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とりねこの小枝

【17-1】ロブ隊長の場合その1

2012/06/14 0:36 騎士と魔法使いの話十海
 
 さわやかな風の吹き抜ける、金牛の月(5月)の始めのとある午後。
 薬草屋の主、フロウライト・ジェムルことフロウはカウンターに肘をつき、眠そうな目を更にとろんとさせていた。
 膝の上では黒と褐色斑の猫が丸くなり、すやすやと寝息を立てている。時折うっすら目を開けて、くぁーっと派手にあくびを一つ。前足を伸ばし、顔にちょんと触れてくる。

「ん、なんだ、ちび公?」
「ふーろう……にゅぐるるる、ぴぃうるる」

 語尾はほとんどくぐもった鳴き声に紛れて聞き取れない。だが、このちっぽけな生き物から寄せられる信頼と好意はひしひしと伝わって来る。

「……よしよし」

 薬草香る器用な指に顎の下を撫でられて、ちびはひたすら上機嫌。ごろごろ咽を鳴らしてまた目を閉じる。
 しかし。
 人も猫も、うとうとと穏やかにまどろむ午後のひと時が唐突に破られる。
 ばたんっとドアが開き、軍服姿の男が一人。つかつかと大股で入ってきたのだ。前立ては黒、袖と身頃は淡黄褐色の詰襟。
 今やすっかり見慣れた西道守護騎士団の制服だ。襟元には、地位を表す記章が光っている。鋭く光る小さな銀色の星が三つ。

「邪魔するぞ」
「お、おう、いらっしゃい」

 客と呼ぶべきか、闖入者と呼ぶべきか。ともあれ、金髪に紫の瞳の強面の男を見上げ、ちびがぴょんっとカウンターに飛び乗り、翼を広げた。
 かぱっと赤い口を開け、透き通った高い声で呼びかける。

「ろぶたいちょー」
「うむ。元気そうだな、鳥」

 西道守護騎士団アインヘイルダール駐屯地の隊長、ロベルト・イェルプはじろりと翼の生えた猫を見下ろし、頷いた。
 兎のロベルトは実直な男だった。正しい認識をしたことをちゃんと評価しているのだ。
 たとえ相手が、鳥のような、猫のような生き物であっても。
 
「それで、今日は何のご用で?」

 ふかふかの毛皮を撫でながら、フロウはのんびりした口調で問いかける。
 就任して間も無い頃、ロベルトはこの店に怒鳴り込んで来た事があった。
 その後少しばかり態度を軟化させはしたものの、茶飲み話に来るほど友好的とはお世辞にも言いがたい。

 のほほんとした中年男をぎろりとにらみつけると、ロベルトは腕組みをしてずいと顎を引いた。

「軟膏の調合を頼みたい」

 ……おやおや。
 フロウは内心首を傾げた。今日はお客として来たようだ。裏口に呪い人形を打ち付けに来たのでもなければ、部下に手を出すなと談判しに来たのでもなく。

「勘違いするな。俺は貴様のことが気にくわない」
「こりゃまた手厳しい。だったら俺なんかに頼まなきゃいいのに……」
「腕は確かだからな」
「そりゃどうも」

 ロベルトはいささか猪突猛進な傾向はあるものの、万事につけ公正な判断を下す男だった。

「で、効能は如何様に?」
「手指の荒れに効くものを頼む。仕事に妨げにならない程度に香りをつけて」
「ほいよ、お安い御用だ」

 のそりとカウンターから出て、店内に置かれた作業台に向う。台の上にはすぐに調合できるように、加工した材料や、調合するためのコンロや壷、秤に乳鉢と言った道具類が並んでいる。
 ここで客の注文に合わせて薬や軟膏を調合するのだ。

「それと、入れるための器を………」
「おう、そこの棚に入ってるから、好きなの選んどいてくれ」

 卓上用のコンロに火を灯し、水を入れた大鍋を載せる。
 次いで蜜蝋を細かく刻んで小鍋に入れる。慣れた手つきで作業を進める一方で、フロウはそれとなくロベルトの動きを目で追っていた。
 
