▼ 3.無い!
2012/02/11 22:31 【騎士と魔法使いの話】
翌朝。
「うー、さぶっ」
ぶるっと身震いしてダインは起き上がった。フロウがかけてくれたはずの毛布はずり落ち、床にわだかまっている。そんなことなぞ露しらず、頭をぼーりぼーりと掻いて。
「俺、寝ちまったのか……惜しいことしたなあ」
たはっとため息一つ。要するに、添い寝の機会を一回逃したのが悔しいのだ。
「あ、やべ」
うっかり騎士団の制服のまま寝ちまった。シャツも上着もしわくちゃだ。
『服装の乱れは心の乱れだ。たるんでるぞ、ディーンドルフ!』
こんな格好、ロブ先輩に見られたらきっと怒鳴られる。
苦笑いと言うには、あまりに楽しそうにくっくっくっと声をたてて笑いつつ。シャツをつかんで胸元の皴を伸ばそうとした手が、はたと止まった。
無い。
あるべきものが、無い!
さあっと青ざめる。待てこらちょっと待て、頼む、気のせいだ。夢であってくれ。虚しい願いにすがりつつ、ごそごそと首の周りを、胸をまさぐる。が、いずれも空振り。
駄目押しでがばっとシャツの前を開けて確かめる。
「無いーーーーーーーーーーーーっ!」
びいんっと窓ガラスが。薬瓶が振動した。
「なーに朝っぱらから騒いでんだようっせえなあ」
時ならぬ絶叫にたたき起こされ、しぶしぶと下に降りたフロウが目にしたのは……
「無いっ、無いっ」
四つんばいになって床をはい回る謎の大動物……いや、ダインの尻だった。
「……ダイン?」
「俺のロケットが無い。どこにも無いんだ! 昨日は確かに首にかけてたのに!」
がばっと立ち上がり、見つめてくる緑の瞳はいじらしいくらいに必死で。心なしか潤んでいるようにさえ見えた。
「あー、あれかあ」
つるりとした楕円形の銀のペンダントロケット。中には、金髪に青い瞳の少女の肖像画が収められている。
ダインの『姉上』だ。
(それじゃ、騒ぐのも無理ねぇか)
そしてもう一つ、蓋の内側には透明な樹脂で固めたラベンダー。他ならぬ自分が術の触媒として使ったのを、後生大事に身に付けてやがる。
「どうしよう。あれ無くしちまったら俺、俺っ」
「ばっか、なーにうろたえてやがるよ!」
わなわな震えて、きゅーっと眉を寄せて。目の回りを赤くして、今にも泣き出しそうだ。
何て顔だ。見てるこっちまで恥ずかしくなってくる。
(あーあ、いい大人がべそかきやがって。何でそう必死になるか。あ、あれだな姉上だな、姉上が大事なんだよな、そうってことにしとくぞ!)
ぽふっと頭に手を乗せてやると、少し呼吸が落ち着いたようだった。そのまま指に髪をからめてくしゃくしゃとなで回す。
「ちったあ落ち着け、騎士さまよ?」
「う……うん」
「夕べ、お前さんの首にかかってたのは俺も見てる。無くしたんなら、おそらくこの部屋の中だ」
「そうだな……そうだよな」
「ちびの巣材にゃ不向きだし、と、なると」
「ぴゃーっ」
「ん、どうした、ちび公」
とりねこの声に目を向けると、耳を伏せてテーブルにうずくまり、一角をじっと睨んでいる。
フロウとダインは顔を突き合わせつつのぞきこんだ。
「ああ、これか」
「何だ、こりゃっ」
テーブルを横切り、ちっぽけな足跡転々と続いている。向かうその先は正しく、昨日ダインが突っ伏していた席だ。
「ちょっと見せてみろ」
「うぇ?」
うろたえるダインの胸元に顔を寄せる。シャツが乱れていた。
いつもの事だが、今日に限っては妙に皴が『細かい』。まるでちっぽけな手でひっつかんで、ぐしゃぐしゃにしたみたいに。
「ふーむ、なるほどねぇ」
「………」
(落ち着かねぇ)
ダインはもそもそ身じろぎした。シャツの合間からのぞく胸にフロウの息が。ヒゲが当たって、こそばゆい。
ほんのちょっとうつむけば、柔らかな亜麻色の髪に唇が届く。
(やばい、これ以上この状態が続いたら、俺、もう我慢できねぇ!)
ふつふつと燃えたぎる若い下心を見透かされたか? 急にぽいっと放り出される。
「う」
ほっとしたの半分。残念なの半分で見下ろせば、フロウはちょこんと床にしゃがみ込んでいた。
蜜色の瞳が見つめる先に転がっているのは、陶器の小皿。毎晩、ミルクを満たしている、あの皿だ。物の見事にひっくり返り、床板にはうっすら白い染みがこびりついている。
「どうやら、ちっちゃいノのご機嫌を損ねちまったようだな、ダイン」
「え?」
慌てふためく若者をちろりとねめ付けると、フロウはくいっと口の端を上げた。
「あいつら銀が好きだからなあ」
「えええええっ! そりゃ、確かにあれ、銀でできてるけど、何でっ?」
「お前さん、ミルクの皿けっ飛ばしただろ」
「……………」
「覚えがないか」
すとんっと床に降り立つと、ちびはふんかふんかとダインのつま先を嗅ぎ、かすれただみ声で一言。
「んびゃああ」
「あう」
「やっちまったなあ」
がっくりと、金髪混じりの褐色頭がうなだれた。
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