▼ 【3-10-9】love,you…
白いマグカップに描かれた鮮やかな赤い幻の獣。
ヒウェルのルーツ、ウェールズの象徴、赤いグリフォン(ほんとはドラゴン)。がーっと開けた口から尖った舌なんか突き出して、おせじにも可愛いとは言いがたいご面相の怪獣を大事そうに抱えて、シエンが食後の紅茶を飲んでいる。
すっかりローゼンベルク家の食卓ではおなじみになった光景だ。
(どうしたものか)
何気ない食後の会話の合間、ほんの一瞬眉根がさがり、少し困ったような顔になる。
そんなヒウェルの姿をオティアがじっと見ていた。
(ん?)
気配を感じて視線を向けると、何事もなかったように飲み終わったカップを手に、キッチンへと歩いて行く。
いつものことだ。だが今日ばかりは見送ることができず、席を立ち……自分もカップを手に後をついていった。
この家の食卓とキッチンの間にはドアはない。ただ壁と家具の配置でそれとなく視線と声の流れが遮られているだけで。
それでも二人きりだ。
本当に久しぶりだ。
もしかしたら、あの時以来かもしれない。
「なあ、オティア」
「いいかげんにしろ」
鋭い声にびくっとすくみあがる。
馬鹿な。たかが16の子どもの言葉で金縛りか?
だが……本気で惚れた相手だ。こっちに背中を向けていて、オティアがどんな表情をしているのかはわからない。
それでも、張りつめて力の入った肩と背中を見ればすぐにわかる。
苛々しているって。
こいつは知っている。
知らないはずがないんだ。二人っきりの兄弟、しかも思ってることは口に出さなくても通じ合う間柄なんだから。
(シエンが俺のこと気にしてるのが気に食わないのか)
(それともお前、俺のことを少しは気にかけてくれてるのか? ……それが、自分でも気に食わなくて、そんなに苛立ってるのか)
(どっちなんだ。それとも、両方か?)
喉の奥から掠れた音を絞り出し、言葉の切れはしを綴り合わせる。
「………しかたないだろ………俺……お前が好きなんだから……」
「好きなら全部許されるとでも思ってんのか」
ぎりっと唇を噛む。
痛いとこ突かれたな…。
だけど、答えは決まってる。
最初っから一つしかない。他に変えるつもりもない。
「……お前……なんだよ…お前だけなんだ…」
「とっととあきらめろ。しつこいんだよ」
「できるかよ。あきらめるなんて」
「なら黙ってろ。いちいち相手すんのもしんどいんだよ」
「オティア」
声が重い。膝が細かく震える。
今の俺は、ものすごく思い詰めた表情してるんじゃないかな。
「話は終りだ。もう……二度とそんなことで煩わせるな」
一歩近づく。
それまで俺の方を見もしなかったのが、ようやく顔を挙げた。
「そんなに俺のこと、嫌いか?」
せめて泣くとまでは行かないにせよ悲しげな顔でもできてりゃいいんだが。困ったことにかたっぽの口の端がくっと上がっちまう。
(何だってこんな時に俺は微笑ってるんだろう)
「別に。嫌いじゃない………うざいけど」
「……お前の瞳……きれいだな。くっきりした紫じゃない。ほんの少し霞んでいて、優しい色だ。夜明けの空の雲みたいだ」
「それがうざいっていってんだよ」
「その言葉さえ愛おしくてたまらない」
「どんな変態だよ!」
また顔を背けてしまった。
「平行線だな。通じないとは思ったけど」
「通じてるさ」
力いっぱい抱きしめる。拒まれることを半ば予想していたのだが暴れもせず、小柄な体がすっぽりと腕の中に収まった。
オティアは叫びも罵りもしなかった。
ただ、冷えた声で一言。
「……離せ」
体が強ばっている。怖くてフリーズしてるんだな……すまない、オティア。ほんの少しでいい、時間をくれ。
もう二度とお前を煩わせたりしない。
これで……最後だから。
「一度だけ聞け。一度聞いたら忘れてくれていい」
聞いた後でもしお前が一言、二度と来るなと言うのなら、俺は消えるよ。
部屋も荷物も何もかもそのままにして、行き先も告げずにひっそりと……二度とお前の目の前には姿を現さない。
だから、言わせてくれ。
意を決して告げる。彼の返答次第では、永久の別離にもなり得る言葉を、耳元に。
ため息にも似た、かすれた小さな声で。
「love,you」
それだけ伝えて、手を離した。
オティアは完全に背中を向けてしまった。一言もしゃべらない。
「じゃあな」
震える喉を押さえ込んで。いつもの調子で声をかけ、キッチンを出て。
そのまま食卓には戻らず、部屋を出た。
拒まれなかったことをせめて幸いと思おう。少なくとも失踪まがいの引っ越しをやらかすって選択肢は、選ばずに……済んだのだから。
(赤いグリフォン中編/了)
次へ→【後編】
ヒウェルのルーツ、ウェールズの象徴、赤いグリフォン(ほんとはドラゴン)。がーっと開けた口から尖った舌なんか突き出して、おせじにも可愛いとは言いがたいご面相の怪獣を大事そうに抱えて、シエンが食後の紅茶を飲んでいる。
すっかりローゼンベルク家の食卓ではおなじみになった光景だ。
(どうしたものか)
何気ない食後の会話の合間、ほんの一瞬眉根がさがり、少し困ったような顔になる。
そんなヒウェルの姿をオティアがじっと見ていた。
(ん?)
