▼ 【side3-3】ここまでは仕事
カストロ通りがゲイ・コミュニティの本拠地なのは事実だが、何もシスコのゲイが全てその場所にだけ存在する訳じゃない。
レインボーフラッグこそ背負っちゃいないが空気のようにさりげなく、そこら中に居ると言っても過言ではないだろう。
同好の士が顔を合わせて。普通に飲んで、肩のこらない話をして、意気投合したらベッドの中へご一緒するも自由。飲むだけでさよならももちろん有り。
そんな大人の出会いの場所になる店も、ごく普通に存在する。しかしながら一定のルールは確かに存在し、店の中でコトに及べば手が後ろに回る。あくまでここは飲んで話すだけ、それ以上は店を出てからどうぞ……と、言う訳だ。
その日俺が取材でやってきた店もそんな場所の一つだった。
通りに面したブロンズ色の階段を降りてゆくと、ステンドグラスをはめ込んだ分厚い木の扉に突き当たる。
半分地下に埋もれた店内はそれほど広くはない。濃いめの茶色を基調にした市松模様の床と家具類は人の目と体を柔らかく受けとめて、いい具合にくつろがせてくれる。
「よう、ヒウェル」
「ども、おひさしぶりです」
約束の時間より少し早めに顔を出すと、バーテン兼店主がひょいと片手を上げて迎えてくれた。
大学時代、俺は勉学の傍らこの店でバイトして、学費の一部を稼いでいたのである。賄いが食えるから食費も浮いたし、カクテルや酒のつまみの作り方も覚えた。
なかなか実入りのよいバイトであった……あらゆる意味で。
「早かったな。まだ店開けてないぞ」
「問題ないですよ、話聞きたいのはあなたで客じゃないし。手伝いましょうか?」
腕まくりしてカウンターの内側に入る。
「ついでにインタビュー始めてもいいすかね」
「かまわないよ。むしろ、それが目当てなんだろ?」
「まぁね」
ボイスレコーダーを取り出し、カウンターに置く。
インタビューと言っても肩ひじ張った話をするわけじゃなく。グラスを磨いたり。テーブルを拭いたり。準備をしながら、世間話をするみたいにして言葉を交わす。
実際、録音したことの6割近くは他愛のないおしゃべりだ。
しかし、その中にたまにこちらの仕込んでおいた質問なんかよりよほど気の利いた事が出てきたりするから面白い。
「相変わらず手際がいいな。転職するならいつでも面倒みるぜ?」
「ありがとーございます」
一通り話を聞いて、開店準備もあらかた終わった所で店主がぽそりと聞いてきた。
「ところでこの録音……聞くのはお前さんだけ、か?」
「ええ。アポとるのも、インタビューするのも、テープ起こしするのも書くのも写真撮るのも俺一人、オールセルフです」
「それじゃあ、何言ってもかまわないよな」
「……ええ、まあ、どうぞ?」
こほん、と軽く咳払いすると店主はちらりとこちらを見上げて。かすかに白い歯を見せて、笑った。
「そーいやお前さん、バイトの後でよく客を口説いていたよな」
「…………バレてました?」
「まあな。あの頃はお前さん目当ての客もそこそこ増えていたし。お前も仕事中に口説くことだけはしなかったもんな」
そう、俺が口説くのはあくまで勤務時間外。店の中ではあくまで客と店員、ルールは守った。それ故に大目に見てくれていたらしい。
言うなればここは、バイト先であると同時にかつての俺の狩り場でもあった。
(だから何となく後ろめたかったのだ)
(あわよくば仕事帰りに……なんてことも考えてなかったとは言い切れない)
「ところでこれ、何の取材だったっけ」
「新聞の日曜版」
「いいのかね? うちみたいな『独特』な店」
「いいんじゃないすか? ゲイの集まる店をってことで俺にお鉢が回ってきたんだし。それにゲイだって日曜版は読みますよ」
「ま、そりゃそうだ」
※ ※ ※ ※
やがて店が始まり、ちらりほらりと客が訪れてきた。
