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ローゼンベルク家の食卓

【3-9-6】誰が“まま”だ!

2008/04/18 21:38 三話十海
 ドアの前でしばらく迷ってから深呼吸して入る。
 三日の出入り禁止は解けた。堂々と入って行けばいい。

「腹減った。今日の飯、何?」

 いつものように入って行くと、テーブルセッティングをしているオティアと顔を合わせた。焦るな。慌てるな。こいつがいつもやってることじゃないか。
 予測できた事態、それなのに何でこんなにうろたえるんだろう。


(何て言おう)
(何て言えばいいんだ)
(言っても、また無視されるんじゃないか? 事務所の時みたいに)

 さんざん迷ってから、結局出たのは平凡きわまりない挨拶の言葉だった。

「……よお」


 オティアは顔をあげて、こっちを見て、ちょっと眉をしかめて。横を向いて小さくため息をついた。


「くだんない報復はやめろよな」

 どうやら、昼間の壁紙のすり替えのことを言っているらしい。

「…ちょいと殺風景なデスクトップを模様替えしてやっただけだ」


 それ以上はちらともこっちを見ないで黙々と作業を続ける。
 いいさ。
 こっちを見てくれた。話をしてくれた。それだけで、嬉しい。
 天使のハープが聞こえた気分だ……。

 キッチンからシエンがこっちを見ている。手をふって近づいた。

「……飯の心配してくれてありがとな」
「……ん」


 ※  ※  ※  ※


 キッチンの奥をのぞきこむと、ディフがいそいそと料理を盛りつけていた。
 エプロンつけて髪の毛をきゅっと一つにくくって、腕まくりして。左手首の頑丈な腕時計がすさまじく浮いて見える。

「お、いいにおい。ミートパイ? それともミートローフ?」
「……ミートローフだよ。何にやついてんだ」
「別に? 俺はいつもこーゆー顔ですよ?」
「そうだな」

 あっさり納得しやがった。それはそれでむかっとしたが、些細な事だ。
 テーブルに並べられた皿は四人分。だが料理はきっちり五人分。ってことはレオンは今日は帰りが遅いんだな。

「できたぞ。冷めないうちに、食え」

 四人で食卓を囲んだ。
 この四人って人数が……微妙だ。オティアは俺の方をろくに見ようともしないし。もちろん話しかけようともしない。
 いつも飯食ってる時はもの静かな奴だが、今日は格別。
 奴の周囲に目に見えない透明な壁が張り巡らされている。
 俺にだけ有効な、とんでもなく堅い壁が。

 ディフも気にしているのだろうが、あえて話を振ってきたりはしない。
 会話が成立しないまま、四人そろって黙々と皿の上のものを片付ける。

 不意にシエンが明るい声で言った。

「ぱぱ、遅いねー」

 ナチュラルにディフが答える。

「ああ遅いな」

 2秒ほど沈黙。
 目をぱちくりさせてから、素っ頓狂な声を出した。

「待て。レオンがぱぱなら、ままは誰だ?」

 一斉に視線が集中する。紫の瞳が2ペア。俺の目が1ペア。

「…………俺……か?」


 シエンがうなずいた。


「冗談だろ? こんなゴツいままがどこの世界に居るってんだ!」
「あー日本あたりにいるかもね、SHINGOママとか」
「どう見てもレオンの嫁」
「誰が嫁だ、誰がーっ」

 歯を剥いて怒鳴ってからディフは、ふと思い出したように言った。

「あ。お前それ昼間も言ったよな」

 しかしオティアさらりとスルー。シエンと顔を見合わせている。

「いつも仲良いよね」
「夫婦だし」

「誰が夫婦かっ」

 ちょこんと首をかしげて言ってやった。

「………自覚なかったんだ?」
「貴様ーーーーっ」
「そんなに怒らなくても……えっと…ごめんね?」
「謝ることないだろ事実なんだから」


「あ……いや……別に怒ってる訳じゃないから」
「よかったなあ、まま」
「貴様に言われたくはない!」

 そう、実際、ディフの奴は怒ると言うより明らかに恥ずかしがっていた。
 耳まで赤くして。左の首筋にくっきりと『薔薇の花びら』を浮び上がらせて。

(あーあ。ここにレオン本人が帰って来たらこいつ、どーなっちゃうんだろうねえ?)