 何やら、手にした紙と棚に並んだ商品を熱心に見比べている様子。
 いきなりはっと目を見開き、並ぶ器の中から一つを手にとって、ずいっと突きつけてきた。

「おい貴様!」

 あまりの凄まじい気迫に、思わずフロウは軽くのけ反った。

「おおう」
「これは可愛いのか?」

 まるで抜き身の剣のような勢いで突きつけられたのは、何のことない軟膏を入れるための優雅な円筒形の器なのだった。
 ただし、蓋の上には、大きさといい形といい、実に精巧なトカゲの彫刻が乗っかっている。
 材質は真鍮。鱗の一枚一枚まで細かく作り込まれ、撫でるとざりっとする手触りまで克明に再現されている。
 二つの目にはよく光るビーズが埋め込まれ、かぱっと開いた口の中には、ご丁寧に小さな舌が閃いていた。
 濡れたようにつやつや光るその姿は、草むらに置かれていれば本物と見まごうほどの出来栄えだった。

「いやそれは………可愛いっちゃ可愛いが、あくまで個人の感想だし……しかし何でまた、トカゲ?」
「知り合いのお嬢さんの推薦だ。是非にこれを、いやむしろこれ以外にない! とな」
「そりゃまた強烈な」

     ※

 そう、ロベルト・イェルプは万事に置いて抜かりのない男だった。薬草店を訪れるに先立ち、まず、身近にいる若い女性……すなわちド・モレッティ伯爵家の四の姫、ニコラに意見を求めたのだった。

「姫、この町の若い女性はどのような小物を好むのでしょう?」
「んー、使うものにもよると思うけど」
「そうですね、例えばよく使う軟膏や化粧品などを入れて持ち歩く器で……」
「そう言う事なら任せて!!」

 きらーんっと目を輝かせ、四の姫はその場で紙を広げてペンを走らせ、精密なスケッチを描きあげた。

「断然これよ!」

     ※

 スケッチを一目見てフロウは悟った。ロベルトにそれをお勧めしたのが誰なのかを……。
 自分を師匠と慕う少女、ニコラにまちがいない。
 憂うべきか喜ぶべきか、彼女の優れた観察眼と絵の才能は、いささか偏った方面に発揮される傾向にある。キノコや魚、トンボ、トカゲにカエルに蝶々(成虫もイモムシも分け隔てなく)、カミキリムシに蜂に蟻に蝉に黄金虫etc,etc…

「それは間違いなく少数派だから気にするな」
「そ、そうなのか」
「だいたいよ? 質実剛健の隊長さんが、何だって可愛さなんぞ気にかけるんだい?」
「そ、それは……」

 珍しく言いよどみ、目線をそらしている。

(おやまあ)

 がぜん興味が湧いて来た。フロウは眠そうな蜂蜜色の瞳をしぱしぱとしばたかせ、ゆるりと声をかけた。 
 事実、彼の声は高からず低からず、常に聞く者の心をやんわりとほぐす響きを帯びていた。
 ここぞとばかりに、その才能を惜しみなく発揮する。

「直接肌に着けるもんだぜ? 使う人の仕事とか、年齢、性別なんかに合わせて調合した方が、効き目もいい」
「そうなのか?」
「あぁ、そうに決まってる。現にお前さんも言ってたじゃないか。『仕事に邪魔にならない程度に』香りをつけてくれって」
「ふむ……一理あるな」

 こほん、と咳払い一つ。背筋を伸ばしてまじめ腐った態度で話し始める。
 だが、耳たぶがほんのりと赤くなっているのをフロウは見逃さなかった。

「実は俺が使うのではない」
「……だ、ろうな」
「行きつけの仕立屋に、腕の良い縫い子が居てな。ここは前の任地とは気候も風習も違う。のみならず、所属と階級が変わったおかげで、制服や礼服やら、丸ごと一式新しく揃えねばならなくて……」
「すっかり世話になっちまった、と」
「うむ。出来栄えも素晴らしいし、色々無理も聞いてもらったので、その、あれだ」

(お、お、お?)

 赤みが目の縁から頬全体へと広がって行く。明らかに兎のロベルトは恥じらっていた。

「彼女の労をねぎらいたいと、思ってな」
「なるほど、それで軟膏を、ってことか」
「うむ。手先を使う仕事だからな!」

 もっともらしい顔で頷きつつ、フロウは調合する精油を小さな黒板に書き留めて行く。
 かりかりと書き込みながら、それとなく話題を振った。

「で、どんな子なんだ、その子は」
「何故それを聞く」
「そりゃあ、喜んで使ってもらうには、送る相手の好みを知っとかないとな?」
「うーむ」

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