▼ 【3-10-7】ぱぱとまま
リビングには誰もいなかった。
どうする? このまま自分の部屋に戻るか?
迷ってから、書斎に向かい、小さくドアをノックした。
「どうぞ。遠慮しなくていいよ、これは仕事じゃないから」
「……そうか」
ほっとして中に入る。
机に座ってレオンが書類の束を読んでいた。昼間、ソーシャルワーカーから渡された学校の資料だ。
「色々見てみたけれど……まず本人達の希望を聞かないとだめだな」
ぽい、とまとめて机の上にほうりだした。
「言ってくれるかな。自分たちから、こうしたいって。あの子たちがどうしてほしいのか。何を必要としているのか。答えにたどり着くまでの道が…長い」
「まだ遠慮もあるだろうしね。どんな方法をとるにせよ」
机の上に学校の案内書がぱらりと広がる。まるでトランプだな。
手を伸ばし、手のひらを滑らせる。
けっこうな数があるもんだ。
「……たまに思うよ。何やってるんだろう、俺って」
「そうだな。不思議な関係ではあるね。」
「独身で、子どももいなくて、しかもゲイの男が見ず知らずの子どもの世話する。普通じゃないよな」
ついさっき見たばかりのシエンの顔を。言われた言葉を思い出す。
浮かぶ笑いが苦さを含む。
あの子は俺を『まま』だと言った。レオンが『ぱぱ』だと。うれしくてつい鵜呑みにしちまったけど……。
「あの子達から見たら、君も俺も、ただの第三者だからね」
レオンの言葉にうなずく。
そうだ。
その通りなんだ。何故、その明確な事実が見えなかったんだろう? どうかしてる。我ながら呆れるよ、心底。
シエンの言う『ぱぱ』も。『まま』も。子どもが親を呼ぶ時の『パパ』や『ママ』とは微妙に意味合いが違う。
ただの記号、この家の中で果たしている役割を言い表したに過ぎない。
俺はまだ、あの子たちの『親』を演じるには未熟すぎる。
フリすらできていないのだ。
ヒウェルみたいに同じ境遇にいたわけでもない。信用しろって方が難しい。まして悩みを打ち明けろ、だなんて……虫が良すぎる。
警戒されて当然なんだ。
「…………レオン」
「何だい?」
「これまで何度かあの子たちみたいな子どもを保護したことがある。でも警察の役目はあくまで犯罪の追求だ」
「ああ」
「保護した子を相応しい施設かしかるべき人間に渡して、その先は……手が届かない。その子が幸せかどうか、判断するのは俺の役目じゃない」
ぎりっと唇を噛み締める。苦い記憶を紐解きながら。
「明らかに不幸になるとわかっているのに、黙って見送るしかなかったケースもある」
「それが法律だからね」
うなずき、言葉を続けた。
「シエンとオティア。再会した二人が抱き合ってるの見て思ったんだ。この子たちは自分で受けとめたいって。他の誰かに渡すんじゃない。俺のこの手で、大人になるまで守りたいって」
「ある意味丁度良かったというのかな。あの子たちを引き取る里親が見つからなかったのは」
「……幸運……だったのかな………。似てるんだ。十年前に、お前と初めて会った時の感じに……」
ためらってから手をのばし、レオンの髪の毛を撫でる。目の前の彼の向こうに、出会った頃の『彼』を。十六歳の少年の面影をなぞりながら。
「俺かい?」
「ああ。あの時お前、十六だったろ? 双子と同じ年だ」
あの時、漠然と感じたのだ。
彼には何か欠けているものがある。
自分でもそれと知らずに求めているものがある。ひょっとしたらそれは、俺が持っていて……分ち合うことができるんじゃないかって。
「突然同室者ができるって聞いてびっくりしたけどね」
「ん……一緒の部屋の奴がさ。鍋のフタ足におっことして。謝ったんだけど『もうお前みたいなガサツな奴とは一秒だって同室はお断りだー!』ってえっらい剣幕でね」
「それで俺のところに来たのか」
「まあ……な。他に空きがなかったんだ。時期が時期だったし。そんな理由でアパート暮らしを許可してくれるような親父じゃなかったし」
レオンがほほ笑む。それだけで、喉の奥で荒れ狂っていた苦い嵐がすうっと収まるような気がした。
「幸運だったというべきなのかな」
「そう思ってくれるのか?」
頬に手を当ててじっとのぞきこんだ。透き通ったかっ色の瞳を。入れたばかりの紅茶みたいにあったかくて、いつまで見ていても飽きない。
「君に会わなければ、今ここでこうしていることもなかった」
かすかな笑みが口元に浮かぶ。もう、さっきみたいに苦さを含んではいない。
「あの子達だって、助けられなかっただろ?」
「……うん……。多分、お前と、ヒウェルと、俺と。一人欠けても無理だった」
「俺達もあの子達に助けられてる」
こくっとうなずいて肩に頭を預けた。
「時間はかかるだろうが……あの子達にもきっとわかるさ」
「そうあってほしいと願ってる」
目を閉じて手をにぎった。
「ありがとな、レオン」
握り合わせた手に温かく、柔らかな感触が押し当てられる。顔を上げ、うっすらと目をひらいてほほ笑みかける。
騎士が贈るような、手の甲へのキス。
似合い過ぎだ、レオン。握ってるのがごっつい野郎の手ってあたりがちとしまらないが。
やばいな、顔が、熱くなってきた。
ほんの少しだけ。
結局、その夜もレオンの部屋に泊まった。
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どうする? このまま自分の部屋に戻るか?
