▼ 1.私の騎士に会いに行く
2011/12/26 0:04 【騎士と魔法使いの話】
ド・モレッティ伯爵の居城は、西の辺境を統べる西都ヴェスタハーゲンにある。
彼が団長を務める西道守護騎士団の本部もそこにあるからだ。
普段は家族ともども西都の城に住んでいるが、月に何度かはアインヘイルダールの駐屯地に赴き、砦にほど近い場所に建てられた別館に滞在する。
団長なのだから当然の務め。その間は奥方とも、四人の可愛い可愛い可愛い(以下略)娘たちとも離れて過ごさなければいけない。
幸い、ここ1、2年は長女の一の姫ことマイラが女領主としての才覚をめきめきと表してきたこともあり、彼女に城をまかせて奥方を伴うことも増えてきた。
しかしながら、やっぱり娘と離れるのは父親として寂しいらしい。
だがこの春、ド・モレッティ伯爵の寂しい単身赴任に若干の変化が出てきた。
正確には、春にアインヘイルダールで行われた馬上槍試合を境目に。
何と。引っ込み思案で滅多に城から出たがらないはずの末娘が。四の姫ことニコラが、こんな事を言いだしたのだ!
「お父様! 次のアインヘイルダールへの出向、私も一緒に行っていい?」
「もちろんだとも!」
四の姫ニコラは、小さな頃体が弱かった。そこで一時期アインヘイルダールの別館で育てられていた。
何となればこの町には、世界を支える大いなる力の流れ、すなわち『力線』が通っている。
その影響で土地の力そのものが活性化し、土地に根付く草木も、生き物も、みなすくすく丈夫に育つ。
力線の恩恵を受けてニコラは健やかに育ち、丈夫で元気な娘に成長したのだった。
ちょっとばかり元気になりすぎた感が無きにしもあらず。だが、そこは親のひいき目。
揺り籠の中でかぼそい声で泣いていた青白い赤ん坊が、今や薔薇色の頬で駆け回っているのだ。
笑顔にもなろうと言うもんである。
ド・モレッティ伯としては、幼少時代を過ごした懐かしい町で過ごしたいのだろうな、ぐらいにしか認識していなかったのだが。
四の姫も御年14才。男親の予想の斜め上をぶっ飛ぶお年ごろ。アインヘイルダールを訪れる目的は、きっちり別にあった。
毎日のようにさりげなくおしゃれをして……さらさらした金色の髪の毛には入念にブラシをかけ、顔も手も丁寧に洗い、マイラ姉様からもらった薔薇水をすり込んで入念にマッサージ。
口紅はまだ早いから使わせてもらえないのがちょっと残念。お気に入りの水色のリボンを結んで、いつもよりほんの少し裾を長く、ウェストを絞って、袖を膨らませたドレスを着る。
そして、足取りも軽やかに向かう先は西道騎士団の砦なのだった。
それほど時間はかからない。ド・モレッティ伯の館からは地続きだし、ほとんど離れていないから、お供を連れて行く必要もない。
お父様に会いに行きます、と言えば、婆やも爺やもあっさり行かせてくれる。
しかしながら、ニコラ姫が向かうのは団長の執務室ではなく……若い騎士たちのたむろする屯所なのだった。
さりげなく通りかかったふりをして尋ねる。
「ディーンドルフはどこ?」
声をかけた相手は、訓練所を卒業して先月配属されてきたばかりの若い騎士たち。年も近いから何となく話しやすかったのだ。
『あ、女の子! 女の子だ!』
『だれ?』
『団長のお嬢さんだよ。伯爵家のお姫様だよ!』
ざわめく少年たちの中から一人、銀髪の騎士がすうっと進み出て、答えてくれた。
「ダイン先輩なら、厩舎ですよ」
「ありがと!」
ドレスの裾を翻して駆けて行く。
屯所のすぐ裏手、中庭に面した広い厩舎には、騎士たちを乗せる馬がずらりと並んでいる。どの馬も筋骨隆々とたくましく、鼻面からして幅広い。筋肉の盛り上がった四本の脚は、丸太みたいだ。
ぶるるる。
ぶひんっ!
