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とりねこの小枝

【16-5】従騎士ダイン

2012/05/15 0:25 騎士と魔法使いの話十海
 
 がっつんっと金属の金属のぶつかる音が、骨に響き腕を震わせる。
 練習用の刃のついていない剣とは言え、重さと堅さは本物だ。受け止めた盾を支える腕が、じんっとしびれる。
 だが、止まった。止められた。
 昨日までは押し切られ、転がされていた一撃を。

「おおっ」

 気合いとともに打ち払い、相手がよろけた所にすかさず切り掛かる。だが、そこまでだった。
 繰り出される腕と鋼が絡みつき、あっと思った時には剣が巻き上げられて、手から離れて宙を舞う。

「あ」

 慌てて盾を構えようとしたが既に遅く。相手の剣の切っ先が、鼻先で揺れていた。
 俺の動きなんざ、とっくにお見通しだったってことか。

「いい動きだ、ダイン。だが詰めが甘いな」

 荒い息を吐きながら、教官がにやりと笑う。
 十四の歳から6年間。俺が馬鹿みたいにすくすく育つ一方で、この人は年齢を重ね、四十路から五十路へとさしかかっていた。
 最近は細かい文字が読みづらいとぼやいていたが、ひとたび剣を手にすればこの通り。
 ただの一度も勝てた試しがありゃしない。

「……参りました」
「盾は守るだけの物じゃない」

 言うなり、教官はぶんっと盾を水平に寝かせて、宙を薙ぐ。ぎりぎりの所で縁が顔をかすめ、勢いでぶわっと髪の毛が舞い上がった。頬が、ひやあっと冷えたのは、流れる汗が風にあおられたせいだけじゃない。

「臨機応変にな。それを忘れるな」
「はい! ありがとうございました」

 互いに礼をして、構えを解いた。

「今日の訓練はこれで終わりだ。午後は自由にしていいぞ」
「はい!」
「宣誓式の準備で何かと忙しいだろうからな!」
「その事なんですが、オーランド教官」

 本当は、稽古をつけてもらう前に頼みたかった。でもつい気後れして、言い出せなかった。剣を交えた後の高揚感を頼みに、思い切って口火を切る。

「授与者の役を、お願いできますか?」
「ほう?」

 ぴくっと教官が灰色まだらの眉をはね上げる。糸のように細い目が、鋭い光を帯びた。

 宣誓の儀式においては、儀式を受ける騎士に縁の者で、なおかつ一定の地位にある者……爵位を持つ貴族、司祭、正騎士、地方の領主などが、『剣の平もて肩を叩いて』騎士の位を授けるのが決まりだ。
 本来は父親なり、叔父なりがこの役を勤める事が多い。
 だが、ハンメルキン男爵にその意志はなかった。
 無理もない。嫡出こそ認めてはいるものの、俺との関わりを極力、避けている人なのだから。公の場で息子と認めるなど、持っての他。元より義母が黙っちゃいないだろう。

「いいのか?」
「……はい」

 教官はやれやれ、と言った表情で肩をすくめ、小さくため息をついた。

「すんません。ご迷惑おかけしてしまって」

 授与者を引き受けるのは、今後も公の場で俺と関わりがある、後ろ盾となる意志があると宣言するも同じ事。
 それはとりもなおさず、男爵夫人に逆らうことでもあった。王都では、必ずしも望ましい事ではないはずだ。
 知らず知らずのうちに声が尻つぼみになり、うつむいていた。

「でも、俺、他に頼める人がいなくて……」

 もごもご言いながら自分のつま先を睨んでいると、いきなりばっしいんっと平手で背中を張り飛ばされた。

「おぶっ」
「しゃきっとしろディーンドルフ。背筋を伸ばせ!」
「は、はいっ」

 慌てて顔をあげる。

「俺は平民からのたたき上げだ。しかもいい年だ。この先の出世なんざたかが知れてる」

 けっと鼻先で笑ってる! そうだ、こう言う人だった。

「俺がため息ついちまったのはな。ロベルトが居たら、って思ったからなんだよ!」
「あ……」

 ロブ先輩が東方の交易都市に赴任してから、もう2年になる。元気にしてるだろうか。

「あいつ、お前の成長を楽しみにしてたものなぁ。痣が残るくらい、きっついのをお見舞いしてくれただろうぜ?」

 肩を揺らし、くっくっと楽しげに笑いながら教官は、手のひらで軽く俺の肩を叩いた。

「貴様の実力は確かだ。これからいっくらでも伸びる。胸ぇ張って授与者をやらせてもらうさ!」
「……はい! ありがとうございます、教官!」
「伯母上たちには知らせたのか?」
「はい。決まってすぐに、手紙で」
「そうか。さぞ喜んでるだろうな……で、今日はこれからどうする?」
「マスター・ギアルレイの鍛冶工房に行こうかと。そろそろ剣ができ上がる頃合いなんで」
「そうか。よし、行ってこい」
「はい!」

 ごめん、教官。ほんとはそれだけじゃない。

「汗流してけよ!」
「……はい!」

 どきっとした。
 ひょっとしたら、全部お見通しなのかも知れない。

       ※

 剣は基本的に使う者の体格と腕力に合わせるのが理想だ。
 体の成長と、使い方の癖に合わせて行った結果、俺の場合は両手持ちと片手持ち、どちらでも扱える剣に落ち着いた。
 従騎士から正騎士になるに当たり、自分専用の剣を持つことが許された。
 金の出所が親父からってのがいささか気にくわないが、それでも自分に合わせて剣をあつらえるのは、嬉しかった。

