▼ 2.手向けられた花の数だけ
2012/01/14 17:54 【騎士と魔法使いの話】
騎士団の砦に赴き、勤務表を受けとって思わず舌打ちした。
ついてない。よりによって、こんな時に限って巡回の受け持ちが創世神殿……リヒトマギアの神殿を含む地域だなんて。
始まりにして終わりの神、リヒトマギアの神殿には、町の共同墓地がある。
また油断するとこの墓地ってぇのは、人気がないのをいいことに盗賊の類いがたむろしたり。供物や副葬品を狙う墓泥棒がうろついたり、果てはよからぬ術式をおっぱじめる輩が忍び込んだりするもんだから……
巡回をおろそかにする訳にも行かない。
ひっそりと苔むした墓石。
そこに刻まれた故人の名前。手向けられた花。たたずむ人は心なしかうつむき、亡き人を偲ぶ。
墓石に話しかける姿も何度か見かけた。
嫌でも思い出してしまう。
『30年も過ぎれば、俺は70だ。死んでてもおかしかないだろ?』
記憶が生々しく蘇る。
境目はほんの一瞬。
まばたきよりもなお早く、そこを過ぎれば全てが変わる。そのくせ、いつ通り過ぎたかまるでわかっちゃいないんだ。
ついさっきまで温かく頬を包んでいた手が、今はぐにゃりと力なく、冷たい。
そこに居るのは確かに姉上のはずなのに、生きて動いていた時とは、根本的に形そのものが変わってしまったように見えた。
髪の毛もつやを失い、ぱさぱさした糸の束みたいに頭にへばりついている。
ただ、命が消えただけなのに。
ただ、死んでしまっただけなのに。
姉上は、もう、どこにもいなかった。
無意識のうちに、首にかけたロケットを握りしめていた。手のひらに楕円の形がめり込むほど、強く。
並ぶ墓石の下には、『誰かの大切な人』が眠ってる。
手向けられる花の数と同じだけ、残された人がいる。
※
神殿の巡回担当になってから四日目のことだった。
その日も、墓石の一つの前にたたずむ女性がいた。年は30かそこらってとこだろうか。身に付けた帽子の下から、癖のある灰色がかった金髪がのぞく。黒いヴェールで顔はよく見えないが、ぴしっと背筋の伸びた人だった。
すんなりした体を、飾り気のない黒と灰色のドレスが覆っている。
墓石の前には、真新しい花輪が供えられていた。
誰を亡くしたのだろう。
誰を偲んでいるのだろう。
あの墓石の下には、誰が眠っているのだろう。
亡くした時、何を思ったのだろう?
ちかっと、銀色の光の粒が瞬いた。手袋を外した、彼女の左手。その薬指の根元から。
ああ。
この人は、夫(つれあい)を失ったのだ。
どうあがいたって俺はフロウより20歳年下だ。避けられない悲しみと向かい合った瞬間、どうすればいいのか。押し寄せる不安にどう立ち向かえばいいのか。
彼女に問うた所で、答えが得られる保証はない。にも関わらず、足を留めてしまう。
と、その時だ。
びゅう、と突風が吹き抜け、彼女の帽子を舞い上げた。
「あ……」
彼女は手を伸ばしたが、届かず指先をすり抜けてしまった。
黒い帽子がまるで翼のようにヴェールを翻し、くるくると、ゆるやかに回りながら舞い上がる。とっさに走り出し、地を蹴って、飛んだ。
「っせいっ!」
伸ばした手が、はしっと帽子の端を掴む。
やった!
