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とりねこの小枝

【19-5】応用編1

2012/09/28 23:09 騎士と魔法使いの話十海
 
「どうしてこうなった」

 騎士ダインはむっつりと腕組みして眉をしかめる。
 目の前には、ぴょこぴょこ揺れる猫の耳。ふかふかの白い毛並に内側はピンク色。見るからに触り心地のよさそうなその耳は、他ならぬ後輩騎士、シャルダンの銀髪頭から生えているのだった。

「どうしたんですか、先輩?」

 当人は自らの異変に一向に気付かず、ちょこんと小首なんか傾げている。その姿を見て、中級魔術師エミリオがぶるぶる震えていた。
 およそ魔術師らしからぬがっちりした肩は小刻みに揺れ、陽に焼けた健康そのものの顔に浮かぶ表情は一見して平穏。だが内側では嵐のごとき激情が荒れ狂っている。

(俺のシャルに猫耳が生えた。俺のシャルに猫耳が。俺のシャルに。俺のシャルに猫耳がががががが……)

 サイレントに錯乱する教え子を見守りつつ、魔法学院の召喚師、マスター・ナデューはぽつりとつぶやいた。

「んんー、大惨事の予感?」

 しかしながらその端正な顔に浮かぶのはあくまでにこやかな微笑。滑らかな声にはいささかも困った響きはない。
 薬草店の主、フロウが深いため息とともに頭を抱えた。

「どうしてこうなった」

     ※

 そもそもの発端は、ダインが魔法のスープの話をうっかりシャルダンに聞かせた事だった。

「ちびさんそっくりの声になるスープですか!」

 青緑の瞳を輝かせて彼は言った。

「ぜひとも試食してみたいです!」

 まあ声がぴゃあぴゃあになるだけだし、ものの十分もすれば元に戻るんだから支障はあるまいと判断し、非番の週にフロウの店にやって来たのが運の尽き。
 シャルダンとその幼なじみで無二の親友である中級魔術師エミリオ、たまたま店を訪れていた魔法学院の教師ナデュー。そしてニコラの魔法の師匠である薬草師フロウ。
 一同が固唾を呑んで見守る中、四の姫ニコラは厳かに魔法のスープを作り、魔化の儀式を成し遂げた。

「あれ、ひょっとしてニコラ君」

 真っ先に変化に気付いたのはさすがと言うべきか、ナデューだった。何となればこの先生、受け持ちの課目ではないと言うのに、ちゃっかり魔法スープ作りの実習に混ざっていたのだ。
 そして効果に臆する事無く、悠々と全てのスープを味見したのだった。

「提出した時とレシピ、変えた?」
「はい!」

 工夫を気付いてもらえて嬉しかったのか、ニコラが青い瞳を輝かせる。

「今回は、お魚で出汁を取ってみたんです」
「なるほど、素材が猫系の毛だから相性は良さそうだね」
「こいつは何でも食うけどな」

 ぽふっとフロウがふわもこした鳥のような、猫のような生き物の頭を撫でる。

「ちびさんは好き嫌いしないよい子ですから」
「んぴゃあ!」

 でき上がったスープをシャルは優雅な仕草で試食し……結果、こうなった、と。

「あの、皆さんどうかしたんですか?」

 ここはやはり、先輩たる自分が知らせるべきだろう。意を決してダインが重たい口を開く。

「シャルダン」
「はい」
「落ち着いて聞け。スープの効果がちょっと変わったらしい」
「そうみたいですね、声も変わってないし……」
「いや、変化は出てる。耳に」
「耳、ですか?」

 シャルダンは自分の耳に手を当てた。

「……おや?」

 わさわさとさわったりつまんだり撫でたり、ぴょこぴょこ動かしたり……一通り確認してから、おもむろに一言。

「ちびさんとおそろいですね!」
「ぴゃあ!」

 そりゃあもう、嬉しそうな笑みを浮かべて。背後にぱーっとお花畑が広がりそうなくらいの良い笑顔で。
 がくーっとダインは肩を落とした。

「いや、確かにそうなんだがっ」

 一方でニコラは帳面を取り出し、かりかりと何やら書きつけている。

「魚と混ぜると効果が変わる、と」
「何記録とってんだ!」
「いや、記録は大事だよ?」
「ナデュー先生ぇ……」
「それで、シャル」

 ナデューは満面の笑みを浮かべて問いかける。

「他に何か変化はなーい?」
「えーと、他には…………あ、あれ?」

 もぞっとシャルは身じろぎ一つ。手のひらでぱたぱたと自分の体をまさぐっていたが、いきなりささっとダインの背後に隠れてしまった。

「ちょ、ちょっと失礼っ」
「どーしたシャルダン」

 ダインの陰でごそごそとっとズボンのベルトを緩め、あまつさえちょろっとずり下げている。当然ながらダインはそんな後輩の仕草をじっと見守った。
 その光景に、エミルの中で花火が上がった。

(俺のシャルが。俺のシャルが俺のシャルがダイン先輩の背後でズボン脱いだーっ!)