 照れ隠しなんだろうか。ものすごい雑に切り分けたアップルパイをもってきて、だんっと食卓の真ん中に置いた。

「甘み足したい奴ぁシロップかけて食え!」
「いらん」

 がたん、とオティアが席を立った。

「気にしてんのか」
「……甘いのもリンゴ焼いたのも……苦手だ。」

 オティアは自分の分の皿を片付け、部屋に戻って行った。

 ディフが黙ってうつむく。事務所じゃ普通に会話してたのにな。何故かあの二人、家に帰ると途端に会話が続かなくなる。

「その……嘘じゃ、ないよ」
「……そうか。じゃ、オティアにはこっちのがいいかな」

 ころんとテーブルの上にちっちゃなリンゴが転がる。手の中にすっぽり収まるくらいのマッキントッシュ。
 アップルパイに使った残りだろうか。酸味の強い小粒のリンゴ。

「ありがと」
「お前は、平気か、これ?」
「うん………あ、でも」
「でも?」
「ちょっとだけ、シナモン、強い……かも」
「あー、それレオンの好みに合わせてあんだわ」
「そうなの?」
「うん。こいつのレシピって基本的にそうなんだよな。俺も同じこと前に指摘したんだけどさ。ぜってー聞かないの」
「そんなこともあったか」
「うわっ、記憶にすら残ってないし!」

 さっくりと俺の抗議を受け流してディフはシエンに向かってうなずいた。わずかに目元を和ませて、おだやかな声で。

「そうか。シナモンきつかったか。次は控えるよ」

「…………ありがと」

 自分の分を食べ終わるとシエンはさくさくとリンゴの皮をむき、部屋に持って行った。

「……それでさ、お前。嫁には過剰反応しても、ままは有りな訳?」
「…………………んー、それが、何って言うか、なあ……]

 エプロンを外して、今は白のシャツ一枚。まくっていた袖をもどしかけてはいるものの、袖口のボタンはまだ留めていない。
 襟元はいつものように上二つ開けている。
 どちらかと言えばワイルドな格好で、ディフは……桃の実の下半分にほんのり入った薄紅色みたいに頬を染めて。少しだけうつむいて、ぽそりと言った。

「むしろ、嬉しかった」

 よほど照れくさかったのか。言ってから、腕を持ち上げて髪の毛をわしわしと豪快にかき回して。
 顔をくしゃくしゃにして笑っている。

 一瞬、袖口からのぞく手首に目が引きつけられた。
 頑丈な腕時計(完全防水だ)を巻いた手。ついさっきまで惜しげもなく晒されていたが今は中途半端に白い袖に隠れている。
 袖口のスリットからのぞく腕の、内側の皮膚が妙に艶かしい……

 馬鹿な。どうかしてるぞ!

「うん……嬉しかったんだ、俺」

 頼む。そこで。そのタイミングで、目を伏せるな。

 思わず喉が鳴りそうになる。かと言ってここで目をそらせるのも不自然だ。余計に気まずい。

 ごついのに。
 大雑把なのに。
 何でそんなに色っぽいんだ、お前。

(絶対おかしい。いくら最近ご無沙汰だからって……今さら、こいつ見てどぎまぎしてどうするよっ?)

 頭を抱えたくなったその時、呼び鈴が鳴った。
 いそいそとディフが玄関に迎えに出る。

 よかった。『ぱぱ』のお帰りだ。
 一人になった隙に、こっそり深呼吸する。

(ああ、いい加減どっかで発散しないと俺、やばいかもしれない)


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