ようこそゲストさん

とりねこの小枝

【27-4】いざ入浴

2013/02/14 14:05 騎士と魔法使いの話十海
 
 薬草師の家に風呂は不可欠だ。蒸気を使う蒸し風呂や、薬草のエキスや香油、時には草そのものを漬けた湯に入る薬草風呂は治療に欠かせない。
 だからエミリオはこの家を借りた時、家主の許可を得て浴室を建て増しした。

 と言っても、先輩薬草師たるフロウの店にあるような、密閉性の高い半地下室にほうろうびきの浴槽を据えた本格的なものではなく。母屋に隣接して建てられた木造の小屋に過ぎない。
 中には木製の風呂桶と湯を沸かすためのボイラーが設置されている。薪を燃やす煙は煙突で屋外に運ばれ、桶の栓を抜けば水はそのまま床下に設けられた溝に流れ落ち、庭に排出される仕組みだ。
 手前の床は浴槽回りより一段高くなっていて、脱衣用の篭が置かれている。風呂に入る時はここで服を脱ぐと言う訳だ。
 総木造の簡易浴室を家主はいたく気に入り、エミルの監修のもと、年老いた母親のために同じ物を自分の家にも作らせた。

 そして、今。

 シャルダンはゆっくりと服を脱ぎ、用意されていた大きめのタオルを肩からかけた。白い吸水性のある布が、外套のように肩から上半身を覆い、ぎりぎりで裾が太ももの付け根あたりに届く。
 湯に入るまでの間、肩を冷やさないようにと考えた結果なのだが、見た目はたいへん悩ましい。なまじ体の線が隠れているだけに、たおやかな仕草と相まってまるで湯浴みする乙女のように見えてしまうのだが、幸い見ている者はいない。(少なくとも、この場は)
 しずしずと湯船に歩みより、湯に手を浸して首をかしげる。
 木製の風呂桶にはお湯がなみなみと満たされている。いつもはそこに疲労回復の薬効のある薬草がつけてあるのだが今日は違っていた。

「薔薇?」

 赤、白、藤色、ほんのり花びらの縁に薄紅をにじませた乳白色。色とりどりの花びらが浮かんでいたのだ。

「夏薔薇が、盛りだからな」
「エミル」

 振り向くと、そこにはシャツの袖をまくったエミルが立っていた。

「いい香り……」
「朝一番に咲いたのを集めたんだ」

 シャルはするりと肩からタオルを滑り落とし、しずしずと浴槽に身を沈めた。
 エミルは一瞬目を見開き、息を呑む。男だとわかっていても、どきりとする。体を覆う布が取り払われ、肩が、背中が露になる動きから目がそらせない。
(騎士団の砦に居る時も、こんな格好で風呂に入ってるんだろうか)
 エミルは迷いのない足取りで歩み寄り、じっと見下ろした。

「ふう、いい気持ち……」

 解いた銀髪が肩から胸を覆っている。細いながらも均整の取れた体、象牙のような肌が、湯に浮かぶ薔薇の花びらの合間に見え隠れする。
(こんな悩ましい姿を、他の男の見ている前で無防備に!)
(しかも、あれだ。騎士団なんて体育会系の野郎どもの集まりだ。背中の流しっことかしてるんだろうな。してるよな! って言うか俺なら絶対やる。そんな機会、逃さない)
(背中流して、か、髪の毛洗って……俺のシャルの体に触れる。俺のシャルの。俺のシャルの!)
 手の震えを押さえようと固く拳を握る。何やら不穏な気配を察したか、シャルが怪訝そうに見上げて来た。

「どうしたの?」
「……髪、洗ってやるよ」

 我知らず髪をかきあげる手に力が入り、ほんの少し性急に引き寄せる。だがシャルは疑いもせずに力を抜き、浴槽の縁によりかかった。
 手桶で湯を汲み、髪に注ぐ。銀の髪がお湯を含み、わずかに厚みを増す。
 持参した茶色の小瓶の蓋を開け、ぱしゃぱしゃと中味を注ぐ。お湯をほんの少し手にとって泡立てると、控えめながらラベンダーとカミツレの香りが広がり、薔薇の香りと溶け合った。

「いいにおい」
「洗髪剤だよ。俺が調合した」
「だと思った」

 シャルは目を閉じてすうっと香りを吸い込む。白い咽がふくらみ、次いで滑らかな胸板が上下した。

「今、いちばん欲しいなって思ってた香りだから」

(これを調合しながら俺が何を想像してたかなんて……お前は想像もつかないだろうな)
 手のひらいっぱいに泡立てて、クリームのような泡に包まれた指でシャルの髪に触れる。地肌をもむように指先で洗った。耳の後ろも、首筋もまんべんなく。長い髪を指で撫で梳き、先端まで行き渡らせる。

「気持ちいいな……人に髪をいじってもらうのってこんなに気持ちいいんだね」
「そうか」
「騎士団では何でも自分でやらなきゃいけないから」

 エミルは少しほっとした。如何に体育会系の騎士団とは言え、無闇に背中を流したり髪の毛の洗いっこをしたり、とまでは行かないようだ。
 しかし安心したのも束の間、シャルがとんでもない事を口走った。

「今日はロブ隊長に褒められたよ。稽古が終わって、一緒に水浴びしてる時に」
「水浴びって、どこで?」
「ん? 裏の井戸で」

 その瞬間、エミルの耳の奥で一斉に教会の鐘が鳴り響いた。
 俺のシャルがロブ隊長と水浴びを。
 俺のシャルが、井戸端でロブ隊長と水浴びを。
 俺のシャルが。
 俺のシャルが!

