▼ ちびの一日1
2013/04/18 3:57 【お姫様の話】
アインヘイルダールの町の北区と呼ばれる場所にその家はあった。石組みと木造の入り交じった大きな家。正面の扉は通りに対して開かれ、背面には生け垣に囲まれた薬草畑が広がっている。
茅葺きの屋根は所々に新しく芽が生え、草が伸び、斑に緑に染まっていた。
天井は高く、至る所に小さな生き物が潜り込むのにうってつけのすき間や隅っこのあ
るこの家に住むのは、人間だけではない。
寝室の窓に朝日が射す。カーテンのすき間から細い光の糸が延び、大きめのベッドの上ですやすやと、寄り添い眠る二体の生き物を優しく照らす。
一人は小柄な中年男。これが癖なのか、たまたまこの格好で眠っているのか。
むっちりした背中を丸めて横向きに、ふかふかの毛皮と羽毛に顔を突っ込んでいる。柔らかな亜麻色の髪の先が、寄り添う猫の毛皮に溶け込んでいた。
この家の主、フロウライト・ジェムルだ。
目を閉じると、年の割につややかな肌と相まって余計に若く見える。いや、むしろ幼いと言っても良い。
もう一匹は、黒と褐色斑の猫。ただし、その背中には鷲のような翼が一対、きちっとたたまれている。フロウにぴたりと寄り添って、ちゃっかり枕にそのちっぽけな頭を乗せていた。
目を閉じて腹を上にして、前脚を胸の所できゅうっと曲げている。こげ茶色のつやつやした肉球まで見せて、幸せそうに目を閉じて、すーすー寝息を立てている。
中年男と、鳥のような猫のような生き物。日の光を感じ取り、一人と一匹のまぶたがほぼ同時にぴくりと動く。
「ん……む」
「ぴ……」
フロウのまぶたがゆっくり上がり、のそのそと半身を起こす。その傍らで、とりねこもまた腹を下にして身を起こし、んーっと……。
前脚を伸ばして尻を高々と持ち上げ、大きくのびをした。赤い口ががばぁっと開き、白い、尖った牙が閃く。見ようによっては物騒な顔つきとは裏腹に、咽の奥からくぁーっとのん気な声が押し出された。
「おはよう、ちび助」
「ぴゃあ! ふーろう!」
フロウの手が、ぴん、と立ったこげ茶の耳の根元を撫でる。ちびは心地良さげに咽を鳴らした。
さあ、一日の始まりだ。
※
朝起きたら、ちびはフロウと一緒に一階に降りる。四本の足でとてとてと階段で。羽根が生えているのだから、飛べば早い。だけどフロウと一緒に歩くことが大事なのだ。
裏口から庭に出ると、フロウは井戸に行く。その間、ちびは縁台に座って毛繕い。ぺろぺろと前脚をなめ、さらにその前脚で耳の後ろをこする。
柔らかな体をぐにゃぐにゃと折り曲げて、背中や腹もまんべんなく。翼の手入れもするから半分ぐらいは羽繕いも混じってる。全身、つやつやのふわふわになるまで丁寧に。
その間、フロウも顔を洗って歯磨きをしている。終わったらどちらからともなく立ち上がり、並んで家の中に戻るのだ。
「んぴゃあるるる、ぴゃあるるる」
「ほいほい、待ってろって、今、準備するからな」
いそいそと朝ご飯作りのお手伝い。
台所でことこと立ち働くフロウの肩に乗り、時に流しの上に飛び乗って、気分だけお手伝い。あくまでお手伝い。見てるだけでもお手伝い。
やがて美味しそうなにおいが漂い始めると、ちびは鼻をひこひこ蠢かせ、つぴーんっとヒゲを前に倒す。
「ぴゃああ!」
今朝は大麦とトウモロコシと、ほぐした白身魚を煮込んだ具だくさんのスープ。
フロウもちびも熱いのが苦手だから、一度煮立ててから皿にとりわけ、少しの間冷ます。
「ぴゃぐるるるぅ」
