▼ 【27-3】銀髪騎士は修業中
2013/02/14 14:03 【騎士と魔法使いの話】
「きゃーっ、シャル様、がんばってー!」
「シャル様、しっかりー」
滅多にない事だが西道守護騎士団アインヘイルダール駐屯部隊隊長、ロベルト・イェルプは思った。
やりづらい、と。
ここは砦の中庭の修練場。日ごろ騎士たちが木剣と木盾を手に修練に励む場所に、時ならぬ黄色い歓声があがっていた。何となれば修練場の柵の周りにぐるりと町のご婦人たちが鈴なりになっているからだ。
一挙一動ごとにいちいちきゃーきゃー騒がれて、気が散ることこの上ない。
原因は、わかってる。自分が今、稽古を着けてる男だ。きりっと結い上げた銀髪に青緑の瞳、すらりとした体つきに素早い身のこなし。従騎士シャルダン・エルダレントだ。先日、二の姫に稽古をつけてもらって以来、彼は武器を変えた。
これまではディーンドルフや自分と同じ幅広の長剣を使っていた。だが今、彼が手にしているのは二の姫と同じタイプの細身の剣だった。
「どうした、踏み込みが甘いぞ、シャルダン。もっと攻めてこい!」
「はい!」
「躊躇するな。やる時はためらうな。迷った時は、積極的に前に出ろ!」
「はい!」
力任せにぶった切るのではなく、自身の器用さと素早さを生かし、突きを主体とした剣技は弓を射るのにも通じる。事実、細剣に持ち替えてから日は浅いものの、目に見えて上達していた。
時に予想もつかないタイミングで繰り出される突きに、ひやりとさせられたのも一度や二度ではない。一撃も当てられることなく防ぎ切る事ができたのは、まだシャルダンが新しい剣に慣れていないからだ。
「よし、本日はここまで」
「はい、ありがとうございました!」
二人はかちりと剣を打ち合わせて後、礼をして収めた。
六月の陽射しの下、激しい稽古でぐっしょりと汗をかいていた。だからシャルダンとロベルトはごく自然に裏の井戸に行き、並んで汗を流した。上半身裸になって、豪快に水をかぶるロベルトをシャルはうっとりと見つめていた。
(ああ、やっぱりすごいなあ、隊長の筋肉……)
熱い視線に気付いたか。ロベルトはふと体を拭く手を止め、シャルに目を向けた。
「やっと貴様も自分の得意な部分に気付いたようだな」
「え?」
「お前は俺やディーンドルフとは体格も資質も違う。優れた射手としての目と、素早さを備えているのだ。それを伸ばせ。活かせ。いいな?」
ロベルト・イェルプは公平な男だった。厳しい反面、部下の優れた点はきちんと認め、評価する。
シャルはしばらくの間、ぽやーっとしてロベルトを見上げていた。ほどなく目元からうっすらと赤みが広がる。顔や首筋に水滴をまとわりつかせたまま、シャルはほほ笑んだ。心の底から、嬉しそうに。
「はい、隊長!」
※
夕方。魔法学院の校門から東西に伸びる道を、ぽくぽくと歩く白馬が居た。背にまたがっているのは銀髪に青緑の瞳の騎士。時折、道の両脇に植えられた街路樹の花の香りをうっとりとかいでほほ笑むその姿は、さながら一幅の絵。
明日からは非番。これから一週間、エミリオの家で過ごす為にやって来たのだ。
やがて白馬は緑の生け垣に囲まれた平屋にたどり着いた。
木戸の前には、黒髪の青年が待ち受けていた。深緑のローブを脱いで、腕まくり。シャツとズボンだけの身軽な姿で立っている。一目見るなり、シャルは鞍から飛び降りて駆け寄った。
広げられた黒髪の青年の、たくましい腕の中にまっしぐらに。
「ただ今、エミル!」
「お帰り、シャル」
二人は固く抱き合った。
分厚い胸板に顔を埋め、シャルダンはうっとりと目を細める。
「ああ。エミルのにおいがする……」
がっしりした手が、つややかな銀髪をなで下ろす。そのまま二人は微動だにせず抱きあっていたが。
ぶるるるるっ。
白馬が焦れったそうに鼻を鳴らし、つつましく蹄で地面を叩いた。
シャルとエミルはようやく我に返り、気の進まぬまま抱擁をほどいた。陽に焼けたがっしりした手が、それでもしばらくシャルの背に回されたままだったが、二度目の鼻息を聞くに至ってようやく渋々と離れる。
「馬屋の準備は整ってるよ」
「ありがとう!」
エミルは先に立って木戸を開け、シャルと白馬を導いた。
この一軒家はかつて、隠遁した老夫婦が細々と家庭菜園を営みつつ、家畜を飼って住んでいた。
夫の死後、未亡人が息子の家に身を寄せて、空いた家をエミルが借り受けたのだ。
畑の半分は今は小さいながらもいっぱしの薬草園に生まれ変わり、残る半分には野菜や果物が植えられている。そして今、老夫婦が家畜を飼っていた納屋の扉が開けられた。
入る物のいなかった馬房には清潔な寝藁が敷き詰められ、桶には水と飼い葉が満たされている。
「うわあ、すごいや、これなら騎士団の馬屋に勝るとも劣らないよ!」
「馬房そのものは元からあったからね。俺は整えただけだ」
「ありがとう、エミル。よかったね、ヴィーネ!」
シャルダンは愛しい白馬の首を撫で、手際よく馬具を外す。馬を世話するのに必要なものは何もかもそろっていた。二人は一言も交わさぬままブラシを手に取り、手分けして白馬の毛並をブラッシングし始めた。
純白のヴィーネは勇猛果敢にして俊足、体力もある。牝馬ながら軍馬として優れた性質を備えているのだが、唯一にして最大の欠点を抱えていた。
彼女は筋金入りの男嫌い。男性が乗ろうものなら一歩も動かず、手綱を取れば振り払う。困り果てた牧場主によって騎士団に献上され、今はシャル専用の乗馬となった。
乗れる人間が乗れば良い、と言うのがロブ隊長の判断で、それはすなわち英断であった。
かようにして扱いの難しいヴィーネであったが、エミルに対しては比較的穏やかな態度を取っていた。
『エミル、エミル、見て、見て! この子はヴィーネ。私専用の馬なんだ!』
『ヴィーネ、紹介するよ! 彼はエミル。私の大事な人だよ』
初めて紹介された瞬間からシャルの大事な人だとわかったし、無粋な男ではあるけれどいつも薬草のいいにおいがするからだ。
しかしながら両者の関係は微妙である。
ブラッシングの合間に、ヴィーネとエミルは無言のうちに目を合わせ、すっとまた行儀良くそらす。
(むっさい男は嫌いだけど、シャルの大事な人だから仕方ないわ)
(ヴィーネ、君にとってシャルが王子様なのはわかってる。だけど俺にとっては女神なんだ!)
黒髪の青年と白馬の間に交わされた思惑を、シャルが気付くはずも無く……
(本当に良かった、二人とも仲良くなってくれて……。ヴィーネは大人しくエミルに触らせてるし、エミルも、ヴィーネの為にこんなに気持ちの良い馬屋を用意してくれたし)
素直に喜んでいた。
ある意味、最大のライバルとも言うべき白馬を馬房に封印すると、エミルはともすれば震えそうになる声を抑え、精一杯、平静を装いつつ口火を切った。
「シャル、風呂、沸かしておいたぞ」
「うん、ありがとう、エミル!」
エミリオの壮大な計画が、いよいよ実行に移されようとしていた。
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