 当然上は脱いでるはずだ。

 俺のシャルと隊長が、上半身裸で並んで水浴びを!
 きっと隊長の筋肉に見蕩れていたんだろう。そうに決まってる。目に浮かぶようだ。

「『やっと貴様も自分の得意な部分に気付いたようだな』って、言われたんだ。隊長の最大級の褒め言葉だよ、もう嬉しくてっ」
 
 心臓が肋骨を突き破って今にも飛び出しそうだ。
 ああそれなのに、シャルと来たら頬を染めて笑顔で……。胸の前に手を組んで、足をじたばたさせている。子供の時から見慣れた仕草だ。すごく、嬉しいんだ。

『たっ、たとえダイン先輩と言えども、シャルの尻尾を触るとか許しません!』

 試食した魔法のスープで猫の耳が生えた時の記憶が蘇る。
 あの時、先輩に詰め寄ったのは本心からだ。
 つとめて考えないようにしてきたけれど、シャルはあの人と同じ部屋で寝起きしてる。
 一緒に町内を見回り、訓練をして、時には馬に乗って城外まで巡回に出る。この間は馬泥棒を捕縛したし、自分が居合わせなければ氷の魔物だって二人で退治しただろう。
 ダイン先輩が非番の時は、ロブ隊長がシャルと組む。新入りを鍛えるのは隊長の役目だから。
 見回りの途中で一緒のテーブルに着いて、食事をして。稽古をつけて。夜勤の時は仮眠室のベッドで隣同士で寝て……。

(俺は、あの人に。いや、あの人たちに嫉妬してる……)
(俺の知らない時間をシャルと過ごしているから)
(この手に剣は握れない。俺にできるのは応援だけ、だがロブ隊長は違う。シャルと剣を交わして、成長を見極めて、認める事ができる)
(シャルが着替えたり、服脱いだり、風呂に入ったり、汗ばんで息荒くしたりしてる姿もすぐそばで。それこそ手の届く位置でーっっ!)

 自分が騎士団に入り浸っているのは、少しでもその差を埋めたいからだ。
 非番の日にこうして一緒に過ごすだけじゃ、安心できない。先輩にフロウと言う決まった相手がいると知った時は少なからず安堵した。
 けれど、それでも若い男だ。どうしても抑え切れない感情が溢れる事もあるだろう。
(そりゃあダイン先輩はフロウさんにぞっこんだし、年上が好きだってわかっちゃいるんだけど。わかっちゃいるんだけど!)
(あの人だってれっきとした男じゃないか。こんなに可愛くて美人で色っぽいシャルの姿を見ていたら、うっかりムラムラと来ない事がないとは言い切れない!)
(って言うか騎士団はそもそも、血気盛んな若い男の巣窟だーっ!)

 そして当のシャルはムキムキに憧れている。
 本人は純粋に憧れのつもりでも、周りがそう受け取めるとは限らない。ロブ隊長やダインを始め、ライバルは山のようにいるのだ。この白い頬をうっすらそめて、長い器用そうな指で胸板をすーっと撫でられたりしたら。
『すごい筋肉ですね、いいなあ……』なんて切なげに囁かれたりしたら!

(いっそ、俺も使い魔を喚ぶか)
(そうして四六時中シャルにひっつけて……ってそれじゃ覗き魔だーっ)

 ふとシャルが見上げて来る。青緑の瞳に見つめられ、エミルは一瞬のうちに渦巻く妄想のただ中から現実に引き戻された。

「こんな風に髪をいじらせるのは、エミルだけだからね?」
「っ!」

 見抜かれたのか。それとも知らずに言っているのか。エミルの胸は張り裂ける寸前まで膨れ上がった……主に喜びで。

「俺も……こんな風に髪の毛いじりたいのは、シャルだけだ」

 シャルの目が細められる。薔薇の花びらのような唇の合間から真珠の歯がこぼれ落ちた。

「嬉しいな」
「髪……すすぐぞ」
「うん」

 シャルは目を閉じて咽をそらせた。浴槽の外に、泡に包まれた髪が垂れ下がる。
 今この瞬間、無防備にさらけ出されたうなじにキスできたのなら。エミルは己の片腕はおろか、心臓さえ喜んで差し出しただろう。
 だがぐっとこらえ、手おけに湯を満たす。

「流すぞ」
「……いいよ。来て」

 流れ落ちるお湯が、泡を洗い落とす。洗髪剤が全て流されてもなお、エミルは湯を注ぎ、シャルの髪を撫で梳く手を止めなかった。
 止まらなかったのだ。

次へ→【27-5】いざ混浴
    web拍手 by FC2