待ってる間につい、口からぽたっとよだれがこぼれる。
「はいはい、慌てない慌てない。スープは逃げないからな?」
「んぴゃぅるう」
その間にフロウは薄く切ったパンを軽くあぶって、チーズを添える。
ちびの分は食べやすく小さくちぎってくれる。とーちゃんは丸のままくれるけどそれは「横着」だからとフロウが言ってた。
「ほい、お待ちどうさん」
「ぴゃあ」
「じゃ、食うか」
「ふろう! ごはんたべる!」
フロウが食べるのは大人一人分、やや少なめ。ちびが食べる量は家猫いっぴきぶん。
本当はもっと食べられるけど、フロウと一緒に食べることが大事なのだ。
※
朝ご飯が終わったら、やっぱり顔を洗う。前脚をなめて、そのなめた前脚でヒゲの一本一本まで丁寧に。
すっかりきれいになったら、フロウの所に飛んで行って開店準備のお手伝い。
「こらっ、そこに乗るな!」
「ぴ?」
ガラス瓶の並んだ棚の間をすり抜けて
「ちーびー!」
「んぴゃう」
作業台の上をひとっ飛び。目測が狂って小鍋を引っかけ床に落とす。からんからんっと賑やかな音がして、尻尾がぶわっと膨らんだ。
「おーまーえーは!」
「ぴぃうう」
耳をぴっと伏せてカウンターの後ろに潜り込む。
「おいこらー。しっぽ見えてるぞー。全然隠れてないぞー」
怒られても、ここに潜り込めばリセットされる。少なくともちびの頭の中では。
「なーに考えてんのかねえ、この生き物は」
くっくっと笑いながらフロウはよろい戸を開け、カーテンを開けて、ドアにかかった札をひっくり返す。
CLOSEDからOPENへ。
店が始まるとちびは忙しい。毛繕いをしたり、フロウの膝の上に乗っかったり、梁の上にうずくまったり。気が向けば時々、ドアベルの音とともに悠然と扉の前に歩いて行き、お客さんを出迎える。
「まあ、かわいらしい」
「おや、こいつは嬉しいお出迎えだね」
フロウが薬草を調合している間、お客さんのお相手だってできるのだ。
ただ、目につく所、手の届く場所にうずくまってうとうと眠っていればいい。たまにころんっと寝返りを打って肉球を見せて、指をにぎったり開いたりすればなお良い。それだけでお客さんはにこにこ上機嫌。
「いい子だなあ。クッキー食べるかな」
「ぴゃあ!」
たまにおやつもくれる。
天気の良い日は、接客に飽きたら、散歩に出かける。
「んっぴゃ」
「おう、気をつけてな」
天井の梁に飛び上がり、壁に開いた小窓から外に出る。開け方は一度やったらすぐ覚えた。元々はこの家に住んでいた誰かが、自分の使い魔用に作った物らしい。
今はもっぱら、ちび専用。ちっちゃいさんたちも時々使っている。
迷子になる心配はない。フロウの作ってくれた、とーちゃんとおそろいの首飾りをつけているから。
オレンジ色の革ひもに、赤、青、黄色、色とりどりのウッドビーズを連ねた首飾り。中央の水晶珠の中には、濃いオレンジ色の針(ルチル)が煌めいている。さながら炎のように。
とーちゃんは、同じ珠を使ったブレスレットを左手首に巻いている。二つの珠は常に呼び合い、ちびがこの世界に存在する力を補ってくれる。
屋根の上を走ったり歩いたり、翼で飛んだりしながら、のびのびと街を行く。
アインヘイルダールは力線の上に建つ町だ。昔から、他所と比べてたくさんの魔法使いが住んでる。
自ずと土地の人々も魔法使いと使い魔の存在に馴染み、見慣れぬ生き物が歩いていても「ああ誰かのお使いだね」で済まされる。
誰も、翼の生えた猫を怪しんだりしない。増して追いかけたり捕まえようとしたりするなんてことは、まず、あり得ないのだった。
