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ローゼンベルク家の食卓

【3-7-3】双子と執事/afternoon tea

2008/04/04 18:57 三話十海
 ユニオン・スクエア近くのオフィスビルの一室。
 ドアのガラスに金色の文字で『ジーノ&ローゼンベルク法律事務所』と書かれた事務所、さらにその奥のキッチンで、てきぱきと手を動かす灰色の髪の男が居た。

 ぴしっと背筋を伸ばして、ダークグレイのスーツに身を包んだ彼の名はアレックス・J・オーウェン。
 もう20年以上もレオンに付き従う忠実な元執事で、現在は法律事務所の秘書を勤めている。

 台の上に並べた直径3インチ半(約9cm)の小さいタルト台が10個、生地はしっかりめに焼き上げて、甘さは極力控えめに。

 デイビットさまとレイモンドさまは3つずつ。
 デイビットさまの分にはカスタードクリームとアーモンドクリームをたっぷりと。フルーツは添える程度でよいだろう。あのお方は見かけによらず甘党でいらっしゃるから。

 こちらの二つにはストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、ダークチェリー、リンゴにオレンジ。フレッシュな味と食感を活かしたフルーツを山盛りにして……お二人とも、甘いものは苦手でいらっしゃるから。

 手際良く人数分のフルーツタルトを準備し、茶葉をティーポットに4杯。きっちり4分待ってから温めたカップに注ぐ。
 全て準備を整えると、アレックスはうやうやしく金髪の少年に声をかけた。

「シエンさま、おやつの用意が整いました」

 呼ばれてシエンは苦笑した。

「バイトなのに『さま』は変だよ、アレックス」
「さようでございますか……それでは何とお呼びすれば?」
「さま、も、さん、もいらない。シエンって呼んでくれる?」
「かしこまりました、シエン。それでは参りましょうか」

 皿に盛ったフルーツタルトと紅茶を銀色のトレイに載せ、二人は歩き出した。

「お茶でございます」

 事務室には珍しく、この事務所に所属する弁護士が三人ともそろっていた。
 
「ありがとう、アレックス」

 レオンはちらりと置かれた紅茶とタルトに目をやり、白い薄手のカップに手を伸ばす。
 
「おお、今日はフルーツタルトだね! 君の作るスイーツはどれも絶品だよ、アレックス。世界で二番目にすばらしい!」
「おそれいります」
「一番目はうちのワイフの焼いてくれるパイだがね」
「さようでございますか」

 デイビット・A・ジーノのいつもの決まり文句だ。『うちのワイフは世界一』。
 やや浅黒い肌、ウェーブのかかった黒髪、話す言葉は歯切れがよく、女性にやさしくハートも熱い。1/4混じったラテンの血潮をフルに燃え立たせるこの陽気なハンサム・ガイはレオンのロウスクールの先輩にあたり、事務所の共同経営者でもある。

 そして超の字のつく愛妻家(恐妻家?)なのだった。

「スイーツと言えば……レオン。赤毛の彼。君のスイートハニーはどうしている? もう退院したのか?」

 一瞬、シエンは凍り付きそうになった。


(スイートハニーって。もしかして……)

「元気ですよ」

 レオンはさらりと流してる。慣れっこらしい。

「それは良かった。相変わらず丈夫な男だな!」

 流された方はちっとも気にする様子もなく、むしろ楽しそうにはっはっは、と大声で笑っている。まだこの大音量には慣れない。

(いい人なんだけど……もうちょっと静かにしてくれるといい……かな?)

alex.JPG※月梨さん画、左がデイビットで右がアレックス

「やあ、きれいなタルトだな。食べるのがもったいないよ」
「おそれいります」

 はるか頭上から深みのあるバリトンが降ってきた。野太い笑みを浮かべた口元に白い歯が光る。
 かっ色の肌の巨漢、レイモンド・ライト・ボーマン。学生時代はアメフトの選手だったが試合中の怪我で視力を悪くし、今も眼鏡をかけている。
 レオンのロウスクールの同期生で見かけによらずかなりの頭脳派なのだが……
 
 いまだに体育会系のリズムが抜けず、たまに暴走する。
 岩を刻んだような重厚なボディの内側には重低音で戦いのドラムが轟き、父祖の地アフリカの太陽にも負けない熱い魂が燃えているのだ。

 最初に会った時、微妙に誰かに似てる? と思ったらやっぱりディフと気が合うらしい。

「それでは、ごゆっくり。私どもは下に参りますので」
「ご苦労さま」
「シエン、下に行くのならついでにこれ届けてもらえるかな。マックスに頼まれてた資料だ」
「はい」

