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ローゼンベルク家の食卓

【3-10-1】双子シャッフル

2008/04/26 0:51 三話十海
 12月も半ばを周り、一年中で一番慌ただしい季節が到来した。
 楽しい楽しい休暇の前にクリスマス前進行と言うおそるべき試練がまちかまえている。

 休みたいのなら、印刷所が休みに入る前に書くべきものを書け、倒れてもいいから倒れる前に書き上げろ、原稿を出せ! ……と言う訳だ。
 俺みたいなフリーランスの場合は印刷に入る前に契約先の編集者のチェックを受けなきゃいけない。だから自ずと〆切りも前に繰り上がる。

 自分でも馬鹿みたいだと思うんだ。このデスパレードな状況の中、本来の仕事の合間を縫って例のタトゥーを。サソリの尾を持つ蛇を追いかけているなんて。
 シエンが働かされていた『工場』と、オティアの囚われていた『撮影所』。二つを束ねる組織の影を。

 蛇の息の根を止めるには、頭を潰すに限る。
 しかし、頭には尻尾とちがって脳みそってものもくっついている。奴らもいずれ気づくだろう。誰が自分たちの資金源を潰し、じわじわと追いつめているのか。
 今回の一件で俺は極力表に出るのを避けてきた。自分の存在はちらとも見せず、文字を通じて事実だけを読み手の記憶に叩き込む。
 俺の残す印はただ一つ、記事の末尾に添えた『H』の文字のみ。

 しかしレオンは違う。弁護士として表に立ち、FBIにも協力し、双子の保護者にもなっている。
 ディフに至っては……。倉庫を崩壊させたのは奴だと思われているんじゃなかろうか。何てったって元爆発物処理班だものなあ。
 それ以前に管理棟にスタングレネード投げ込んでるし。
 少なくとも車で突っ込んでぶち破ったシャッターと。蹴り壊した部屋のドア一枚は実際に破壊してる。
 工場でやらかしたことについては……これは本人がやっちゃったことだから隠しようがない。

 とにかく、ケツに火がついて慌てふためいた組織が報復に出るとしたら、ターゲットはおそらくあの二人だ。
 だから気づかれる前に喉元に食らいついてやりたい。
 社会的な正義なんかのためじゃない。
 オティアとシエンと。レオンと、ディフと。
 5人で晩飯の食卓を囲む時、つかの間孤独を忘れる。自分は一人じゃないと安堵する。
 あのあたたかいひと時を守るためなら、俺は、どんなことでもする。

 だけど。
 今、俺がマクラウド探偵事務所の前に居る理由は…………ただ一つ。
 オティアの顔が見たいからだ。

 たとえ空気扱いされようとも。うっとおしがられようとも。

 妙な話だ。高校生の時っからずーっと言いよられたり告られることはあっても、自分からこんな風に夢中になって誰かを追いかけるってことはなかった。
 何だって二十歳すぎて今さら思春期のお子様みたいなマネをしてるのか。

 うだうだしていても始まらない。
 よし。
 行くぞ。


 ※ ※ ※ ※


 呼び鈴を押そうとした瞬間、すっとドアが開いた。向こう側には控えめに、灰色の髪に水色の瞳、グレイのスーツを一分の隙もなくピシっと着こなした男が立っていた。
 アレックスだ。
 ちょうど出ようとした所にはち合わせしたらしい。

「……どうぞ」
「どうも」

 すっと一歩脇に避けて、うやうやしく招き入れられる。
 入れ替わりにアレックスは一礼し、部屋を出て行った。

「……ふぅ」
 
 改めて事務所の中を見渡す。正面のでかいデスクは空っぽ。その隣の少し小さめのスチールの事務机では、金髪の少年が黙々とデスクワークに専念していた。
 カフェオレ色のセーターと重ね着した白のポロシャツがよく似合ってる。
 パソコンの画面を見てかたかたとキーボードに指を走らせ、ちらりとこっちを見て、またパソコンの画面に視線を戻した。

