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とりねこの小枝

【16-6】初恋の君

2012/05/15 0:32 騎士と魔法使いの話十海
 
「いってぇ!」

 いきなり額に衝撃が走り、視界が派手に揺れる。
 グレイスの名前を出した途端、フロウがむくっと起き上がった。あれっと首を傾げていたら、片膝を立てて身を乗り出して、ぺっちん! と来たもんだ。
 元々こいつは寝る時は楽な服装を好む。だからなのか、たまたま今日があったかいからなのか。よりによって膝丈ぎりぎりの半ズボンなんぞ履いてやがるもんだから、つい目が吸い寄せられちまう。

(ああ、手ーつっこんで撫で回してぇ!)

 履き口からのぞくむっちりした太もも。
 食い入るように凝視してたら、さらにもう一発ぺしっと叩かれた。

「ってえなあ。さっきっから何すんだよ」
「何かいらん事考えただろお前」
「悪ぃかよ。んーな色っぽい格好見せられて、もよおさない訳ねぇだろ!」

 フロウはついっと咽を反らせ、じとーっと半開きにした目で見下ろして、ぽつりと言った。

「馬ぁ鹿」

 ぐっと言葉に詰まる。次の瞬間、じわじわと猛烈な羞恥心がこみ上げて来る。

「……しみじみ言うなよぉ……」

 俺の抗議に耳も貸さず、フロウは何事もなかったようにまた、膝の上に頭をのっけてころんと寝そべった。
 ぺちぺちと太ももが叩かれる。

「いいから。続き」
「……わかったよ」

 キスの一つぐらい、させてくれたっていいだろうに。
 ケチ。
 
     ※
 
 恋をした。
 生まれて初めて、恋をした。
 風になびく赤い髪、琥珀の瞳のたおやかな乙女に。
 街を歩いていて、柄の悪い男にからまれてる所を助けたのが始まりだった。
 親を亡くし、今は親類の元に身を寄せていると聞いた。何だか身につまされて、自分も似たような身の上だと打ち明けてから、一気に親しくなった。
 化粧っ気のほとんどない顔はほんのりばら色に染まり、大きく開いたドレスの襟ぐりからのぞく胸元には、ぽつぽつとそばかすが散っている。
 彼女の鈴をころがすような笑い声を聞く為なら、俺は何だってする。

「会いたかった」
「俺も……」

 抱き合った手が、背中の剣に触れたのだろう。
 グレイスは「あ」と小さく声を立て、首を傾げた。

「どうして、二本も剣を持っているの?」

 蜂蜜みたいに滑らかで、甘い声がこぼれ落ちる。聞いてるだけで胸の奥がくすぐったくなる。

「ベルトに一本、背中に一本。重くはないの?」 
「全然。こっちのは、さっきできたばかりなんだ」

 馬鹿か、俺は。パンが焼き上がったのとはレベルが違うぞ。(いや、パンも大事だが!)

「誓いの儀式のために、新しく、作った」

 背中から剣を下ろし、ついでに羽織ってたマントも脱いでばさっと芝生の上に広げる。

「どうぞ」
「ありがとう」

 優雅な仕草でグレイスが座るのを見届け、隣に腰を降ろす。ほんの少し離れて。

「ずいぶん大きな剣ね」
「うん。鍛冶工房のマスターが俺に合わせて作ってくれた」
「ダイン、力持ちだものね」

 やわらかな温もりが膝に触れる。
 グレイスが自分から体を寄せてくれたんだ。まるで猫みたいに、音も無く。

「やろうと思えば、もうちょっと重たいのも振れるんだけど。長時間ぶん回したら、どうしても疲れてくるだろう? だから持久力優先ってことで、少し短めに作ってある。その分、両手で持った時は早く動かせるし……」

 一気に喋って、はたと思い直す。

「あ、ごめん。こんな話退屈だったかな」
「ちょっとね」

 首をすくめてる。ごめん、と言いかけた口に、ほっそりした指があてがわれて優しく言葉を封じた。

「剣の話する時のダインって、すごくいい顔してる。目がきらきら輝いて、とても楽しそう。だから……」

 どどどっと心臓から大量の血が流れ出し、顔がかっかと熱くなる。耳の奥で、ごおん、ごおんと地鳴りに似た音が轟き始める。

「好きよ」
「そ、そ、そうかっ」
「騎士の剣って、もっと豪華で飾りがいっぱいついてるものだと思ってた」

 白い、長い指が剣の上を滑る。柄から鍔へ。その交差する場所へ。

「そう言うのも、ある。でも俺には何ってぇか、似合わないだろ? がっつんがっつんやってる間に、すぐに壊れて吹っ飛びそうだものな」
「んー、ここでうんって言っちゃっていいのかなぁ」
「構わないさ。それが俺だもの」

 とんっとグレイスの指先が、無地のプレートを弾いた。

「何でここは、無地のままなの?」
「それは……俺、まだ自分の個人紋、決めてないから」
「ふうん?」
「家紋とは別の、俺専用の印を刻むための場所なんだ。そう思ったら、いろいろ考えちまってさ……」
「強そうな生き物を彫ってる人、多いよね。鷲とか。ライオンとか」
「いまいち、柄じゃないなぁ。それによくある図柄だと、区別つけるの難しそうだし」
「そう? 似合うと思うんだけどな。あ、いっそ両方かけあわせてグリフォンとか!」
「それは……止めとく」

