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とりねこの小枝

4.ちっちゃいさんを探して

2012/02/11 22:32 騎士と魔法使いの話十海
 
「俺、どうすればいいんだろう……」
「そりゃあやっぱ、謝るしかないだろうなあ」
「……どうやって?」
「どうって」

 ずぞ……とあっためたミルクをすすると、フロウはくしくしと人さし指で無精ヒゲに覆われた顎をかいた。

「基本的には、人間相手と同じさね。手土産の一つも下げて、あちらさんのお家に詫びにうかがうんだ」
「ん、わかった」

 こくっとうなずくと、ダインはようやく目の前の朝食に手をつけた。それまで咽を通らなかったのだ!
 あぐあぐとチーズを乗せたパンをほお張り、スープをすすり、ミルクを流し込む。

(やれやれ、やっぱ腹へってたんじゃないかお前さん)

 とりあえずは一安心。

「う」

 いきなりぴたりとダインの動きが止まった。

「どうした、詰まったか?」

 ぷるぷると首を左右に振る。

「何んだよ、脅かすな……」

 パンくずを口の回りにくっつけたまま、この上もなく真剣な顔で一言。

「ちっちゃいさんの家って、どこだ?」
「……知らん」

 途端にきゅーっと太い眉が下がる。ぐんにゃりと口角が下がり、目尻も下がり、世にも情けない顔になった。

「えーっ」
「あいつら、じろじろ見られんの嫌うからなぁ。ま、そこはそれだ」

 ぺち、と手のひらで額に触れた。目を白黒させるわんこの顔をのぞきこみ、薬草師はゆるりとほほ笑んだ。

「お前さんの、その目の出番だよ。せっかくの才能だ。こう言う時にこそ使わなくっちゃな?」

     ※

 部屋の真ん中に立つと、ダインは目を閉じた。ゆっくりとまぶたを上げながら、左目の奥にあるもう一つの『見えないまぶた』を開く。
 肩の上にはちびがいる。しっぽをピンと立て、細かく震わせて。
 じんわりと目の奥が熱い。
 ゆらありと視界が揺れる。かげろうのようにゆらゆらと、いつもの風景に本来なら見えないはずの『流れ』が重なっていた。

「よし……行くぞ」

 テーブルの下。自分のひっくり返した皿の回りに、ちっぽけな足跡が残っていた。それは右目で見る分には踏み荒らされたミルクの染みにしか見えなかったが。
 左の目にはくっきりと、足跡の放つ淡い緑色の光が見えた。

「やっぱ緑なんだな」
「そんな風に見えるのか?」
「ああ」

 視線を転じれば、目の前にいる薬草師もまた、同じ色合いの淡い光をまとっている。左目の奥に意識を集中すると、さらにその光がくっきりと形を為した。実体のないつる草や葉っぱにふわふわと包まれるフロウの姿をじっと見つめていると。

「こら。俺をガン見してどうするよ」

 睨まれた。ぽわっと小柄な体を包むつる草にそって、一段と眩しい光の粒が走る。

「ごめん、つい」
「ったく」

 テーブルの足、テーブルの上、そして自分のシャツの胸元に押された『ちっちゃいさん』の痕跡をしっかりと覚え込む。猟犬がにおいを嗅ぎ取るように、丹念に。
 後は、たどればいい。
 床の上を横切り、壁で途切れたがそれは右目に見える足跡だけ。左目には、壁を抜けて続くちっぽけな足跡のラインがはっきりと見えていた。

「こっちだ」

 ちっちゃいさんの痕跡は、家中至る所にあった。新しいものはくっきり強く。古いものはほんわり淡く。文字通り縦横無尽に動き回っていた。たまに天井まで過っていたりして……(どうやって登ったんだろう?)

「なんか、この家、すごいな」
「珍しいこっちゃないさ。古い家には大抵、住み着いてるもんだぜ?」
「そうなのかっ!」
「ここはポイントに建ってるから、出入りが楽なんだろ」
「ああ、確かに」

 古い家の中には、うっすらと綿を刷いたように力の流れがふわふわと漂っていた。
 幾重にも違う色合いの重なる、虹のような『境界線』と。それ自体には色はないが、木や火、土、水、あるいは風。この世に存在する諸々の元素(エレメンツ)と触れ合った瞬間、それぞれの色を帯びる『力線』。
 絡み合い、重なり合い、時折、ぷくっと泡のように膨らむ。透き通る小さな球体の中に、束の間異界の景色が浮かぶ。水の中、雪と氷に閉ざされた極寒の土地、あるいはみっしりと濃い緑の生い茂る、南国の密林。

「やっぱ、森の風景が一番多いな……あと草原も」
「見えてるのか」
「うん、ちっちゃくてすごい早さで消えちまうけど、緑のもわっとしたのは何となく」
「何それ、ずりぃ」

 にゅうっと口をひん曲げると、フロウは手のひらでぺちっとダインの額を叩いた。

「ってぇなあ」
「ほら、さっさと行け!」
「へいへい」

 足跡を辿り、裏庭に出る。
 井戸の手前に、力の流れが密集していた。
 寄り集まって地面から燃え上がり、ゆらゆらと揺れるその様は、まるでそれ自体が一つの木のように見えた。
 四方に延びた枝の合間で、時折ぷくっと膨らむ異界の泡は、店の中で見たものよりもずっと大きい。

「オレンジ、いや、リンゴくらいあるな」
「何が?」
「境界線と、力線。ここで絡み合って木みたいに伸び上がって……」

 地面から手を持ち上げ、顔の高さでひらひらと動かす。今しも指の通り抜けた位置で、ぷくっと異界を映す『泡』が膨らみ、また消えた。

「枝の部分で泡みたいに膨らんで、異界の景色が見える」
「ほんと、便利な目だな……」

『ちっちゃいさん』の足跡は、『木』の回りでぐるぐると幾重にも円を描いていた。
 どうやら、お気に入りの場所のようだ。だが、動きがあまりに激しく、せわしない。躍りでも踊っているようで、休んでいる様子はない。

「家って訳じゃないみたいだな」
「だ、ろうなあ。騒がし過ぎて、落ち着かん」
「うん、なんか、皮膚の内側がざわざわする」
「ポイントだからな。生きる力が、活性化されるんだ」

 井戸の回りに広がる薬草畑には、この寒い中でも青々とみずみずしい葉が生い茂っていた。

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