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ローゼンベルク家の食卓

【3-7-4】ジムにて/evening

2008/04/04 18:58 三話十海
 夕方までに小商い三つ、まとめて上げて。
 晩飯まで一寝入りするかそれともシャワーでも浴びるか考えながらぼやーっとエレベーターの前に突っ立っていると……

「お?」
「よお」
「………」

 オティアとディフが並んで出てきた。二人ともトレーニングウェアだ。ディフが黒のジャージにグレイのTシャツ……これはしょっちゅう見なれている。オティアが紺のジャージに白のTシャツ。こっちは新鮮、見られて嬉しい。

「おそろいで、どちらに? ってかもう上がりか? 早いな」
「ジム。ついでに言うとまだ勤務中だ」
「ふーん。俺も運動不足だし、たまには体動かしてみよっかなーっと」
「……好きにしろ」

 オティアは何も言わない。
 沈黙はOKと受け取り、ジムに向かう二人の後を着いて行った。

 フローリングのジム。ぼちぼち使用者で埋まっているエアロバイクやトレーニングマシンの間を抜け、広めのスペースに三人で立つ。
 エクササイズやヨガ、ダンスの練習なんかに使われることを想定して用意されたスペースなのだが(最近はDVDプレイヤーを持ち込んで某鬼軍曹のブートキャンプなんかしてる奴もいる)。
 今回の目的は少しばかり異なるようで。
 
「探偵なんてのは基本的に体力勝負だからな。今んとこデスクワークだがそのうち外回りにも出てもらうかも知れん。簡単な護身術ぐらい覚えてもらっておいた方がこっちも助かる」
「……」

 こくっとオティアがうなずく。
 なるほど、警察仕込みの格闘術のレッスンって訳か。

「で、ヒウェル。お前、着替えないでいいのか」

 俺の服装はと言うといつものくすんだブルーグレイの上下に綿のワイシャツ(本日の色はクリーム色)、細めのリコリス色のタイ。
 仕事の時はこの格好でどこにでも行くし、他の服もだいたいこんなもんだ。いちいち組み合せを考えずにすむ。
 しかし、少しばかり運動に向いてないのも事実。上着を脱いでレッスン用のサイドバーに引っ掛け、腕をまくった。

「ほい、準備完了」
「……ま、いいだろう……ちょっと手伝え」
「へいへい」

 手招きされるまま、ディフと向き合って立った。

「基本はとにかく身を守ること。その時身近にあるものは何でも使う。投げつけられるものは何でも投げろ。それでも逃げ切れずに接近戦になって、相手が刃物持っていたら……上着を脱いで利き腕に巻く」

 はっと気づくと、がっちりした手で右手首を押さえられた。

「こうして武器を持ってる方の手を押さえて、後ろに回して……こう」

 さすがにやばいと思って暴れたが、ちょっとやそっとじゃビクともしない。単に腕力が強いってだけじゃない。人体のポイントをぎっちり押さえて最小限の出力で効率よく俺の動きを封じていやがる!
 本気で抜けらんねぇ。

「いでででっ、おまっ、本気でやるなっ」
「……本気でやったらこんなもんじゃないぞ?」

 ごもっとも。こいつが力任せにぶちかましたらあっと言う間に傷害罪続出。警官時代にやらかしていたら容疑者への『過剰な暴力』で始末書どころじゃ済むまい。

「体格差のある奴を相手にする時は、足を重点的に狙え」

 唐突に押さえ込まれていた腕が解放され、よろっと前につんのめる。

「じゃ、こいつ相手にやってみろ」
「俺かよっ」
「遠慮するな」
「お前が言うなっ」
「俺だととっさに防御しちまうんだよ」
「そうかーそれじゃ練習にならないもんなー……っておいっ」

 言ってる間にディフは後ろに下がって腕を組み、変わってオティアが前に進み出てきた。
 ……いいだろう。
 荒事は苦手だが相手は16の子どもだ、そう簡単にやられやしないぞ。

「………」

 すっとオティアの体が沈む。
 と思ったら足首に軽い衝撃が走り、気づくと床にひっくり返っていた。

「え?」

 おい、こら、ちょっと待て。
 今、俺に何があったんだーっ?

