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ローゼンベルク家の食卓

【3-9-7】“ぱぱ”の帰宅

2008/04/18 21:41 三話十海
「オティアと話したって?」

 報告を聞くなり、レオンはまばたきして。小さく首をかしげて、言った。

「それはまた簡単に許したものだね」
「昼間は口もきいてくれなかったけど……夜は話せたから」
「もっと長引くと思ったんだがな」
「っ……おもしろがってませんよね、まさか?」
「うーん面白がっていていいならそうしたいところなんだが」


 ああ、こいつってば、まつげはふさふさしてくりっとカールしていて、唇なんかキューピットの弓矢みたいで、まるで陶器の人形みたいで……とにかく、顔だけはきれいなくせに性格悪ぃんだからーっ!


「あの子はわからないな……」
「わからないから、知りたくなる」

 レオンは秘かに思った。

 最悪、ヒウェルが二度と来ないようにするか、双子がこの家を出ていくかの二択になる可能性もあったのにな、と。
 しかしあえて今、そのことを口にしてヒウェルにとどめを刺す必要もないだろう。


「そうだ。二人に見てほしいものがあったんだ」

 ヒウェルが上着のポケットから写真を二枚取り出し、テーブルの上に広げた。

「こっちがね…例の『撮影所』のスタッフの一人が腕に入れてたタトゥー。日付が入ってる。こっちは…シエンの居た工場でパクられたやつ。望遠で撮ったのを拡大したから荒れてるけど……」


 並べた写真をこつこつとひょろ長い指先で叩く。

「どっちも同じだ。蠍の尻尾の蛇」
「同じグループということか」
「おそらく」

 まずレオンが写真を手にとり、自分で見てからディフに渡す。
 代わる代わる二枚の写真を見てから、ディフはテーブルの上に写真を並べ、タトゥーに入れられた日付を指さした。

「こいつは多分入団の日だな……最近出てきた『新しい連中』が好むやり方だ。古くからのマフィアなんかには、こう言う風習はない」
「マフィアは『紳士』だから?」
「ああ。新しいギャングは目に見える形で仲間の繋がりを求める。自分達に組織の後ろ盾があるってことを誇示したがるんだ」
「なるほど、タトゥー見せびらかしてにらみを利かすんだな。『俺にはバックがついているぜ』って」
「ああ。こいつを見れば、組織を知ってる相手はビビるからな。刑務所の中でも羽振りをきかせられるし……」

 少しためらう気配がして、声のトーンが落とされる。

「警官の中には、いろいろと便宜を計る奴もいる」

『いろいろと』の部分はこころもち重く、若干の苦さを含んで響いた。

 ヒウェルは思った。
 なるほど、こいつもまったくの純真無垢って訳でもないのだ。仕事に関しては多少の泥水もくぐっているらしい。
 それでも心の底では人の善き魂を信じてしまう。信じようとする。それがディフの甘さであり、強さでもある。

(百回生まれ変わっても俺には無理だ、絶対に)

「警官時代に逮捕した連中の中にも、こいつを入れてる奴がいた。腕だったり胸だったり背中だったり、場所はばらばらだけどな。モチーフは同じだった」
「ふむ……その古い事件もあたってみよう。何かわかるかもしれない」
「お願いします。俺も手繰ってみる。警察の記録は……頼めるかな」
「ああ」
「多分、二つを束ねるもっと上がいる……」

 二人とも黙ってうなずく。同じことを予測したのだろう。たった二枚の写真から。

「……ってモルダーとスカリーがまだお気づきでないようなら示唆しといていただけます? 俺どーにもあの人苦手でっ」
「ああ……」

 双子の事件以来、レオンはFBIに協力していて担当捜査官とも密に連絡をとっている。
 男女の二人組で俺は秘かに「モルダーとスカリー」とお呼びしている。
 『モルダー』ことバートン捜査官ははもともと法律畑の人間だったらしく、レオンと気が合うようだ。
 そこそこいい男だし、適度に話の通じる付き合いやすい奴なのだが、『スカリー』は……。

 小柄な体に穏やかな声。くりっとした瞳でむしろ可愛いとさえ言える風貌なのだが、中味が鋼鉄。
 あのグレイの瞳で見据えられて『H!』なんて呼びつけられたら最後、逆らえない。逃げ出せない。はっと気がつくと顎で使われてたりする。

(俺は彼女の部下でも何でもないっつーのに!)

「君が苦手なのは彼女のほうだけだろう」
「そーなんすけどね。何故かコンタクトとろうとすると必ず彼女とかち合わせる」

 ふとレオンが笑った。
 形の良い唇の端をわずかに上げ、かっ色の瞳の奥に小悪魔めいた光を閃かせて。
 あの顔は知ってるぞ。
 人の手からかっさらった猫じゃらしをくわえて、たーっと走ってく直前の猫の顔だ。

「それは"運命"って言うのさ」
「そーゆー運命は……願い下げ………」

 げんなりと肩を落した。


 ※  ※  ※  ※


 ヒウェルが帰ってから、二人っきりになったリビングでディフがぽつりと言った。

「シエンに言われたよ。お前がぱぱで、俺がままだとさ」
「ふむ………」

 確かにあの子はディフに懐いているようには見える。しかし、実際はまだそこまで心は許していないはずだ。
 おそらく意図的にやったのだ。では、何故そうしなければならなかったのか?
 原因は、容易に想像がつく。オティアとヒウェルが顔を突き合わせたのだ。食卓にはある種の緊張感と重苦しさが漂っていたにちがいない。

 空気を変えようとしたのだろう。
 だが……シエンの本意がわからない。あの子は巧みに隠してしまう。自分の本当の心の動きを。

 最初にヒウェルがオティアを傷つけた時、あの子は必死に兄弟を守ろうとした。ヒウェルを追い払おうとさえした。
 今回は明らかに、反応が違う。
 なぜだろう?

「レオン?」
「ああ……何でもない。しかし、君が、ママか」

 彼はほんのりと頬を染めて、ほほ笑んだ。嬉しそうに。少しだけ、はにかんで。
 手を伸ばして、なでる。ゆるくウェーブのかかった赤い髪を。

「よせよ、くすぐったい」

 答えずに引き寄せ、抱きしめる。彼がいつもそうしてくれるように、胸の中にすっぽりと包み込んで。
 あったかいな……君は。

「レオン。どうした?」

 けげんそうに見上げてくる瞳。中央の瞳孔は細い炎にも似た緑色のラインに縁取られ、外側に行くにつれて淡い、明るいヘーゼルブラウンに変わってゆく。
 感情が昂るとその炎は全体に広がり、彼の瞳を緑に染めるのだ。

「………今夜は泊まって行くんだろう?」

 うなずく彼の肩を抱いて立ち上がり、そのまま寝室へと誘う。

 真実なんてものはさして重要じゃない。
 君が嬉しいのなら、それでいい。


(アップルパイ/了)


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