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ローゼンベルク家の食卓

【3-10-5】クリスマスとニューイヤー

2008/05/08 19:07 三話十海
 買い物の帰りに、本屋の前を通りかかった時、ディフが言った。

「ちょっと寄ってかないか?」って。
 
 あまり大きくない、人の少ないお店だったから落ちついて選ぶことができた。
 好きなのを選んでいいと言われて、少し迷ってから結局料理の本を選んだ。

「それでいいのか」
「うん、いっぱい載ってるし」
「オティアは?」
「あそこ」

 辞書を熱心に読んでるのを指さす。

「……面白いか、それ」
「まあまあ」
「じゃあ……それな」

 自分でお金を払おうとしたら、いいんだ、と言われた。

「どうして?」
「クリスマスだから、な」
「あ」

 ぶっきらぼうに答えていたけれど、ほんのりと頬の辺りが赤くなってた。
 照れくさかったのかな。
 渡された本はツリーの下に置かれてはいなかったし、リボンもついてはいないけれど、赤と緑の紙袋に入っていた。
 何年ぶりだろう。
 クリスマスプレゼントをもらうのなんて。


 ※ ※ ※ ※


 ほんとうに、この家に来てからびっくりすることばかり次々と起きる。 

 でも一番驚いたのは、オティアのことかな。
 警戒心をほとんど見せずに暮らしていて、本当に驚いた。
 あの工場から俺が助け出されるまで、二週間ほどここで過ごしていたらしいけれど、そんなに短い時間の間に知らない人の中で、知らない家で落ちついて暮らせるようになるなんて。
 今までのオティアからは考えられないことだった。

 そのおかげで、俺も『ここは大丈夫なんだ』って思えたんだ。

 ディフの撃たれた傷を治したのも、後から考えて失敗したかなって思ったんだけど……。
 でも、ディフもレオンもヒウェルも…感謝してくれて。怖がったり、気持ち悪がったりしなかった。

「まあ、そう言うこともあるんだろう」
「“彼女”に比べりゃお前さんたちなんざ可愛いもんだしな」

 なんて、妙に落ちついていて。
 まるで以前にも経験したことがあるような口ぶりで、すうっと受け入れられてしまった。

 おまけに、ここに居るのも事件の整理がつくまでだけかと思っていたら、事情徴収があらかた終わりかけた頃にレオンが言ったんだ。
「良ければずっと居てほしい」って。
 ディフは何も言わなかったけど、レオンの隣でうなずいていた。

 ちょっとだけ嬉しかった。でも、二人とも独身だし、里親登録なんて無理に決まってる。いったい、どうするんだろうと聞いたら、レオンが教えてくれた。

 俺達が育ちすぎてるせいで(それとおそらく過去の経歴のせいで)、適当な里親が見つからないって連絡があったんだって。
 だから、児童保護局と警察と検事とレオンで相談した結果、レオンが後見人兼保護者で、18歳まで面倒みるってことになったのだと。

 俺達は養子でもなく、保護児童でもない、なんとなく中途半端な立場になった。


 ※ ※ ※ ※


 クリスマスのお祝いは、レオンの誕生日と一緒だった。
 朝は教会のミサに行った。
 ヒウェルも一緒についてきたけれど、牧師さんのお話の途中で居眠りして、ディフに小突かれていた。
(一緒に来たのは、きっとオティアがいるからだ)


 やがて年が明けて、2006年が始まった。
 明日で休暇も終わりと言う日、ソーシャルワーカーのヨシカワさんがやってきた。

 面倒見のいいふくふくしたおばさんで、年齢は四十歳くらいかな? 日系の人って若く見えるから、よくわからないや。
 俺たちの担当になった人なんだけど、たまたま顔を合わせたヒウェルが珍しく背筋を伸ばして、ものすごくかしこまって挨拶していた。

「昔、世話になったんだよ……」

 そんなに長く勤めてるんだ。
 今日、彼女がやってきたのは、俺たちの学校のこと。
 高校は義務教育だから行かないといけない。けれど、俺もオティアも行く気にならなかった。
 レオンはすぐに編入手続きできるよって言ってくれた。でも学校に行けなかった時期もあったし、ずっと転校を繰り返してたから、あまり良い思い出もない。
 ……本当を言うと、学校はできれば行きたい場所じゃない。

 落ち着くまではってずっと保留にしてもらってたけど、先にバイトはじめちゃったから、ディフが気にしてるみたいだ。


「だったらホームスクーリングを考えてみたらどうかしら? 家で勉強することもできるのよ」

 そう言って、ヨシカワさんは学校の資料を渡してくれた。

「それから……この間のこと、考えてみてくれた?」

 俺も、オティアも、カウンセリングに行くように薦められている。
 レオンも同じ考えみたいだけど、強く言われたことはない。

「……ごめんなさい」
「そう。じゃあ気が向いたらいつでも連絡してね」

 彼女は決して無理強いはしない。いくつかの選択肢を示すだけで、あとは辛抱強く待ってくれる。俺たちが自分から動き出すのを。
 何となく、ヒウェルがこの人の前ではきちんとしてる理由がわかるような気がする。

 
 確かに俺たちは普通じゃ考えられないくらい恐ろしい経験をした。

 道を歩いていて、いきなり後ろからぐいっと捕まえられて、暗い車の中に押し込まれ、連れて行かれた。
 あの山の中の工場に……。

 今でも人に触られるのは恐ろしい。

 俺もそうだけど、オティアが…落ち着いているのは、なんだか怖くもある。俺なんかよりずっと、酷い目にあったのに。
 以前はもっと、いつでも気を張っていたし、他人のために心を配るなんてことは一切なかった。

 あの施設で別れてから、ほんの少し会わない間に、なんだかすごく変わってしまったんじゃないかって思う。


 ずっと、一緒だった。
 二人で一人。お互いがこの世界で唯一の大切な存在。
 同じものを見て。
 同じことを思って。
 同じステップで歩いてきた。

 すぐ隣にいるはずなのに、このごろは二人が別々の『一人』になる瞬間が、少しずつ増えているような気がする。 

 それは、良いことなんだろうけど……。
 
 もうすぐ夕飯の時間だ。手伝いに行かなきゃ。
 すっとオティアが本を閉じて立ち上がる。
 いつものように並んでキッチンに向かった。


 今の生活は楽しい。
 でも時々、すごく不安になる。
 ある日ふっと何もかも夢のように消えてしまうんじゃないかって。

 ずっと前に、セーブルのパパとママが亡くなった時みたいに。



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