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とりねこの小枝

【27-1】薔薇のお風呂

2013/02/14 13:59 騎士と魔法使いの話十海
 
 アインヘイルーダールの魔法学院の敷地には、広大な薬草園がある。そこには国内のみならず、外国や海の向うの大陸から運ばれてきた貴重な薬草が植えられて、力線の恵みを受けてすくすくと生い茂っていた。
 薬草畑の中には「作業小屋」と呼ばれる建物があった。その名の通り、収穫した薬草を加工したり、調理するための場所だ。
 便宜上、小屋と呼ばれてはいるものの、授業で使うための教室も兼ねているからそれなりに広い。

 甘いの、すーっとしたの、ツンとしたの。葉っぱに花に根っこに種に茎。陽の光と数多の草木の香りが混じり合い、溶け合う空気の中で今、二人の学生がせっせとそれぞれの作業にいそしんでいた。
 一人は藍色の魔法訓練生の制服を着た金髪の少女。
 もう一人は黒髪の青年。肩幅が広く、肌は陽に焼けて健康的な小麦色。木属性を象徴する深緑のローブの上からも、がっしりした体つきがうかがい知れる。

 少女はテーブルの上に羊皮紙を綴じた問題集を広げ、かりかりと答えを手元の小さな黒板に書き込んでいる。彼女の名はニコラ・ド・モレッティ。西道守護騎士団を束ねるド・モレッティ伯爵の四女であり、下町の薬草師フロウに師事する傍ら、学院で学んでいる。
 間近に迫りつつある初級術師の試験を前に、師匠お手製の問題集に取り組んでいる真っ最中なのだった。

 一方で青年は、作業台の上でもくもくと薬草を束ね、部屋に渡したロープにぶら下げている。畑でとれた薬草を、こうやって小屋の中で陰干しするのだ。
 がっしりした指先は器用に動き、次々と薬草を細い紐でくくって行く。
 ふと少女の声が沈黙を破った。

「えーっと、土の小精霊がアーシーズで、火がフレイミーズ、金がブラウニーズで水がアクアンズ……あと一つ、木属性は何だったっけ」
「……………………俺が答えてしまったら、勉強にならないでしょう?」

 青年は顔をあげようともせず、手も止めずにさらりと受け流した。
 ニコラは肩をすくめて、再びかりかりとチョークを走らせる。
(さすがフロウさんだな)
 木属性の精霊は、植物と同時に風をも司る。故に小精霊は風由来の名前で呼ばれているのだ。慣れないうちはよく引っかかる。ニコラの師匠はきっちりツボを抑えた問題を出したようだ。

「ねーエミル」
「はい?」

 中級術師エミリオ・グレンジャーは秘かにほくそ笑んだ。さっきは危うく条件反射で答える所だったけれど、もう、簡単には引っかからないぞ。

「レイラ姉さまに聞いたんだけど、王都の騎士は遠征から帰って来た後、薔薇の花びらを浮かべたお風呂で奥方とくつろぐんですって」
「ああ、そう言う優雅な風習もあるそうですね。旅の疲れをいやすのに」
「うん」

 またしばらく、カリカリとチョークを走らせる音が続く。どうやら純粋に気晴らしのおしゃべりだったようだ。
(やれやれ、考えすぎたかな)
 ほっと気を抜いた瞬間。かたり、とチョークを置く気配とともに、予想外の言葉が飛んできた。

「エミルはシャルと入らないの?」
「はい?」
「薔薇のお風呂!」

 完全なる不意打ち。ぶふっと思わず吹き出した。とっさに手を当て、唾液や鼻水が薬草にかかるのは防いだが。
 なおもげほごほ咳き込む青年を、四の姫は満面の笑みで見守っている。
 自分の発言に絶対の自信を持っているようだった。そうするのが当然じゃないの、と言わんばかりの表情だ。

「ど、ど、どうしてそう言う話になるんですかっ」
「えー、だって……」

 次の言葉が出るより早く、エミルはさっとニコラの手から小黒板を取り上げた。

「採点してさしあげます」
「あ」

 授業に使う備え付けの黒板から赤チョークを手に取るや、ガリガリと凄まじい勢いで採点を始める。さすが中級術師、ほとんど模範解答のページも見ずに正誤を判断している。
 疾風怒涛の勢いで採点を終えると、べしっと小黒板を勢いよく机に乗せた。わきおこる風圧で、ふわっとニコラの髪の毛が舞い上がる。

「うわー、けっこう自信があったんだけどなあ」

 真っ赤に添削された回答を見て、ニコラが肩を落として力なくうな垂れる。

「余計な事を考えるからです。もっと集中しなさい。術師にとって一番、重要なのは才能でも知識でもありません。集中力です」
「うう、精進します」
「今日はもうお帰りなさい。ご自宅かフロウさんの店でじっくり落ち着いて勉強するといい」
「はーい」

 書き込まれた答えを消さぬよう、小黒板を丁寧に布でくるんで問題集と一緒に鞄にしまう。
 丈夫な帆布製の鞄は防水と布の強化を兼ねて草木の汁で染められ、蓋(フラップ)の部分には花模様の刺繍が施されていた。
 蓋の留め金をかけ終えるとニコラは鞄を肩にかけ、ぺこっとエミルに一礼。
 エミルも静かに礼を返す。

「それじゃエミル、ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 ニコラが小屋を出てから、五秒後。

「うぐっ」

 エミルは一声うめいて手で鼻を押さえ、うつむいた。指の間から、ぼとぼとと赤い血が滴り落ちる。
 鼻血であった。原因は言うまでもなくニコラの無邪気な一言。それでも後輩の前では耐え切った。
 ぜーぜーと荒い呼吸をつきながらエミルは手探りで作業台をまさぐった。どこに何があるのか、幸いにも知り尽くしている。脱脂綿をひとつまみつかみ取り、細長くねじって鼻の穴に突っ込んだ。

「はー、はー、はー」

 口で息をしながら、床にしたたった血痕をふき取る手つきも慣れたもの。
 鼻血の後始末をしながら、エミルの頭の中にはついさっきのニコラの発言が、ぐるぐると渦を巻いていた。

(シャルと一緒に薔薇のお風呂)
(シャルと一緒に。シャルと一緒に。俺のシャルと一緒にいいいいいっ!)

 妄想がわああんっと膨れ上がり、また新たな鼻血が込み上げる。
 急いで鼻を押さえ、ハンカチを水に浸して鼻の付け根に当てた。

「………いいかも知れない」
「ぴゃっ?」

 ぎっくうんっと心臓が縮み上がる。振り返ると、テーブルの上に黒と褐色まだらの猫のような生き物が乗っかっていた。きちっと前足を揃えて、翼を畳んで座っている。
 鳥のような、猫のような生き物。幻獣とりねこだ。
(ダイン先輩の使い魔がっ! 何故ここにっ!)
 見られた。聞かれたっ?
 いや、いや、落ち着けエミリオ。不思議はない。薬草調理学実習のおやつが目当てで顔を出しただけだ。第一、ダイン先輩だっていつもこいつと感覚を同調させてる訳じゃない!
 でも念のため。

「ちびさん」
「ぴゃあ」
「クッキーをあげよう」
「ぴゃあああ! くっきー!」

 とりねこは今見聞きしたことをころっと忘れて、目の前のクッキーにかぶりつくのだった。

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