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ローゼンベルク家の食卓

【3-7】a day without anythig

2008/04/04 18:48 三話十海
  • 特別なことは何もない。けれどそれなりにしあわせな一日。
  • ちょっと人が増えてるので人物紹介を個別に設けてあります。
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【3-7-0】登場人物

2008/04/04 18:52 三話十海
【ヒウェル・メイリール】
 フリーの記者。25歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。
 口先と舌先、指先を駆使して世を渡る、小悪党と言う言葉がぴったりのこずるい男。
 最初にオティアを拾って来た張本人。
 もはや報われないことはステイタスとして定着した。

【オティア・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だが、ヒウェルには徐々に心を開きつつある……が。
 口数は少なく喋る言葉は鋭い。
 ヒウェルと出会ったことで彼自身はもとより周囲の人々の運命が変わって行く。
 ポーカーフェイスの裏側で実は意外に心揺れ動いている。
 記憶力と観察力に優れ、我流ながらそこそこ護身術も使える。

【シエン・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 最初の事件で撃たれたディフをオティアと二人で治癒させた。
 ディフに懐きつつある。
 料理が好き。とくに中華。

【レオンハルト・ローゼンベルク】
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフとは恋人同士。
 恋人と双子に害為す者に対してはとてもとても心が狭い。
 不適切な発言は華麗にスルー。

【ディフォレスト・マクラウド】
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。25歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 がっちりした骨格に適度な筋肉のついた頑丈そうな体格。(実際、丈夫)
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢。
 レオンとは恋人同士。
 双子に対して母親のような愛情を抱きつつある……らしい。
 今回2種類ほどニックネームが増えた。

【アレックス】
 フルネームはアレックス・J・オーウェン。
 レオンの秘書。もともとは執事をしていた。
 有能。万能。瞳の色は水色。

【デイビット】
 熱いハートをたぎらせた陽気で女性に優しいラテン系弁護士。
 ジーノ&ローゼンベルク法律事務所の共同経営者。
 レオンのロウスクールの先輩。

【レイモンド】
 微妙に暴走しがちな体育会系弁護士。笑うと歯が光る。
 ジーノ&ローゼンベルク法律事務所に所属。
 レオンとはロウスクールの同期生。

【エリック】
 シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩、22歳。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。
 地道に支持者を獲得しつつあるバイキングの末裔。



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【3-7-1】がしゃん!/midnight

2008/04/04 18:54 三話十海
 がしゃん。

 夜の静寂の中、何かの割れる音が響く。シエンはびくっとして目を開けた……ベッドに横たわったまま。

 がったーんっ……

 続いて今度はもっと派手に何かをひっくり返す音がした。カラコロと何やら固いものが床の上を転がる気配も伝わってくる。

(誰か来た? まさか、泥棒?)

 布団の中で肩をつかんで堅く身を縮める。隣のベッドでオティアが起きあがる気配がした。

「オティア……」
「見てくる」

 何故? 何を? 言葉を交わす必要なんてない。お互いの考えは手にとるようにわかる。

(お前のことは、俺が守る)


 ※ ※ ※ ※


 足音を忍ばせてリビングに行く。灯りはついていた。
 のぞきこむと、床の上に物が散乱している。包帯や傷薬、軟膏、湿布薬、ガーゼ。
 そしてフタの開いた状態で転がった救急箱の傍らに、レオンが立っていた。

「あ」
「……やあ」

 こっちを見て、ばつの悪そうな顔で、笑った。右手の人さし指に小さな切り傷。
 ひと目見てオティアはおおよその事態を把握した。

 最初の「がしゃん」で何かを壊して。片付けようとして指を切って。手当をしようとして……二次災害を引き起こしたってとこか。
 こんな時に真っ先にすっ飛んで来る奴の姿が見えないのが不思議と言えば不思議だが、少し考えてすぐ、納得が行った。

 泥棒でも強盗でもないとわかったのだろう。びくびくしながらシエンがやってきて、背後からそろりと顔を出した。

「レオン?」
「驚かせてしまったかな、すまない」


 ※  ※  ※  ※

 オティアが床の上を片付けている間、シエンはレオンの指の傷を消毒して絆創膏を巻いた。

「はい、おしまい」
「ありがとう」

 救急箱のフタを閉めてから、ふときょろきょろと周囲見回して、シエンはきょとんと首をかしげた。

「ディフは?」
「ああ、今日はもう帰ったよ」

(帰った?)
(どこに?)

 キッチンの皿の破片を回収し、ちり取りを抱えたオティアがやってきてぼそりと言った。

「隣だろ」
「あ」

 そう、ディフの自宅は隣の部屋。

 だけどいつも朝、起きると台所に立っていて朝ご飯を作っているし。夜、おやすみを言う時もリビングか台所にいる。

 レオンが帰っている時は寄り添って。たまにヒウェルと何か話し込んでる時もある。
 この部屋を出て行く時は「行ってきます」。
 入ってくるときは「ただいま」。

 自分やオティア、レオンが戻ってきたときはもちろん「お帰り」。
 朝も夜もこの部屋に居て、自分の部屋に戻るのはそれこそ眠る時だけ……退院してからはそれさえも滅多になくなってきた。

 だからなんだ。「帰った」ってレオンに言われて、どこに行ったんだろうと思ってしまったのは。

(何で、ディフはわざわざ隣に帰ってるんだろ?) 


