▼ 【3-9-7】“ぱぱ”の帰宅
「オティアと話したって?」
報告を聞くなり、レオンはまばたきして。小さく首をかしげて、言った。
「それはまた簡単に許したものだね」
「昼間は口もきいてくれなかったけど……夜は話せたから」
「もっと長引くと思ったんだがな」
「っ……おもしろがってませんよね、まさか?」
「うーん面白がっていていいならそうしたいところなんだが」
ああ、こいつってば、まつげはふさふさしてくりっとカールしていて、唇なんかキューピットの弓矢みたいで、まるで陶器の人形みたいで……とにかく、顔だけはきれいなくせに性格悪ぃんだからーっ!
「あの子はわからないな……」
「わからないから、知りたくなる」
レオンは秘かに思った。
最悪、ヒウェルが二度と来ないようにするか、双子がこの家を出ていくかの二択になる可能性もあったのにな、と。
しかしあえて今、そのことを口にしてヒウェルにとどめを刺す必要もないだろう。
「そうだ。二人に見てほしいものがあったんだ」
ヒウェルが上着のポケットから写真を二枚取り出し、テーブルの上に広げた。
「こっちがね…例の『撮影所』のスタッフの一人が腕に入れてたタトゥー。日付が入ってる。こっちは…シエンの居た工場でパクられたやつ。望遠で撮ったのを拡大したから荒れてるけど……」
並べた写真をこつこつとひょろ長い指先で叩く。
「どっちも同じだ。蠍の尻尾の蛇」
「同じグループということか」
「おそらく」
まずレオンが写真を手にとり、自分で見てからディフに渡す。
代わる代わる二枚の写真を見てから、ディフはテーブルの上に写真を並べ、タトゥーに入れられた日付を指さした。
「こいつは多分入団の日だな……最近出てきた『新しい連中』が好むやり方だ。古くからのマフィアなんかには、こう言う風習はない」
「マフィアは『紳士』だから?」
「ああ。新しいギャングは目に見える形で仲間の繋がりを求める。自分達に組織の後ろ盾があるってことを誇示したがるんだ」
「なるほど、タトゥー見せびらかしてにらみを利かすんだな。『俺にはバックがついているぜ』って」
「ああ。こいつを見れば、組織を知ってる相手はビビるからな。刑務所の中でも羽振りをきかせられるし……」
少しためらう気配がして、声のトーンが落とされる。
「警官の中には、いろいろと便宜を計る奴もいる」
『いろいろと』の部分はこころもち重く、若干の苦さを含んで響いた。
ヒウェルは思った。
なるほど、こいつもまったくの純真無垢って訳でもないのだ。仕事に関しては多少の泥水もくぐっているらしい。
それでも心の底では人の善き魂を信じてしまう。信じようとする。それがディフの甘さであり、強さでもある。
(百回生まれ変わっても俺には無理だ、絶対に)
「警官時代に逮捕した連中の中にも、こいつを入れてる奴がいた。腕だったり胸だったり背中だったり、場所はばらばらだけどな。モチーフは同じだった」
「ふむ……その古い事件もあたってみよう。何かわかるかもしれない」
「お願いします。俺も手繰ってみる。警察の記録は……頼めるかな」
「ああ」
「多分、二つを束ねるもっと上がいる……」
二人とも黙ってうなずく。同じことを予測したのだろう。たった二枚の写真から。
「……ってモルダーとスカリーがまだお気づきでないようなら示唆しといていただけます? 俺どーにもあの人苦手でっ」
「ああ……」
双子の事件以来、レオンはFBIに協力していて担当捜査官とも密に連絡をとっている。
男女の二人組で俺は秘かに「モルダーとスカリー」とお呼びしている。
『モルダー』ことバートン捜査官ははもともと法律畑の人間だったらしく、レオンと気が合うようだ。
そこそこいい男だし、適度に話の通じる付き合いやすい奴なのだが、『スカリー』は……。
小柄な体に穏やかな声。くりっとした瞳でむしろ可愛いとさえ言える風貌なのだが、中味が鋼鉄。
あのグレイの瞳で見据えられて『H!』なんて呼びつけられたら最後、逆らえない。逃げ出せない。はっと気がつくと顎で使われてたりする。
(俺は彼女の部下でも何でもないっつーのに!)
