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とりねこの小枝

【27-2】クッキー程度じゃあ

2013/02/14 14:02 騎士と魔法使いの話十海
 
 アインヘイルダールの下町。北区と呼ばれる一角にその店はあった。

 半ば石、半ば木造、茅葺きの屋根には草が生え、緑と褐色の斑模様を描き出す。生け垣にみっしり囲まれた裏庭からは、甘さと爽やかさ、つんと鼻を刺す薬を思わせる匂いが入り交じり、風に吹かれて漂ってくる。
 入り口の軒下には、木の看板が下がっていた。鍋から突き出した杖をかたどった看板には、流れるような書体でこう記されている。『薬草・香草・薬のご用承ります』。
 屋号は看板の印そのままに『魔女の大鍋』。店主は何度か代替わりしているが、店は変わらず薬とお茶と、若干ではあったが魔法の品を売り買いしている。
 現在の主、フロウライト・ジェムルことフロウはいつものようにカウンターに肘をつき、うつらうつらとまどろんでいた。遠くで教会の鐘が鳴る。一つ、二つ、三つ、四つ……。夢うつつの中でぼんやりと考える。
(ああ、そろそろ起きないと、あの子が来る頃合いだ……)
 正にその瞬間、扉が開き、聞き慣れたドアベルの音が響いた。
(やっぱりな)

「ししょー」
「お?」

 入って来たのは伯爵家の四の姫にしてフロウの一番弟子、ニコラ・ド・モレッティ。さらさらした金髪も、水色のリボンも、藍色の魔法訓練生の制服も、もはやすっかりおなじみだ。
 しかし今日はいつになく元気がない。いつもは勢い良く駆け込んで来るのだが、肩を落としてとぼとぼ歩いてる。

「……どうしたい」

 ニコラは力なくカウンター前のスツールによじ登り(いつもはぴょんっと飛び上がっているのに!)肩にかけた鞄を開け、中から布に包んだ平べったいものを取り出した。
 チョークのにおいですぐわかった。ノート代わりの小黒板だ。

「こんなんだった」

 羊皮紙を綴じた帳面と並べてカウンターに置いた。
 来るべき初級術師試験に備えて、フロウ自らが作った問題集だ。繰り返し使えるように回答は小黒板に書かせている。ざっと目を通したが、既に赤いチョークで採点されていた。
 しかも筆跡からして明らかにニコラ自身の自己採点ではない。
(エミルか!)
 読書用の眼鏡をかけて改めてじっくり見直す。

「ん~……あぁ、俺がひっかけで作ったとこにハマってんなぁこりゃ」
「見事にずっぷりと」

 ぺたっとニコラはカウンターに突っ伏した。

「ちゃんと問題文読んでたらお前さんなら気づけるはずだぜ? 魔法円の時も勢いで書くほうがやりやすいって言ってたが、こういう時は悪い癖だね」
「ううう。不覚にもつい、他のことに気をとられちゃったからーっ」

 がばっと顔を上げたニコラは眉間に皴を寄せ、悔しそうに歯を食いしばっていた。それでもやはり女の子だ、どこか愛嬌がある。

「他の事ねぇ……」
「レイラ姉さまから聞いたのね。王都の騎士は、遠征から戻ったら奥方と一緒に薔薇の花びらのお風呂に入るんだって」

 がぜん、会話に勢いがついた。なるほど、そっちに気を取られてたんじゃ、注意力散漫にもなろうってもんだろう。

「へぇ……そりゃ優雅だねぇ」
「でしょでしょ! だからエミルに聞いてみたの。シャルといっしょに花のお風呂に入らないのかって!」
「……あ~……なるほどね」

 目に見えるようだ。無邪気なニコラの一言に引きつり、慌てて黒板をかっさらうエミルの姿が。

「それで泡食って採点して話逸らしたわけか」
「やっぱりあれ、話そらしてたんだ!」
「なはは……ま、良いじゃねぇか。初々しくて……なぁ?」

 ついつい笑ってしまう。どんだけ真面目くさった顔してたのか、あいつは。
 もはやニコラはすっかり元気を取り戻し、頬杖をついてうっとりと夢見るような眼差しを宙にさまよわせている。

「……実際はどーなのかな。入ってるのかな、入ってないのかなー」
「入ってないな、多分」
「だから、あんなに慌てたんだ」
「んでもって、近々入るな、絶対に。」
「入るの!?」

 きらっと水色の瞳に星が宿る。

「入らない理由が今のところ見当たらないなら、エミルは入ろうとするだろ、多分」

 ニコラは両手を握って胸元に当て、足をばたばたさせている。

「きゃーきゃーきゃー今度聞いてみよっと。入ったのーって!」

 これでいい。この子はしょんぼりしてるより、元気な方が似合う。

「なはは、面白い話聞いたら俺にも聞かせてくんな。」
「うん!」

 と、その時。かたん、とかすかな音がして、天井近くの猫用出入り口が開いた。
 黒と褐色まだらの生き物が、しなやかな体をくねらせて天井の梁を歩き、すたんっとカウンターに舞い降りる。

「っぴゃ」

 猫そっくりの体に鳥の翼。とりねこのお帰りだ。

「んお、おかえりちび。今日はどこほっつき歩いたんだ?」

 ちびは金色の瞳をくるくるさせて、赤い口をかぱっと開く。

「えーみーる、くっきー!」
「おや、エミルのところ行ってたのか……クッキー貰ったのか。エミル元気だったか?」
「師匠よくわかったね、今の……」
「ん~、まあ単語繋ぎあわせたらなんとなくな」

 ちびはちょこんと小首をかしげ、自分の鼻をちょいっと前足で撫でた。

「えみる、はなー、ぼとぼとー」

 途端にフロウはにんまりと顔をほころばせる。

「……へぇ~。」
「エミル、鼻水たらしてたの?」 

 ニコラの問いかけに、ちびはヒゲをつぴーんと立て、耳を伏せた。

「はーな!」

 どうやら、ちがう、と言いたいようだ。

「鼻水はぼとぼと落ちねぇだろうから、鼻血だな……薔薇風呂の妄想でもしたか?」
「………なに、それじゃ私が帰った後で鼻血?」

 ぶぶっと吹き出すとニコラは再びカウンターに突っ伏し、拳でとんとんと天板をたたく。スカートの内側では足が物すごい勢いでじたばた前後に揺れていた。

「やーんエミルってばじゅんじょーっ!」
「多分、クッキーで口止めしたつもりなんだろうなぁ……」
「ぴゃっ、くっきー!」
「得したのちびちゃんだけだよね……」
「ま、エミルの恋路はさておき……俺たちもお茶にするかね。」
「はーい」

 とりねこはひゅうんっと長い尾を一振り。
 お湯を沸かしておやつを用意して、たのしいお茶の時間の始まりだ。
 ニコラの言葉通り、一番得をしたのはちびだった。

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