▼ 3.残るは笑みかため息か
2012/01/14 17:55 【騎士と魔法使いの話】
「あら、あなた。すりむいてるわ」
ほっそりした眉が、わずかに潜められる。
言われてみれば確かに。とっさに地面に着いて体を支えた、左手のひらに血がにじんでいた。
「手当てしなきゃ」
「いや、この程度なら舐めときゃ治ります」
「いけません。盾を持つ左手をおろそかにするなんて! あなたが守るのは、自分の身だけじゃないでしょう?」
ぐうの音も出なかった。見事に騎士の本分ってものを押さえてる。そこを突かれたら、反論なんかできるはずがない。
「こっちにいらっしゃい。手当てするから」
否応も無く、墓地の傍らにある井戸に引っ張って行かれた。慣れた手つきで彼女は水を汲み、傷口を洗う。
ぴりっと染みたが、土も血もきれいに落ちた。
「さ、きれいになった。後は神殿でお薬もらって……」
「ありがとう。薬なら、自前のがある」
ベルトポーチから軟膏の詰まった器を取り出し、塗り付けた。血止めに切り傷、毒消し、打ち身、火傷の手当て。怪我した時に必要なものは、一そろい持たされている。
『お前さんしょっちゅう切り傷こさえてそうだからな。持っとけ。塗る前によっく傷口洗えよ?』
「あなたも、どなたかのお参りに来たの?」
「いや、今週、この区域が見回り担当なんで、それで」
「まあ、それじゃお仕事中だったんですね」
「ええ、まあ、そんなとこです」
親しげな眼差しと声に気が緩み、思わずぽろりと口にしてしまった。不躾な質問を。
「あなたは? やっぱ、お参りに?」
「夫に会いに来たんです」
やはり、そうだったんだ。
「あの人ね。私より15歳も年上だったんです。だから多分、先に逝ってしまうだろうって覚悟はしていたんですけど」
彼女は黒いヴェールのついた帽子を胸に抱きしめた。
「いざその時が来ちゃうと、ね……」
「……俺の相手も、年上なんだ。20歳、離れてる」
藤色の瞳が見つめ返してくる。たじろぎもせず、まっすぐに。その眼差しに勇気づけられる。
「この間いきなり言われて、面食らったよ。自分の死んだ後俺がどうなるか、心配だって」
「夫にも同じこと言われたわ。冗談めかしてだったけれどね。自分のことなんかさっさと忘れて、新しい人見つけて幸せになってくれって。約束させられちゃった」
彼女は肩をすくめて、小さく笑った。
「その時はまさか、こんなことになるなんて思ってもいなかったのだけれど」
うなずいて、続く言葉を待つ。
「あの人を亡くした時、世界が終わったかと思った。だけど私は生きてたし。泣けば泣くほどお腹も空くし。じーっとうずくまってるだけじゃ、時間が経つのってものすごくゆっくり過ぎて、長過ぎた」
「……うん」
「後を追いかけよっかなーって考えもしたんだけど。それだと、何か、申し訳ない気がしたのね。夫への愛を理由に、自分の命を終わらせちゃっていいのかなって。すごく卑怯な気がして。何より、私がそんなことしたら、あの人泣くわ。死んでる人の行動を勝手に想像して自分の行動を決めるのって、ある意味ずるいのかもしれない。だけど、その時の私にとっては、とても重要だったの。それしか見えていなかったの」
彼女は一度言葉を区切り、目を伏せた。
訪れた静けさの中、どこからか、弦楽器を指先で弾くような短く、規則的な音が聞こえてくる。
蜂かな、と思ったがそれにしては大きく、音が柔らかい。
音の出所を探して視線を彷徨わせると……空中に、小さな緑色が留まっていた。
ずんぐりむっくりとした体。扇型に広がる尾。長いくちばし。
小さな翼が、凄まじい早さで羽ばたいている。あまりに早くて、止まっているように見えた。
蜂鳥だ。