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茅葺きの屋根は所々に新しく芽が生え、草が伸び、斑に緑に染まっていた。
天井は高く、至る所に小さな生き物が潜り込むのにうってつけのすき間や隅っこのあ
るこの家に住むのは、人間だけではない。
寝室の窓に朝日が射す。カーテンのすき間から細い光の糸が延び、大きめのベッドの上ですやすやと、寄り添い眠る二体の生き物を優しく照らす。
一人は小柄な中年男。これが癖なのか、たまたまこの格好で眠っているのか。
むっちりした背中を丸めて横向きに、ふかふかの毛皮と羽毛に顔を突っ込んでいる。柔らかな亜麻色の髪の先が、寄り添う猫の毛皮に溶け込んでいた。
この家の主、フロウライト・ジェムルだ。
目を閉じると、年の割につややかな肌と相まって余計に若く見える。いや、むしろ幼いと言っても良い。
もう一匹は、黒と褐色斑の猫。ただし、その背中には鷲のような翼が一対、きちっとたたまれている。フロウにぴたりと寄り添って、ちゃっかり枕にそのちっぽけな頭を乗せていた。
目を閉じて腹を上にして、前脚を胸の所できゅうっと曲げている。こげ茶色のつやつやした肉球まで見せて、幸せそうに目を閉じて、すーすー寝息を立てている。
中年男と、鳥のような猫のような生き物。日の光を感じ取り、一人と一匹のまぶたがほぼ同時にぴくりと動く。
「ん……む」
「ぴ……」
フロウのまぶたがゆっくり上がり、のそのそと半身を起こす。その傍らで、とりねこもまた腹を下にして身を起こし、んーっと……。
前脚を伸ばして尻を高々と持ち上げ、大きくのびをした。赤い口ががばぁっと開き、白い、尖った牙が閃く。見ようによっては物騒な顔つきとは裏腹に、咽の奥からくぁーっとのん気な声が押し出された。
「おはよう、ちび助」
「ぴゃあ! ふーろう!」
フロウの手が、ぴん、と立ったこげ茶の耳の根元を撫でる。ちびは心地良さげに咽を鳴らした。
さあ、一日の始まりだ。
※
朝起きたら、ちびはフロウと一緒に一階に降りる。四本の足でとてとてと階段で。羽根が生えているのだから、飛べば早い。だけどフロウと一緒に歩くことが大事なのだ。
裏口から庭に出ると、フロウは井戸に行く。その間、ちびは縁台に座って毛繕い。ぺろぺろと前脚をなめ、さらにその前脚で耳の後ろをこする。
柔らかな体をぐにゃぐにゃと折り曲げて、背中や腹もまんべんなく。翼の手入れもするから半分ぐらいは羽繕いも混じってる。全身、つやつやのふわふわになるまで丁寧に。
その間、フロウも顔を洗って歯磨きをしている。終わったらどちらからともなく立ち上がり、並んで家の中に戻るのだ。
「んぴゃあるるる、ぴゃあるるる」
「ほいほい、待ってろって、今、準備するからな」
いそいそと朝ご飯作りのお手伝い。
台所でことこと立ち働くフロウの肩に乗り、時に流しの上に飛び乗って、気分だけお手伝い。あくまでお手伝い。見てるだけでもお手伝い。
やがて美味しそうなにおいが漂い始めると、ちびは鼻をひこひこ蠢かせ、つぴーんっとヒゲを前に倒す。
「ぴゃああ!」
今朝は大麦とトウモロコシと、ほぐした白身魚を煮込んだ具だくさんのスープ。
フロウもちびも熱いのが苦手だから、一度煮立ててから皿にとりわけ、少しの間冷ます。
「ぴゃぐるるるぅ」
待ってる間につい、口からぽたっとよだれがこぼれる。