「あー……その……………所長、留守、か?」
「今出てった」
「そっか……戻り、いつ頃?」
「聞いてない」
「そうか…………………………………」

 天井を見て。
 壁を見て。
 本棚を見る。
 別にディフじゃなきゃ困るって用事でもない。犯罪記録の資料を借りに来ただけだ。
 元警察官だけあって奴の方が断然、データ量が豊富だし、市警察に知り合いも多い。フリーの記者には口をつぐむ事も、前の同僚には話せるってことだ。

 それでも、あえて言ってみる。
 なけなしの勇気をふりしぼり、精一杯さりげない風を装いながら。

「し、しばらく待たせてもらってもいいか?」

 いきなり、ぷっとオティアがふき出した。

「え? あ? その笑い方………………」

 じーっと顔を見る。ちょっと遠慮しながらも、楽しそうに笑ってる。
 俺の知ってる限りオティアは一度だってこんな顔を見せたことはなかった。

「あーっ、お前、シエンかっ!」
「ごめん、やっぱりわかんないよね」
「っかー、やられたっ! 最初にその表情(かお)見てりゃ一発だったよっ」

 まだ笑ってるよ……くそ。ちょっぴり悔しいぞ。

「お前がこっちにいるってことは、オティアは今、上に行ってる訳か」
「うん。オティアじゃなくて、ごめんね」
「あやまるな。俺が勝手にまちがえただけなんだから。それで、何で、お前ら入れ替わったりしたんだ?」
「ん、たまには気分転換しようと思って」


 ※ ※ ※ ※


 前の日の夜。シエンはオティアに提案してみたのだ。

「たまには違う仕事してみる?」
「………………」

 オティアは思った。
 確かにレオンの事務所に行けば奴と顔を合わせずにすむ。だが、何だか逃げてるような気がして、わずかにしゃくに障る。
 けれどシエンが珍しく自分からこうしようと言い出したのだ。断ることなんか、できるはずがなかった。

 結局、若干のもやもやするものを抱えながら、うなずいた。

 そして、朝食の席で。

「仕事を入れ替わってみたい?」
「うん」
「つまり君が探偵事務所に行って、オティアが俺の所に来る、と」
「そう、今日だけ」

 レオンとディフは顔を見合わせた。

「電話番だけでしょ? だったら俺でも大丈夫だよ」
「客が来たらどうするんだ、シエン」
「その時は……」

 ぼそりとオティアが言う。

「電話しろ。俺が降りてく」
「ん」

「まあ……そう言うことなら……」
「俺の方はとくに反対する理由はないね」


 ※ ※ ※ ※


「くっそー。お前たちの見分け、完ぺきにつくようになったって信じてたんだけどなあ」


 すうっとシエンの顔から表情が消えた。

「『ディフなら当分戻ってこない。用があるなら出直すんだな』……こんな感じ?」

 声も心無しか低くなってる。怖いくらいにオティアにそっくりだ。

「うわ、さすが一卵性。……けど……やっぱ違う…ね」
「注意してればね」
「オティアは俺に話しかける時、微妙に視線そらすからな」
「ちらっと見てからこう……『いつまで居る気だ、ボケ』」
「そう、そんな感じ! 待たせてくれって言うヒマもねぇ」
「昔はよく入れ替わって遊んだよ」
「服、とりかえて?」
「服かえなくても、気づかれなかった」
「ああ、双子って、ちっちゃい頃だと余計に見分けつかないからな…」

 オティアがシエンの身代わりになったとき。あの施設の連中は誰一人気づかなかった。
 姿形がそっくりだったと言うのもあるんだろうけれど。
 そもそも、奴らにとって子どもなんて『もの』は八百屋の店先のジャガイモよりも見分けのつかない代物だったのだ。
 頭数さえそろっていれば、自分の義務は果たしたことになる。その程度の存在でしかなかったんだ。