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【3-7-2】ちいさな鍋/breakfast

2008/04/04 18:55 三話十海
 翌朝。
 ディフはいつものように朝食の用意をしに来て、いつものようにお早うのキスを交わして……レオンの指の絆創膏に気づいた。

「どうしたんだ、これ」
「ああ、いや…」

 ばつの悪そうな顔をするレオンの手をとり、絆創膏の上からそっとキスをした。
 まさにその瞬間。

「おはよー」

 シエンがリビングに入ってきた。

「っあ、えと、んと………」

 その場で十センチ飛び上がりたいのをかろうじて自制し、速やかにレオンの手を離す。自分の手を背後に隠し、精一杯さりげない風を装った。

「………おはよう」
「何やってんだ」

 後ろでオティアの声がした。

(隠した意味がねぇっ!)


 ※  ※  ※  ※


 朝食の席で双子から昨夜の顛末を聞くと、ディフは歯を見せて豪快に笑い、ぽんぽんとレオンの肩を叩いた。

「不可抗力ってやつだろ、気にすんな、レオン」
「ああ……」

 相変わらず、ばつの悪そうな顔で言葉少なに朝食を口に運ぶ。そんなレオンの横顔を見ていると何だか懐かしくなってきた。

 この顔、高校の時によく見たな。
 パンを焦がした時とか。シャツのボタンつけ直そうとして指に針刺した時とか。
 自分でも失敗したなって思ってるんだ……。
 最近滅多にしなくなっていたのにな。何だか得をした気分になってきたよ、レオン。

 顔がほころぶ。

(ああ、まったく可愛いったらありゃしない)


 ※ ※ ※ ※


 朝食の片付けをしていてふと、小さな鍋を見つけた。

(こんなのあったっけ?)

 首をかしげつつ手にとってみる。
 軽い。
 けっこう使い込まれている。
 表面の焦げ方や内側の傷のつき方から察するに、炒め物、焚き物、煮物……ありとあらゆる用途に使い倒されているらしい。
 それにしても、軽い。

「あ、もしかして……シエンか?」

 そう言えば何度かこれを使っていた。
 何気なく「米を炊いてくれるか」と言ったらいそいそとこの鍋を出してきたのだ。いつも自分が使うオレンジの鋳物の鍋ではなく。

「そうか、あの子の手にはこれぐらいの大きさと重さがちょうどいいんだ」

 真新しい食器洗い機に皿と洗剤をセットし、スイッチを入れる。

「そーいやこいつも帰ってきたら増えてたんだよな……」

 おそらく自分がいない間の家事分担を軽減すべく導入されたのだろう。
 言い出しっぺは……多分、ヒウェルだな。

「あれ?」
「む」

 リビングの方で双子が何やら顔をつきあわせている。
 エプロンを外しながらそれとなく見てみる。袖をまくって腕を並べているようだ。

「おや?」

 シエンの方が、若干……だが、明らかに筋肉がついている。
 どうやら四週間の間、重たい調理器具を上げ下げしている間に自然と鍛えられてしまったらしい。
 さながら、一日ごとに伸びる麻の苗を飛び越す間に足腰が鍛えられるニンジャのように。

(って言うかあれ実話なのか?)

 あやうく浮遊しかけたイマジネーションの尻尾をひっつかみ、現実に引き戻して考える。
 そう言えばあの子ら、運動不足なんだな。ほとんど外に出てないし。

「ふむ」

 幸い、このマンションには屋内ジムが付属している。自分も時々、いやしょっちゅう利用している。さすがに子ども二人だけで行かせるのはちょっと考えものだが……。

 頭の中で今日のスケジュールを確認する。予定通りに運べば夕方は早めに上がれそうだ。
 エリックに頼んだ分析結果がいつ出るかが勝負ってとこだな。

(後で電話入れとくか)


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【3-7-3】双子と執事/afternoon tea

2008/04/04 18:57 三話十海
 ユニオン・スクエア近くのオフィスビルの一室。
 ドアのガラスに金色の文字で『ジーノ&ローゼンベルク法律事務所』と書かれた事務所、さらにその奥のキッチンで、てきぱきと手を動かす灰色の髪の男が居た。

 ぴしっと背筋を伸ばして、ダークグレイのスーツに身を包んだ彼の名はアレックス・J・オーウェン。
 もう20年以上もレオンに付き従う忠実な元執事で、現在は法律事務所の秘書を勤めている。

 台の上に並べた直径3インチ半(約9cm)の小さいタルト台が10個、生地はしっかりめに焼き上げて、甘さは極力控えめに。

 デイビットさまとレイモンドさまは3つずつ。
 デイビットさまの分にはカスタードクリームとアーモンドクリームをたっぷりと。フルーツは添える程度でよいだろう。あのお方は見かけによらず甘党でいらっしゃるから。

 こちらの二つにはストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、ダークチェリー、リンゴにオレンジ。フレッシュな味と食感を活かしたフルーツを山盛りにして……お二人とも、甘いものは苦手でいらっしゃるから。

 手際良く人数分のフルーツタルトを準備し、茶葉をティーポットに4杯。きっちり4分待ってから温めたカップに注ぐ。
 全て準備を整えると、アレックスはうやうやしく金髪の少年に声をかけた。

「シエンさま、おやつの用意が整いました」

 呼ばれてシエンは苦笑した。

「バイトなのに『さま』は変だよ、アレックス」
「さようでございますか……それでは何とお呼びすれば?」
「さま、も、さん、もいらない。シエンって呼んでくれる?」
「かしこまりました、シエン。それでは参りましょうか」

 皿に盛ったフルーツタルトと紅茶を銀色のトレイに載せ、二人は歩き出した。

「お茶でございます」

 事務室には珍しく、この事務所に所属する弁護士が三人ともそろっていた。
 
「ありがとう、アレックス」

 レオンはちらりと置かれた紅茶とタルトに目をやり、白い薄手のカップに手を伸ばす。
 
「おお、今日はフルーツタルトだね! 君の作るスイーツはどれも絶品だよ、アレックス。世界で二番目にすばらしい!」
「おそれいります」
「一番目はうちのワイフの焼いてくれるパイだがね」
「さようでございますか」