手持ちのカメラで仕事中の店主の写真を撮る。
この角度か……いや、こっちからのも捨てがたいな。
ああ、もうちょっと濃い目の酒持ってる絵が欲しい。一枚撮って、これだと思って見ているうちにまた欲が出る。夢中になってシャッターを切っていると、不意に話しかけられた。
音楽的な響きのなめらかな声で。店の喧噪をすうっとくぐり抜け、記憶の底にすとんと届いた。
「もしかして、ヒウェル?」
顔を上げると、仕立ての良い明るいベージュのスーツを着たすらりとした男が立っていた。赤みがかった金髪、わすれな草の花にも似た鮮やかな青い瞳。
「……アッシュ?」
「やっぱりヒウェルだ。久しぶりだね。もしかして仕事中?」
「あ、いや。もう終わります」
相変わらず美人だな。ってか、ますます磨きがかかってる。着ているものの趣味もいい。あの頃の毛並みの良さそのままに、少年から一人前の男になったって感じだ。
いいね。
すごく、いい。
ぱちぱちとまばたきすると、アッシュはちょこんと首をかしげた。
「そっか……それじゃあ、一緒にチョコレートサンデーでもどう?」
「すっごく魅惑的なお申し出ですけど先輩、ここ、飲み屋ですよ?」
「うん、だから、僕の家で」
ああ、なるほど。そう言う意味か。彼も今はフリーってことらしい。きっと冷蔵庫にはチョコシロップと瓶詰めチェリーとアイスが常備してあるのだろう。基本的な手口は変わってないんだな、この王子様は。
カメラをしまって立ち上がる。邪気のない笑顔を浮かべて。
「いいですね! ごちそうになっちゃおっかなー」
店主が目を丸くしてこっちを見てる。彼にだけ見えるよう体をひねり、眼鏡の位置を直すフリをしながら口元に指を当てて笑みかけた。
軽く肩をすくめられる。
ここまでは仕事。でも、これからは……。
「それじゃ、出ようか」
「はい、先輩」
にこにこしながらアッシュと連れ立ち、店を出た。
次へ→【side3-4】★★★絹のネクタイ(1)
レインボーフラッグこそ背負っちゃいないが空気のようにさりげなく、そこら中に居ると言っても過言ではないだろう。
同好の士が顔を合わせて。普通に飲んで、肩のこらない話をして、意気投合したらベッドの中へご一緒するも自由。飲むだけでさよならももちろん有り。
そんな大人の出会いの場所になる店も、ごく普通に存在する。しかしながら一定のルールは確かに存在し、店の中でコトに及べば手が後ろに回る。あくまでここは飲んで話すだけ、それ以上は店を出てからどうぞ……と、言う訳だ。
その日俺が取材でやってきた店もそんな場所の一つだった。
通りに面したブロンズ色の階段を降りてゆくと、ステンドグラスをはめ込んだ分厚い木の扉に突き当たる。
半分地下に埋もれた店内はそれほど広くはない。濃いめの茶色を基調にした市松模様の床と家具類は人の目と体を柔らかく受けとめて、いい具合にくつろがせてくれる。
「よう、ヒウェル」
「ども、おひさしぶりです」
約束の時間より少し早めに顔を出すと、バーテン兼店主がひょいと片手を上げて迎えてくれた。
大学時代、俺は勉学の傍らこの店でバイトして、学費の一部を稼いでいたのである。賄いが食えるから食費も浮いたし、カクテルや酒のつまみの作り方も覚えた。
なかなか実入りのよいバイトであった……あらゆる意味で。
「早かったな。まだ店開けてないぞ」
「問題ないですよ、話聞きたいのはあなたで客じゃないし。手伝いましょうか?」
腕まくりしてカウンターの内側に入る。
「ついでにインタビュー始めてもいいすかね」
「かまわないよ。むしろ、それが目当てなんだろ?」
「まぁね」
ボイスレコーダーを取り出し、カウンターに置く。
インタビューと言っても肩ひじ張った話をするわけじゃなく。グラスを磨いたり。テーブルを拭いたり。準備をしながら、世間話をするみたいにして言葉を交わす。