「……お茶でもいれようか」
「あーうん、ごちそうになろっかな」

 応接セットのソファに腰かけて待っていると、カップに入った紅茶が出てきた。そえられたマフィンはこれ、手作りか?
 アレックスだな、多分。
 ブルーベリーか、プレーンか、バナナか。どれにするか迷って、ブルーベリーのを一つ取る。
 うん、やっぱりアレックスのお手製だ。


「うまい」
「よかった」
「……ここの事務所でこんな待遇を受ける日が来るなんてっ」

 マフィンをほおばったまま、目を閉じて。しみじみと紅茶を口にふくんだ。
 行儀悪ぃとわかっちゃいるんだが、この紅茶にひたひたになったのが好きなんだよな。
 ほろほろと舌先でつついて崩したマフィンとブルーベリーを心行くまで味わい、飲み込んだ。


「ディフだけの時はやれ煙草を吸うな、勝手にコーヒー飲んでんじゃねえと散々小言食らってさ…」
「お客様じゃないから……」
「おかげでここに来る時は禁煙する習慣がついたよ」


「ところでディフに用事って何? 急ぎ?」
「あー追っかけてるヤマと類似のケースがあるかどうか…俺のデータベースじゃ足りないんだよ」
「そっか……どんな内容か聞いてもいい?」

 少し考えて。できるだけシエンの記憶を波立たせないように、外側だけを伝える。
 事件の起きた月日と、地区と。
 内容や、例のタトゥーについては伏せたまま。
 するとシエンは、資料のファイルを収めた棚にとことこと歩いて行き

「確か……このへんに」

 迷わず、すっと一冊抜き出した。

「はい、これ」

 半信半疑のままファイルを開くと、ほどなく目的の事件のページを見つける。新聞には絶対載っていない、細かな事まで記された……元の同僚から伝え聞いたり。あるいは自分の記憶していた情報を細部まできっちり記入した、ディフが独自に作成した犯罪の記録。


「よく把握してるなあ。いつもはレオンの手伝いやってるんだろ?」
「たまに、レオンに頼まれて探しに来るんだ」
「ああディフはしょっちゅうレオンの調査員やってるからな…」

 話す傍ら、目を通して行く。
 ……あった。この二件だな。


「これとこれ、コピーとらせてもらっていいかな」
「いいんじゃないかな。いつも俺してるし」
「サンキュ!」
「あとでディフには言っとく」
「助かるよ」

 シエンはうれしそうに、にこっと笑った。小さな花がほころぶような笑顔で。


「……その顔見れば一発でわかったんだけどなぁ…」

 つられてこっちも笑顔になる。ポケットを探り、m&mのチョコレート、小袋一つ取り出してシエンに渡した。

「これ、感謝のシルシな。それじゃ、また飯時に」
「……ありがと」



 ※ ※ ※ ※


(行っちゃった)

 ヒウェルを見送った後、シエンは小さくため息をついた。



 それから2時間ほどして、ディフが戻ってきた。何となく朝出て行ったときより、ヨレヨレしている。
 髪の毛もぐしゃぐしゃで、上着にも、シャツにも、ズボンにも、びっしり動物の毛がついていた。

(猫……ううん、堅そうだから、犬かな?)

「おかえり」
「ただいま……アレ持ってきてくれるかな」
「はい」

 粘着テープを巻いたハンド式のローラー、通称コロコロをさし出す。ディフは腕や胸、肩に転がして犬の抜け毛をとりのぞいてゆく。

「犬探し?」
「ああ。脱走の常習犯だ、あのジャックめが」

 ふう、とため息をついた。すごく疲れてるらしい。いったいどんな大きな犬を追いかけていたんだろう?