 デイビット・A・ジーノのいつもの決まり文句だ。『うちのワイフは世界一』。
 やや浅黒い肌、ウェーブのかかった黒髪、話す言葉は歯切れがよく、女性にやさしくハートも熱い。1/4混じったラテンの血潮をフルに燃え立たせるこの陽気なハンサム・ガイはレオンのロウスクールの先輩にあたり、事務所の共同経営者でもある。

 そして超の字のつく愛妻家(恐妻家?)なのだった。

「スイーツと言えば……レオン。赤毛の彼。君のスイートハニーはどうしている? もう退院したのか?」

 一瞬、シエンは凍り付きそうになった。


(スイートハニーって。もしかして……)

「元気ですよ」

 レオンはさらりと流してる。慣れっこらしい。

「それは良かった。相変わらず丈夫な男だな!」

 流された方はちっとも気にする様子もなく、むしろ楽しそうにはっはっは、と大声で笑っている。まだこの大音量には慣れない。

(いい人なんだけど……もうちょっと静かにしてくれるといい……かな?)

alex.JPG※月梨さん画、左がデイビットで右がアレックス

「やあ、きれいなタルトだな。食べるのがもったいないよ」
「おそれいります」

 はるか頭上から深みのあるバリトンが降ってきた。野太い笑みを浮かべた口元に白い歯が光る。
 かっ色の肌の巨漢、レイモンド・ライト・ボーマン。学生時代はアメフトの選手だったが試合中の怪我で視力を悪くし、今も眼鏡をかけている。
 レオンのロウスクールの同期生で見かけによらずかなりの頭脳派なのだが……
 
 いまだに体育会系のリズムが抜けず、たまに暴走する。
 岩を刻んだような重厚なボディの内側には重低音で戦いのドラムが轟き、父祖の地アフリカの太陽にも負けない熱い魂が燃えているのだ。

 最初に会った時、微妙に誰かに似てる? と思ったらやっぱりディフと気が合うらしい。

「それでは、ごゆっくり。私どもは下に参りますので」
「ご苦労さま」
「シエン、下に行くのならついでにこれ届けてもらえるかな。マックスに頼まれてた資料だ」
「はい」

 レイモンドから受けとった書類ファイルを抱えてシエンは部屋を出た。
 きちんと一礼するとアレックスは後に続き、静かに事務室のドアを閉めた。

 デイビットが珍しく静かだったのは、口の中をタルトとフルーツとクリームが占拠しているから。

 事務所を出て、エレベーターに向かうアレックスとシエンを廊下を歩く人々が振り返った。中には目を丸くする者もいる。
 ファイルを抱えた少年がとことこ歩く。それ自体はよくある風景だ。このビルの中に数多く存在するメッセンジャーボーイの中には、インラインスケートやローラーボードで廊下を疾走して行く奴らもいる。

 それに比べればいたって大人しい。
 しかし背後に銀色のトレイにのせたフルーツタルトを二人分、うやうやしく捧げ持った執事(にしか見えない)が従っているとなると……。
 オフィスビルにはあまりにも不似合いな光景だが、当人たちはいたって平穏。
 すたすたと歩いてエレベーターに乗り、下のフロアへと降りて行った。


 ※  ※  ※  ※


 同じビルの二階。
 法律事務所に比べるといささか小振りではあるが、所員の数からすると充分な広さの事務所があった。

 ドアにはめ込まれた磨りガラスにはかっちりした書体で『マクラウド探偵事務所』と記されている。
 『ようこそ』とか『あなたの』とか『迅速丁寧』とか『秘密厳守』とか。余計な文字は何一つない。

 中にはどっしりした木製の事務机、少し離れてパソコンの置かれた小さめのスチールのデスクがもう一つ。
 パーテーションで仕切られた一角にはソファとテーブルが並べられている。
 何もかも実用的で頑丈。事務所の中から奥のキッチンに至るまで細かい所まで掃除が行き届いている。
 
(きっと、ディフの部屋もこんな感じなんだろうな)


 オティアがマクラウド探偵事務所でバイトを始めてからもうすぐ一週間が経とうとしていた。
 決心をするまでは少し迷ったが、どっちがどの事務所に行くかはすぐに決まった。

「……俺は探偵」
「じゃあ、俺はレオンのとこ行くね」

 法律事務所で扱うのは『もう起きてしまった』事件だ。生々しい血に染まったナイフや、まだ熱い銃弾との距離は遠い。
 一方、探偵事務所で扱うのは現在進行形の調査だ。シエンにはいささか荷が重い。
 そこまでの相談も、意志の確認もほぼ一瞬で行われていた。

 二人にとってこれは特別なことでも何でもない。物心ついたときからずっとそうだった。
 言葉に出さなくても自然とわかるのだ。お互いの考えていること、伝えたいことが。


 マクラウド探偵事務所は、言うなれば個人的な調査の請負所である。
 煙草の煙の漂う中、ソフト帽にトレンチコートで冷めたコーヒーをすするハードボイルドも。人間離れした頭脳で鮮やかに謎を解く名探偵とも無縁。
 
 どんなに些細な案件でも依頼人のために地道に調べて地道に成果を上げる。
 
 今のところ調査員は所長のディフただ一人。しかし彼は知っている。
 自分一人にできることの限界、それを補完するためにどこの、誰に応援を頼めば良いのかも。
 そして、そのための人脈も知識もちゃんと確保してあるのだった。

