▼ 1.疼く傷
2011/11/23 1:54 【騎士と魔法使いの話】
任務で痛い目を見た。
いつもの事だ、いい加減慣れてる。
今更傷痕の一つ二つ増えたところで別段どうってことはない。きちんと洗って、薬さえ塗っておけばそのうち治る。
ただ今回に限っては、少しばかり事情が違っていた。
体よりもむしろ、抉られたのは中味……有り体に言ってしまえば、個人的な『自尊心(プライド)』だったのだ。
手っ取り早く説明すると、こうだ。
人質を取られ、否応なく武装解除させられた上に投げ縄でふん縛られ、鞭でしたたかぶちのめされた。
「貴様ごときが、騎士を名乗るもおこがましい」
「いやしい野良犬め。獣には獣に似合いの扱いをしてやろう!」
鞭で打たれた傷ってのは思いの他厄介だ。
皮膚も肉もぱっくり裂けて、なかなか塞がらない。加えて打撲と裂傷が同時に刻まれ、見た目よりずっと奥まで傷が入る。
しかも、 ご丁寧に一度打った場所を二度、三度と重ね打ち。傷の一つが治りかけ、肉が盛り上がるともう一つが広がる、と言ったあんばいにわざと治りにくいように『工夫』していやがった。
よっぽど人をいたぶるのに慣れているらしい。
獣呼ばわりされ、顔も腕も胸も、容赦なく正面から打ち据えられた。
あまりの屈辱に、腑が煮えくり返ったが。
「避ければ人質を同じ目に合わせるよ」
……なんて脅されたら逃げる訳にも、避ける訳にも行かない。甘んじて打たれるより他に道はなかった。
幸い、打たれ強さには自信があった。
ひたすら鞭打たれ、罵られるのを耐えていたらそのうち、向こうの方が息切れしてきた。ずっしり重い革鞭は、振り回すのに相当体力を使うらしい。
野良犬は喧嘩の仕方を心得ている。
頃合いを見計らって、倒れるフリしてブーツに仕込んだナイフを抜いた。
うずくまり、苦痛に呻く演技をしながら、こっそりと腕を縛る縄を切った。
案の定、調子づいた相手がのこのこ寄ってきた。蹴り付けようと、振り上げた足を掴んで形勢逆転。人質にされていた女の子も無事救い出し、めでたく一件落着と相成った訳だが……。
腹の底にくすぶる怒りが、未だに消えない。
とっくにケリは着いてる。あの場ではあれが最善の策だった。わかっているのに、どうにも腹の虫がおさまらない。
ちょっとでも油断すると、野良犬呼ばわりされて、それこそ犬みたいに鞭打たれた瞬間に戻ってしまう。どろどろに溶けた鉛のように、怒りと悔しさが泡立ち、吹き上げ、腹を焼く。咽を焦がす。
妙な話だ。
きっちり借りは返したはずなのに。
足を捕まれ、組み伏せられた時の相手の顔を、はっきりと覚えている。
いい気味だった。すかっとした。
だがそれ以上に、自分を罵る楽しげな顔が。浴びせられた言葉がくっきりと焼き付いている。
取り調べの名目で、件の男を鞭打つ事もできようが……。
そうした所でこの悔しさが消える保証はない。それ以前に、ただの八つ当たりだ。
(やり返したら、奴と同じ位置まで堕ちる)
やり場のない憤りを持て余しつつ、兵舎に戻る暇も惜しみ……
気付くと、街の裏通りへと向かっていた。自分で手綱を向けたのか。それとも、黒が自主的にそっちに歩いていたのかはわからない。
どこか夢見るような心地で通い慣れた薬屋の裏庭へと回り、厩舎に馬を入れた。
改めて表に回り、ふらりと店に入る。香草、薬草、一部は毒草。花に葉っぱに実に根っこ。
煎じて飲むもの、傷口に塗るもの、いぶして吸うもの。オイルに浸して、あるいはもっと手軽にお茶で。
ありとあらゆる『薬』と名のつくものが、ガラス瓶に収められ、あるいは束ねたまま天井からぶら下がり、ひしめいている。
術の媒介になるらしい粉末とか、葉っぱとか。あるいはちょっとした小物……腕輪やリボン、指輪に首飾り。その他用途のわからない雑多なものがきっちり並んだ、華やかな一角もある。
梁がむき出しになった天井は高く、外から見るより店の中の空間は、ずっと広い。
毒も花も薬も一緒になって香る空気の中に、奴が居た。
奥のカウンターの向こうに腰かけて、へらりと笑って手を振ってくる、無精ヒゲの中年オヤジが約一名。
「よう、ダイン」
「……フロウ」
幸い、客は居なかった。
夢中になって抱きしめた。ふわふわと妙に柔らかい髪の毛に、顔を埋めて深呼吸。干し草と、陽の光と。しっとりした肌にまとわりつく汗のにおいを吸い込んだ。
「何してる」
「……嗅いでる」
「犬か、お前は!」
ああ。似たようなこと言われてるのに。何で、こいつの言葉はこんなに甘く響くんだろう。見えない指先で、ささくれた心臓を包んでくれる。
「ああ、そうだよ」
口元がゆるみ、歯がのぞく。
「お前の、犬だ」
「あ、こら何っ、んぐっ」
次へ→2.まずは治療だろ?