巨大な生き物の声と、におい、体から発する熱のこもった通路を歩いて行く。
彼がいるのは……正確には、彼の馬が居るのは、一番奥だ。
ディートヘルム・ディーンドルフは上着を脱いで腕まくりをして、藁まみれになって馬の世話していた。
弓を引くのは兵士の仕事、武器の手入れと馬の世話は従者の仕事……なんぞとのんきな事を言ってられるのは王都あたりの恵まれた騎士さまなればこそ。
西の辺境(どいなか)では、自給自足が基本。全て自分でやらなきゃいけない。自らピッチフォークを振るって馬房の寝わらを交換し、飼い葉をあたえ、水を飲ませるのだ。
「ディーンドルフ!」
「やあ、レディ・ニコラ!」
くったくのない笑顔で出迎えられる。どっきん、どっきんと炒った豆みたいに飛び跳ねる心臓を押さえて、ついっと顎をそらせた。
「あなた、隊の子たちにダインって呼ばれてるのね」
「あー、ほら、長い名前は言いづらいから」
うん、知ってる。名乗る時もいつもそうだって。
『ディートヘルム・ディーンドルフ。通り名はダインだ。好きなように呼べ』
「何だったら、君も呼んでいいぞ。ダインって」
「いいでしょう」
鷹揚にうなずく。
だけど言えなかった。
「わたしの事もニコラって呼んで」とは。
レディって呼ばれるのが嬉しいからってこともある。だけどそれ以上に、恥ずかしかった。照れ臭かった。
ぶふーっ!
なまあったかい風が顔をなで、髪を舞い上がらせる。
「ひゃっ」
(ひゃって何! もっと可愛い声出せないの? ああもう私のバカっ!)
「こら、黒!」
ぬうっと伸ばされていた馬の鼻面を、ダインの手が軽く叩く。
「こいつ、ご婦人にはやたらと愛想が良くってさ」
「よろしいんじゃないの? 騎士の馬として相応しい礼儀じゃなくて?」
(しまったぁ!)
ニコラはこっそり、首をすくめた。
(何、えらそうなこと言ってるの私ってばかわいげないーっ! ぜったい、生意気って思われた。わぁん、どうしよう、どうしよう、どうしようっ!)
「ははっ、それもそうだな!」
笑ってる!
「これから、ひとっ走りする所なんだ。よろしければ、ご一緒に……」
「行く、行く、乗りたい!」
手際よくダインが馬具をつけるのを見守った。
「……よし、準備完了」
手綱をとって厩舎から出ると、ダインは身軽にまたがった。
(え、え、何、一人でさっさと行っちゃうつもり? 乗せてくれないの? 自力でよじ登れってこと?)
小山のような黒馬を見上げて途方に暮れていると……目の前に、手が伸びてきた。
「おいで、レディ・ニコラ」
夢見るような気持ちでつかまった。差し伸べられた、逞しい手に。ふわっと体が宙に浮き、あれっと思ったらもう鞍に座らされていた。
「うわっ、た、高い!」
馬に乗るのは始めてじゃない。だけど自分が今まで乗ってきた華奢な馬とは、全然違っていた。
まるっきり別の生き物だった。まるで船だ。生きた岩だ!
びっくりしたけれど、怖くはない。後ろから抱きすくめるようにして、ダインがしっかり支えていてくれるから。
「しっかりたてがみに掴まって」
耳の後ろで声がする。あの時と同じだ。
馬上槍試合で、勝利の行進をした時と。
「こ、こう?」
「そうそう、上手い上手い。それじゃ、行くぞ!」
丸太のような脚が地を蹴り、走り出す。
どおん、どおんと蹄が大地を穿つ音が轟く。それなのに黒い馬は軽々と走り、まるで重さを感じさせない。空を飛ぶついでに、時々地面を蹄で蹴っているようだ。
「怖いか?」
「ううん、いい気持ち!」
「そうか、レディは乗馬の素質あるな!」
砦の周りを一周する間、ニコラはふわふわと雲の上を走っているような心地だった。
中庭に戻ってきて、優しく抱き下ろされた時も、ふわんふわん。
強い風に吹き流されて髪の毛も、ドレスもくしゃくしゃだったけど気にしない。大きくてあったかい、がっしりした手が撫でてくれたから。整えてくれたから。
「櫛、ないから、ここまでしかできないけど」
「いいの。ありがとう」
うっとりしたまま館に戻ってふと気付く。そう言えばお父様の部屋に行くの、忘れてたって。
(ま、いいか)
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