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とりねこの小枝

4.浴室にて

2011/11/23 2:03 騎士と魔法使いの話十海
 若いってのはいいもんだ。
 だが、ある意味、とてつもなく厄介だ。
 ひたすら一途に、ひたむきに。時に獣のようにどん欲に、飢えて、滾って、がっついて……。
 息も絶え絶えにやめろと言ったところで、てんで止まりゃしない。かえって余計に激しくなるから、始末に負えない。

「ダ、イ、ン、も……っ、せめて、ベッドにっ」

 べとつく唇が覆いかぶさり、制止の声を遮った。

     ※

「もう、いいか?」
「まーだ」
「もう、いいだろ?」
「ま、だ、だ」

 そんなやり取りを繰り返しつつ、青黒いどろんどろんの薬草風呂に首まで浸かる。
 ダインはずーっと眉根を寄せていた。時折もぞりと動くのを、やんわりと頭に手を置いて押しとどめる。

「まだだよ、ダイン」
「うー……」

 口をぐんにゃり曲げつつ、大人しく座ってる。可愛いやら楽しいやらで、口元がゆるんだ。その顔を見て、いやがるどころか、ぽやっと頬染めてやがる。

(まったく、素直なわんこだよ)

 浴槽の傍らに椅子を置いて腰かけ、のんびりと本を開いた。
 ちびは近づきもしない。猫(?)なだけにもともと濡れるのが苦手だし、つーんとした植物性のにおいはもっと苦手なのだ。

「もう、いいだろ?」

 読書用の眼鏡を軽く下げて、ためつすがめつダインの全身をねめ回した。椅子に座り、足を組んだままじっくりと。

(落ち着かねぇっ)

 たまらずダインは身じろぎした。これが普通のお湯ならば、ずぶっと頭まで潜りたい所だ。
 ただ見られるより、何倍も『視線』を感じる。なまじすぐそばに『眼鏡』と言うフィルターがあるせいだろうか。上目遣いに見つめてくる蜂蜜色の目が、ことさらに『なまなましい』。
 見られているだけなのに。そもそも自分の体は濁った青黒い薬草湯に沈んでるのだ。見えるはずなんかない。そのくせ、あいつの指が……やたらと器用に動く指先が、肌の上をまさぐり、くすぐったり突いたりしてるような気がしてならない。

 不意にフロウは本を置き、立ち上がった。

「……どぉれ」

 浴槽の縁に手をかけて、上体をかがめてのぞきこんで来た。顎に手がかかり、つい、と誘導される。導かれるまま素直に上を向いた。

「んー、いい具合に染みてるな」

 湯に濡れた指が、顎の下をなで上げる。ぴくっと肩が震え、湯が跳ねた。
 くっ、とフロウの咽が上下する。
 年相応のゆるみと、子供のようなみずみずしさを合わせ持つ不可思議な肌。
 襟つきのシャツと袖無しの上着に隠された、もっと下を思い浮かべずにはいられない。

(笑った)
(笑われた)

 いっそ引きずり込んでやろうかと身構えたその時だ。
 ぽってりした唇が動き、さざ波にも似た言葉が零れ出す。とっさに動きを止めた。動いちゃいけないって思った。
 音は聞こえる。所々覚えのある単語も混じっているが、全てを理解することはできない。
 術を使うための言葉――祈念語(リヒトワード)だ。
 少しは『才能』を活かせと尻をたたかれ頭をぺしられ、さんざ勉強させられてはいるのだが……どうにも頭に入らない。
 湯に浸したり、溶かしたりしたもろもろの触媒に呼びかけ、信奉する草木の神に祈ってるんだろう……多分。

『………願い奉る。かの者の傷を癒したまえ……』

 やっぱりそうだった。

(よし、今のはわかったぞ!)

 拳を握る暇もあらばこそ。ざわ……っと薬湯が波打ち、さざめいて、細かな振動に全身が包み込まれる。

「う……わっ」

 だれきっていたところに干渉され、左目の力が無防備に反応した。
 自分の体に今、何が起きているのか。つぶさに見えてしまう。感じてしまう。
 幾千、幾百もの細かな糸が傷口に入り込み、縫い閉じる。決して痛くはないが、とにかくこそばゆい! 内側から新たな肉芽が盛り上がり、抉られた傷口が塞がる。その感触がまた、むず痒いの何のって。

「うひっ、は、は、やめっ、ひゃっ」

 じたばたする『わんこ』を押さえ込みながら、フロウはようやくおしまいまで呪文を唱え終わり、とんっと指先で額を突いた。

「おわっ」
「出ていいぞ」

 ざばあっとダインが勢い良く立ち上がる。

「ぷはっ」
「だあっ、よせ、しぶきが飛ぶ!」

 慌てて後ずさる。服を濡らされちゃかなわない。それ以前にべっとりにごった滴が眼鏡に飛んだら困る。

「そら、来い」
「へいへい」
「ここに座れ」

 素直に木のベンチに座ったダインの頭から、ざばあっと湯を浴びせた。

「うぶっ」

 手おけで大鍋から汲み上げる。薬湯を作る時、とりわけておいたものだ。わかしたての熱湯がいい具合にぬるくなっている。
 面食らってるところにさらに二杯、三杯と浴びせるうちに、役目を終えた薬湯はみるみる洗い流されてゆく。
 もういいか? とも思ったが、鍋に湯が余っていたので、仕上げにさらにもう一杯。

「ぷっはあっ」
「ほい、これでおしまい。おつかれさん」
「……」

 全身からぼとぼとと滴をたらしながら、ダインはしばらくぼう然としていた。金髪混じりの褐色の髪が、濡れて、ちぢれて、広がって。海草みたいに顔に、首筋に張り付いている。
 濡れた犬にそっくりだ。
 こみあげる笑いをかみ殺しながら、何食わぬ顔で湯船の栓をひっこぬく。

 じょぼ、じょぼ、ごぼ、ごぼぉっ。

 不気味な音と共に、薬湯が排水溝に落ちて行く。
 浸した薬草が詰まらないよう、手をつっこんで拾い上げ、篭に放りこんだ。
 茎についたままの50センチほどの枝。とぐろを巻いたつる草。ホウキと見まごうような葉っぱの束。すりつぶして粉にしたのは、湯と一緒に流す。
 次々に水揚げされる『混浴の友』を、ダインは恨めしげに眉をひそめ、じとーっと睨んだ。
 よくぞまあ、あんなのと一緒に湯に浸かってたもんだ。ぞぞーっと全身が怖気立つ。

「なあ、フロウ」

 ぎこちない仕草で顔をぬぐい、はっとした。
 体の動きが楽になっていた。皮膚の引きつれるような痛みが、根こそぎ消えている! 腕も、肩も、胸も。鞭打たれた傷は一つ残らずきれいに消えていた。
 感心すると同時に、喉元にわだかまる疑問がさらに強くなる。

「もしかしたらこれ、呪文だけで済んでたんじゃねーの?」
「さあて、どうかな? どーにも最近、物忘れがひどくってねぇ」

 楽しそうだ。ものすごく。
 眼鏡の上端をかすめてこっちを見てる。鼻歌なんぞ歌いながら……。
 わかっててやったな、このオヤジ。
 あ、あ、あ。笑ったよ。

「絶対、わかっててやったろ貴様っ!」


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