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ローゼンベルク家の食卓

【3-10-3】シエン、魔窟に挑む

2008/04/26 0:58 三話十海
 一通り洗濯を負えてからレオンの部屋に戻り、洗いあがったシーツと枕カバー、その他もろもろを片っ端から干しまくっていると……携帯が鳴った。
 ヒウェルからだ。
 相変わらず別世界から響いてくるみたいな声で『資料を貸してくれ〜〜〜』と囁いてきた。
 あいつ、相当へばってるな。ここんとこロクに飯も食べに来ないでひたすら部屋にこもって仕事をしている。

 確か、今やってるのはどこぞの有名な作家のゴーストライターだったか? とにかく〆切りがどうしても動かせない大口の仕事だとか。
 作家先生がやたらとダメ出ししやがるんで時間がかかるとか、さんざん愚痴っていやがったが、だからって甘やかすつもりは毛頭ない。

「取りにこい。何、手が離せない? 俺もだ!」

 隣で洗濯物を干していたシエンが手を止めて、ちょこんと首をかしげてこっちを見上げてきた。

「俺が届けようか?」
「すまん。頼めるかな」

 こう言う用事は、オティアに頼む訳には、いかない。
 一旦自分の部屋に戻ると、書庫から必要な資料を抜き出し、シエンに手渡した。


 ※ ※ ※ ※


 ディフから渡された資料を抱えてエレベーターに乗り、下に降りる。
 ヒウェルの部屋まで来てから、エプロンをつけたままだったことに気づいた。

 いいよね、すぐ戻るんだから。

 細かいストライプのエプロン、色は白地に明るい緑。オティアのは青、ディフの深緑のストライプで三人おそろい。だけど滅多にオティアは使わない。
 呼び鈴を押すと、ドアの向こうでガサゴソと何かの動く気配がして扉が開き、ぬーっとヒウェルが顔を出した。
 髪の毛はぼさぼさで服はよれよれ、目の下にはうっすら隈が浮いている。

「……よぉ、シエン」
「あ……えっと……」
「…入れよ、立ち話もアレだし」
「……うん」


 部屋の中はGの発生する至る所に書類ファイルや雑誌、ハードカバー、ペーパーバック、その他ありとあらゆる種類の書籍とCD-ROMが積み重なっている。
 その他にもチョコの空き袋とか缶ビールの空き缶が散乱し、灰皿には吸い殻が山盛り。ソファの背には何やら白っぽい、幽霊の抜け殻みたいなものが折り重なっている。ぎょっとしたけれど、よく見てみら脱ぎ捨てたシャツだった。

 どこからかチリビーンズの腐ったようなにおいが漂って来る。
 キッチンだ。
 コーヒーメーカーの中では粘つくどす黒い液体が煮え立ち、シンクには汚れた食器が山積みになってる。
 こんなにいいお天気の日なのに、カーテンをしめきった部屋の奥ではパソコンのモニターだけがこうこうと光っていた。

「これ……」

 ファイルさし出すと、受けとった。

「ん……わざわざすまんね。コーヒーでも飲んでくか?」
「あ……うん」

 ヒウェルはコーヒーメーカーの中でどろどろに煮詰まっていたのを捨てて、コーヒーを入れ直してくれた。

「あ……あのさ」
「ん?」
「その……」
「あ、ミルク入れるか?」
「え、うん。ちょっと」

 冷蔵庫から紙パックを出して、ちょっと中味を見て、顔をしかめている。

「……粉末のでいいかな……」
「……このままでいい」
「そっか……」
「そ、それでさ」

 薄暗い部屋の中を見回す。空気がよどんでる。いつから掃除してないのかな。
 って言うかヒウェル、ちゃんとご飯食べてるんだろうか?