『受け取りなさい、父上の名誉を。家名を汚すおつもりか?』

 支度金を届けに来た家令は、相変わらずお堅い口調でぴしりと言い捨てた。

『これは既に決定事項です。あなたに拒否権はありません』

 さすがにもう、恥じかきっ子と面と向かって言う度胸はないようだったが。久しぶりに俺と対面したとき、明らかに狼狽していたものな。親父にそっくりだからか、あるいは……
 単に、俺が彼の背丈を追い越していたからか。
 で、せっかくだから全部剣につぎ込み、最上級の素材と細工を依頼した。本来なら、宣誓式に着る晴れ着一式の分も含まれていたんだろうが……
 ダンスパーティーに行く訳でなし、わざわざめかし込む必要もあるまい。礼装用の制服で十分だ。

「よう、ダイン! 丁度いいや。使いを送る手間が省けたな!」

 鍛冶工房を訪れてみれば、マスター・ギアルレイ自らが出迎えてくれた。

「ってことは、できたのか!」
「おうよ。さっき、柄の細工を仕上げた所だ。そら、使ってみろ!」
「ありがとう」

 差し出された剣を受け取る。
 刀身は両手持ち専用の大剣に比べていささか小振り。対して柄は片手用の剣よりやや長く、両手で扱うこともできる。
 鍔(ヒルト)は刀身を中心に山形を描くように突き出し、柄には黒く染めた革がみっしりと巻き付けられていた。
 細部に至るまで丁寧に作り込まれ、無駄がない。目のみならず、触れる指先から直に感じた。
 柄と鍔の交差点には、盾型のプレートがはめ込まれている。
 自分の個人紋(クレスト)を刻むための場所だ。ここに己の印を刻んで証とし、騎士たる者の名と責任を背負うのだ。
 表面にはまだ何も刻まれていない。それでも指を這わせると胸が震えた。

 まだほんのり暖かい剣を握り、試しに二度、三度と振り回す。刃先が空を切る感触が心地よい。
 初めて使う武器は大抵、違和感を覚える。その長さ、重さに慣れるまでは、無骨な鉄の塊を握る感触が、抜けない。だが、これは……。

「完ぺきだよ、マスター! 初めて触ったはずなのに、しっくり手に馴染んで……何って言うか、自分の腕の一部みたいだ!」
「おう、おう、そうだろうとも! お前さんの攻めの動き、守りの動きをそれこそ穴ぁ開くまでじーっと見て、打った剣だからな!」

 ずいっと胸をそらすと、ギアルレイは赤らんだ厳つい顔いっぱいに満足げな笑みを浮かべた。

「いい剣が打てたぜ。それで、ダインよ。ついでにぱぱっとお前さんの個人紋も刻印しちまいたいんだが……」
「あ……それは……まだ、決めてないんだ」
「おやおや。ま、宣誓式の後でも問題なかろうしな!」
「うん……」

 正直、まだ迷っていた。騎士たる己を現す印。俺が俺であることの証明。
 だが俺は、何に対して誓おうとしているのだろう。クレストによって証明されるのは、誰だ?
 ハンメルキン男爵家の庶子か。それともディーンドルフ家の養い子か?

「どうした。冴えない顔しやがって」
「や、多分、緊張してんだ」
「そーかそーか」

 ばっしばっしと骨太の手で背中を叩かれた。

「ま、大事な儀式の前だもんなあ、堅くもならぁな。それ、一杯やってくか?」
「……ありがとう」

 勧められたビールをぐっとあおる。
 苦味と、香ばしさを引きつれて、しゅわしゅわと弾ける液体が咽を滑り降りる。

「おう、いい飲みっぷりだ」
「美味いっ」

 下品な酒だ、騎士の飲むものじゃないって言う奴もいるけど、俺は好きだ。ロブ先輩に初めて教わった酒だ。一気に飲むとすかっとするし、蜜酒を割っても美味い。

「またいつでも来いよ。刃こぼれの修理から研ぎ直しまで、何でも引き受けるからな!」
「うん。ありがとな、マスター!」

 でき上がったばかりの剣を受け取り、工房を出る。自然と足取りが弾んでいた。
 背中に背負った新しい剣。ぴっかぴかの剣を、早く見せたかったんだ。

     ※

 王太子宮殿の東隣には、大きな庭園があった。
 遠征や貿易、外遊に熱心だった四代前の国王が、持ち帰った種や苗を植えたのが始まりと言われている。今では一般に解放され、誰でも自由に出入りができる。

 庭園の奥深く、芽吹き始めた緑に縁取られた小道を進む。
 ルピナスや早咲きの薔薇、スミレに水仙、ヒナゲシ、鋭く青い矢車草。咲き乱れる春先の花の合間を抜けて、目指すのは小さな噴水だ。

 約束の時間には、まだ少し早い。それでも足はおのずと早くなり、水音を聞いた瞬間、駆け出していた。
 翼を広げた青銅のコウノトリが天を仰ぎ、くちばしからこぽこぽと澄んだ水を吐き出している。
 流れる水は花を模した水盤の縁からこぼれ落ち、同じく青銅の蓮の葉の上にうずくまるカエルの上に降り注ぐ……柔らかな雨のように。

 青銅の噴水の傍ら。ふんわりと柔らかな芝生の絨毯の上に、彼女が居た。俺の足音を聞きつけ、こっちを見て、手を振ってきた。
 
「グレイス!」
「……ダイン」

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