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とりねこの小枝

2.孤独な盾は一人佇む

2011/11/23 0:51 騎士と魔法使いの話十海
 
 辺境での怪物討伐戦。
 先陣切って飛び込んだ先に、大物が居た。だからって今更退く訳にも行かない。

(俺の背後を守る盾はいない)
(俺に続く剣も無い)
(己一人の力で切り抜けるより他に道は無い)

 下手に手負いで逃せば、さらに暴れて害となる。今、ここで仕留めるしかない。
 がん、と兜の上から殴られたが、怯まず前に出た。背中をかきむしる爪と殴りつける拳に耐え、深々と急所を抉った。
 ついに切っ先が頭の後ろから付き出し、戦鬼は息絶えた。

「はーっ、はーっ、はーっ……」

 べっとりと髪が濡れている。だが汗にしては多すぎる。凹んだ兜の一角が妙に涼しい。
 地面に落ちた敵の武器を見て、得心が行った。俺は殴られたんじゃない。切られていたのだと。とんでもなく刃の分厚い、剣と言うより鉈に近いばかでっかいいびつな刃物で。
 
 後続の本隊と合流し、撤退が始まった。鎧の下でかなり血が出ていたようだが、歩けないほどじゃない。
 妙に足下が滑るのは、降り積もった落ち葉のせいだ、きっと。ぐらぐらと視界が回ってるのは、腹が減ってるからなんだ。

(認めるな、考えるな、自分が弱っているなんて。剣はまだ折れちゃいない。盾はまだ割れてはいない)

 ようやく休止が告げられた時は、膝から崩れ落ちそうになっていた。
 どうにか踏みとどまって、立ち木に寄りかかってやり過ごす。ここで座ったら、もう二度と立てなくなりそうな気がしていた。
 耳の奥でザーっと乾いた音がする。嵐のような。叩きつけるみぞれのような音だ。

(ほんの少しだけ、目を閉じよう。ほんの短い間でいい。そうすれば、きっとまた立てる………)

 意識が霞みに飲まれかけ、慌てて目を開ける。
 辺りが妙に静かだった。ぽつーんと一人、自分だけ周囲から切り取られたようなこの感覚は、困ったことに馴染みがあった。

「参ったな」

 また、置き去りにされちまった。
 いつもの事だ。
 休憩が終わったけれど、誰も声をかけずに出立した。ただ、それだけだ。
 長々と吐き出す息は、濃厚な鉄サビの味を残して通り抜けた。

『俺はまだ戦えます。だから捨てないで! 置いてかないで!』

 咽の奥が塩辛い。泣きそうだ。でも泣いてはいけない。
 泣きべそばっかりかいていたディーはもうここには居ない。
 騎士ディートヘルム・ディーンドルフは断じて泣いたり、へたばったりする訳にはいかない。そんな事、あってはならないんだ。

 切れない剣は捨てられる。
 割れた盾では守れない。

 剣を杖代わりに、震える足を前に踏み出す。
 かえって気が楽になった。多少、歩みが遅くなったところでもう、行軍に迷惑をかける事もないんだからな。

「……あ……水」

 吹き抜ける風が湿っていた。この先に水場があるんだ。
 
      ※

 たどり着いた湖のほとりで、兜を外し、水をむさぼる。
 鎧を外し、服を脱ぐと、体中に打ち身と切り傷ができていた。向こうも死にたくなかったんだろう。必死で俺を引きはがそうとしたんだ。
 疼く傷口を、冷たい水で洗った。
 改めて知る刻まれた傷の深さに、敵の死に際の足掻きが。不規則な痙攣が指先に蘇る。

「…………」

(俺も、ここで死ぬのかな)
 
 あり得ない。
 まだまだ体の奥には力が残ってる。アインヘイルダールの駐屯地まで、帰り着く自信があった。

 だが、果たしてそれを隊の連中は望んでいるのだろうか?

『何だ、生きてたのか』 
『くたばるなり、どこぞに逃げるなりすれば良かったのに』

 口にこそ出さないが、望む者は多い。

「くそ、染みるなあ……」

 ぽつっと、水に溶けた血が一滴、水面を揺らした。
 その時だ。
 
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