「うん?」
「最近、忙しそうだけど……」
「ああ…こないだの事件な。真相追いかけるのに夢中になってたら…肝心の原稿書く時間が削れて……」
「部屋に誰かいたりすると……集中できない……かな?」
「いや。一度書き始めるとそっちに入れ込むタチだから」

 もしゃっと髪の毛をかきあげると、かすかに笑った。

「耳元で大砲ぶっぱなされても気づかないだろって、よくディフに言われてる」
「俺……ここに……居てもいい?」
「……いいけど……その……」

 部屋の中を見回すと、小さな声で言った。

「ちょっとちらかってるけど、それでもかまわないなら」
「うん掃除するから」
「………………………………」

 もわっとヒウェルの顔が赤くなる。
 なんだか、ちょっと、可愛い、かもしれない。

「ありがとう」



 そして、ゾンビ状態になって原稿と格闘するヒウェルの後ろを、パステルグリーンのストライプのエプロンがちょこまか動き出す。

 本は本棚に。雑誌は積み上げて。
 捨ててよさそうなものは全部まとめてゴミにして。
 積み上げられた本を片付けると、下からころころと丸まった靴下が転がり出した。ソファの背に積み重なったシャツともども洗濯機へ。
 
 窓の周囲にたい積していた物を避けてカーテンを開け、窓を開けて空気を入れ替えた。

 積み重なったあれやこれやを片付けていると、次第に壁が現れた。フレームに入った写真が何枚も飾られている。
 赤、青、黄色……虹のように色鮮やかな旗のひらめく、パレードの写真。ちらっと見たけれど歩いてるのはみんな男の人。ものすごく派手な衣装を着てる。……赤やピンクの羽飾りを着けたり、ふかふかの毛皮みたいなものを巻いた人もいる。

 海にかかる大きな赤い橋。画面一面を覆い尽くす、白に近い薄いピンクの花。赤と黄色の漢字の看板の並んだ、赤い色の多い町。坂を登るケーブルカー。
 港に浮かぶヨット、その隣のカモメ。
 たぶんサンフランシスコの写真だ。本や看板、広告のチラシで見たことがあるけれど、どの写真とも少し違う。あれが遠くから見た『綺麗な写真』なら、これはもう一歩近づいて、その場所にいる人の目を通した風景だ。
 その場所の空気やにおい、海水の湿り気までを一枚の画像の中に封じこめようとしてる。

 これ、もしかしてヒウェルが写したのかな。

(サンフランシスコの街は、ヒウェルにはこんな風に見えてるんだ……)

 本棚を整理していたら、写真立てに入った写真を発掘した。
 自分と同じくらいの年頃の男の子が三人、並んで写っている。
 
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illustrated by Kasuri

 明るい茶色の髪の毛にかっ色の瞳の子。きちんとした服を着て、ネクタイをしめて。まつ毛はふさふさ、整った顔立ちはまるで陶器の人形みたいで……すごくきれいだ。
 その隣の赤毛の子はもっとがっちりした体つきで、顔にはうっすらそばかすが散っている。
 少しだけ離れてもう一人、黒髪の眼鏡をかけた男の子。
 くりくりした琥珀色の瞳は、リスみたい。すんなりした体つきで女の子みたいに可愛い。ちょっとだけ着せ替え人形を思い出した。
 
 始めて見るのに、何となくよく知ってるような気がする。
 もう一度、じーっと見る。しみじみ見る。

「あ」

 この眼鏡の男の子……ヒウェルだ!
 それじゃあ、あとの二人は、レオンとディフ?

(あの三人、この頃から一緒だったんだ)

 さっと表面をふいて、よく見える場所に飾り直した。下の棚からもう一枚、同じような写真立てを発見する。
 こっちはすぐにわかった。
 ディフだ。
 今より髪の毛が短いし、笑っていてもどこか目つきに鋭さがある。
 でも、確かにディフだ。

acoty2.jpg

 めずらしくきちんと衿のあるシャツを着て、ネクタイをしめて、黒い上着を着ている。でも、下は……これ……

(スカート?)