 レイモンドから受けとった書類ファイルを抱えてシエンは部屋を出た。
 きちんと一礼するとアレックスは後に続き、静かに事務室のドアを閉めた。

 デイビットが珍しく静かだったのは、口の中をタルトとフルーツとクリームが占拠しているから。

 事務所を出て、エレベーターに向かうアレックスとシエンを廊下を歩く人々が振り返った。中には目を丸くする者もいる。
 ファイルを抱えた少年がとことこ歩く。それ自体はよくある風景だ。このビルの中に数多く存在するメッセンジャーボーイの中には、インラインスケートやローラーボードで廊下を疾走して行く奴らもいる。

 それに比べればいたって大人しい。
 しかし背後に銀色のトレイにのせたフルーツタルトを二人分、うやうやしく捧げ持った執事(にしか見えない)が従っているとなると……。
 オフィスビルにはあまりにも不似合いな光景だが、当人たちはいたって平穏。
 すたすたと歩いてエレベーターに乗り、下のフロアへと降りて行った。


 ※  ※  ※  ※


 同じビルの二階。
 法律事務所に比べるといささか小振りではあるが、所員の数からすると充分な広さの事務所があった。

 ドアにはめ込まれた磨りガラスにはかっちりした書体で『マクラウド探偵事務所』と記されている。
 『ようこそ』とか『あなたの』とか『迅速丁寧』とか『秘密厳守』とか。余計な文字は何一つない。

 中にはどっしりした木製の事務机、少し離れてパソコンの置かれた小さめのスチールのデスクがもう一つ。
 パーテーションで仕切られた一角にはソファとテーブルが並べられている。
 何もかも実用的で頑丈。事務所の中から奥のキッチンに至るまで細かい所まで掃除が行き届いている。
 
(きっと、ディフの部屋もこんな感じなんだろうな)


 オティアがマクラウド探偵事務所でバイトを始めてからもうすぐ一週間が経とうとしていた。
 決心をするまでは少し迷ったが、どっちがどの事務所に行くかはすぐに決まった。

「……俺は探偵」
「じゃあ、俺はレオンのとこ行くね」

 法律事務所で扱うのは『もう起きてしまった』事件だ。生々しい血に染まったナイフや、まだ熱い銃弾との距離は遠い。
 一方、探偵事務所で扱うのは現在進行形の調査だ。シエンにはいささか荷が重い。
 そこまでの相談も、意志の確認もほぼ一瞬で行われていた。

 二人にとってこれは特別なことでも何でもない。物心ついたときからずっとそうだった。
 言葉に出さなくても自然とわかるのだ。お互いの考えていること、伝えたいことが。


 マクラウド探偵事務所は、言うなれば個人的な調査の請負所である。
 煙草の煙の漂う中、ソフト帽にトレンチコートで冷めたコーヒーをすするハードボイルドも。人間離れした頭脳で鮮やかに謎を解く名探偵とも無縁。
 
 どんなに些細な案件でも依頼人のために地道に調べて地道に成果を上げる。
 
 今のところ調査員は所長のディフただ一人。しかし彼は知っている。
 自分一人にできることの限界、それを補完するためにどこの、誰に応援を頼めば良いのかも。
 そして、そのための人脈も知識もちゃんと確保してあるのだった。

 オティアの役目は協力者ならびに依頼人との必要不可欠な連絡役……

 要するに。
 電話番だった。

 採用にあたって言われたことは二つ。
 用件を聞いて、必要ならすぐにかけ直す旨伝えて連絡。原則としてよほどの緊急事態以外はメールを使う。
 それほど急ぎじゃない用件はまとめて定期的にメールする。


 それまでもっぱらパソコン用に使われていたスチールの机がオティアの席としてあてがわれた。
 電話も二つに増やされて、うち一つがオティアのデスクの上に乗っている。

 しかしながらディフが退院して事務所を再開してから、かかってくる電話ときたら判で押したみたいに同じものばかりで。

「はい、マクラウド探偵事務所」
「よう、マックス、生きてたか? ……あれ、声が違うな。君、誰?」

 なるほど、電話番が必要なはずだと納得した。空いてる時間は好きにしていていいと言われているので、本棚に並んだ本を手当たり次第に読み漁る。
 レオンとは微妙に蔵書の種類が違っていた。