気配を感じて視線を向けると、何事もなかったように飲み終わったカップを手に、キッチンへと歩いて行く。
いつものことだ。だが今日ばかりは見送ることができず、席を立ち……自分もカップを手に後をついていった。
この家の食卓とキッチンの間にはドアはない。ただ壁と家具の配置でそれとなく視線と声の流れが遮られているだけで。
それでも二人きりだ。
本当に久しぶりだ。
もしかしたら、あの時以来かもしれない。
「なあ、オティア」
「いいかげんにしろ」
鋭い声にびくっとすくみあがる。
馬鹿な。たかが16の子どもの言葉で金縛りか?
だが……本気で惚れた相手だ。こっちに背中を向けていて、オティアがどんな表情をしているのかはわからない。
それでも、張りつめて力の入った肩と背中を見ればすぐにわかる。
苛々しているって。
こいつは知っている。
知らないはずがないんだ。二人っきりの兄弟、しかも思ってることは口に出さなくても通じ合う間柄なんだから。
(シエンが俺のこと気にしてるのが気に食わないのか)
(それともお前、俺のことを少しは気にかけてくれてるのか? ……それが、自分でも気に食わなくて、そんなに苛立ってるのか)
(どっちなんだ。それとも、両方か?)
喉の奥から掠れた音を絞り出し、言葉の切れはしを綴り合わせる。
「………しかたないだろ………俺……お前が好きなんだから……」
「好きなら全部許されるとでも思ってんのか」
ぎりっと唇を噛む。
痛いとこ突かれたな…。
だけど、答えは決まってる。
最初っから一つしかない。他に変えるつもりもない。
「……お前……なんだよ…お前だけなんだ…」
「とっととあきらめろ。しつこいんだよ」
「できるかよ。あきらめるなんて」
「なら黙ってろ。いちいち相手すんのもしんどいんだよ」
「オティア」
声が重い。膝が細かく震える。
今の俺は、ものすごく思い詰めた表情してるんじゃないかな。
「話は終りだ。もう……二度とそんなことで煩わせるな」
一歩近づく。
それまで俺の方を見もしなかったのが、ようやく顔を挙げた。
「そんなに俺のこと、嫌いか?」
せめて泣くとまでは行かないにせよ悲しげな顔でもできてりゃいいんだが。困ったことにかたっぽの口の端がくっと上がっちまう。
(何だってこんな時に俺は微笑ってるんだろう)
「別に。嫌いじゃない………うざいけど」
「……お前の瞳……きれいだな。くっきりした紫じゃない。ほんの少し霞んでいて、優しい色だ。夜明けの空の雲みたいだ」
「それがうざいっていってんだよ」
「その言葉さえ愛おしくてたまらない」
「どんな変態だよ!」
また顔を背けてしまった。
「平行線だな。通じないとは思ったけど」
「通じてるさ」
力いっぱい抱きしめる。拒まれることを半ば予想していたのだが暴れもせず、小柄な体がすっぽりと腕の中に収まった。
オティアは叫びも罵りもしなかった。
ただ、冷えた声で一言。
「……離せ」
体が強ばっている。怖くてフリーズしてるんだな……すまない、オティア。ほんの少しでいい、時間をくれ。
もう二度とお前を煩わせたりしない。
これで……最後だから。
「一度だけ聞け。一度聞いたら忘れてくれていい」
聞いた後でもしお前が一言、二度と来るなと言うのなら、俺は消えるよ。
部屋も荷物も何もかもそのままにして、行き先も告げずにひっそりと……二度とお前の目の前には姿を現さない。
だから、言わせてくれ。
意を決して告げる。彼の返答次第では、永久の別離にもなり得る言葉を、耳元に。
ため息にも似た、かすれた小さな声で。
「love,you」
それだけ伝えて、手を離した。
オティアは完全に背中を向けてしまった。一言もしゃべらない。
「じゃあな」
震える喉を押さえ込んで。いつもの調子で声をかけ、キッチンを出て。
そのまま食卓には戻らず、部屋を出た。
拒まれなかったことをせめて幸いと思おう。少なくとも失踪まがいの引っ越しをやらかすって選択肢は、選ばずに……済んだのだから。
(赤いグリフォン中編/了)
次へ→【後編】