさ。驚かれるだろうしね」
「優しいな。小言の一つ二つくれてもおかしかない真似してるのに」
「……俺は最初から女性を愛せないとわかっていたけど……君はそうじゃないだろ?」

 眉を寄せ、ぐっと堅く拳を握って左の胸に押し当てると彼は掠れた低い声で。しかし、きっぱりと言い切った。

「俺は…俺が愛してるのは……お前だ、レオン」
「ああ。わかってる。君の家族が、サンフランシスコに住んでいるんだったら、別に悩むこともないんだけどね」

 ディフは顔をくしゃっと歪ませてから両腕を広げ、俺を抱きしめた。いつものように、胸の中にすっぽりと包み込むようにして。

 子どもみたいに泣きそうな顔をして、母親みたいに抱きしめてくれる。(俺にはこんな風に温かく、母の腕に抱かれた記憶はないけれど)
 不思議な人だ。
 可愛い人だ。

「ちゃんと…伝える。お前とのこと。家族にも隠さずに。ただ、もう少しだけ……時間が欲しいんだ」
「焦らなくてもいいんだ。……むしろ君のご家族には申し訳ないけれど、ね」
「そんなこと言うな! 俺は、お前を愛したことも、恋人同士になったことも後悔してない」


 真っすぐな言葉に微笑んで答える。

「嬉しいよ」


 頬にキスされた。


「お前だけだ、レオン」
「誰の許可がいるわけでもないけれど……それでも家族から反対されるのはつらいからね……君みたいな人は特に」
「言うな。泣きそうになる。なんでお前、そう……優しいんだ」
「うん、本当のことを言うと」
「ん……?」
「俺も言ってない、まだ、直接には。だから同罪かな」

 抱きしめる腕に力がこもり、くしゃくしゃと髪の毛をなで回された。

「ばか言うな。俺が許す」
「俺なんかより。君のほうがずっと優しい。君が言い出せないでいるのは…家族のことを思っているからだ」
「親父が怖いだけ、かもしれないぞ?」
「それなら、そもそも言おうとして悩んだりしないよ」
「参った。かなわん」

 彼は肩をすくめてから口をへの字に曲げて。眉をひそめてにらんで来た。
 だまされないよ。頬のあたりがほんのり赤いし……首筋の火傷の跡も、淡く浮かびあがっているじゃないか。

「それ以上恥ずかしいこと言ったら……その口、ふさいじまうぞ?」
「遠慮はいらないよ」
「……そうかよ」


 ぐいっと引き寄せられ、キスされた。
 強引な動きとは裏腹に、羽毛でくすぐるような優しい口づけ。
 肩に手をかけ、応えた。


次へ→【3-10-3】シエン、魔窟に挑む

【3-10-3】シエン、魔窟に挑む

2008/04/26 0:58 三話十海
 一通り洗濯を負えてからレオンの部屋に戻り、洗いあがったシーツと枕カバー、その他もろもろを片っ端から干しまくっていると……携帯が鳴った。
 ヒウェルからだ。
 相変わらず別世界から響いてくるみたいな声で『資料を貸してくれ〜〜〜』と囁いてきた。
 あいつ、相当へばってるな。ここんとこロクに飯も食べに来ないでひたすら部屋にこもって仕事をしている。

 確か、今やってるのはどこぞの有名な作家のゴーストライターだったか? とにかく〆切りがどうしても動かせない大口の仕事だとか。
 作家先生がやたらとダメ出ししやがるんで時間がかかるとか、さんざん愚痴っていやがったが、だからって甘やかすつもりは毛頭ない。