「これ食べる?」
「お、サンキュ」

 赤やオレンジ、黄色に緑。お皿に盛った色とりどりのチョコレートの粒をさし出すと、ディフは一粒とって、ぽりっとやってからぽつりと言った。

「……ヒウェル来てたのか」
「資料探してるって言ったから……適当に探してコピーしといた」

「そうか……ご苦労さん」
「……うん」

 少しだけ、目を伏せる。
 自分だけを見て、自分だけに話しかけてくれたヒウェルの目を。表情を。声を思い出して。

「シエン?」

 いけない。心配させちゃう。ぱっと顔をあげて、明るい声を出した。

「ディフ、お昼ご飯食べた?」
「いや。食う暇なかった」
「食べるかどうかわかんなかったからさっきサンドイッチつくっておいたよ。はい!」

 お皿に載せてラップしておいたサンドイッチを切り分けようとすると、ディフがゆるく首を振った。

「ああ、そのままでいい」
「そう? じゃあ、これ」
「サンキュ」

 耳を落していない食パン二枚ではさんだサンドイッチを無造作に手でとって、がぶっと一口。もしゃもしゃと噛んでごくっと飲み込んだ。
 相変わらずダイナミックな食べ方するなあ。

「ん……美味い。作る度にどんどんお前、料理上手くなってくよな」
「こういうの好きなんだ。それに、自分の好きなものつくっても怒られないし」
「そうか。今度、時間できたらまた料理教えてやろうか?」
「うん」
「味付けは自分の好きなように変えていいぞ」
「……うん」


 どうしてこの人はこんなに優しいんだろう。何の関係もないのに。

 初めて会った時は怖い人が来たと思った。
 オティアとヒウェルを助けに倉庫に突入した時のディフも、すごく怖かった。

 だけど今は……。

 穏やかな目。穏やかな声。いつもオティアと自分を見守っている。朝と夜と、毎日食事を作ってくれるし、着るものも用意してくれる。
 確かにディフは優しい。
 だけど、その優しさには法律上の義務とか、血のつながりとか、職業上の役目とか。何ひとつ確かな土台がない。
 ただ、彼の気まぐれな感情に根ざしているだけ。とても不安定で、いつ消えてもおかしくない。

 だから不安になる。

 レオンやヒウェルの方が、よっぽど理解できるし……信用してもいいかなって言う気持ちが強いのだ。

 もしゃもしゃとサンドイッチを頬張るディフの横でお茶をいれて、自分でもチョコレートを一粒、つまんで口に入れてみた。
 甘いけど、これくらいの大きさなら平気かな。

「ヒウェルのやつ、下手すると一食、それですませるんだ。あとアレだな、スニッカーズとか」
「……そっか……」
「飯らしいものを食えって言ったらテイクアウトの中華ばっかりで…見かねていっぺん、飯食わせてやったらそれ以来」

 肩をすくめた。


「………ヒウェル、どんな食べ物好きなのかな。ピーマンは苦手なんだよね?」
「ああ」
「でも、ディフが入院してたとき、俺の作ったチンジャオロースー、残さず食べてくれた」
「そうだったな。気に入ったんだろ。多分、同じ作り方で俺が作っても食わないだろうよ」
「そう……かな」
「そうだよ」
「あのときは……まだ、オティアがつくったんだと思ったんじゃないのかな」

 ディフは拳を握って口の所に当てて、ちょっと考えてから、静かな声で言った。

「二人で作ったと思ってる」
「もう……ピーマン使わないようにしたほうがいいのかな……」
「いや、いい機会だから克服させよう!」
「うーん……」

 いいのかな。
 だからって嫌いな食べ物ばかり使ったら、きっとヒウェル、困るよ。最初はピーマン買って来るのもいやがってたくらいなんだから、よっぽど苦手なんだ。

「美味いって、あまり口に出して言わないだろ、ヒウェルのやつ。残さず食ったってことは美味かったってことなんだよ」
「……じゃあ……こんど、つくってみる」
「そうしてやってくれ。サンドイッチ美味かったよ、ごちそうさん」
「ん」



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