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ローゼンベルク家の食卓

【3-10-4】写真、とってもいいかな

2008/04/26 1:00 三話十海
 シエンのおかげでだいぶ部屋は人間の住処らしくなったのだが、さすがに一日では終わらなかった。

「また来て……いい? 最後まできちんとやりたいんだ」

 ためらいながら。ありったけの勇気をふりしぼって言われた一言に、来るな、なんて言えるはずがない。
 結局、それからもパステルグリーンのストライプのエプロンはちょこまかと俺の部屋を飛び回り。
 そのたびに、魔窟に戻りかけた部屋が再び人間の住処にリカバーする。

 一番の大仕事を上げて、少し余裕も出てきたし。世話になりっぱなしってのもアレだよな。
 そう思ってある日、声をかけてみた。

「シエン、シエン」
「なあに?」
「…秘蔵の写真見せてやるよ」

 ちょいちょいと手招きしてパソコンの前に呼び寄せる。


「ほら、これ」

 写真管理ソフトを呼び出し、目当ての一枚にカーソルを当ててかちっとクリックする。縦長の小さめの写真が表示された。

「………ディフ?」

 そう、確かにディフだ。
 真っ赤な顔をして、クマのぬいぐるみを抱えてうつぶせになって、ソファで幸せそうな顔をして眠っている。

「そこに手だけレオンが写ってる」
「えっと……寝てるとこにどうやって……?」
「ディフの部屋に集まって、三人で飲んだ時の写真なんだ。夜中にディフが寝ぼけて『俺のクマどこ?』とか言い出してさ…」
「クマ……あ、これ病院に置いてあった、あれ?」
「そう、あれ」


 ※ ※ ※ ※

 こいつを写したのは去年。ジーノ&ローゼンベルク法律事務所の設立祝いをやろうってんで3人で飲んだのだ。
 オフィシャルなのは既にきちんと済ませてあったから、あくまでプライベートに気楽に。

 レオンがとっておきの高い酒を出してきて、飲み始めて……そして誰も止めなかった。
 お互いに。
 実際、あの時はまだ双子が来る前だったから、大人ばっかり三人の気安さもあり、かなり飲んでいた。
 俺もそこそこ酒は飲むが、この二人にはさすがに敵わない。とくにレオンはほとんどザルだ。
 それでも、水割りを作ったり、氷を用意したり、つまみを作ったりしていた分、ほんの少しだけレオンとディフより飲むペースがゆるかった。

 真っ先にディフがソファで寝息をたてはじめたと思ったら、しばらくしてむくっと起きあがった。

『俺のクマどこ?』
『はいはい』

 こっちもルームメイトやってたから今さら驚きゃしないけど、レオンがさっさと寝室からクマもって出てきた時はさすがだと感心してしまった。

『なーんだ、お前、その寝ぼけぐせまだ治ってなかったのかー』

 そこそこ飲んでたから気も大きくなってたんだろう。
 携帯のカメラで思わずカシャっとやっちまったんだな。
 写真を撮られた、と気づくとレオンはゆっくりと首を回して、こっちを見て、一言。

『消せ』

 目がすわっていた。従わなきゃこっちが消されそうな迫力だった。

『わーっかりましたよ。ったく心が狭いなあ、姫は……ほら、消しましたよ』

 素面の俺なら絶対に素直に消していたところだが、何度も言うがこの時は酔って気が大きくなっていて……つい、出来心で消す前にこっそり自分のパソコンにメールした。

 こっちも酔っぱらいならあっちも酔っぱらい。素面の時なら絶対、送信記録をチェックしただろうが、酒に強いはずのレオンもしたたか飲んでいた。
 消せ、と言った時点で既に寝かかっていたらしい。
 そのままディフの隣に添い寝してすーすー寝息を立て始めたもんだから、俺はベッドから毛布をとってきて二人にばさっとかけて。
 そこで力つきて、床で寝た。眼鏡だけはしっかり外して。

 そして翌朝。レオンも俺も(熟睡してたディフは言うに及ばず)きれいさっぱり写真のことなんか忘れていたんだが、自分の部屋に戻ってパソコンのメールをチェックしたら、届いていたんだな。

 ばれたら金門橋の下に沈められそうな、この危険なブツが。


 ※ ※ ※ ※


「そんなことやっちゃったの?」
「そう、やっちゃったの。怖いよー酒の勢いってー」

 貴重な一枚を、シエンは首をかしげてしみじみ見つめてちょこん、と首をかしげた。

「可愛い……のかな?」
「レオンはそう言ってる。俺は笑えるから撮っといた」


 ぱちぱちとまばたきすると、シエンは小さくうなずいて、ほほ笑んだ。

「うん……可愛いかも」

 緑の芝生に花開くデイジー……ちっちゃな白い花が咲いたような笑顔だった。

「…いい顔してる」
「ん?」
「写真、撮って…いいかな」
「うん」
「ちょっと待ってろ」

 取材用のデジカメに手を伸ばしかけて、ちょっと迷って、一眼レフに手を伸ばす。
 親父のお古でもらったカメラだ。手間はかかるが、一番手に馴染んでいる。

 窓のブラインドを調節して光の加減を調整する。
 ソファに座るシエンと向かい合わせで腰かけて、話しかけながらシャッターを切った。

 俺が写真に興味があるらしいと知った親父がこれをくれた。使い方も教えてくれた。
 最初に写したのは二人の里親……親父とお袋だった。少しピンのボケた写真は花模様の陶器の写真立てに納められ、5歳から18歳まで世話になったあの家の居間に大切に飾られている。

