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ローゼンベルク家の食卓

【3-9-5】所長、仕事しろ

2008/04/18 21:36 三話十海
 ドアが閉まった瞬間、小さなため息が漏れた。
 やれやれ、やっと帰ったか、あのバカが。

 三日間の出入り禁止は昨日で終わり。今日の夕食の時間になれば嫌でもあいつと顔を合わせなければいけない。

 どうかしてる。
 
 他人なんか居ても居なくても同じだ。簡単に存在を自分の意識から抹消できる。
 それなのに、何だってあいつを。あいつなんかを、わざわざ意識して『無視』しなきゃいけないんだ?

 おそらく自分が一言「来るな」と言えば、あいつは三日どころか二度と部屋には顔を出さないだろう。だが、何故かシエンの顔が……どこか悲しそうな顔がちらついて、できない。

 ……いいや。もうあいつの事を考えるのすら面倒くさい。
 もう一度ため息をつくと、オティアは目の前の仕事に集中しようとした。

(踏みにじられるのは慣れている。別にあの男が初めてじゃない)


 ※  ※  ※  ※


「……ん?」

 書類の整理をしていてふと行きづまる。
 ずっとこの事務所はディフが一人で切り盛りしていた。
 だから報告書や業務記録に何カ所か、彼にしか分らない独自の略号や記述がある。

「なぁ、ディフ、これって……」

 一度、聞けばすぐ覚えるが、今みたいに初めて見つけた暗号は本人に聞くしかない。

「…………」

 返事がない。
 珍しいな。
 顔を上げて、所長のデスクに目を向ける。
 じっとパソコンに見入っているが、手がとまっている。しかも顔全体がゆるみきってる。
 頬杖をついて、目を和ませて、ティーンエイジャーみたいにうっすら頬まで染めてやがる。

「……………………………ふふっ」

 笑った。


「……顔がキモくなってるぞ」
「……んー」

 かろうじて返事はあった。でも相変わらず目は画面に釘付け、手は止まったまま。
 まさかと思うがネットでエロサイトでも見てるんじゃあるまいな?
 さらに30分ほど放置してみる。
 スクリーンセイバーが作動するたびに、トラックパッドをちょんとつついてまた壁紙を表示する。
 しかし一向に仕事に戻る気配はない。

「…………やっぱり美人だよな」

 ぴくっと片眉が跳ね上がる。
 こいつがこんな台詞吐く相手はこの世にただ一人しか居やしない。
 新聞を手に立ち上がり、背後に回るが、気づきゃしない。
 パソコンの画面をのぞきこむと、予想通りレオンがほほ笑んでいた。

 新聞紙をくるくるとまるめて棒にする。
 いつものディフならとっくに気配を察して反応してるはずだが……画面を見てしきりにうなずいている。
 いっそ不意打ちしてやろうかとも思ったが、棒状にした新聞紙を肩にかついでひとこと言ってやった。

「あんたほんっとーにレオンの嫁だよな」
「誰が嫁だっ」

 すぱーん!
 事務所の中に景気良く軽い炸裂音が響いた。

「痛ぇっ! 何しやがるっ!」

 柄の悪さ全開で歯をむき出してうなる所長に、冷めた一言でぐさりと切り込む。

「仕事しろバカ」
「……………………………………………すまん」

 背中丸めてうなだれた。まるで叱られた犬だな。さっきの勢いは欠片もない。どうやら、大人げないマネをした自覚はあるらしい。
 さっと手を伸ばし、ちゃっちゃと危険な壁紙を外して無機質な青い画面に戻す。

 するべき事を終えると書類を差し出し、本来の用事をさらりと告げた。

「これ、どう言う意味なんだ?」
「ああ……こっちが依頼受けた日で、これが調査の終わった日付だ」
「それは分る。このDisってのは?」
「discontinuation(継続中止)」
「……わかった」

 そして何事もなかったように仕事に戻った。

「……何でレオンになってたんだ……」

 ディフが首をひねってる。

(あのバカがやったに決まってるだろう)

 思ったが、口には出さなかった。


 ※  ※  ※  ※


 お茶の時間になって、上の法律事務所からシエンとアレックスが降りてきた。
 仕度を整えると、アレックスはうやうやしく一礼して。一足先に上に戻って行った。

 いつものように三人でテーブルを囲み、いつものように、おだやかなひと時が過ぎて行く。

(……変だな)

 ディフはわずかな違和感を感じていた。
 いつもと同じ様にほほ笑んでいるけれど、ふとした瞬間に見せる、あの不安そうな顔は何だ?
 伏し目がちに紫の瞳が見つめる先には、無言でお茶を飲むオティアの姿。
 目線すら合わせようとしない。
 よくあることだ。
 それでもちゃんと通じ合っている。知ってはいるが、今日は何だか胸の奥がざわり、と波打った。

 思い切って、シエンが帰るまぎわに声をかけてみた。

「どうした、シエン。浮かない顔だな」
「……そんなことないよ。じゃあ、戻るね」

 笑って手を振って帰って行くシエンにそれ以上何も言えず、ディフも黙って手を振った。

「………何も……ないわけないだろ……」

 見送ってから小さな声でつぶやくがオティアからはノーコメント。
 沈黙のうちに言われた気がした。『あんたには関係ない』『必要以上に関わんな』と。

 小さくため息をつくと、ディフは仕事に戻った。


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