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とりねこの小枝

1.女神のごとき白銀の

2012/01/20 18:16 騎士と魔法使いの話十海
 
 しんしんと骨の髄から凍てつくような寒い日だった。
 朝から分厚い鉛色の雲が立ちこめ、太陽の光を遮っていた。昼過ぎから空気の中を氷の粒が舞い始め、やがてひらひらと羽毛のような雪が降りてきて、夕刻にはさりさりと……
 家々の壁を、屋根を、風に吹かれた粉雪が叩き、目に入るもの全てが一面の白に塗り替えられていた。

「冷えてきたなあ、ちび」

 裏通りの薬草店では、店主が小柄な体にみっしりと厚手の服を着込み、さらに毛糸のブランケットにもこもことくるまって、暖炉前の座り心地の良い椅子に座っていた。

「寒くねぇのか?」
「ぴゃ!」

 黒に褐色斑の猫は、窓枠に座って目を真ん丸にして空を見上げている。しっぽをぴーんと立てたまま細かく震わせ、ヒゲをつぴーんと前に倒して興味津々だ。
 咽からは、獲物を狙う時特有の短い音を繋げた鳴き声が上がる。

「ぴゃあああああああっ、ぴゃあああああっ」
「ははっ、雪を見るのは初めてか。お前さんの故郷はあったかい所だもんな」
「ぴゃっ」

 窓ガラスの向こうにへばりついた雪片を、ぺちっと前足で叩く。
 途端に飛び上がって後ずさり。前足をぴぴぴぴっと細かく振って水滴を振り飛ばす。

「冷たかったか」
「ぴぃう」

 ぱさっと翼を広げると、ひとっとびでフロウの膝の上に飛び乗って、くるりと丸くなる。
 と、思ったらてちてちと前足をなめ始めた。よほど冷たかったらしい。

「そうそう。こんな日は、あったかい部屋で、暖炉の前に居るのが一番さね」
「ぴゃああ」

 ちびはのどを鳴らし、毛糸のブランケットにもふっと顔を突っ込んだ。
 
「こんな夜に外に出るなんざ、頼まれても願い下げだよ……」

 ちびを抱えてフロウは窓際に歩み寄り、空を見上げた。
 幾重にも重なる屋根の向こうには、アインヘイルダールを囲む城壁と、その唯一の出入り口となる城門がある。

「なあ、ダイン?」

 ぷしゅっとちびがクシャミをした。

「ほい、お大事に」

 正にその瞬間、城門脇の石造りの小部屋で、大柄な騎士が派手にクシャミをしていた。
 金髪混じりの褐色の髪を、たてがみみたいに振り乱して。

      ※

 西の辺境、アインヘイルダールの街を囲む石造りの城壁の門は、日没とともに閉ざされる。夜明けの最初の光が差しこむまで。
 高さ四メートルにも及ぶ頑丈な門は、夜通し西道守護騎士団の騎士によって守られるのだ。
 町に迫る危険に最初に立ち向かう大事な役目だ。うっかり眠りこけたら、一大事。
 そんな訳で、団の中でも若くてイキのいいのがが二人一組、交代で門を警備するのが通例だった。門の脇に設けられた小部屋に控え、二交代で。夜一の番は日没から夜中まで。夜二の番は夜明けまで。

 城壁は石組み。なれば当然、門番の控える小部屋も石。壁も天井も。床も全て石造り。
 殺風景な部屋には一応、テーブルと椅子が置かれ、小さいながらもしっかりと暖炉もしつらえられていた。城門が閉じられた後、町にたどり着いた凍え切った旅人を最初に保護するのもまた、門番の仕事だからだ。
 それでも、石組みの間から吹き込む風はひしひしとしみ込み、骨から肉から容赦なく熱を奪い取る。

 そして今、窓辺に一人。年若い騎士がたたずみ、外を眺めていた。
 癖の無い銀色の髪は、岩から沸き出す清水のようにさらりと流れ、ほっそりした肩を覆っている。
 すんなりと伸びた雌鹿のような足は、幼い頃より野山を駆け巡ったことで鍛えられ、しなやかな腕は強弓を易々と引き絞る。
 鼻筋の通った顔立ち、切れ長の目、形の良い唇。面差しは強さと美しさを兼ね備え、凛とした気品を漂わせている。さながら大理石の女神像。
 