……と思った瞬間。
どすんと着地したその足下に、やけに丸っこい小石が転がってたりする訳で。あっと思った時は空と地面が入れ替わり、派手にすっ転んでいた。
「ってえ………」
「あの」
足早に彼女が近づいて来る。それほど急いでいるように見えないのに、もう、すぐそこに居た。けっこう素早いな。
「お怪我、ありませんか?」
「……や、大丈夫、大丈夫ですから!」
むくりと起き上がり、帽子の土ぼこりを払って差し出した。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
彼女の瞳は、明るい藤色をしていた。
次へ→3.残るは笑みかため息か
ついてない。よりによって、こんな時に限って巡回の受け持ちが創世神殿……リヒトマギアの神殿を含む地域だなんて。
始まりにして終わりの神、リヒトマギアの神殿には、町の共同墓地がある。
また油断するとこの墓地ってぇのは、人気がないのをいいことに盗賊の類いがたむろしたり。供物や副葬品を狙う墓泥棒がうろついたり、果てはよからぬ術式をおっぱじめる輩が忍び込んだりするもんだから……
巡回をおろそかにする訳にも行かない。
ひっそりと苔むした墓石。
そこに刻まれた故人の名前。手向けられた花。たたずむ人は心なしかうつむき、亡き人を偲ぶ。
墓石に話しかける姿も何度か見かけた。
嫌でも思い出してしまう。
『30年も過ぎれば、俺は70だ。死んでてもおかしかないだろ?』
記憶が生々しく蘇る。
境目はほんの一瞬。
まばたきよりもなお早く、そこを過ぎれば全てが変わる。そのくせ、いつ通り過ぎたかまるでわかっちゃいないんだ。
ついさっきまで温かく頬を包んでいた手が、今はぐにゃりと力なく、冷たい。
そこに居るのは確かに姉上のはずなのに、生きて動いていた時とは、根本的に形そのものが変わってしまったように見えた。
髪の毛もつやを失い、ぱさぱさした糸の束みたいに頭にへばりついている。
ただ、命が消えただけなのに。
ただ、死んでしまっただけなのに。
姉上は、もう、どこにもいなかった。
無意識のうちに、首にかけたロケットを握りしめていた。手のひらに楕円の形がめり込むほど、強く。
並ぶ墓石の下には、『誰かの大切な人』が眠ってる。
手向けられる花の数と同じだけ、残された人がいる。
※
神殿の巡回担当になってから四日目のことだった。
その日も、墓石の一つの前にたたずむ女性がいた。年は30かそこらってとこだろうか。身に付けた帽子の下から、癖のある灰色がかった金髪がのぞく。黒いヴェールで顔はよく見えないが、ぴしっと背筋の伸びた人だった。
すんなりした体を、飾り気のない黒と灰色のドレスが覆っている。
墓石の前には、真新しい花輪が供えられていた。
誰を亡くしたのだろう。
誰を偲んでいるのだろう。
あの墓石の下には、誰が眠っているのだろう。
亡くした時、何を思ったのだろう?
ちかっと、銀色の光の粒が瞬いた。手袋を外した、彼女の左手。その薬指の根元から。
ああ。
この人は、夫(つれあい)を失ったのだ。
どうあがいたって俺はフロウより20歳年下だ。避けられない悲しみと向かい合った瞬間、どうすればいいのか。押し寄せる不安にどう立ち向かえばいいのか。
彼女に問うた所で、答えが得られる保証はない。にも関わらず、足を留めてしまう。
と、その時だ。
びゅう、と突風が吹き抜け、彼女の帽子を舞い上げた。
「あ……」
彼女は手を伸ばしたが、届かず指先をすり抜けてしまった。
黒い帽子がまるで翼のようにヴェールを翻し、くるくると、ゆるやかに回りながら舞い上がる。とっさに走り出し、地を蹴って、飛んだ。
「っせいっ!」
伸ばした手が、はしっと帽子の端を掴む。
やった!
……と思った瞬間。
どすんと着地したその足下に、やけに丸っこい小石が転がってたりする訳で。あっと思った時は空と地面が入れ替わり、派手にすっ転んでいた。
「ってえ………」
「あの」
足早に彼女が近づいて来る。それほど急いでいるように見えないのに、もう、すぐそこに居た。けっこう素早いな。
「お怪我、ありませんか?」
「……や、大丈夫、大丈夫ですから!」
むくりと起き上がり、帽子の土ぼこりを払って差し出した。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
彼女の瞳は、明るい藤色をしていた。
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