 思わず知らず眉をひそめ、三白眼で睨め付けながら低ぅくドスの利いた声で問い詰める。

「先輩……何見てんスか」
「あ、いや、つい、な」

 ダインとシャルは騎士団での相棒だ。指導役と見習いでもある。常に二人一組で任務に当たり、兵舎の同じ部屋で寝起きして、風呂にも一緒に入っている。
 ダインにしてみれば普段通りの行動なのだが、猫耳に理性のタガをすっ飛ばしたエミルには、もはや冷静な判断を下す事などできるはずもない。
 無言でずいっとダインとシャルの間に割って入ろうとした所にとどめの一撃。
 にゅるっと白い尻尾が突き出される。

「おわぁっ」
「……生えてしまいました」
「やあ、それは」

 ナデュー先生がのほほんと状況を分析する。

「尻尾だね」
「はい、尻尾です」

 その瞬間、エミルの中で火山が爆発した。

(俺のシャルに猫しっぽが。俺のシャルに猫しっぽと猫みみががががががががっ)

「可愛いなぁ」

 ダインは目を細めてうっとり。何となればこの男、無類の猫好きなのだから。

「触ってもいいか?」
「どうぞ!」

 ダインが手を伸ばすより早く、その肩をむんずとエミルつかむ。日々農作業にいそしむ彼の手は、騎士に負けず劣らず強く逞しい。

「たっ、たとえダイン先輩と言えども、シャルの尻尾を触るとか許しません!」

 完全に目が据わっている。頭の上では、抜け落ちたちびの羽毛がふわふわ回っている。あまりの熱気に、空気が渦を巻いているのだ。
 そりゃあもう、ヤカンをかけたらお湯の一つも沸きそうなくらいに。

「落ち着け、エミリオ!」
「先輩は大人しくフロウさんの尻を揉んでりゃいいんです」
「ちょっ、そこで俺かよ!」

 エミルは完全に取り乱していた。普段が温厚なだけにこうなると、始末に負えない。

「乳でも可!」
「ストップ、ストーップ!」

 シャルは優しくエミルの肩に手を置いた。

「レディの前だよ、エミル?」

 この瞬間、言った本人とエミルを除く全員が秘かに心の中で突っ込んだ。
(お前が言うな!)
 さしもの暴走エミルも普段ならここではたと我に返る所なのだが……生憎と今のシャルは白い猫耳と尻尾が生えている。まさに彼自身がエミリオの錯乱の原因なのだ。
 一言も発しないままエミルはシャルの両肩に手を置き、ふんすー、ふー、すーっと鼻息を荒くして行く。
 褐色の瞳には、ぎらぎらと剣呑な光が宿りつつあった。

「落ち着いて、エミル!」

 しゅんしゅんと湯気の上がるその頭上に、しゅわーっと冷たい霧が吹きつけられる。出所は、金魚のヒレに似た翼でふわふわと空中を漂う小妖精。
 ニコラの使い魔、水妖精(ニクシー)のキアラだ。
 ちっちゃな唇をつぼめて、ふーっとまた冷たい霧をエミルの顔に吹きつける。

「ふわあああ」

 じゅわーっと音がして湯気が上がった。よほど熱くなっていたらしい。

「はっ」

 褐色の目をぱちくり。どうにかエミルは落ち着き(の一部)を取り戻したようだ。

「シャルだけに猫耳が生えてるから、目立つのよ。全員に生えちゃえば問題はないわ」
「そ、そうか、全員に生えれば!」

 エミルはちゃっちゃっと猫耳スープを器によそり、ずいっと差し出した。

「さあナデュー先生、飲んでください」
「何で、私」
「こう言うことはまず、年長者から!」
「エミリー。君って子は……」

 額に冷汗をにじませつつ、ため息一つつくとナデューはぽそぽそと耳打ちした。

「ダイン君と言う一番のライバルの目をそらすにはまず、フロウに飲ませるのが最善の道なんじゃないかな」
「はっ!」
「君と同じように、最愛の人に猫の耳や尻尾が生えたらどうなると思う?」

 途端にエミリオはくるりと回れ右。スープの器を持ってフロウに詰め寄る。

「フロウさん、さあ飲んでください。ええ今すぐに!」

 その横ではニコラがくぴっとスープを飲んで、ぴょこりと金色の猫耳を生やしていた。

「え、ニコラ?」
「はーいダインもちゃっちゃと飲んでねー。被験者は多い方がいいでしょ?」
「お、おう」
 
 五分後。
 結局、最初は事態を回避したかに見えたナデューもエミルに気迫負けし、全員にめでたく猫耳と尻尾が生えていた。

「んぴゃあ!」

 ちびはいたって上機嫌。みんな自分とおそろいになったからだ。

「……んで」

 蜜色の虎縞の耳を伏せ、フロウがため息をついた。

「誰も途中で気付かなかったのか。『解除スープを作ろう』って」
「……あ」

 黒い猫耳をぴょっこぴょっこ動かして、ナデューがのほほんと答える。

「まあ、いいじゃない。どうせ十分足らずのお遊びなんだからさ」
「勢いって……怖いな」

 褐色の猫耳を伏せるダインの背後では、エミルが黒い猫耳をシャルに撫でられて蕩けそうな顔をしていた。

「基本的に生える猫耳と尻尾の毛色は、本人の髪の毛の色と同じになる、と」

 金色の尻尾をひゅんひゅん揺らし、ニコラはしっかりと記録を取っている。

「メモとってるし……」
「そうそう、記録は大事だからね。これ、ノーザンの毛でも同じ事できるかなあ」

 わくわくしながら自らの使い魔の名を挙げるナデュー。普通、止めるのが教師の役目のはずなのだがこの先生と来たら!
 フロウはため息をついて、がくーっと肩を落とした。蜂蜜色の猫尻尾が力なくくたんっとたれ下がる。

「聞いた俺が馬鹿だった」
「ぴゃあ!」

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