「君が苦手なのは彼女のほうだけだろう」
「そーなんすけどね。何故かコンタクトとろうとすると必ず彼女とかち合わせる」
ふとレオンが笑った。
形の良い唇の端をわずかに上げ、かっ色の瞳の奥に小悪魔めいた光を閃かせて。
あの顔は知ってるぞ。
人の手からかっさらった猫じゃらしをくわえて、たーっと走ってく直前の猫の顔だ。
「それは"運命"って言うのさ」
「そーゆー運命は……願い下げ………」
げんなりと肩を落した。
※ ※ ※ ※
ヒウェルが帰ってから、二人っきりになったリビングでディフがぽつりと言った。
「シエンに言われたよ。お前がぱぱで、俺がままだとさ」
「ふむ………」
確かにあの子はディフに懐いているようには見える。しかし、実際はまだそこまで心は許していないはずだ。
おそらく意図的にやったのだ。では、何故そうしなければならなかったのか?
原因は、容易に想像がつく。オティアとヒウェルが顔を突き合わせたのだ。食卓にはある種の緊張感と重苦しさが漂っていたにちがいない。
空気を変えようとしたのだろう。
だが……シエンの本意がわからない。あの子は巧みに隠してしまう。自分の本当の心の動きを。
最初にヒウェルがオティアを傷つけた時、あの子は必死に兄弟を守ろうとした。ヒウェルを追い払おうとさえした。
今回は明らかに、反応が違う。
なぜだろう?
「レオン?」
「ああ……何でもない。しかし、君が、ママか」
彼はほんのりと頬を染めて、ほほ笑んだ。嬉しそうに。少しだけ、はにかんで。
手を伸ばして、なでる。ゆるくウェーブのかかった赤い髪を。
「よせよ、くすぐったい」
答えずに引き寄せ、抱きしめる。彼がいつもそうしてくれるように、胸の中にすっぽりと包み込んで。
あったかいな……君は。
「レオン。どうした?」
けげんそうに見上げてくる瞳。中央の瞳孔は細い炎にも似た緑色のラインに縁取られ、外側に行くにつれて淡い、明るいヘーゼルブラウンに変わってゆく。
感情が昂るとその炎は全体に広がり、彼の瞳を緑に染めるのだ。
「………今夜は泊まって行くんだろう?」
うなずく彼の肩を抱いて立ち上がり、そのまま寝室へと誘う。
真実なんてものはさして重要じゃない。
君が嬉しいのなら、それでいい。
(アップルパイ/了)
次へ→【3-10】赤いグリフォン
報告を聞くなり、レオンはまばたきして。小さく首をかしげて、言った。
「それはまた簡単に許したものだね」
「昼間は口もきいてくれなかったけど……夜は話せたから」
「もっと長引くと思ったんだがな」
「っ……おもしろがってませんよね、まさか?」
「うーん面白がっていていいならそうしたいところなんだが」
ああ、こいつってば、まつげはふさふさしてくりっとカールしていて、唇なんかキューピットの弓矢みたいで、まるで陶器の人形みたいで……とにかく、顔だけはきれいなくせに性格悪ぃんだからーっ!
「あの子はわからないな……」
「わからないから、知りたくなる」
レオンは秘かに思った。
最悪、ヒウェルが二度と来ないようにするか、双子がこの家を出ていくかの二択になる可能性もあったのにな、と。
しかしあえて今、そのことを口にしてヒウェルにとどめを刺す必要もないだろう。
「そうだ。二人に見てほしいものがあったんだ」
ヒウェルが上着のポケットから写真を二枚取り出し、テーブルの上に広げた。
「こっちがね…例の『撮影所』のスタッフの一人が腕に入れてたタトゥー。日付が入ってる。こっちは…シエンの居た工場でパクられたやつ。望遠で撮ったのを拡大したから荒れてるけど……」
並べた写真をこつこつとひょろ長い指先で叩く。
「どっちも同じだ。蠍の尻尾の蛇」
「同じグループということか」
「おそらく」
まずレオンが写真を手にとり、自分で見てからディフに渡す。
代わる代わる二枚の写真を見てから、ディフはテーブルの上に写真を並べ、タトゥーに入れられた日付を指さした。
「こいつは多分入団の日だな……最近出てきた『新しい連中』が好むやり方だ。古くからのマフィアなんかには、こう言う風習はない」
「マフィアは『紳士』だから?」
「ああ。新しいギャングは目に見える形で仲間の繋がりを求める。自分達に組織の後ろ盾があるってことを誇示したがるんだ」
「なるほど、タトゥー見せびらかしてにらみを利かすんだな。『俺にはバックがついているぜ』って」