「はいはい、慌てない慌てない。スープは逃げないからな?」
「んぴゃぅるう」
その間にフロウは薄く切ったパンを軽くあぶって、チーズを添える。
ちびの分は食べやすく小さくちぎってくれる。とーちゃんは丸のままくれるけどそれは「横着」だからとフロウが言ってた。
「ほい、お待ちどうさん」
「ぴゃあ」
「じゃ、食うか」
「ふろう! ごはんたべる!」
フロウが食べるのは大人一人分、やや少なめ。ちびが食べる量は家猫いっぴきぶん。
本当はもっと食べられるけど、フロウと一緒に食べることが大事なのだ。
※
朝ご飯が終わったら、やっぱり顔を洗う。前脚をなめて、そのなめた前脚でヒゲの一本一本まで丁寧に。
すっかりきれいになったら、フロウの所に飛んで行って開店準備のお手伝い。
「こらっ、そこに乗るな!」
「ぴ?」
ガラス瓶の並んだ棚の間をすり抜けて
「ちーびー!」
「んぴゃう」
作業台の上をひとっ飛び。目測が狂って小鍋を引っかけ床に落とす。からんからんっと賑やかな音がして、尻尾がぶわっと膨らんだ。
「おーまーえーは!」
「ぴぃうう」
耳をぴっと伏せてカウンターの後ろに潜り込む。
「おいこらー。しっぽ見えてるぞー。全然隠れてないぞー」
怒られても、ここに潜り込めばリセットされる。少なくともちびの頭の中では。
「なーに考えてんのかねえ、この生き物は」
くっくっと笑いながらフロウはよろい戸を開け、カーテンを開けて、ドアにかかった札をひっくり返す。
CLOSEDからOPENへ。
店が始まるとちびは忙しい。毛繕いをしたり、フロウの膝の上に乗っかったり、梁の上にうずくまったり。気が向けば時々、ドアベルの音とともに悠然と扉の前に歩いて行き、お客さんを出迎える。
「まあ、かわいらしい」
「おや、こいつは嬉しいお出迎えだね」
フロウが薬草を調合している間、お客さんのお相手だってできるのだ。
ただ、目につく所、手の届く場所にうずくまってうとうと眠っていればいい。たまにころんっと寝返りを打って肉球を見せて、指をにぎったり開いたりすればなお良い。それだけでお客さんはにこにこ上機嫌。
「いい子だなあ。クッキー食べるかな」
「ぴゃあ!」
たまにおやつもくれる。
天気の良い日は、接客に飽きたら、散歩に出かける。
「んっぴゃ」
「おう、気をつけてな」
天井の梁に飛び上がり、壁に開いた小窓から外に出る。開け方は一度やったらすぐ覚えた。元々はこの家に住んでいた誰かが、自分の使い魔用に作った物らしい。
今はもっぱら、ちび専用。ちっちゃいさんたちも時々使っている。
迷子になる心配はない。フロウの作ってくれた、とーちゃんとおそろいの首飾りをつけているから。
オレンジ色の革ひもに、赤、青、黄色、色とりどりのウッドビーズを連ねた首飾り。中央の水晶珠の中には、濃いオレンジ色の針(ルチル)が煌めいている。さながら炎のように。
とーちゃんは、同じ珠を使ったブレスレットを左手首に巻いている。二つの珠は常に呼び合い、ちびがこの世界に存在する力を補ってくれる。
屋根の上を走ったり歩いたり、翼で飛んだりしながら、のびのびと街を行く。
アインヘイルダールは力線の上に建つ町だ。昔から、他所と比べてたくさんの魔法使いが住んでる。
自ずと土地の人々も魔法使いと使い魔の存在に馴染み、見慣れぬ生き物が歩いていても「ああ誰かのお使いだね」で済まされる。
誰も、翼の生えた猫を怪しんだりしない。増して追いかけたり捕まえようとしたりするなんてことは、まず、あり得ないのだった。
次へ→ちびの一日2