 憂いに満ちた緑の瞳で舞い散る粉雪を追いながら、銀髪の騎士はほうっとため息をついた。

「………ムキムキになりたい」
 
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 illustrated by Kasuri 

「おいおいおい」

 ずびっと鼻をすすりつつ、がっちりした体格の相方が眉をしかめる。

「冗談も大概にしとけよ、シャルダン・エルダレント。お前が熊みたいにむっさくなったら、暴動が起きるぞ!」
「えー、まさか」
「主に御婦人方の間でな」

 これは誇張でも冗談でもない。
 事実、シャルダンが赴任して以来、騎士団の詰め所への差し入れは二倍に増えた。しかも全て女性からだ。

「ダイン先輩にはわかりませんよ」

 銀髪の騎士は恨めしげに振り返り、きっとばかりにらみつけた。
 その表情すら気品があって、やんごとなき身分の貴婦人にでもたしなめられているような錯覚を引き起こす。

「やはり騎士となったからには、剣なり斧なり槍なり構えて、前線に立ちたいじゃありませんか!」
「まあ、うん、その気持ちはわかる」
「騎士はがっつんがっつんどつき合ってなんぼでしょう! それなのに私はどうにも、白兵戦は苦手で……って言うか、向いてないんですよね」

 さすさすと己の腕をさすりつつ、シャルダンは肩を落とした。それにしたって決してひ弱ではないのだが、どうしてもダインと比較すると細く見えてしまう。
 ため息をつくと、銀髪の騎士は滑るような足取りでダインに近づき、緑の瞳でじっと見上げ……二の腕を。肩をなで回した。

「その点、ダイン先輩の筋肉は理想的です」
「ぶひゃ、ひゃ、よせ、よせっつの、くすぐったい!」
「いいなあ。うらやましいなあ」
「だあっ、よさんか!」
「少しは分けて下さい」
「分けられるか!」
 
 ばっと後輩の手を振り払い、ダインはじと目で銀髪の騎士をにらみ返した。

「だいたい、ちゃんと食って、鍛えてりゃこれぐらい訳ないだろ。若いんだし」
「ちゃんと食ってます。鍛えてます。だけど、なかなか肉になってくれないんですっ」
「だったら、がっつり肉食え、肉!」

 銀髪のシャルダンは、その儚げな見た目に相応しく食が細かった。しかも、あっさりした料理を好み、主に口にするのは穀類と野菜。
 無理して肉をドカ食いしたところで結果は……

「……胃にもたれちゃって」
「あー……何て言うか……その……すまん」 
「いいんです。慣れてますから」

 シャルダンは西の辺境の生まれだった。この秋から試験的に採用の始まった、いわゆる『現地採用組』の一人だ。
 度重なる王都出身の若手騎士と、地元の魔術師との確執を少しでも解消すべく始まった試みだった。

『王都の騎士は魔術師を快く思わない』
『西の辺境では、魔術への偏見が薄い』
『だったら中央から呼び寄せるんじゃなくて、地元の若いのを鍛えりゃいいじゃないか!』

 そんな発想に基づき、周辺の村や町から資質のある少年少女を探して騎士団に迎え入れたのだ。
 とは言え、入団の際に基礎的な訓練は受けたものの、彼らはまだまだ半人前。
 騎士宣誓もしておらず、正式には『従騎士』扱いで。先輩騎士と寝食を共にして指導を受けている身だった。

 ここに落とし穴があった。

 そのたおやかで麗しい外見と、空気を読まないマイペースすぎる性格故にシャルダンはことごとく、指導についた先輩騎士たちに逃げられた。
 ぱっと見銀髪のお姫様、その実、行動パターンは空気読まないあっけらかんとした男。
 騎士と言えども人の子である。男である。四六時中一緒に居たらたまったもんじゃない。
 あちこちたらい回しにされた揚げ句、最終的にダインに押し付けられた。

「天然同士、上手く行くだろう」
「頼むからお前こいつの面倒見てくれ!」と。

 一見、破れかぶれのように見えたこの選択は、結果的に吉と出た。

 しなやかな腕で騎士団随一の強弓を引き絞る白銀の騎士と。猪突猛進、前に出ては味方を守る盾となり、敵を蹴散らす剣となる鷲頭馬の騎士は、互いの得手を活かし、不得手を補うまたとない一組となったのだった。
 もっともそれはあくまで戦いにおいてであって、日々の暮らしの中で交わされるやり取りと言ったら

「ダイン先輩、猫飼ってましたよね?」
「ああ」
「どうして連れてこなかったんですか!」
「は?」
「こんな寒い夜は、あったかいもふもふした生き物をこう、ぎゅーっと抱きしめたいじゃないですか!」
「あのなあ、シャルダン。考えてもみろ」

 ダインはくいっと窓の外に舞い散る雪を指さした。

「こんな寒い夜に、猫が外に出歩くと思うか?」
「あー……確かに」

 ぽん、とシャルダンが手を打つ。

「ないですね」
「うむ」

 概ねこんなものだった。

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