 真紅の鷲獅子は、他ならぬ父の紋様だ。息子なんだから、線なり、星なり書き加えて使うってのも有りだろう。実際、親や兄弟で同じ紋を使う例はよくある。

 だが俺には許されまい。
 6年前、太陽を抱いた真紅のグリフォンが兄の剣に刻まれたからだ。ハンメルキンの正当な跡継ぎの証として。

 ちらっとグレイスを見る。彼女はいつも、花を象った指輪を身に着けていた。
 銀の輪に白ヒスイから削り出した花をあしらったその指輪は、亡くなった母親の形見だと言っていた。

「花も、いいかな」
「花?」
「うん。その、君の指輪の花……何て種類なんだ?」
「ああ、これはね」

 グレイスは右手を掲げた。薬指にはめた指輪が、よく見えるように。

「鈴蘭」
「そっか。じゃあ……」

 鈴蘭を刻むのも、いいかも知れないな。
 らしくないってギアルレイは笑うだろう。けど、きっちり仕事はこなしてくれるはずだ。

「ね、ダイン。あなた疲れた顔してる?」
「え?」
「すごく眠そうよ?」
「そう……なのかな」

 しなやかな手が頬を撫でる。彼女の肌からは、庭園に咲くどの花よりも甘い香りがした。
 
「ふぁ……うぅ」

 あれ。俺、もしかして今、あくびしたのか?

「ほんとだ。ちょっと眠いかも……」
「儀式の準備で、忙しいんでしょ。ちょっと休んで行ったら?」

 そう言って、グレイスはぱたぱたと自分の膝を叩いた。
 その仕草には見覚えがあった。姉上が。伯母上が。そしてリーゼがしてくれた。ここにおいでって。

「いらっしゃいな、ダイン」

 彼女の声が、染みとおる。かさかさに干からびていた胸に。心臓に。
 こっくりとうなずくと、俺は剣から手を離し、グレイスの膝に頭を乗せていた。

「いい子ね、ダイン。いい子ね……」
 
 柔らかな指が髪の間を通り過ぎ、耳をなぞる。頭なんか撫でられたのは何年ぶりだろう。
 自分以外の人間の体温を、こんなに身近に。くつろぎながら感じるなんて。
 甘く香る優しい指先に身を委ねながら、うっとりつぶやいていた。

「ユニコーンの気持ちがわかった。乙女の膝の上ってこんなに気持ちよくて、安らげるんだな……」
「眠ってもいいのよ?」
「ん……ちょっとだけ眠る」

 目を閉じて、力を抜く。
 噴水の水音が、ふわあっと浮き上がって、解けて行く。降り注ぐ陽射しと、それよりも暖かなグレイスの膝の感触に意識が溶ける。
 ああ、いーい気持ちだ……。

「っ!」

 ちかっと左目の奥で火花が散る。
 同時にかちり、と何かの割れる音がした。

 目を開け、飛び起きる。
 すぐ側に、小さなガラス瓶が落ちていた。芝生に埋まった小石にでも当たったか、割れている。
 だがそれだけじゃない。中の液体がこぼれ、その下の草花が黒く変色している。萎れている。まるでそこだけ見えない炎に焼かれたように。
 さっきまでは、そんなもの無かった。俺の持ち物じゃない。この場には他の人間はいない。だとすれば、可能性はただ一つ。

「グレイス?」

 彼女は青ざめ、顔からは一切の表情が抜け落ちていた。
 外れてくれ……心底願った。だが疼く左目には、見えてしまったんだ。
 瓶と彼女の手を結ぶ、細い糸が。

「ほんと噂通りのうすっ気味悪い目だねぇ、ええ、ハンメルキンの呪われた若様」

 桜色の唇が三日月の形につり上がり、引きつった笑みを作る。

「魔物の血を引く、穢れた恥じかきっ子」
「グレイス……?」

 冷たい指が胸の中に埋まり、ぐちゃぐちゃに掻きむしる。
 ああ、その言葉だけは聞きたくなかった!

「立派なもんだねえ騎士様。きっちり敵に身構えてるじゃないか」
「あ」

 本当に。たったこれだけの間に、俺の手はしっかりと剣を掴んでいたのだ。
 
「教えてやるよ。あんたに近づいたのは、何もかも『あるお方』の依頼を果たすためさ」

 すっくと立ち上がり、彼女は優雅に裾を整えた。

「これに懲りたら、男爵家の跡取りになろう、なんて大それた望みは抱かないことだね」
「グレイス………」
「はいはい、グレイスねぇ」

 くくっと咽を鳴らすと、赤毛の女は面白そうに俺を見下ろした。

「好きに呼びな、坊や。どうせ本当の名前じゃないし?」
「っ!」

 ぷちっと、俺の中で何かが潰れた。
 どろりと苦い血を流して。

 嫌われるのは慣れている。薄気味悪い目の、呪われた息子。男爵家の恥じかきっ子。
 それこそ何十回、何百回と言われ続けた言葉だ。
 だけどグレイス、君には。君の口からだけは、聞きたくなかったよ……。
 
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