 大切なものや、忘れたくない風景は全てこのカメラで写してきた。
 いつか、オティアの写真もこいつで写してみたいと思うんだが……許してもらえるだろうか。

 …………無理だろうな。

 あいつは写真を嫌っている。
 大人の身勝手な欲情を掻き立てるため、何度もレンズの前で陵辱された。その凄まじい経験が傷となり、まだ深く尾を引いている。

 うっかり、オティアの写真をなにげなく携帯のカメラで写してしまったことがある。
 寒気のしそうな目でにらんできて。凄みのある声で、『消せ』と言われた。
 自分の迂闊さを呪いながら、素直に消すしかなかった。


「現像したら、届けようか?」
「ううん。いい。見つかったら、困る」

「そうか……お前の写真も、ダメか」


 寂しそうにうなずく、その顔も写してみる。


「いろんなことが……あったし。いろんな場所に行ったけど……こんな優しくしてもらったこと、はじめてだな」
「まだ……触られるの…怖い、かな」
「……突然じゃなければ……平気、かな」
「そっか……」

 ゆっくりと手を伸ばして髪の毛に触れる。シエンは戸惑ったような表情を浮かべてこっちを見上げてきた。

「その……ほんとはこう言う時…抱きしめたいんだけど…」
「うん……」
「抱きしめて、頭なでて……。俺の基準だと、そうなんだ。でも、押し付けたらシエン。お前を傷つけてしまいそうで、だから」


 そっと髪の毛に触れるか触れないかの手つきでなでる。少しくすんだ金色の髪が、指先をすり抜けて行く。
 この子を傷つけたくない。
 この世に誰一人血のつながった家族を持たない俺だけど、シエンは弟みたいで……大切に守りたいと思った。
 本当の兄弟であるオティアには、到底かなわないけれど。
 
「……ありがと……」

 涙声だ。参ったな、泣かせるつもりはないのに。箱ティッシュを差し出し、わざと明るい声で言った。

「目が赤いよ。兎みたいだ。ほら、これで」


 さし出した箱ティッシュをすり抜けて、抱きついてきた。

「っシエン……?」

 箱が落ちる。
 むき出しの木の床の上に転がり、乾いた音を立てた。

 腕の中に、彼がいる。細い肩が震えている。
 子どもって、こんなに体温高いんだ。こんなに……華奢なんだ。

 ためらってから、そろーっと背中に手を回す。しがみつく腕に力がこもり、ぴったりと体を寄せて。
 胸に顔をうずめてきた。
 黙って髪の毛をなでおろし、そのまま背中をなでる。手のひらを通じてシエンの鼓動が伝わって来る。

 早い。

(これは………)
(まさか………)
(もしかして)

 そう、なのか、シエン?
 俺みたいな男を。
 
 どうして振り払うことができるだろう。一途に向けられた想いを。すがりつく手を。

 そのまま、しばらく背中をなでていた。

「も……大丈夫」

 やがてシエンは深く呼吸をすると、離れて行った。ちょっと恥ずかしそうにうつむいて。
 腕の中が、ひやりとした。二人分の体温が重なってたんだものな。
 いったい何日……いや、何ヶ月ぶりだろう。
 あんな風に、誰かと触れあったのは。

「鼻かんどけよ?」

 冗談めかしてティッシュの箱を拾い上げ、さし出した。
 うつむいたまま、受けとってくれた。

「そうだ、いいものがあった!」

 空気を変えよう。このままじゃいけない。

「ジャスミンティー。お前、好きだったろ? 中華街の知り合いからもらったんだ」

 キッチンに行き、お湯を沸かす。
 マグカップを二つ取り出した。
 お茶を入れている間、背後で顔をふいたり、ちーんと鼻をかむ音が聞こえる。

「……お待たせ」
「ん……いい香り……」

 少しぬるめに入れたジャスミンティー。湯気の立つお茶の香りをたっぷり吸い込んで、シエンはしみじみと目をとじた。
 鼻の頭がまだ少し、赤い。

「美味しい」
「そっか。けっこういいお茶なんだ、それ」

「ね、ヒウェル」
「何だ?」
「写真……」
「ん?」
「できたら、みせて、ね」
「………ああ。見てくれ、ぜひモデルの感想も聞きたい」


 小さく頷いた。


 そのまま向かい合って、二人で静かにお茶を飲んだ。


 飲み終わってから、シエンはしみじみとマグカップを見つめていた。
 赤いグリフォン………正しくはドラゴンだってわかっちゃいるんだが。やっぱり俺の意識の中ではグリフォンなんだよ。
 子どもの時からずーっと思ってたことを今さら変えられるかってんだ。

「それ、やるよ」
「ほんと? いいの?」
「うん………掃除と、洗濯のお礼っちゃ何だけど」
「ありがとう!」

 シエンはよく笑う。オティアに比べればって程度だが……。
 それでも、今、目の前で咲くほほ笑みに比べたら。

 初めて知った。この子が本当に、心の底から嬉しそうに笑う時ってのはこう言う顔をするんだって。


 ※ ※ ※ ※

 
 シエンは大事にカップを抱えて部屋に戻った。
 赤いグリフォンの模様。ヒウェルのライターと同じ。ヒウェルからもらった。

「ただいまー」

 キッチンで嬉しそうにカップを洗うシエンの姿を、オティアがじっと見ていた。

 また、ヒウェルの部屋に行ったのか。

 イライラする。
 胸の奥がチクチクする。刺草を一株、まるごと飲み込んだような気分だ。

 一回はもう止めた。
 ヒウェルが三日間の出入り禁止を食らった時、夕食を届けようとするシエンに『甘やかすな』と言った。
 あの時はシエンも思いとどまった。

 忘れてるはずはないのに。それでも、まだやってるんだから……もう止めてもしょうがない。

 黙ってオティアはシエンに背を向けて、部屋に戻った。



(赤いグリフォン前編/了)


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