「取りにこい。何、手が離せない? 俺もだ!」

 隣で洗濯物を干していたシエンが手を止めて、ちょこんと首をかしげてこっちを見上げてきた。

「俺が届けようか?」
「すまん。頼めるかな」

 こう言う用事は、オティアに頼む訳には、いかない。
 一旦自分の部屋に戻ると、書庫から必要な資料を抜き出し、シエンに手渡した。


 ※ ※ ※ ※


 ディフから渡された資料を抱えてエレベーターに乗り、下に降りる。
 ヒウェルの部屋まで来てから、エプロンをつけたままだったことに気づいた。

 いいよね、すぐ戻るんだから。

 細かいストライプのエプロン、色は白地に明るい緑。オティアのは青、ディフの深緑のストライプで三人おそろい。だけど滅多にオティアは使わない。
 呼び鈴を押すと、ドアの向こうでガサゴソと何かの動く気配がして扉が開き、ぬーっとヒウェルが顔を出した。
 髪の毛はぼさぼさで服はよれよれ、目の下にはうっすら隈が浮いている。

「……よぉ、シエン」
「あ……えっと……」
「…入れよ、立ち話もアレだし」
「……うん」


 部屋の中はGの発生する至る所に書類ファイルや雑誌、ハードカバー、ペーパーバック、その他ありとあらゆる種類の書籍とCD-ROMが積み重なっている。
 その他にもチョコの空き袋とか缶ビールの空き缶が散乱し、灰皿には吸い殻が山盛り。ソファの背には何やら白っぽい、幽霊の抜け殻みたいなものが折り重なっている。ぎょっとしたけれど、よく見てみら脱ぎ捨てたシャツだった。

 どこからかチリビーンズの腐ったようなにおいが漂って来る。
 キッチンだ。
 コーヒーメーカーの中では粘つくどす黒い液体が煮え立ち、シンクには汚れた食器が山積みになってる。
 こんなにいいお天気の日なのに、カーテンをしめきった部屋の奥ではパソコンのモニターだけがこうこうと光っていた。

「これ……」

 ファイルさし出すと、受けとった。

「ん……わざわざすまんね。コーヒーでも飲んでくか?」
「あ……うん」

 ヒウェルはコーヒーメーカーの中でどろどろに煮詰まっていたのを捨てて、コーヒーを入れ直してくれた。

「あ……あのさ」
「ん?」
「その……」
「あ、ミルク入れるか?」
「え、うん。ちょっと」

 冷蔵庫から紙パックを出して、ちょっと中味を見て、顔をしかめている。

「……粉末のでいいかな……」
「……このままでいい」
「そっか……」
「そ、それでさ」

 薄暗い部屋の中を見回す。空気がよどんでる。いつから掃除してないのかな。
 って言うかヒウェル、ちゃんとご飯食べてるんだろうか?

「うん?」
「最近、忙しそうだけど……」
「ああ…こないだの事件な。真相追いかけるのに夢中になってたら…肝心の原稿書く時間が削れて……」
「部屋に誰かいたりすると……集中できない……かな?」
「いや。一度書き始めるとそっちに入れ込むタチだから」

 もしゃっと髪の毛をかきあげると、かすかに笑った。

「耳元で大砲ぶっぱなされても気づかないだろって、よくディフに言われてる」
「俺……ここに……居てもいい?」
「……いいけど……その……」

 部屋の中を見回すと、小さな声で言った。

「ちょっとちらかってるけど、それでもかまわないなら」
「うん掃除するから」
「………………………………」

 もわっとヒウェルの顔が赤くなる。
 なんだか、ちょっと、可愛い、かもしれない。

「ありがとう」



 そして、ゾンビ状態になって原稿と格闘するヒウェルの後ろを、パステルグリーンのストライプのエプロンがちょこまか動き出す。

 本は本棚に。雑誌は積み上げて。
 捨ててよさそうなものは全部まとめてゴミにして。
 積み上げられた本を片付けると、下からころころと丸まった靴下が転がり出した。ソファの背に積み重なったシャツともども洗濯機へ。
 