 オティアの役目は協力者ならびに依頼人との必要不可欠な連絡役……

 要するに。
 電話番だった。

 採用にあたって言われたことは二つ。
 用件を聞いて、必要ならすぐにかけ直す旨伝えて連絡。原則としてよほどの緊急事態以外はメールを使う。
 それほど急ぎじゃない用件はまとめて定期的にメールする。


 それまでもっぱらパソコン用に使われていたスチールの机がオティアの席としてあてがわれた。
 電話も二つに増やされて、うち一つがオティアのデスクの上に乗っている。

 しかしながらディフが退院して事務所を再開してから、かかってくる電話ときたら判で押したみたいに同じものばかりで。

「はい、マクラウド探偵事務所」
「よう、マックス、生きてたか? ……あれ、声が違うな。君、誰?」

 なるほど、電話番が必要なはずだと納得した。空いてる時間は好きにしていていいと言われているので、本棚に並んだ本を手当たり次第に読み漁る。
 レオンとは微妙に蔵書の種類が違っていた。

 今もそのうちの一冊を読みふけっていると、電話が鳴った。発信者は『CSI:エリック』。どっかで聞いたような名前だな、と思いつつ受話器をとる。

「はい、マクラウド探偵事務所」
「ハロー、シスコ市警のエリック・スヴェンソンって言いますけど。センパイ…所長はいますか?」

 若い男の声だった。少しばかりRが内にこもる感じの独特の発音で、こころもち濁音のアクセントが強いが声そのものは滑らかで聞き取りやすい。

「所長は外出中です。ご用件は…お急ぎですか?」
「んー、たぶんね。この間頼まれていた分析結果があがったって、伝えといてもらえます? そう言えばわかるから」
「了解」
「ありがとう。それじゃ」

 これは急いだ方が良さそうだ。すぐにメールした。
 折り返し返事が来る。文面はひとこと「Thanks」。
 携帯を閉じて、また本を読み始める。いくらもたたないうちに再び電話が鳴った。

 発信者表示は「マクラウド:テキサス」。

(マクラウド……ディフの親戚か?)

 少しためらってから電話をとると、朗らかではきはきした中年の女性の声が流れ出した。

「ハロー、ディー? 留守電山のように入れたはずなのにちっとも返事くれないってどう言うこと?」
「え。あの、すいません」
「あら? あなた……誰?」

 ディー…ディフォレスト……ディフか。

「ディーにしてはずいぶん高くてきれいな声だし。レオンでもないわよね?」
「俺は……………バイトです。最近入りました」

 舌の奥をまさぐり、使い慣れない丁寧な言い回しをどうにかこうにか引っぱり出す。

「所長のお知り合い……いや、ご家族の方ですか」
「そんなに緊張しないでいいのよ。ええ、あの子の母親です。はじめまして」
「あ、はい。伝言をいれられたのは、ここじゃないですよね」
「ええ、自宅の留守電にね。ごめんなさいね、びっくりしたでしょ? そこの電話とるのってあの子かレオンどっちかだから、つい」

「……いえ、えっとそれじゃ、所長に……伝えておきます。今は出ているので」

 ついこの間までディフが入院していたのを、この人はもしかして知らないんだろうか。言わないほうがいいのかな。

「お願いね。ありがとう」
「はい」

 電話を切ってから、挨拶も名乗ることも忘れていたことに気づく。微妙に緊張していたらしい。
 これは……急ぎではないから、次の定時連絡で知らせればいい。

 それにしても。
 つい聞き流してしまったけど、何でレオンがここの電話をとるんだ?

 首をひねりながらドアの前に行き、開けた。
 銀色のトレイを捧げ持ったアレックスを従えてシエンが入ってきた。目の前で急に開いたドアに驚きもせず。目くばせさえすることもなく。

「すぐさまお茶の仕度をいたします。しばしお待ちを」

 勝手知ったると言った様子でアレックスは奥のキッチンへと入って行く。双子は並んでソファに腰かけた。

「ディフのお袋さんから電話があった」
「テキサスの? どんな人だった」
「マイペース」
「……そうなんだ」


 ※ ※ ※ ※



「お茶が入りましたよ」

 甘さを控えたフルーツタルトをひとくち食べると、シエンはぽわっと顔をほころばせた。

「美味しい! アレックス上手だね」
「お気に召して何よりです。よろしければレシピをお教えしましょうか?」
「……うん。俺も作ってみたい」

 オティアは言葉少なにフォークを動かし、黙々とタルトを口に運んでいる。

(ああ……レオンさまのお小さい頃を思い出す)

 金髪の双子を見守りながら、アレックスは秘かに胸を熱くしていた。
 ちらとも表情には出さず、あくまで秘かに、ひっそりと。

(レオンさまが男性に心奪われた日以来あきらめていたが、まさかこんな日が来ようとは……)

 もしも今、事務所に入って来る者がいたら、きっと戸惑うことだろう。
 探偵事務所に来たはずなのに、他所様の家のリビングに入り込んだような錯覚にとらわれて。

 金髪の双子に従う実直そうな執事。
 古い映画か本の中から切りとられたような、真昼のオフィスビルの一角にはおよそ似つかわしくない光景を目にして。


 ※  ※  ※  ※

 その後、事務所に戻ってきた所長に有能少年助手はきっぱりと言い渡した。

「留守電ぐらい確認しろよ」
「……すまん、気をつける」

 こまごまとした用事をすませてから、ディフは時計を確認し、小さくうなずいた。

「少し早いが今日はこれで上がりにしよう。一カ所外に寄って、それから直帰だ」

 オティアがうなずく。

「一緒に来てくれ」
「どこへ?」


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【3-7-4】ジムにて/evening

2008/04/04 18:58 三話十海
 夕方までに小商い三つ、まとめて上げて。
 晩飯まで一寝入りするかそれともシャワーでも浴びるか考えながらぼやーっとエレベーターの前に突っ立っていると……

