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とりねこの小枝

3.差し伸べられた手

2011/11/23 0:53 騎士と魔法使いの話十海
 
「お前さん、怪我してんのかい?」

 急に話しかけられた。のほほんと間延びした、男の声で。
 日なたと、草と、花の香りをかいだ
 夜の湖で、一人きり。だのに何故だか、剣を抜く気にならなかった。

「……うん」
「どれ、見せてみろ」

 妙にふわんふわんした髪の、背の低い男が居た。肩から重そうな鞄を下げて、革の胴衣に外套羽織っただけの軽装で。見たところ大した武器も持ってない。

「お前さん、運がいいぜ? 俺ぁご覧の通り薬草師だからよ!」

(ああ、だからこんな、いいにおいがするのか)

 年齢は多分、自分より上なんだろう。それにしたって、顎をうっすら覆う無精ヒゲでそうと判断しただけ。
 二重瞼と長い睫毛に縁取られたぱっちりした瞳、ふっくらした口元なんか、下手すりゃ年下に見えるくらいだ。蒸したてのパンみたいな。皮をむいたゆで卵みたいな、妙につるんとした肌合いのせいもある。
 いったいこいつは、大人なのか。子供なのか?
 目をこらすと、首のあたりにわずかなゆるみがある。ってことは、けっこう年齢が行ってるのかも知れない。

 言われるままに大人しく、頭と体の傷を見せる。

「相当酷くやられたねえ。こりゃ相手は人間でも、獣でもないだろ」
「オーガーだ。かなりでかい奴だった」
「ああ、北の渓谷に出たってな。ってお前さん、あっちから歩いて来たのかよ!」
「うん」
「無茶するねぇ。どぉれ」

 薬草師は鞄から、何種類か葉っぱを引っ張り出して、真剣に吟味してる。

「これと、これ、と……ん、こんなところかな」

 3種類ばかり取り出し、いきなり自分の口に入れた。

「へ?」
「乳鉢も鍋もないんだ。こうするしかないだろ」

 もごもごやりながら、こともなげにそいつは言った。

「何、よくあることだって。心配すんな」
「……わかった」

 ぽやーっとしながら見守った。
 脇腹の傷に、そいつが顔を寄せて。もぐもぐと噛んで混ぜ合わせた薬草を、舌先で丁寧に塗り込んで行くのを。

「ぶはっ、くすぐってぇ!」
「こら、動くな、まだ終わってねぇ!」

 あっと思ったら俺の背に腕が回されていた。
 肌がむずむずした。本当に、久しぶりだったんだ。
 自分以外の誰かと、こんな風に触れ合うのは。

「あいつらの武器は、手入れが悪ぃからな。錆びたり、腐肉がこびりついてて、きちんと手当てしないと後で痛い目見るぞ!」
「わ、わかった」

 小柄な薬草売りのおっさんは、俺の体にしがみついて。どんなちっぽけな傷も逃さずに、丁寧に舐めてくれた。塗り込まれるほどに、いやな疼きを放っていた傷口は、みるみる静まって行った。
 優しい手に包み込まれたみたいに。

「よし、後は、その頭だな……かがめ」
「わかった」

 肌に触れていた男の体が離れて行く。急にひんやりして、寂しかった。

 ぺちゃり。くちゃり。

 額の傷を舐める音が響く。妙に艶っぽい。何だか落ち着かない。

「ま、まだか?」
「まだだ。ここが一番酷いぞ? よくこんなんで歩いて来れたもんだ」
「痛いって、気がつかなかったんだ」
「ったく、呆れた奴だね!」

 軽口を叩きながら、男は額の傷に布をあてがい、ぐるりと包帯を巻いた。

「大げさだなあ」
「頭の傷は、大事なんだよ。そら、これでも食っとけ」

 差し出された木の実を素直に口に入れる。
 がしっと噛んだ瞬間、口が歪み、咽が震えた。

「に……にっげぇえええっっ! 何だこれっ!」
「あぁ? 栄養剤代わりだよ。かなり血が抜けてたからな」
「口、口歪むっ! しびれるっ! 本当に薬なのかこれはーっ!」
「まあ、本来なら煮詰めて、濾して、もーちょっと灰汁抜いとくんだけどな。生でも効き目は変わらん」
「だったら、せめて、飲めって言えよ!」
「噛まないと、体に悪いだろ?」

(こっ、こっ、このおっさんはーっ!)

 助けといてもらって言うのも何だが、えらく人食った野郎じゃないか!
 さくさくと後片づけする背をにらんでいると、男がふと、俺の脱いだ上着に目を止めた。

「あれ。この制服、西道守護騎士団の……ってことはお前さん、騎士だったのか」
「悪ぃか」
「ああ、確かに口は悪いな」
「んだと?」
「よしよし、元気出てきたな、坊主!」

 にんまり笑って、頭なんか撫でてやがる。子供か俺はっ!

「坊主じゃねえっ!」
「じゃあ何て呼べばいい」
「ディートヘルム・ディーンドルフ」
「長ぇな」
「通り名は、ダインだ」

 ごく自然に問い返していた。単におっさんと呼ぶのをためらったからじゃない。そいつのことを知りたいって思ったんだ。

「あんたのことは何て呼べばいい?」
「俺は、フロウだ」
 
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