 窓の周囲にたい積していた物を避けてカーテンを開け、窓を開けて空気を入れ替えた。

 積み重なったあれやこれやを片付けていると、次第に壁が現れた。フレームに入った写真が何枚も飾られている。
 赤、青、黄色……虹のように色鮮やかな旗のひらめく、パレードの写真。ちらっと見たけれど歩いてるのはみんな男の人。ものすごく派手な衣装を着てる。……赤やピンクの羽飾りを着けたり、ふかふかの毛皮みたいなものを巻いた人もいる。

 海にかかる大きな赤い橋。画面一面を覆い尽くす、白に近い薄いピンクの花。赤と黄色の漢字の看板の並んだ、赤い色の多い町。坂を登るケーブルカー。
 港に浮かぶヨット、その隣のカモメ。
 たぶんサンフランシスコの写真だ。本や看板、広告のチラシで見たことがあるけれど、どの写真とも少し違う。あれが遠くから見た『綺麗な写真』なら、これはもう一歩近づいて、その場所にいる人の目を通した風景だ。
 その場所の空気やにおい、海水の湿り気までを一枚の画像の中に封じこめようとしてる。

 これ、もしかしてヒウェルが写したのかな。

(サンフランシスコの街は、ヒウェルにはこんな風に見えてるんだ……)

 本棚を整理していたら、写真立てに入った写真を発掘した。
 自分と同じくらいの年頃の男の子が三人、並んで写っている。
 
091025_2247~01.JPG091025_2246~01.JPG091026_0019~01.JPG
illustrated by Kasuri

 明るい茶色の髪の毛にかっ色の瞳の子。きちんとした服を着て、ネクタイをしめて。まつ毛はふさふさ、整った顔立ちはまるで陶器の人形みたいで……すごくきれいだ。
 その隣の赤毛の子はもっとがっちりした体つきで、顔にはうっすらそばかすが散っている。
 少しだけ離れてもう一人、黒髪の眼鏡をかけた男の子。
 くりくりした琥珀色の瞳は、リスみたい。すんなりした体つきで女の子みたいに可愛い。ちょっとだけ着せ替え人形を思い出した。
 
 始めて見るのに、何となくよく知ってるような気がする。
 もう一度、じーっと見る。しみじみ見る。

「あ」

 この眼鏡の男の子……ヒウェルだ!
 それじゃあ、あとの二人は、レオンとディフ?

(あの三人、この頃から一緒だったんだ)

 さっと表面をふいて、よく見える場所に飾り直した。下の棚からもう一枚、同じような写真立てを発見する。
 こっちはすぐにわかった。
 ディフだ。
 今より髪の毛が短いし、笑っていてもどこか目つきに鋭さがある。
 でも、確かにディフだ。

acoty2.jpg

 めずらしくきちんと衿のあるシャツを着て、ネクタイをしめて、黒い上着を着ている。でも、下は……これ……

(スカート?)

 女子学生がはくような、赤いチェックのスカート。白いハイソックスに黒い革靴、足首には細い革ひもをきゅっと巻いている。
 肩に巻いたストールはスカートと同じ赤いタータンチェック。

 同じような服装をした年上の男の人と話している。とても楽しそうだ。
 ディフのお父さんかな。
 何となくそんな感じがした。


 ※ ※ ※ ※


 やがておぞましき魔窟に光が差し込み始めた。

「……あれ?」

 一区切りまで書き終えたヒウェルは大きくのびをして……始めて周囲の明るさに気づき、目を丸くした。

「わ…なんか久しぶりに洗濯機の動く音聞いた」
「……その服……もしかして何日か着てる?」

 シエンに言われて、ヒウェルはくんくんとにおいをかいでみた。

「……まだ大丈夫だよ冬だからそんなに汗かかないし」

 ぱたぱたとシエンは奥に走って行き、新しいシャツとズボンを抱えて持ってきた。
 クローゼットなんか開けるまでもなかった。
 クリーニング屋から持ち帰ったのが、そのまま放り出してあったのだ。