 女子学生がはくような、赤いチェックのスカート。白いハイソックスに黒い革靴、足首には細い革ひもをきゅっと巻いている。
 肩に巻いたストールはスカートと同じ赤いタータンチェック。

 同じような服装をした年上の男の人と話している。とても楽しそうだ。
 ディフのお父さんかな。
 何となくそんな感じがした。


 ※ ※ ※ ※


 やがておぞましき魔窟に光が差し込み始めた。

「……あれ?」

 一区切りまで書き終えたヒウェルは大きくのびをして……始めて周囲の明るさに気づき、目を丸くした。

「わ…なんか久しぶりに洗濯機の動く音聞いた」
「……その服……もしかして何日か着てる?」

 シエンに言われて、ヒウェルはくんくんとにおいをかいでみた。

「……まだ大丈夫だよ冬だからそんなに汗かかないし」

 ぱたぱたとシエンは奥に走って行き、新しいシャツとズボンを抱えて持ってきた。
 クローゼットなんか開けるまでもなかった。
 クリーニング屋から持ち帰ったのが、そのまま放り出してあったのだ。

「着替えて」
「今?」

 バスルームの方で声がする。

「これ終わったらもっかい洗濯機まわすからー」
「……はーい」

 素直に脱いで着替えた。
 しばらくするとシエンは戻って来て、脱いだ服を回収していった。

「もらってくねー」
「お手数かけます」

 見送ってから、はたと我に返った。

「……俺、何、他人にこんなに自分の持ち物触らせてんだ?」
「えー?」
「いや、何でもない!」
「はーい」

 何っつーはずんだ声。すごく楽しそうじゃないか。

「ってか……何でシエン、俺の部屋の掃除してんるんだ?」

 軽くパニックに陥る。

 えーっと、確か仕事中にシエンが資料届けてくれて、コーヒー飲んでくか、つったら何故かここに居ていいかとか言い出して。
 うんと言ったら掃除したいって………。

(あ。俺が言ったのか)



 ※ ※ ※ ※


 ひと仕事終えてからディフは時計を見た。
 あれから1時間近く経っているのにシエンがまだ戻ってこない。
 まさか同じマンションの下のフロアに行く途中で迷子になったとも思えないが……。

 レオンの部屋を出て、エレベーターに向かいながらふと思う。

(俺もしかして、過保護かな)

 ほのかに苦笑いを浮かべながらヒウェルの部屋に行き、呼び鈴を鳴らす。ドアが開くと同時に切り出した。

「おい……シエン、来たろう?」
「あ、ディフ」

 途中で言葉が止まる。ドアを開けたのがシエン本人だったのだ。

「何やってんだ」
「掃除」

 言われて、改めて見回すと……部屋をまちがえたかと思うほど見事な変わりようで。しかも、カーテンが開けられ、日光がさしている!

「これ、全部お前が?」
「うん」
「部屋の物勝手にいじるなとか、放っておけとか…言われなかったか?」
「別に。ヒウェル仕事してるから声かけても気づかないし」
「ああ、耳元で大砲ぶっ放しても気づかない…けどな…」
「……あごめんおつかいの途中だった。」
「あ、いや、いいんだ、そうじゃなくて」
「?」

 ちょこん、とシエンが首かしげる。小鳥みたいに。

「あいつ自分の部屋、人にいじられるの苦手だったはずだから…ちょっと驚いた」
「そう……なの?」

 不安そうにちらっとデスクの方をうかがっている。

「ヒウェルがいいって言うならOKだってことだから、安心しろ。あいつ、そのへんはハッキリしてるから」
「うん……」
「この部屋こんなに広かったんだなあ……」

 ぐるりと見回し、ディフは本棚に飾られた写真立てに気づいた。高校の時の写真だ。
 手に取ってしみじみ見る。
 レオンが卒業する前に、記念に写したものだ。ヒウェルが親父さんからもらったお古の一眼レフで。
 最後にセルフタイマーで三人一緒に撮った一枚だろう。

 何食わぬ顔して写ってるが、ヒウェルがフレームに入ってきたのはけっこうぎりぎりのタイミングだったっけ。

「懐かしいな……」

 戻した時、隣のもう一枚に気づいた。

「うおっ」

 ぎょっとして目をむく。ひと目みた瞬間、ぶわっとアドレナリンがふき出した。

(あいつ、こんなのまで飾ってやがったのかーっ!)

