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とりねこの小枝

2.こぼれたミルク★

2012/02/11 22:30 騎士と魔法使いの話十海
 
 ひしひしと冷え込む冬の夜。
 薬草屋のフロウライト・ジェムルは、近づいてくる重たい蹄の音を聞きつけた。
 馬や馬車で訪れる客も居ないでは無いが、この足音は特別だ。その予想を裏付けるように、膝の上で丸くなっていた黒と褐色斑の猫がむくりと起き上がり、かぱっと赤い口を開けた。

「とーちゃーん」

 的中。
 
 ほどなく扉が開き、ぬうっと図体のでかい若い男が入ってきた。

「ただいま……」
「何でぇお前さん、ずいぶんとまあぼろぼろだねぇ」
「ん……」

 わしっと抱きついてくる頑丈な体を、苦笑しながらも受け止める。
 土ぼこりと、金属と、やや酸味の混じった汗のにおいを嗅いだ。
 ぱたぱたと手のひらでがっちりした体をなで回す。痛がる気配もないし(もっともこいつは痛みに鈍いのだが)、血が出ている様子もない。目立った怪我はないようだ。
 身につけているのは前立てを黒、袖と身頃は生成りの薄茶色で仕立てた詰襟の軍服。上からは油抜きしていない羊毛で織った丈夫な外套を羽織っている。
 騎士団の制服のまま、仕事明けで、そのまま押しかけてきたのか。いくら明日から非番とは言え……

「兵舎で一眠りしてからでもいいだろーによお」
「やだ。お前に会いたかった」

 間延びした声が首筋に響く。当たる息がくすぐったい。

「言ってろ、わんこめ」

 唇を重ねる間、ちびは感心なことに『ぴゃ』とも『ぴぃ』とも鳴かず、おとなしく足下に座っていた。ちゃっかり二人の間をするりするりとすり抜けて、やわらかな毛並みでくすぐりはしたけれど。

 最初は軽く触れ合わせ、ぷにぷにとした感触と温かさを味わう。次いで角度を変えながら何度も浅くついばみ、小鳥のさえずりにも似た音を立てて。かと思えば不意に唇だけであむっと上と下を交互に含み、濡れた口の端を舌先でなぞる。
 ぴくりと震えた所で改めて深く重ね、舌を差し入れて……。
 長い長いキスの後、すっかりぬるぬるになった唇が離れると、フロウはぷはーっと音を立てて空気をむさぼった。

「お前さん、こんなにねちっこかったっけ?」
「仕込みがいいからな」
「はっ、どこで仕込んできたんだか」

 こつりと額と額を触れ合わせ、若葉色の目がのぞきこんでくる。いつもよりほんの少し色の濃くなった蜜色の瞳を。まっすぐに。たじろぎもせずに。

「お前だよ。お前のマネしてるだけだ」
「俺、こんなにねちっこくないもーん」

 ぷい、と拗ねた顔をしてそっぽを向くフロウの頬に、ちゅくーっと音を立てて派手な接吻一つ。仕上げに耳たぶをぺろりと舐めると、すくみあがってにらみ付けてきた。

「うぶっ、な、何しやがるっ!」
「自覚ないんだな」
「何っ?」

 ふっと軽く唇をつきだして笑うと、わんこ騎士はちょっぴり元気を取り戻した声で一言。

「腹減った」
「はいはい。ちょっと待ってろ、店閉めて来るから」

 よほど疲れたらしい。
 食事の途中から既に、ダインはうつらうつらと船を漕いでいた。
 いつスープの中に鼻つっこむかと気が気では無かったが、空腹が眠気に勝ったらしい。
 空っぽになった皿を台所に下げ、戻ってきた時はもう、テーブルに突っ伏して爆睡していた。

「おい、ダイン。ダイン?」

 呼んでも揺さぶっても「んー」と鼻の奥で鳴くばかり。目覚める気配は微塵もない。それどころか、もそもそと腕で顔を覆う始末。岩のように、山のように動かない。

「ったくしょうがねえなあ」

 フロウは舌打ちして肩をすくめた。

「俺じゃ、運べないっつの」
「ぴゃあ」

 小柄な薬草師はどう背伸びしたところで、ダインの肩に届くかどうか。こんな重たい図体を抱えあげるなぞどだい無理。引きずったところで、翌朝腰を傷めるのが関の山。
 とりあえず……
 火を落としても暖炉はしばらく暖かいし、さすがに明け方には目を覚ますだろう。爆睡しているわんこに毛布をかけると、フロウはちびを抱えて寝室へと向かうのだった。

「こまったとーちゃんだな」
「ぴぃい」
「よしよし。あったかいなーちびは」

 フロウとちびが二階に上がってからも、ダインそのまま泥のように眠りこけていた。
 だが、テーブルの上だ。寝心地満点とは言いがたい。
 堅い天板に突っ伏していて、さすがに体が痛くなったのか。しばらくすると、眠ったまんまごろりと寝返りを打った。
 その拍子に足が妙な具合にぐりんと動き、本来なら届かないはずの物を蹴飛ばしていた。
 いつものようにひっそり置かれた、ミルクの小皿を。

     ※

 真夜中を過ぎたころ。
 一見、何もないように見える壁の一角がわやわやと歪み、ぽこっと小さな穴が開く。
 中から出てきたのは、二本足で歩くちっぽけな生き物。それも一匹ではない。ころころ丸っこい二頭身、細く短い足でもっちもっちと列になって歩き、いつもの小皿を目指す。

「きゃわ、きゃわわ」
「うきゅ、きゅるるー」

 小鳥のように小さな声でさえずりながら。きゃっきゃきゃっきゃと騒ぎながら。夜中のミルクは彼らにとって、毎日欠かせないお楽しみなのだ。
 しかし、小皿にたどり着いた途端、ちいさな生き物はそろって憤慨した。

「きゅーっ、きゅきゅきゅ、きゅーっ!」

 ぱたぱたと両手を振って、ぐるぐる走り回る。顔を真っ赤にして、だんだんっと地団駄を踏んでる奴もいる。

「うきーっ、うききーっ!」

 やにわに一匹がけたたましく叫んだ。指さしているのは、ぐっすり眠るダインの足。
 頑丈なブーツのつま先が、ちょっぴりミルクで濡れていた。

 ちいさな生き物は交互にブーツを嗅ぎ、うなずきあうと一斉に、よじ登り始めた。テーブルの足を、よじよじと。ちっぽけな手足で意外に素早く、よじよじと。一匹が登り切ると次の奴を上から引っぱり上げて。
 一糸乱れぬチームワークでテーブルを踏破すると、ちいさな生き物は腕組みしてじとーっとにらみ付けた。
 何一つ知らず、幸せそうに眠り惚けるわんこ……いや、ダインを。

「うっきゅー!」

 一匹がぴしっと右手をかかげて指さした。

「うきゅっ」
「きゅわっ」
「きゃわわー」

 それを合図に、ちいさな生き物はダインに向かって突撃をかけた。

「きゃわわー!」
「きゃわ!」

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