「着替えて」
「今?」

 バスルームの方で声がする。

「これ終わったらもっかい洗濯機まわすからー」
「……はーい」

 素直に脱いで着替えた。
 しばらくするとシエンは戻って来て、脱いだ服を回収していった。

「もらってくねー」
「お手数かけます」

 見送ってから、はたと我に返った。

「……俺、何、他人にこんなに自分の持ち物触らせてんだ?」
「えー?」
「いや、何でもない!」
「はーい」

 何っつーはずんだ声。すごく楽しそうじゃないか。

「ってか……何でシエン、俺の部屋の掃除してんるんだ?」

 軽くパニックに陥る。

 えーっと、確か仕事中にシエンが資料届けてくれて、コーヒー飲んでくか、つったら何故かここに居ていいかとか言い出して。
 うんと言ったら掃除したいって………。

(あ。俺が言ったのか)



 ※ ※ ※ ※


 ひと仕事終えてからディフは時計を見た。
 あれから1時間近く経っているのにシエンがまだ戻ってこない。
 まさか同じマンションの下のフロアに行く途中で迷子になったとも思えないが……。

 レオンの部屋を出て、エレベーターに向かいながらふと思う。

(俺もしかして、過保護かな)

 ほのかに苦笑いを浮かべながらヒウェルの部屋に行き、呼び鈴を鳴らす。ドアが開くと同時に切り出した。

「おい……シエン、来たろう?」
「あ、ディフ」

 途中で言葉が止まる。ドアを開けたのがシエン本人だったのだ。

「何やってんだ」
「掃除」

 言われて、改めて見回すと……部屋をまちがえたかと思うほど見事な変わりようで。しかも、カーテンが開けられ、日光がさしている!

「これ、全部お前が?」
「うん」
「部屋の物勝手にいじるなとか、放っておけとか…言われなかったか?」
「別に。ヒウェル仕事してるから声かけても気づかないし」
「ああ、耳元で大砲ぶっ放しても気づかない…けどな…」
「……あごめんおつかいの途中だった。」
「あ、いや、いいんだ、そうじゃなくて」
「?」

 ちょこん、とシエンが首かしげる。小鳥みたいに。

「あいつ自分の部屋、人にいじられるの苦手だったはずだから…ちょっと驚いた」
「そう……なの?」

 不安そうにちらっとデスクの方をうかがっている。

「ヒウェルがいいって言うならOKだってことだから、安心しろ。あいつ、そのへんはハッキリしてるから」
「うん……」
「この部屋こんなに広かったんだなあ……」

 ぐるりと見回し、ディフは本棚に飾られた写真立てに気づいた。高校の時の写真だ。
 手に取ってしみじみ見る。
 レオンが卒業する前に、記念に写したものだ。ヒウェルが親父さんからもらったお古の一眼レフで。
 最後にセルフタイマーで三人一緒に撮った一枚だろう。

 何食わぬ顔して写ってるが、ヒウェルがフレームに入ってきたのはけっこうぎりぎりのタイミングだったっけ。

「懐かしいな……」

 戻した時、隣のもう一枚に気づいた。

「うおっ」

 ぎょっとして目をむく。ひと目みた瞬間、ぶわっとアドレナリンがふき出した。

(あいつ、こんなのまで飾ってやがったのかーっ!)