「お?」
「よお」
「………」

 オティアとディフが並んで出てきた。二人ともトレーニングウェアだ。ディフが黒のジャージにグレイのTシャツ……これはしょっちゅう見なれている。オティアが紺のジャージに白のTシャツ。こっちは新鮮、見られて嬉しい。

「おそろいで、どちらに? ってかもう上がりか? 早いな」
「ジム。ついでに言うとまだ勤務中だ」
「ふーん。俺も運動不足だし、たまには体動かしてみよっかなーっと」
「……好きにしろ」

 オティアは何も言わない。
 沈黙はOKと受け取り、ジムに向かう二人の後を着いて行った。

 フローリングのジム。ぼちぼち使用者で埋まっているエアロバイクやトレーニングマシンの間を抜け、広めのスペースに三人で立つ。
 エクササイズやヨガ、ダンスの練習なんかに使われることを想定して用意されたスペースなのだが(最近はDVDプレイヤーを持ち込んで某鬼軍曹のブートキャンプなんかしてる奴もいる)。
 今回の目的は少しばかり異なるようで。
 
「探偵なんてのは基本的に体力勝負だからな。今んとこデスクワークだがそのうち外回りにも出てもらうかも知れん。簡単な護身術ぐらい覚えてもらっておいた方がこっちも助かる」
「……」

 こくっとオティアがうなずく。
 なるほど、警察仕込みの格闘術のレッスンって訳か。

「で、ヒウェル。お前、着替えないでいいのか」

 俺の服装はと言うといつものくすんだブルーグレイの上下に綿のワイシャツ(本日の色はクリーム色)、細めのリコリス色のタイ。
 仕事の時はこの格好でどこにでも行くし、他の服もだいたいこんなもんだ。いちいち組み合せを考えずにすむ。
 しかし、少しばかり運動に向いてないのも事実。上着を脱いでレッスン用のサイドバーに引っ掛け、腕をまくった。

「ほい、準備完了」
「……ま、いいだろう……ちょっと手伝え」
「へいへい」

 手招きされるまま、ディフと向き合って立った。

「基本はとにかく身を守ること。その時身近にあるものは何でも使う。投げつけられるものは何でも投げろ。それでも逃げ切れずに接近戦になって、相手が刃物持っていたら……上着を脱いで利き腕に巻く」

 はっと気づくと、がっちりした手で右手首を押さえられた。

「こうして武器を持ってる方の手を押さえて、後ろに回して……こう」

 さすがにやばいと思って暴れたが、ちょっとやそっとじゃビクともしない。単に腕力が強いってだけじゃない。人体のポイントをぎっちり押さえて最小限の出力で効率よく俺の動きを封じていやがる!
 本気で抜けらんねぇ。

「いでででっ、おまっ、本気でやるなっ」
「……本気でやったらこんなもんじゃないぞ?」

 ごもっとも。こいつが力任せにぶちかましたらあっと言う間に傷害罪続出。警官時代にやらかしていたら容疑者への『過剰な暴力』で始末書どころじゃ済むまい。

「体格差のある奴を相手にする時は、足を重点的に狙え」

 唐突に押さえ込まれていた腕が解放され、よろっと前につんのめる。

「じゃ、こいつ相手にやってみろ」
「俺かよっ」
「遠慮するな」
「お前が言うなっ」
「俺だととっさに防御しちまうんだよ」
「そうかーそれじゃ練習にならないもんなー……っておいっ」

 言ってる間にディフは後ろに下がって腕を組み、変わってオティアが前に進み出てきた。
 ……いいだろう。
 荒事は苦手だが相手は16の子どもだ、そう簡単にやられやしないぞ。

「………」

 すっとオティアの体が沈む。
 と思ったら足首に軽い衝撃が走り、気づくと床にひっくり返っていた。

「え?」

 おい、こら、ちょっと待て。
 今、俺に何があったんだーっ?

「よし」

 ディフがうなずいている。
 どうやら足を払われたらしいとその時になって気がついた。

「弱すぎる」
「うわーなんかすっごく屈辱的な言われようなんですけどー」

 かろうじて左の肘をついて直撃は免れていた。が、そのぶん肘が痛いの何のって。だがそんなことはおくびにも出さずに素早く起きあがり(少なくとも自分ではそのつもりだ)、ずれた眼鏡の位置を整える。

 オティアがこっちを見てる。
 気づいた? それとも……心配してくれてるのかな。
 俺の視線に気がつくと、すぐにぷいっと目をそらしてしまった。

(ああ、まったく可愛いよお前って奴は)

「今のは不意打ちだったからだ! もう一回やってみろっ」
「もう一回ねぇ……」
「格闘ゲームだって2R勝つまでは勝負がつかんだろーが」

 ディフが表情も変えずにぼそりと言った。

「お前……馬鹿だろ?」

 あ、なんかいつも言ってる台詞をそっくり返された。微妙にシャクにさわる。

「何とでも言え。ほら、ラウンド2!」

 すっとオティアは踏み込むなり、つま先を踏んづけて来やがった。思わず悶絶したところに肘が繰り出され……ボディに入る直前で止まった。

「う……」

 ぴったり鳩尾の真上じゃねえか。さっきと言い、今と言い、こいつ、人の急所ってもんを知ってやがるな?