いつもの事だ、いい加減慣れてる。
今更傷痕の一つ二つ増えたところで別段どうってことはない。きちんと洗って、薬さえ塗っておけばそのうち治る。
ただ今回に限っては、少しばかり事情が違っていた。
体よりもむしろ、抉られたのは中味……有り体に言ってしまえば、個人的な『自尊心(プライド)』だったのだ。
手っ取り早く説明すると、こうだ。
人質を取られ、否応なく武装解除させられた上に投げ縄でふん縛られ、鞭でしたたかぶちのめされた。
「貴様ごときが、騎士を名乗るもおこがましい」
「いやしい野良犬め。獣には獣に似合いの扱いをしてやろう!」
鞭で打たれた傷ってのは思いの他厄介だ。
皮膚も肉もぱっくり裂けて、なかなか塞がらない。加えて打撲と裂傷が同時に刻まれ、見た目よりずっと奥まで傷が入る。
しかも、 ご丁寧に一度打った場所を二度、三度と重ね打ち。傷の一つが治りかけ、肉が盛り上がるともう一つが広がる、と言ったあんばいにわざと治りにくいように『工夫』していやがった。
よっぽど人をいたぶるのに慣れているらしい。
獣呼ばわりされ、顔も腕も胸も、容赦なく正面から打ち据えられた。
あまりの屈辱に、腑が煮えくり返ったが。
「避ければ人質を同じ目に合わせるよ」
……なんて脅されたら逃げる訳にも、避ける訳にも行かない。甘んじて打たれるより他に道はなかった。
幸い、打たれ強さには自信があった。
ひたすら鞭打たれ、罵られるのを耐えていたらそのうち、向こうの方が息切れしてきた。ずっしり重い革鞭は、振り回すのに相当体力を使うらしい。
野良犬は喧嘩の仕方を心得ている。
頃合いを見計らって、倒れるフリしてブーツに仕込んだナイフを抜いた。
うずくまり、苦痛に呻く演技をしながら、こっそりと腕を縛る縄を切った。
案の定、調子づいた相手がのこのこ寄ってきた。蹴り付けようと、振り上げた足を掴んで形勢逆転。人質にされていた女の子も無事救い出し、めでたく一件落着と相成った訳だが……。
腹の底にくすぶる怒りが、未だに消えない。
とっくにケリは着いてる。あの場ではあれが最善の策だった。わかっているのに、どうにも腹の虫がおさまらない。
ちょっとでも油断すると、野良犬呼ばわりされて、それこそ犬みたいに鞭打たれた瞬間に戻ってしまう。どろどろに溶けた鉛のように、怒りと悔しさが泡立ち、吹き上げ、腹を焼く。咽を焦がす。
妙な話だ。
きっちり借りは返したはずなのに。
足を捕まれ、組み伏せられた時の相手の顔を、はっきりと覚えている。
いい気味だった。すかっとした。
だがそれ以上に、自分を罵る楽しげな顔が。浴びせられた言葉がくっきりと焼き付いている。
取り調べの名目で、件の男を鞭打つ事もできようが……。
そうした所でこの悔しさが消える保証はない。それ以前に、ただの八つ当たりだ。
(やり返したら、奴と同じ位置まで堕ちる)
やり場のない憤りを持て余しつつ、兵舎に戻る暇も惜しみ……
気付くと、街の裏通りへと向かっていた。自分で手綱を向けたのか。それとも、黒が自主的にそっちに歩いていたのかはわからない。
どこか夢見るような心地で通い慣れた薬屋の裏庭へと回り、厩舎に馬を入れた。
改めて表に回り、ふらりと店に入る。香草、薬草、一部は毒草。花に葉っぱに実に根っこ。
煎じて飲むもの、傷口に塗るもの、いぶして吸うもの。オイルに浸して、あるいはもっと手軽にお茶で。
ありとあらゆる『薬』と名のつくものが、ガラス瓶に収められ、あるいは束ねたまま天井からぶら下がり、ひしめいている。
術の媒介になるらしい粉末とか、葉っぱとか。あるいはちょっとした小物……腕輪やリボン、指輪に首飾り。その他用途のわからない雑多なものがきっちり並んだ、華やかな一角もある。
梁がむき出しになった天井は高く、外から見るより店の中の空間は、ずっと広い。
毒も花も薬も一緒になって香る空気の中に、奴が居た。
奥のカウンターの向こうに腰かけて、へらりと笑って手を振ってくる、無精ヒゲの中年オヤジが約一名。
「よう、ダイン」
「……フロウ」
幸い、客は居なかった。
夢中になって抱きしめた。ふわふわと妙に柔らかい髪の毛に、顔を埋めて深呼吸。干し草と、陽の光と。しっとりした肌にまとわりつく汗のにおいを吸い込んだ。
「何してる」
「……嗅いでる」
「犬か、お前は!」
ああ。似たようなこと言われてるのに。何で、こいつの言葉はこんなに甘く響くんだろう。見えない指先で、ささくれた心臓を包んでくれる。
「ああ、そうだよ」
口元がゆるみ、歯がのぞく。
「お前の、犬だ」
「あ、こら何っ、んぐっ」
次へ→2.まずは治療だろ?