 ふと視線を感じてとなりを見る。シエンが興味津々といった表情でじーっと見入っている。

「……隣にいるの、ディフのお父さん?」

 ほっとして答える。

「いや。これは、警官時代の上司だよ。爆発物処理班のチーフだ。すごく世話になった」
「そっか。それで……どうして二人ともスカートはいてるの?」

 ああ。やっぱりそう来たか。

「いや、これは、スカートじゃないから」
「きゅろっと?」
「違うっ! キルトつってスコットランドの民族衣装なんだ」

 あわてて説明した。

「スコットランド系の人間が集まるスコティッシュナイトっつーイベントがあってだね……そん時、あいつが取材に来てて。しっかり写してやがったんだ」

 ぬうっとヒウェルが後ろから顔を突き出した。楽しそうに、にやにやしている。

「いやーお前さんのミニスカ姿なんざ、滅多に見られるもんじゃないからねえ」
「スコット……ランド……ってどこ?」
「……おいで、シエン」

 手招きするヒウェルの後をシエンはとことこと着いて行く。

「ここに座って」
「うん」

 デスク前の椅子に座り、パソコンをのぞきこむ。レオンの所で使っているのとはちょっと違う。ディフのとも。画面の左上に青いリンゴのマークがあった。右側が、だれかがかじったみたいにちょっと欠けている。

 ヒウェルがかちかちとマウスを動かすと、画面の上に地図が映し出された。

「ここが俺らの今いるアメリカで、こっちが……スコットランドだ。ディフのじーさんのじーさんのそのまたじーさん…あたりはこの国からアメリカにやってきた」
「んっと……イギリス?」
「の、隣ってとこかな」
「半端な説明してんじゃねえ! スコットランドとイングランドは別の国だぞ、サッカーだって国際試合扱いで」
「はいはい……わかったわかった」
「??」

 きょとんとしてシエンは首をかしげた。

「まあ、あれだな。カナダと合衆国みたいなもんだ」
「全然違う!」
「はいはい…」

(あー、もう、こだわるなあ、スコティッシュ……まあ、先祖を敬うためならハギス食ってミニスカも履く男だしな)

「イギリスってのは、四つの国で構成された連合国なんだよ。イングランド、スコットランド、アイルランド、そしてウェールズ」
「最後の一つだけちょっと名前が違うね。ランドがつかない」
「個性的だろ?」

 またマウスをかちかちと動かす。イギリスの二つの大きな島のうち、右側の方のカーブの内側、左下の部分が赤く表示された。

「俺の先祖はここから来たんだ。これが国旗」

 画面の上に上半分が白、下半分が緑色の旗が表れる。旗の中央には、大きく赤い、翼の生えた四つ足の生き物が描かれていた。

「おもしろい動物だね。それとも鳥?」
「グリフォンだよ。動物って言うか……まあ想像上の生き物だな。こいつはウェールズの象徴なんだ」

 ヒウェルはポケットから銀色のオイルライターを取り出した。

「あ」
「ほら、ここに描いてあるのもそうだ」
「そうだったんだ……」
「なあ、ヒウェル。前から言おうと思ってたんだけどそれ……」

 ぼそりとディフが言った。

「グリフォンじゃなくて、ドラゴン」
「………………………………………………マジかっ?」

 ヒウェルは慌ててウェールズのWikiペディアを呼び出し、確認した。

ウェールズはケルト文化の伝統を残している。その一つであるといわれる赤い竜は、ウェールズのシンボルとなり、ウェールズの国旗(イギリスの国旗には含まれていない)にもなっている。スポーツなどでは、その国民性、民族性を示す「ドラゴン=ハート(精神)の国」として知られている。

--出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』--
 赤い竜。
 何度読み返しても赤い竜。
 しかもだめ押しでしっかり「ドラゴン=ハート」とまで書かれている。

「ほんとだ……」
「何を根拠にグリフォンだと信じてたんだ」
「これだよ。この本!」

 本棚から抜き出し、ばさっと放り出された小説のタイトルは「オオブタクサの呪い」。
 表紙では、ふとっちょのグリフォンが上機嫌でパイプをふかしている。
 著者の名前はシャーロット・マクラウド

「あ、ディフと同じ名前」
「ええい、かくなる上は、血筋の者の責任はお前がとれ!」
「何、理不尽なこと口走ってやがる! 記者ならまず裏をとっとけ!」

 大人げない大人二人が喧々囂々やってる間、シエンはじーっとウェールズのHPに見入っていた。

(ここが、ヒウェルの先祖の国なんだ……)