「よし」

 ディフがうなずいている。
 どうやら足を払われたらしいとその時になって気がついた。

「弱すぎる」
「うわーなんかすっごく屈辱的な言われようなんですけどー」

 かろうじて左の肘をついて直撃は免れていた。が、そのぶん肘が痛いの何のって。だがそんなことはおくびにも出さずに素早く起きあがり(少なくとも自分ではそのつもりだ)、ずれた眼鏡の位置を整える。

 オティアがこっちを見てる。
 気づいた? それとも……心配してくれてるのかな。
 俺の視線に気がつくと、すぐにぷいっと目をそらしてしまった。

(ああ、まったく可愛いよお前って奴は)

「今のは不意打ちだったからだ! もう一回やってみろっ」
「もう一回ねぇ……」
「格闘ゲームだって2R勝つまでは勝負がつかんだろーが」

 ディフが表情も変えずにぼそりと言った。

「お前……馬鹿だろ?」

 あ、なんかいつも言ってる台詞をそっくり返された。微妙にシャクにさわる。

「何とでも言え。ほら、ラウンド2!」

 すっとオティアは踏み込むなり、つま先を踏んづけて来やがった。思わず悶絶したところに肘が繰り出され……ボディに入る直前で止まった。

「う……」

 ぴったり鳩尾の真上じゃねえか。さっきと言い、今と言い、こいつ、人の急所ってもんを知ってやがるな?

「練習にならん。違う相手希望」
「……だ、そーですよ」

 悔しいが俺じゃ、歯が立たない。今のもまともに入ってたらと思うと心底ぞっとする。こそこそと後じさりしてディフと交替する。

「わかった」

 うなずくと、奴は無造作に上着を脱いだ。
 まさか、その下、ランシャツじゃなかろうな? ……良かった、半袖Tシャツだ。

 こいつがノースリーブ着るとかなり、その……エロい。
 もともとディフは鍛えてマッチョになるぜ! と言うタイプではなく、単に体を動かすのが好きなだけで。相当量の運動をハイペースでこなしているうちに自然と筋肉がついたのだ。
 全体的に観賞用ではない実用向きのボディと言った感じで、動きそのものは実に大雑把なのだが、何と言うか……。
 服を着ていても裸でいるような色気を無防備にだだ流しにしていて。
 見ていてつい、ベッドの中ではこうもあろう、ああもあろうと、ロクでもない妄想を掻き立てられそうで……目のやり場に困る。
 当人に自覚がないだけに、余計に始末が悪い。
 高校の時っからロッカールームで何人の男(ゲイの奴限定)を硬直させてきたことか。
 昔っからこうなんだが、レオンとくっついてからは更に磨きがかかったような気がする。

 目の前に立ちはだかった厳つい男を見上げると、オティアはちょい、と手招きし、一言。


「come on」
「……やりにくいな……」

 ディフは苦笑したがすぐに表情を引き締めて。すっと前に出るとオティアに向かってつかみかかった。
 妙にオーバーアクションで無駄が多い。なんつー雑な動きだ。俺を押さえ込んだ時とはえらい違いじゃないか。

 
 オティアは繰り出された太い腕の下に頭をくぐらせ、わき腹を狙ってななめに蹴り上げた。

 ばすん、と鈍い音が響く。

 受けたのか、今の蹴り! さすが熱血体力馬鹿、腹筋に力を入れたんだろうが……痛くないのかお前。
 しかもオティアの頭を逆にがっちりと、ラグビーボールみたいに抱え込んでホールドしている。顔色一つ変えていない。

 オティアはちょっとの間じたばたしたが、すぐに力を抜いて大人しくなった。
 しかし戦意は喪失していないようだ。その証拠に、見ろ。締め上げるディフの腕にしっかり手がかかっている。

 ディフはちらりとオティアの様子を確認し、締め上げる腕を緩めた。
 やりにくそうだ。子ども相手だと今ひとつ力の加減がつかめないらしい。

 途端にオティアの身体が跳ね上がり、顔面を狙ってオーバーヘッドで強烈な蹴りを放ってきた。
 つくづくあいつ、喧嘩慣れしてやがる。どこで覚えたんだ?

 渾身のバイスクル・キックを、しかしディフは軽く手で受け流した。
 奴の腕力なら正面から受けることもできるはずなのに、あえて流れをそらしたのは……オティアの身体への反動を最小限に押さえるためだろう。

(ったく俺を相手にしてた時とはえらい違いじゃないか、ええっ?)

「お前の蹴りは俺には軽い。狙うなら体の末端部に力を集中しろ」
「相手を行動不能にするなら、もっと別のやり方がある」
「……そうだな」

 静かに言うとディフは腕にかかってたオティアの手をとり、あっという間に捻って。床にうつ伏せに倒し、膝を背中に載せて押さえ込んでしまった。
 本来ならこのまま手錠を取り出して後ろ手にかけるのだろうな。

「ぐ」
「……今日はここまでにしておこう」

 そう言って手を離して起きあがる。息一つ乱していない。

「………重い」

 オティアは、と言うとクマの敷物みたいに床にへばっている。(サイズ的には子グマかな)


「ヒウェルよりは歯ごたえあったろ?」
「ウェイトのある相手とは最初からこんなふうにやりあったりしないからな……」

 床に伸びているオティアに遠慮がちに、しかし一応、声をかけてみる。

「立てる? それとも手伝おっか?」
「いらねぇ」

 よれよれとオティアは起きあがった。
 うん、まあ……予想の範囲内ではあったね、うん。


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