「ああ。こいつを見れば、組織を知ってる相手はビビるからな。刑務所の中でも羽振りをきかせられるし……」
少しためらう気配がして、声のトーンが落とされる。
「警官の中には、いろいろと便宜を計る奴もいる」
『いろいろと』の部分はこころもち重く、若干の苦さを含んで響いた。
ヒウェルは思った。
なるほど、こいつもまったくの純真無垢って訳でもないのだ。仕事に関しては多少の泥水もくぐっているらしい。
それでも心の底では人の善き魂を信じてしまう。信じようとする。それがディフの甘さであり、強さでもある。
(百回生まれ変わっても俺には無理だ、絶対に)
「警官時代に逮捕した連中の中にも、こいつを入れてる奴がいた。腕だったり胸だったり背中だったり、場所はばらばらだけどな。モチーフは同じだった」
「ふむ……その古い事件もあたってみよう。何かわかるかもしれない」
「お願いします。俺も手繰ってみる。警察の記録は……頼めるかな」
「ああ」
「多分、二つを束ねるもっと上がいる……」
二人とも黙ってうなずく。同じことを予測したのだろう。たった二枚の写真から。
「……ってモルダーとスカリーがまだお気づきでないようなら示唆しといていただけます? 俺どーにもあの人苦手でっ」
「ああ……」
双子の事件以来、レオンはFBIに協力していて担当捜査官とも密に連絡をとっている。
男女の二人組で俺は秘かに「モルダーとスカリー」とお呼びしている。
『モルダー』ことバートン捜査官ははもともと法律畑の人間だったらしく、レオンと気が合うようだ。
そこそこいい男だし、適度に話の通じる付き合いやすい奴なのだが、『スカリー』は……。
小柄な体に穏やかな声。くりっとした瞳でむしろ可愛いとさえ言える風貌なのだが、中味が鋼鉄。
あのグレイの瞳で見据えられて『H!』なんて呼びつけられたら最後、逆らえない。逃げ出せない。はっと気がつくと顎で使われてたりする。
(俺は彼女の部下でも何でもないっつーのに!)
「君が苦手なのは彼女のほうだけだろう」
「そーなんすけどね。何故かコンタクトとろうとすると必ず彼女とかち合わせる」
ふとレオンが笑った。
形の良い唇の端をわずかに上げ、かっ色の瞳の奥に小悪魔めいた光を閃かせて。
あの顔は知ってるぞ。
人の手からかっさらった猫じゃらしをくわえて、たーっと走ってく直前の猫の顔だ。
「それは"運命"って言うのさ」
「そーゆー運命は……願い下げ………」
げんなりと肩を落した。
※ ※ ※ ※
ヒウェルが帰ってから、二人っきりになったリビングでディフがぽつりと言った。
「シエンに言われたよ。お前がぱぱで、俺がままだとさ」
「ふむ………」
確かにあの子はディフに懐いているようには見える。しかし、実際はまだそこまで心は許していないはずだ。
おそらく意図的にやったのだ。では、何故そうしなければならなかったのか?
原因は、容易に想像がつく。オティアとヒウェルが顔を突き合わせたのだ。食卓にはある種の緊張感と重苦しさが漂っていたにちがいない。
空気を変えようとしたのだろう。
だが……シエンの本意がわからない。あの子は巧みに隠してしまう。自分の本当の心の動きを。
最初にヒウェルがオティアを傷つけた時、あの子は必死に兄弟を守ろうとした。ヒウェルを追い払おうとさえした。
今回は明らかに、反応が違う。
なぜだろう?
「レオン?」
「ああ……何でもない。しかし、君が、ママか」
彼はほんのりと頬を染めて、ほほ笑んだ。嬉しそうに。少しだけ、はにかんで。
手を伸ばして、なでる。ゆるくウェーブのかかった赤い髪を。
「よせよ、くすぐったい」
答えずに引き寄せ、抱きしめる。彼がいつもそうしてくれるように、胸の中にすっぽりと包み込んで。
あったかいな……君は。
「レオン。どうした?」
けげんそうに見上げてくる瞳。中央の瞳孔は細い炎にも似た緑色のラインに縁取られ、外側に行くにつれて淡い、明るいヘーゼルブラウンに変わってゆく。
感情が昂るとその炎は全体に広がり、彼の瞳を緑に染めるのだ。
「………今夜は泊まって行くんだろう?」
うなずく彼の肩を抱いて立ち上がり、そのまま寝室へと誘う。
真実なんてものはさして重要じゃない。
君が嬉しいのなら、それでいい。
(アップルパイ/了)
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