迷ってから、書斎に向かい、小さくドアをノックした。
「どうぞ。遠慮しなくていいよ、これは仕事じゃないから」
「……そうか」
ほっとして中に入る。
机に座ってレオンが書類の束を読んでいた。昼間、ソーシャルワーカーから渡された学校の資料だ。
「色々見てみたけれど……まず本人達の希望を聞かないとだめだな」
ぽい、とまとめて机の上にほうりだした。
「言ってくれるかな。自分たちから、こうしたいって。あの子たちがどうしてほしいのか。何を必要としているのか。答えにたどり着くまでの道が…長い」
「まだ遠慮もあるだろうしね。どんな方法をとるにせよ」
机の上に学校の案内書がぱらりと広がる。まるでトランプだな。
手を伸ばし、手のひらを滑らせる。
けっこうな数があるもんだ。
「……たまに思うよ。何やってるんだろう、俺って」
「そうだな。不思議な関係ではあるね。」
「独身で、子どももいなくて、しかもゲイの男が見ず知らずの子どもの世話する。普通じゃないよな」
ついさっき見たばかりのシエンの顔を。言われた言葉を思い出す。
浮かぶ笑いが苦さを含む。
あの子は俺を『まま』だと言った。レオンが『ぱぱ』だと。うれしくてつい鵜呑みにしちまったけど……。
「あの子達から見たら、君も俺も、ただの第三者だからね」
レオンの言葉にうなずく。
そうだ。
その通りなんだ。何故、その明確な事実が見えなかったんだろう? どうかしてる。我ながら呆れるよ、心底。
シエンの言う『ぱぱ』も。『まま』も。子どもが親を呼ぶ時の『パパ』や『ママ』とは微妙に意味合いが違う。
ただの記号、この家の中で果たしている役割を言い表したに過ぎない。
俺はまだ、あの子たちの『親』を演じるには未熟すぎる。
フリすらできていないのだ。
ヒウェルみたいに同じ境遇にいたわけでもない。信用しろって方が難しい。まして悩みを打ち明けろ、だなんて……虫が良すぎる。
警戒されて当然なんだ。
「…………レオン」
「何だい?」
「これまで何度かあの子たちみたいな子どもを保護したことがある。でも警察の役目はあくまで犯罪の追求だ」
「ああ」
「保護した子を相応しい施設かしかるべき人間に渡して、その先は……手が届かない。その子が幸せかどうか、判断するのは俺の役目じゃない」
ぎりっと唇を噛み締める。苦い記憶を紐解きながら。
「明らかに不幸になるとわかっているのに、黙って見送るしかなかったケースもある」
「それが法律だからね」
うなずき、言葉を続けた。
「シエンとオティア。再会した二人が抱き合ってるの見て思ったんだ。この子たちは自分で受けとめたいって。他の誰かに渡すんじゃない。俺のこの手で、大人になるまで守りたいって」
「ある意味丁度良かったというのかな。あの子たちを引き取る里親が見つからなかったのは」
「……幸運……だったのかな………。似てるんだ。十年前に、お前と初めて会った時の感じに……」
ためらってから手をのばし、レオンの髪の毛を撫でる。目の前の彼の向こうに、出会った頃の『彼』を。十六歳の少年の面影をなぞりながら。
「俺かい?」
「ああ。あの時お前、十六だったろ? 双子と同じ年だ」
あの時、漠然と感じたのだ。
彼には何か欠けているものがある。
自分でもそれと知らずに求めているものがある。ひょっとしたらそれは、俺が持っていて……分ち合うことができるんじゃないかって。
「突然同室者ができるって聞いてびっくりしたけどね」
「ん……一緒の部屋の奴がさ。鍋のフタ足におっことして。謝ったんだけど『もうお前みたいなガサツな奴とは一秒だって同室はお断りだー!』ってえっらい剣幕でね」
「それで俺のところに来たのか」
「まあ……な。他に空きがなかったんだ。時期が時期だったし。そんな理由でアパート暮らしを許可してくれるような親父じゃなかったし」
レオンがほほ笑む。それだけで、喉の奥で荒れ狂っていた苦い嵐がすうっと収まるような気がした。
「幸運だったというべきなのかな」
「そう思ってくれるのか?」
頬に手を当ててじっとのぞきこんだ。透き通ったかっ色の瞳を。入れたばかりの紅茶みたいにあったかくて、いつまで見ていても飽きない。
「君に会わなければ、今ここでこうしていることもなかった」
かすかな笑みが口元に浮かぶ。もう、さっきみたいに苦さを含んではいない。
「あの子達だって、助けられなかっただろ?」
「……うん……。多分、お前と、ヒウェルと、俺と。一人欠けても無理だった」
「俺達もあの子達に助けられてる」
こくっとうなずいて肩に頭を預けた。
「時間はかかるだろうが……あの子達にもきっとわかるさ」
「そうあってほしいと願ってる」
目を閉じて手をにぎった。
「ありがとな、レオン」
握り合わせた手に温かく、柔らかな感触が押し当てられる。顔を上げ、うっすらと目をひらいてほほ笑みかける。
騎士が贈るような、手の甲へのキス。
似合い過ぎだ、レオン。握ってるのがごっつい野郎の手ってあたりがちとしまらないが。
やばいな、顔が、熱くなってきた。
ほんの少しだけ。
結局、その夜もレオンの部屋に泊まった。
次へ→【3-10-8】最低な俺