次へ→【3-10-4】写真、とってもいいかな

【3-10-4】写真、とってもいいかな

2008/04/26 1:00 三話十海
 シエンのおかげでだいぶ部屋は人間の住処らしくなったのだが、さすがに一日では終わらなかった。

「また来て……いい? 最後まできちんとやりたいんだ」

 ためらいながら。ありったけの勇気をふりしぼって言われた一言に、来るな、なんて言えるはずがない。
 結局、それからもパステルグリーンのストライプのエプロンはちょこまかと俺の部屋を飛び回り。
 そのたびに、魔窟に戻りかけた部屋が再び人間の住処にリカバーする。

 一番の大仕事を上げて、少し余裕も出てきたし。世話になりっぱなしってのもアレだよな。
 そう思ってある日、声をかけてみた。

「シエン、シエン」
「なあに?」
「…秘蔵の写真見せてやるよ」

 ちょいちょいと手招きしてパソコンの前に呼び寄せる。


「ほら、これ」

 写真管理ソフトを呼び出し、目当ての一枚にカーソルを当ててかちっとクリックする。縦長の小さめの写真が表示された。

「………ディフ?」

 そう、確かにディフだ。
 真っ赤な顔をして、クマのぬいぐるみを抱えてうつぶせになって、ソファで幸せそうな顔をして眠っている。

「そこに手だけレオンが写ってる」
「えっと……寝てるとこにどうやって……?」
「ディフの部屋に集まって、三人で飲んだ時の写真なんだ。夜中にディフが寝ぼけて『俺のクマどこ?』とか言い出してさ…」
「クマ……あ、これ病院に置いてあった、あれ?」
「そう、あれ」


 ※ ※ ※ ※

 こいつを写したのは去年。ジーノ&ローゼンベルク法律事務所の設立祝いをやろうってんで3人で飲んだのだ。
 オフィシャルなのは既にきちんと済ませてあったから、あくまでプライベートに気楽に。

 レオンがとっておきの高い酒を出してきて、飲み始めて……そして誰も止めなかった。
 お互いに。
 実際、あの時はまだ双子が来る前だったから、大人ばっかり三人の気安さもあり、かなり飲んでいた。
 俺もそこそこ酒は飲むが、この二人にはさすがに敵わない。とくにレオンはほとんどザルだ。
 それでも、水割りを作ったり、氷を用意したり、つまみを作ったりしていた分、ほんの少しだけレオンとディフより飲むペースがゆるかった。

 真っ先にディフがソファで寝息をたてはじめたと思ったら、しばらくしてむくっと起きあがった。

『俺のクマどこ?』
『はいはい』

 こっちもルームメイトやってたから今さら驚きゃしないけど、レオンがさっさと寝室からクマもって出てきた時はさすがだと感心してしまった。

『なーんだ、お前、その寝ぼけぐせまだ治ってなかったのかー』

 そこそこ飲んでたから気も大きくなってたんだろう。
 携帯のカメラで思わずカシャっとやっちまったんだな。
 写真を撮られた、と気づくとレオンはゆっくりと首を回して、こっちを見て、一言。

『消せ』

 目がすわっていた。従わなきゃこっちが消されそうな迫力だった。

『わーっかりましたよ。ったく心が狭いなあ、姫は……ほら、消しましたよ』

 素面の俺なら絶対に素直に消していたところだが、何度も言うがこの時は酔って気が大きくなっていて……つい、出来心で消す前にこっそり自分のパソコンにメールした。

 こっちも酔っぱらいならあっちも酔っぱらい。素面の時なら絶対、送信記録をチェックしただろうが、酒に強いはずのレオンもしたたか飲んでいた。
 消せ、と言った時点で既に寝かかっていたらしい。
 そのままディフの隣に添い寝してすーすー寝息を立て始めたもんだから、俺はベッドから毛布をとってきて二人にばさっとかけて。
 そこで力つきて、床で寝た。眼鏡だけはしっかり外して。