 ふと視線を感じてとなりを見る。シエンが興味津々といった表情でじーっと見入っている。

「……隣にいるの、ディフのお父さん?」

 ほっとして答える。

「いや。これは、警官時代の上司だよ。爆発物処理班のチーフだ。すごく世話になった」
「そっか。それで……どうして二人ともスカートはいてるの?」

 ああ。やっぱりそう来たか。

「いや、これは、スカートじゃないから」
「きゅろっと?」
「違うっ! キルトつってスコットランドの民族衣装なんだ」

 あわてて説明した。

「スコットランド系の人間が集まるスコティッシュナイトっつーイベントがあってだね……そん時、あいつが取材に来てて。しっかり写してやがったんだ」

 ぬうっとヒウェルが後ろから顔を突き出した。楽しそうに、にやにやしている。

「いやーお前さんのミニスカ姿なんざ、滅多に見られるもんじゃないからねえ」
「スコット……ランド……ってどこ?」
「……おいで、シエン」

 手招きするヒウェルの後をシエンはとことこと着いて行く。

「ここに座って」
「うん」

 デスク前の椅子に座り、パソコンをのぞきこむ。レオンの所で使っているのとはちょっと違う。ディフのとも。画面の左上に青いリンゴのマークがあった。右側が、だれかがかじったみたいにちょっと欠けている。

 ヒウェルがかちかちとマウスを動かすと、画面の上に地図が映し出された。

「ここが俺らの今いるアメリカで、こっちが……スコットランドだ。ディフのじーさんのじーさんのそのまたじーさん…あたりはこの国からアメリカにやってきた」
「んっと……イギリス?」
「の、隣ってとこかな」
「半端な説明してんじゃねえ! スコットランドとイングランドは別の国だぞ、サッカーだって国際試合扱いで」
「はいはい……わかったわかった」
「??」

 きょとんとしてシエンは首をかしげた。

「まあ、あれだな。カナダと合衆国みたいなもんだ」
「全然違う!」
「はいはい…」

(あー、もう、こだわるなあ、スコティッシュ……まあ、先祖を敬うためならハギス食ってミニスカも履く男だしな)

「イギリスってのは、四つの国で構成された連合国なんだよ。イングランド、スコットランド、アイルランド、そしてウェールズ」
「最後の一つだけちょっと名前が違うね。ランドがつかない」
「個性的だろ?」

 またマウスをかちかちと動かす。イギリスの二つの大きな島のうち、右側の方のカーブの内側、左下の部分が赤く表示された。

「俺の先祖はここから来たんだ。これが国旗」

 画面の上に上半分が白、下半分が緑色の旗が表れる。旗の中央には、大きく赤い、翼の生えた四つ足の生き物が描かれていた。

「おもしろい動物だね。それとも鳥?」
「グリフォンだよ。動物って言うか……まあ想像上の生き物だな。こいつはウェールズの象徴なんだ」

 ヒウェルはポケットから銀色のオイルライターを取り出した。

「あ」
「ほら、ここに描いてあるのもそうだ」
「そうだったんだ……」
「なあ、ヒウェル。前から言おうと思ってたんだけどそれ……」

 ぼそりとディフが言った。

「グリフォンじゃなくて、ドラゴン」
「………………………………………………マジかっ?」

 ヒウェルは慌ててウェールズのWikiペディアを呼び出し、確認した。

ウェールズはケルト文化の伝統を残している。その一つであるといわれる赤い竜は、ウェールズのシンボルとなり、ウェールズの国旗(イギリスの国旗には含まれていない)にもなっている。スポーツなどでは、その国民性、民族性を示す「ドラゴン=ハート(精神)の国」として知られている。

--出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』--
 赤い竜。
 何度読み返しても赤い竜。
 しかもだめ押しでしっかり「ドラゴン=ハート」とまで書かれている。

「ほんとだ……」
「何を根拠にグリフォンだと信じてたんだ」
「これだよ。この本!」

 本棚から抜き出し、ばさっと放り出された小説のタイトルは「オオブタクサの呪い」。
 表紙では、ふとっちょのグリフォンが上機嫌でパイプをふかしている。
 著者の名前はシャーロット・マクラウド

「あ、ディフと同じ名前」
「ええい、かくなる上は、血筋の者の責任はお前がとれ!」
「何、理不尽なこと口走ってやがる! 記者ならまず裏をとっとけ!」

 大人げない大人二人が喧々囂々やってる間、シエンはじーっとウェールズのHPに見入っていた。

(ここが、ヒウェルの先祖の国なんだ……)


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