「練習にならん。違う相手希望」
「……だ、そーですよ」

 悔しいが俺じゃ、歯が立たない。今のもまともに入ってたらと思うと心底ぞっとする。こそこそと後じさりしてディフと交替する。

「わかった」

 うなずくと、奴は無造作に上着を脱いだ。
 まさか、その下、ランシャツじゃなかろうな? ……良かった、半袖Tシャツだ。

 こいつがノースリーブ着るとかなり、その……エロい。
 もともとディフは鍛えてマッチョになるぜ! と言うタイプではなく、単に体を動かすのが好きなだけで。相当量の運動をハイペースでこなしているうちに自然と筋肉がついたのだ。
 全体的に観賞用ではない実用向きのボディと言った感じで、動きそのものは実に大雑把なのだが、何と言うか……。
 服を着ていても裸でいるような色気を無防備にだだ流しにしていて。
 見ていてつい、ベッドの中ではこうもあろう、ああもあろうと、ロクでもない妄想を掻き立てられそうで……目のやり場に困る。
 当人に自覚がないだけに、余計に始末が悪い。
 高校の時っからロッカールームで何人の男(ゲイの奴限定)を硬直させてきたことか。
 昔っからこうなんだが、レオンとくっついてからは更に磨きがかかったような気がする。

 目の前に立ちはだかった厳つい男を見上げると、オティアはちょい、と手招きし、一言。


「come on」
「……やりにくいな……」

 ディフは苦笑したがすぐに表情を引き締めて。すっと前に出るとオティアに向かってつかみかかった。
 妙にオーバーアクションで無駄が多い。なんつー雑な動きだ。俺を押さえ込んだ時とはえらい違いじゃないか。

 
 オティアは繰り出された太い腕の下に頭をくぐらせ、わき腹を狙ってななめに蹴り上げた。

 ばすん、と鈍い音が響く。

 受けたのか、今の蹴り! さすが熱血体力馬鹿、腹筋に力を入れたんだろうが……痛くないのかお前。
 しかもオティアの頭を逆にがっちりと、ラグビーボールみたいに抱え込んでホールドしている。顔色一つ変えていない。

 オティアはちょっとの間じたばたしたが、すぐに力を抜いて大人しくなった。
 しかし戦意は喪失していないようだ。その証拠に、見ろ。締め上げるディフの腕にしっかり手がかかっている。

 ディフはちらりとオティアの様子を確認し、締め上げる腕を緩めた。
 やりにくそうだ。子ども相手だと今ひとつ力の加減がつかめないらしい。

 途端にオティアの身体が跳ね上がり、顔面を狙ってオーバーヘッドで強烈な蹴りを放ってきた。
 つくづくあいつ、喧嘩慣れしてやがる。どこで覚えたんだ?

 渾身のバイスクル・キックを、しかしディフは軽く手で受け流した。
 奴の腕力なら正面から受けることもできるはずなのに、あえて流れをそらしたのは……オティアの身体への反動を最小限に押さえるためだろう。

(ったく俺を相手にしてた時とはえらい違いじゃないか、ええっ?)

「お前の蹴りは俺には軽い。狙うなら体の末端部に力を集中しろ」
「相手を行動不能にするなら、もっと別のやり方がある」
「……そうだな」

 静かに言うとディフは腕にかかってたオティアの手をとり、あっという間に捻って。床にうつ伏せに倒し、膝を背中に載せて押さえ込んでしまった。
 本来ならこのまま手錠を取り出して後ろ手にかけるのだろうな。

「ぐ」
「……今日はここまでにしておこう」

 そう言って手を離して起きあがる。息一つ乱していない。

「………重い」

 オティアは、と言うとクマの敷物みたいに床にへばっている。(サイズ的には子グマかな)


「ヒウェルよりは歯ごたえあったろ?」
「ウェイトのある相手とは最初からこんなふうにやりあったりしないからな……」

 床に伸びているオティアに遠慮がちに、しかし一応、声をかけてみる。

「立てる? それとも手伝おっか?」
「いらねぇ」

 よれよれとオティアは起きあがった。
 うん、まあ……予想の範囲内ではあったね、うん。


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【3-7-5】母との電話/before dinner

2008/04/04 19:02 三話十海
 久しぶりに自宅に戻ると……なるほど、留守電のライトがぺかぺかと光っている。
 全部、母からだ。
 一応、退院してからも何度かこっちで寝てはいるんだがつい、おっくうで後回しにしていた。

 だいたい自宅にかけてくる人間はごくわずかだし、そう言った連中は急ぎの用事なら留守電に残すよりまず、携帯にかけ直してくる。
 しかし母は例外、あくまで彼女は固定電話にかけないと気がすまないらしいのだ。

 久しぶりに受話器をとり、実家の番号を選んでかける。
 この時間なら親父でもなく兄貴でもなく、母がとるはずだ。

「ハロー、ディー!」

 ほらな。

「バイトの子、入ったのね、名前なんて言うの?」

 開口一番、これか。

「オティア」
「そう。ちょっと緊張してるみたいだけど受け答えのきちんとできてる子だし。いいバイトさん入ってくれてよかったわね! あなたへの伝言もちゃんと伝えてくれたし、珍しくあなたから電話がかかってきたし」
「……母さん。用事は?」


「そうそう、そうだったわね! 結婚するのよ!」

 一瞬、頭の中が真っ白になる。

「……誰が?」
「ジェニーよ。あなたの従姉の」
「ああ……彼女か」

 これが姪っ子ならびっくりだが(まだ3歳だぞ)、ジェニーなら納得だ。

「式は、いつ?」
「来週よ」
「そうか、おめでとうって伝えといて。式場の住所は? 花贈るなら自宅の方がいいかな」
「……帰ってくるって言う選択肢はないのね?」
「ん、まあ、それなりに忙しいんだ」
「ランスが会いたがってたわよ」

 ランスロットは一番上の従兄の息子だ。今年17になる。ちびの頃から俺の後をちょこまかくっついてきたもんだ。
 奴に『おじさん』ではなく『お兄さん』と呼ばせなかったのは人生最大の失敗だったが、最近は前ほど気にならなくなってきた。