残るは笑みかため息か
蜂鳥よりも軽やかに
次へ→4.彼女の出した答え
ほっそりした眉が、わずかに潜められる。
言われてみれば確かに。とっさに地面に着いて体を支えた、左手のひらに血がにじんでいた。
「手当てしなきゃ」
「いや、この程度なら舐めときゃ治ります」
「いけません。盾を持つ左手をおろそかにするなんて! あなたが守るのは、自分の身だけじゃないでしょう?」
ぐうの音も出なかった。見事に騎士の本分ってものを押さえてる。そこを突かれたら、反論なんかできるはずがない。
「こっちにいらっしゃい。手当てするから」
否応も無く、墓地の傍らにある井戸に引っ張って行かれた。慣れた手つきで彼女は水を汲み、傷口を洗う。
ぴりっと染みたが、土も血もきれいに落ちた。
「さ、きれいになった。後は神殿でお薬もらって……」
「ありがとう。薬なら、自前のがある」
ベルトポーチから軟膏の詰まった器を取り出し、塗り付けた。血止めに切り傷、毒消し、打ち身、火傷の手当て。怪我した時に必要なものは、一そろい持たされている。
『お前さんしょっちゅう切り傷こさえてそうだからな。持っとけ。塗る前によっく傷口洗えよ?』
「あなたも、どなたかのお参りに来たの?」
「いや、今週、この区域が見回り担当なんで、それで」
「まあ、それじゃお仕事中だったんですね」
「ええ、まあ、そんなとこです」
親しげな眼差しと声に気が緩み、思わずぽろりと口にしてしまった。不躾な質問を。
「あなたは? やっぱ、お参りに?」
「夫に会いに来たんです」
やはり、そうだったんだ。
「あの人ね。私より15歳も年上だったんです。だから多分、先に逝ってしまうだろうって覚悟はしていたんですけど」
彼女は黒いヴェールのついた帽子を胸に抱きしめた。
「いざその時が来ちゃうと、ね……」
「……俺の相手も、年上なんだ。20歳、離れてる」
藤色の瞳が見つめ返してくる。たじろぎもせず、まっすぐに。その眼差しに勇気づけられる。
「この間いきなり言われて、面食らったよ。自分の死んだ後俺がどうなるか、心配だって」
「夫にも同じこと言われたわ。冗談めかしてだったけれどね。自分のことなんかさっさと忘れて、新しい人見つけて幸せになってくれって。約束させられちゃった」
彼女は肩をすくめて、小さく笑った。
「その時はまさか、こんなことになるなんて思ってもいなかったのだけれど」
うなずいて、続く言葉を待つ。
「あの人を亡くした時、世界が終わったかと思った。だけど私は生きてたし。泣けば泣くほどお腹も空くし。じーっとうずくまってるだけじゃ、時間が経つのってものすごくゆっくり過ぎて、長過ぎた」
「……うん」
「後を追いかけよっかなーって考えもしたんだけど。それだと、何か、申し訳ない気がしたのね。夫への愛を理由に、自分の命を終わらせちゃっていいのかなって。すごく卑怯な気がして。何より、私がそんなことしたら、あの人泣くわ。死んでる人の行動を勝手に想像して自分の行動を決めるのって、ある意味ずるいのかもしれない。だけど、その時の私にとっては、とても重要だったの。それしか見えていなかったの」
彼女は一度言葉を区切り、目を伏せた。
訪れた静けさの中、どこからか、弦楽器を指先で弾くような短く、規則的な音が聞こえてくる。
蜂かな、と思ったがそれにしては大きく、音が柔らかい。
音の出所を探して視線を彷徨わせると……空中に、小さな緑色が留まっていた。
ずんぐりむっくりとした体。扇型に広がる尾。長いくちばし。
小さな翼が、凄まじい早さで羽ばたいている。あまりに早くて、止まっているように見えた。
蜂鳥だ。
残るは笑みかため息か
蜂鳥よりも軽やかに
次へ→4.彼女の出した答え