 今もそのうちの一冊を読みふけっていると、電話が鳴った。発信者は『CSI:エリック』。どっかで聞いたような名前だな、と思いつつ受話器をとる。

「はい、マクラウド探偵事務所」
「ハロー、シスコ市警のエリック・スヴェンソンって言いますけど。センパイ…所長はいますか?」

 若い男の声だった。少しばかりRが内にこもる感じの独特の発音で、こころもち濁音のアクセントが強いが声そのものは滑らかで聞き取りやすい。

「所長は外出中です。ご用件は…お急ぎですか?」
「んー、たぶんね。この間頼まれていた分析結果があがったって、伝えといてもらえます? そう言えばわかるから」
「了解」
「ありがとう。それじゃ」

 これは急いだ方が良さそうだ。すぐにメールした。
 折り返し返事が来る。文面はひとこと「Thanks」。
 携帯を閉じて、また本を読み始める。いくらもたたないうちに再び電話が鳴った。

 発信者表示は「マクラウド:テキサス」。

(マクラウド……ディフの親戚か?)

 少しためらってから電話をとると、朗らかではきはきした中年の女性の声が流れ出した。

「ハロー、ディー? 留守電山のように入れたはずなのにちっとも返事くれないってどう言うこと?」
「え。あの、すいません」
「あら? あなた……誰?」

 ディー…ディフォレスト……ディフか。

「ディーにしてはずいぶん高くてきれいな声だし。レオンでもないわよね?」
「俺は……………バイトです。最近入りました」

 舌の奥をまさぐり、使い慣れない丁寧な言い回しをどうにかこうにか引っぱり出す。

「所長のお知り合い……いや、ご家族の方ですか」
「そんなに緊張しないでいいのよ。ええ、あの子の母親です。はじめまして」
「あ、はい。伝言をいれられたのは、ここじゃないですよね」
「ええ、自宅の留守電にね。ごめんなさいね、びっくりしたでしょ? そこの電話とるのってあの子かレオンどっちかだから、つい」

「……いえ、えっとそれじゃ、所長に……伝えておきます。今は出ているので」

 ついこの間までディフが入院していたのを、この人はもしかして知らないんだろうか。言わないほうがいいのかな。

「お願いね。ありがとう」
「はい」

 電話を切ってから、挨拶も名乗ることも忘れていたことに気づく。微妙に緊張していたらしい。
 これは……急ぎではないから、次の定時連絡で知らせればいい。

 それにしても。
 つい聞き流してしまったけど、何でレオンがここの電話をとるんだ?

 首をひねりながらドアの前に行き、開けた。
 銀色のトレイを捧げ持ったアレックスを従えてシエンが入ってきた。目の前で急に開いたドアに驚きもせず。目くばせさえすることもなく。

「すぐさまお茶の仕度をいたします。しばしお待ちを」

 勝手知ったると言った様子でアレックスは奥のキッチンへと入って行く。双子は並んでソファに腰かけた。

「ディフのお袋さんから電話があった」
「テキサスの? どんな人だった」
「マイペース」
「……そうなんだ」


 ※ ※ ※ ※



「お茶が入りましたよ」

 甘さを控えたフルーツタルトをひとくち食べると、シエンはぽわっと顔をほころばせた。

「美味しい! アレックス上手だね」
「お気に召して何よりです。よろしければレシピをお教えしましょうか?」
「……うん。俺も作ってみたい」

 オティアは言葉少なにフォークを動かし、黙々とタルトを口に運んでいる。

(ああ……レオンさまのお小さい頃を思い出す)

 金髪の双子を見守りながら、アレックスは秘かに胸を熱くしていた。
 ちらとも表情には出さず、あくまで秘かに、ひっそりと。

(レオンさまが男性に心奪われた日以来あきらめていたが、まさかこんな日が来ようとは……)

 もしも今、事務所に入って来る者がいたら、きっと戸惑うことだろう。
 探偵事務所に来たはずなのに、他所様の家のリビングに入り込んだような錯覚にとらわれて。

 金髪の双子に従う実直そうな執事。
 古い映画か本の中から切りとられたような、真昼のオフィスビルの一角にはおよそ似つかわしくない光景を目にして。


 ※  ※  ※  ※

 その後、事務所に戻ってきた所長に有能少年助手はきっぱりと言い渡した。

「留守電ぐらい確認しろよ」
「……すまん、気をつける」

 こまごまとした用事をすませてから、ディフは時計を確認し、小さくうなずいた。

「少し早いが今日はこれで上がりにしよう。一カ所外に寄って、それから直帰だ」

 オティアがうなずく。

「一緒に来てくれ」
「どこへ?」


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