 そして翌朝。レオンも俺も(熟睡してたディフは言うに及ばず)きれいさっぱり写真のことなんか忘れていたんだが、自分の部屋に戻ってパソコンのメールをチェックしたら、届いていたんだな。

 ばれたら金門橋の下に沈められそうな、この危険なブツが。


 ※ ※ ※ ※


「そんなことやっちゃったの?」
「そう、やっちゃったの。怖いよー酒の勢いってー」

 貴重な一枚を、シエンは首をかしげてしみじみ見つめてちょこん、と首をかしげた。

「可愛い……のかな?」
「レオンはそう言ってる。俺は笑えるから撮っといた」


 ぱちぱちとまばたきすると、シエンは小さくうなずいて、ほほ笑んだ。

「うん……可愛いかも」

 緑の芝生に花開くデイジー……ちっちゃな白い花が咲いたような笑顔だった。

「…いい顔してる」
「ん?」
「写真、撮って…いいかな」
「うん」
「ちょっと待ってろ」

 取材用のデジカメに手を伸ばしかけて、ちょっと迷って、一眼レフに手を伸ばす。
 親父のお古でもらったカメラだ。手間はかかるが、一番手に馴染んでいる。

 窓のブラインドを調節して光の加減を調整する。
 ソファに座るシエンと向かい合わせで腰かけて、話しかけながらシャッターを切った。

 俺が写真に興味があるらしいと知った親父がこれをくれた。使い方も教えてくれた。
 最初に写したのは二人の里親……親父とお袋だった。少しピンのボケた写真は花模様の陶器の写真立てに納められ、5歳から18歳まで世話になったあの家の居間に大切に飾られている。

 大切なものや、忘れたくない風景は全てこのカメラで写してきた。
 いつか、オティアの写真もこいつで写してみたいと思うんだが……許してもらえるだろうか。

 …………無理だろうな。

 あいつは写真を嫌っている。
 大人の身勝手な欲情を掻き立てるため、何度もレンズの前で陵辱された。その凄まじい経験が傷となり、まだ深く尾を引いている。

 うっかり、オティアの写真をなにげなく携帯のカメラで写してしまったことがある。
 寒気のしそうな目でにらんできて。凄みのある声で、『消せ』と言われた。
 自分の迂闊さを呪いながら、素直に消すしかなかった。


「現像したら、届けようか?」
「ううん。いい。見つかったら、困る」

「そうか……お前の写真も、ダメか」


 寂しそうにうなずく、その顔も写してみる。


「いろんなことが……あったし。いろんな場所に行ったけど……こんな優しくしてもらったこと、はじめてだな」
「まだ……触られるの…怖い、かな」
「……突然じゃなければ……平気、かな」
「そっか……」

 ゆっくりと手を伸ばして髪の毛に触れる。シエンは戸惑ったような表情を浮かべてこっちを見上げてきた。

「その……ほんとはこう言う時…抱きしめたいんだけど…」
「うん……」
「抱きしめて、頭なでて……。俺の基準だと、そうなんだ。でも、押し付けたらシエン。お前を傷つけてしまいそうで、だから」


 そっと髪の毛に触れるか触れないかの手つきでなでる。少しくすんだ金色の髪が、指先をすり抜けて行く。
 この子を傷つけたくない。
 この世に誰一人血のつながった家族を持たない俺だけど、シエンは弟みたいで……大切に守りたいと思った。
 本当の兄弟であるオティアには、到底かなわないけれど。
 