「そのうち帰るよ、そのうち」
「なら、いいけど……ああ、そうだ。それであなた、入院したってほんと?」
「いや、もう、退院してるし」

 どこから聞いたんだろう。レオンか、ヒウェルってとこだな、多分。
 おそらくヒウェルだ。あいつ妙にお袋に気に入られてたし。


「ハロー、ヒウェル? なんだかディーと最近連絡とれないんだけど」
「あー、あいつちょっと背中すりむいて入院しまして」
「……命にかかわる怪我じゃないのね?」
「今日、見舞いに行きましたけどね。せっせとダンベルで筋トレしてましたよ」
「そう、ありがとう」


 電話を切ってから改めて留守電のメッセージを再生する。
 
『ハロー、ディー。入院したんですって? 命に別状ないってヒウェルが言ってたけど……』
『退院したら連絡ちょうだいね。それじゃ、愛してるわ』

『留守電ぐらい確認しろよ』

 オティアの声が耳の奥に聞こえた。
 ……まったくだ。

 ごめん、母さん。

 時計を見る。
 そろそろ夕食の時間だ。部屋を出て隣に向かった。

「ただいま。すぐ、飯の仕度するからな」


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【3-7-6】食卓にて/dinner

2008/04/04 19:04 三話十海
「腹減ったー。今日の晩飯、何?」

 いつものように夕飯をたかりに訪れたヒウェルは食卓の上をひと目みるなり蒼白になった。

「俺に何か恨みでもあるのかーっ!」

 本日のメインディッシュはサンフランシスコ名物、カニ。
 ぶっとい足に赤い甲羅に丈夫なハサミ。ボイルされたおおぶりの奴が一人一匹ずつ、ずしん、どばん! と皿の上に鎮座していらっしゃる。

「予測通りのリアクションだな……そう言うと思って、お前の分はロブスターにしといてやったぞ」
「サンキュ、助かったぜディフ」
「前々から不思議だったんだ。シスコ出身なのに、なんでそう蟹が苦手なんだい?」
「あの甲羅のブツブツが苦手なんですよ! 見てるだけで、鳥肌が立つ」
「そうかなぁ」

 くすくす笑うレオンを恨めしげににらむと、ヒウェルは目の前の忌々しき物体から目をそらした。

 サンフランシスコではどっちを向いてもアレの看板にお目にかかる。魚屋の店先には必ずアレがでかい顔をして居座っている。
 だからグルメ企画、それも『シスコの一押しシーフード食べ歩きガイド』なんて仕事だけは極力避けているのだ。
 双子は首をかしげて皿の上のカニとロブスターを見比べている。やがてシエンが口を開いた。

「どうちがうの? どっちも赤くてハサミがあるのに」
「ロブスターはカニじゃない。ザリガニだ」
「阿呆か」

 食卓の中央にどん、どんっと大鉢に盛ったパスタが置かれる。ペペロンチーノとカルボナーラの2種類。
 各自の前には取り皿が置かれ、鉢にはトングが添えられている。
 要するに、食いたい奴は食いたいだけとって食え! と言うことだ。
 付け合わせは温野菜と、カボチャのスープ。こころもち緑黄色野菜が多め。カリフラワーは無し。

「できたぞ。冷めないうちに食え」

 最初のうち、双子はカニをどうやって食べればいいのかとまどっていた。
 ディフがばきっと景気良く甲羅を割るのを見てマネしようとしたが、なかなか上手く行かない。苦戦する二人に気づくとディフは立ち上がり、キッチンからカニ用のハサミをとってきた。

「ちょっと貸せ」

 ばき、べきっと甲羅に切れ目を入れて行く。

「ここの切れ目から割るといい。関節の部分で折って、引き出すとうまく取れるぞ」
「ありがと! 今まで一人一匹なんて食べたことなかったから」
「そうか……」

 すぐに二人ともコツをつかみ、手際良くカニを食べ始める様子をディフは目を細めて。ヒウェルは横目で、ちらちらと見守った。(カニの甲羅が直視できないのだ)

「なあ、ディフ。最近、パスタの出現率多くないか」
「オティアの好物なんだ」
「そうなのか?」
「……」

 もくもくと食べている。確かに気に入っているらしい。カルボナーラよりペペロンチーノの方が好みのようだ。

「なるほどね」

 食事が終わってから、シエンがぽつりと言った。

「どうしてレオンとディフは一緒に住んでないの?」

 ディフは思わず食後のコーヒーを吹きそうになる……が、寸前でどうにか踏みとどまった。

「ど……どうしてって……………」
「だって恋人なんでしょ? 隣の部屋に住んでるなら一緒に住んでも大差なさそうだと思って」
「……いかん、疑問に思ったことがなかった!」
「あー……ないんだ」


 カップを片手にレオンが苦笑する。
 本当は、遠慮がちにルームシェアを提案したのだ。ディフがこのマンションに越してくる時に。
 だがその時は、まだ二人は親友で……それでも高校の時ほど気軽に一緒に寝起きするには互いに意識しすぎていて、微妙な距離を保っていた。

 だから隣同士になるのが精一杯。
 恋人になってからも何となくそのまま月日を重ねてしまったのだ。

「……シエン、そいつが一緒に住むようになったら、俺達は出ていくことになるぞ」
「そんなこと、二度と言うな」
「ごめん、そういう理由で追い出されたことあるから」

 シエンが伏し目がちに答える横でオティアがぼそりと言い切った。

「いや普通に考えても誰が新婚家庭にいたいと思うかと」
「出てくつっても離さないから覚悟しとけ……って誰が新婚かーっ」
「あ、そっか……いくら恋人でもやっぱり同棲はじめるっていうと違うしね」
「そうそう」
「俺を無視して勝手に話進めるんじゃねえっ」