実際、録音したことの6割近くは他愛のないおしゃべりだ。
しかし、その中にたまにこちらの仕込んでおいた質問なんかよりよほど気の利いた事が出てきたりするから面白い。
「相変わらず手際がいいな。転職するならいつでも面倒みるぜ?」
「ありがとーございます」
一通り話を聞いて、開店準備もあらかた終わった所で店主がぽそりと聞いてきた。
「ところでこの録音……聞くのはお前さんだけ、か?」
「ええ。アポとるのも、インタビューするのも、テープ起こしするのも書くのも写真撮るのも俺一人、オールセルフです」
「それじゃあ、何言ってもかまわないよな」
「……ええ、まあ、どうぞ?」
こほん、と軽く咳払いすると店主はちらりとこちらを見上げて。かすかに白い歯を見せて、笑った。
「そーいやお前さん、バイトの後でよく客を口説いていたよな」
「…………バレてました?」
「まあな。あの頃はお前さん目当ての客もそこそこ増えていたし。お前も仕事中に口説くことだけはしなかったもんな」
そう、俺が口説くのはあくまで勤務時間外。店の中ではあくまで客と店員、ルールは守った。それ故に大目に見てくれていたらしい。
言うなればここは、バイト先であると同時にかつての俺の狩り場でもあった。
(だから何となく後ろめたかったのだ)
(あわよくば仕事帰りに……なんてことも考えてなかったとは言い切れない)
「ところでこれ、何の取材だったっけ」
「新聞の日曜版」
「いいのかね? うちみたいな『独特』な店」
「いいんじゃないすか? ゲイの集まる店をってことで俺にお鉢が回ってきたんだし。それにゲイだって日曜版は読みますよ」
「ま、そりゃそうだ」
※ ※ ※ ※
やがて店が始まり、ちらりほらりと客が訪れてきた。
手持ちのカメラで仕事中の店主の写真を撮る。
この角度か……いや、こっちからのも捨てがたいな。
ああ、もうちょっと濃い目の酒持ってる絵が欲しい。一枚撮って、これだと思って見ているうちにまた欲が出る。夢中になってシャッターを切っていると、不意に話しかけられた。
音楽的な響きのなめらかな声で。店の喧噪をすうっとくぐり抜け、記憶の底にすとんと届いた。
「もしかして、ヒウェル?」
顔を上げると、仕立ての良い明るいベージュのスーツを着たすらりとした男が立っていた。赤みがかった金髪、わすれな草の花にも似た鮮やかな青い瞳。
「……アッシュ?」
「やっぱりヒウェルだ。久しぶりだね。もしかして仕事中?」
「あ、いや。もう終わります」
相変わらず美人だな。ってか、ますます磨きがかかってる。着ているものの趣味もいい。あの頃の毛並みの良さそのままに、少年から一人前の男になったって感じだ。
いいね。
すごく、いい。
ぱちぱちとまばたきすると、アッシュはちょこんと首をかしげた。
「そっか……それじゃあ、一緒にチョコレートサンデーでもどう?」
「すっごく魅惑的なお申し出ですけど先輩、ここ、飲み屋ですよ?」
「うん、だから、僕の家で」
ああ、なるほど。そう言う意味か。彼も今はフリーってことらしい。きっと冷蔵庫にはチョコシロップと瓶詰めチェリーとアイスが常備してあるのだろう。基本的な手口は変わってないんだな、この王子様は。
カメラをしまって立ち上がる。邪気のない笑顔を浮かべて。
「いいですね! ごちそうになっちゃおっかなー」
店主が目を丸くしてこっちを見てる。彼にだけ見えるよう体をひねり、眼鏡の位置を直すフリをしながら口元に指を当てて笑みかけた。
軽く肩をすくめられる。
ここまでは仕事。でも、これからは……。
「それじゃ、出ようか」
「はい、先輩」
にこにこしながらアッシュと連れ立ち、店を出た。
次へ→【side3-4】★★★絹のネクタイ(1)