「……ありがと……」

 涙声だ。参ったな、泣かせるつもりはないのに。箱ティッシュを差し出し、わざと明るい声で言った。

「目が赤いよ。兎みたいだ。ほら、これで」


 さし出した箱ティッシュをすり抜けて、抱きついてきた。

「っシエン……?」

 箱が落ちる。
 むき出しの木の床の上に転がり、乾いた音を立てた。

 腕の中に、彼がいる。細い肩が震えている。
 子どもって、こんなに体温高いんだ。こんなに……華奢なんだ。

 ためらってから、そろーっと背中に手を回す。しがみつく腕に力がこもり、ぴったりと体を寄せて。
 胸に顔をうずめてきた。
 黙って髪の毛をなでおろし、そのまま背中をなでる。手のひらを通じてシエンの鼓動が伝わって来る。

 早い。

(これは………)
(まさか………)
(もしかして)

 そう、なのか、シエン?
 俺みたいな男を。
 
 どうして振り払うことができるだろう。一途に向けられた想いを。すがりつく手を。

 そのまま、しばらく背中をなでていた。

「も……大丈夫」

 やがてシエンは深く呼吸をすると、離れて行った。ちょっと恥ずかしそうにうつむいて。
 腕の中が、ひやりとした。二人分の体温が重なってたんだものな。
 いったい何日……いや、何ヶ月ぶりだろう。
 あんな風に、誰かと触れあったのは。

「鼻かんどけよ?」

 冗談めかしてティッシュの箱を拾い上げ、さし出した。
 うつむいたまま、受けとってくれた。

「そうだ、いいものがあった!」

 空気を変えよう。このままじゃいけない。

「ジャスミンティー。お前、好きだったろ? 中華街の知り合いからもらったんだ」

 キッチンに行き、お湯を沸かす。
 マグカップを二つ取り出した。
 お茶を入れている間、背後で顔をふいたり、ちーんと鼻をかむ音が聞こえる。

「……お待たせ」
「ん……いい香り……」

 少しぬるめに入れたジャスミンティー。湯気の立つお茶の香りをたっぷり吸い込んで、シエンはしみじみと目をとじた。
 鼻の頭がまだ少し、赤い。

「美味しい」
「そっか。けっこういいお茶なんだ、それ」

「ね、ヒウェル」
「何だ?」
「写真……」
「ん?」
「できたら、みせて、ね」
「………ああ。見てくれ、ぜひモデルの感想も聞きたい」


 小さく頷いた。


 そのまま向かい合って、二人で静かにお茶を飲んだ。


 飲み終わってから、シエンはしみじみとマグカップを見つめていた。
 赤いグリフォン………正しくはドラゴンだってわかっちゃいるんだが。やっぱり俺の意識の中ではグリフォンなんだよ。
 子どもの時からずーっと思ってたことを今さら変えられるかってんだ。

「それ、やるよ」
「ほんと? いいの?」
「うん………掃除と、洗濯のお礼っちゃ何だけど」
「ありがとう!」

 シエンはよく笑う。オティアに比べればって程度だが……。
 それでも、今、目の前で咲くほほ笑みに比べたら。

 初めて知った。この子が本当に、心の底から嬉しそうに笑う時ってのはこう言う顔をするんだって。


 ※ ※ ※ ※

 
 シエンは大事にカップを抱えて部屋に戻った。
 赤いグリフォンの模様。ヒウェルのライターと同じ。ヒウェルからもらった。

「ただいまー」

 キッチンで嬉しそうにカップを洗うシエンの姿を、オティアがじっと見ていた。

 また、ヒウェルの部屋に行ったのか。

 イライラする。
 胸の奥がチクチクする。刺草を一株、まるごと飲み込んだような気分だ。

 一回はもう止めた。
 ヒウェルが三日間の出入り禁止を食らった時、夕食を届けようとするシエンに『甘やかすな』と言った。
 あの時はシエンも思いとどまった。

 忘れてるはずはないのに。それでも、まだやってるんだから……もう止めてもしょうがない。

 黙ってオティアはシエンに背を向けて、部屋に戻った。



(赤いグリフォン前編/了)


次へ→【中編】