 歯をむき出して怒鳴るディフの隣から、やんわりとレオンが声をかける。

「できれば俺のことも忘れないでいてほしいな」
「……あ」

 ちらっとレオンの顔を見て、真っ赤になってぽそぽそと口にする。『一緒に住まない』理由を探しながら。言葉を選びながら。

「…一緒に住んだら…きっと…ますます甘えてしまうから……かな」
「ふぅん?」
「……適度な距離感が…あった方が……いいんだよ…今は。顔見たいと思ったらすぐ鼻つっこみに来られるし…」

 レオンがうなずく。

(そうだな……一緒に住んだら、きっと我慢できなくなる。君を俺だけのものにしたくなる。誰からも引き離されないように。名実ともに一緒に居られるように)

 今年(2005年)の1月から施行されたばかりのパートナー法の存在が頭をよぎる。

 子どもやパートナーを扶養する義務、パートナーが死亡した際に葬儀を行う権利、遺産相続税や贈与税の免除、家庭裁判所を利用する権利、裁判の際パートナーが法廷でパートナーに不利な証言を拒否できる権利、カップルになった学生が家族用の住居を使用する権利など。

 同性のカップルにも結婚とほぼ同程度の権利と責任が認められるようになったのだ。
 
(それでもね。俺は法の絆で君を縛りたくはないんだ。いつかきっと、つらい思いをさせてしまうから)

 だから……ほほ笑みをもって答えとし、彼の意志を肯定するに留める。


「俺はそもそもあまり家にいないから。ここは寝るための場所でしかなかった…少し前までは」
「…今は?」
「毎日一緒に食事してるだろ?」
「……うん………そうだな……」


(あー、もう、子連れで再婚するカップルじゃあるまいし)

 腹の内でつぶやきつつ、ヒウェルは黙々とキッチンで鍋を洗っていた。

 なーに今さらためらってんだろうねえ。高校ん時は2年も同じ部屋で寝起きしてたくせに。
 一緒の部屋にこそ住んでいないが、一ヶ月の間に何日同じベッドに寝てるのかね、君らは?

 ふと視線を感じて振り返ると、オティアがこっちを見ていた。何となくジムでぶつけた左の肘のあたりをうかがってるようだ。
 
 大丈夫だって。

 にまっと笑って左手を振る。
 まだちょっとうずいたが、んな事ぁどーでもいい。

「………」
「?」

 また、ぷいっと目をそらされてしまった。その隣でシエンが不思議そうに首をかしげ、入れ違いにこっちを見てきた。
 もう一度小さく手を振り、洗い物に戻った。
 やばいな。
 今、俺、にやけてるかも。


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【3-7-7】おやすみ/good night

2008/04/04 19:06 三話十海
 その夜、寝室で。
 例によって泊まることになったディフは嬉しそうにレオンにジムでの様子を報告していた。

「いい蹴りしてんな、あいつ。もうちょっと動きをブラッシュアップすりゃかなり使えるぞ」
「そんなタイプには見えないな……意外だね」
「身を守るため、ってかシエンを守るために身につけたんだろ」
「なるほど」
「優秀だよ、オティアは」

 嬉しそうに笑いながらシャツの裾をめくる。わき腹にうっすら青あざが浮いていた。

「すまん、ここ、湿布貼ってくれるか」
「これは、あの子が?」
「避けるのもシャクだったからな。つい大人げなく受けちまった」
「怪我はしないようにしてくれよ…」

 ぺたりと湿布が貼られた瞬間、ディフはわずかに眉をしかめて身をすくませた。

「ぅっ………ああ。気をつける。ヒウェルは思いっきり床に転がされてた」
「ヒウェルまで参加してたのか」
「どこ行くんだって言われたからジムだって言ったら着いてきたんだ。あー俺も最近運動不足だからなー、とか何とか言って」
「なんというか…随分わかりやすくなったじゃないか。ヒウェルも」
「不気味なくらいにな…最初は同じ里子だから同情してんのかなと思ったが。どうもその範疇越えてるような気がして」
「いや、それは気のせいじゃないよ」
「そうなのか? 双子のうち…とくにオティアの後をついてばっかりいるような気がしたんだが…気のせいじゃなかったのか」

 レオンは思った。
 握った手を口もとに当てている。考え込む時のお決まりの仕草だ。ディフには教えないほうがよかったかな。

「かなり本気のようだけどね…ただ」
「ん?」
「当面は交際禁止だな」
「ああ、犯罪だ。未成年だし。それ以前にヒウェルは存在自体がある意味犯罪だ」

 つきあいが長いだけに容赦ない。

「それでなくても、あの子は考えられる限り最悪の性的虐待の経験者だ。普通に恋愛に発展するかどうかもあやしいね」

 ぎりっとディフが唇を噛みしめる。

「そうだな。ヒウェルには一度クギを刺しておくとして……」
「M26破片手榴弾の一発二発投げ込んどいても釣りが来たな」

 喉の奥から大型犬が唸るような声を出した。かなり本気だ。脅しじゃない。

「ディフ」

 たしなめるような声で名前を呼び、わずかに目を細めて視線を合わせる。
 効果てきめん。凶悪な気配が消え失せ、飼い主にしかられた犬のようにうなだれた。

「…………ごめん」
「君の弁護なら、いくらでもするけどね」
「お前の弁護なら心強いや……でも……そんなことさせたくないよ。約束する、レオン。自重する」
「ああ」

 手のひらで頬を包み込み、さらさらしたライトブラウンの髪をかきわけて額に口付ける。
 微笑んで受けてくれた。


(a day without anything/了)


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