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とりねこの小枝

【16-3】恥じかきっ子

2012/05/15 0:21 騎士と魔法使いの話十海
 
 王都からやってきた迎えの馬車は、やたらめったら派手な造りで、正直あまり俺の好みじゃなかった。金かけてるな、とは思ったが。
 だが馬車を引く馬は、そろいもそろって素晴らしかった。
 手入れの行き届いたつややかな毛並み。力強く堂々たる体格。身に付けた馬具も上質な革で、きっちり作られていて、目を奪われた。
 撫でたくてうずうずしたが、迎えに来た男は毛ほどの興味も馬には持っていないようだった。それだけならまだいいんだが、俺にも同じ態度を強いたので閉口した。

 まったく、こいつは馬を何だと思ってるんだろう? ただ自分の乗った馬車を引いて、目的地に運ぶだけの動く物体だとでも?
 御者ともろくに口をきこうとせず、たまに話しかける時の、横柄で冷淡な態度と来たら! あれが人に物を頼む態度か。とにかく一緒に居ると息苦しく、酷く嫌な気分になる男だった。

 後で知ったがそいつは父に仕える家令だった。
 俺は領土から徴収する税金や小作料と同じように、この男に回収されたって訳だ。

 差し向いで馬車に乗ってる間、家令は延々と俺に説教し続けた。
 だいたい言ってることは同じ事の繰り返し。

「庶子とは言え、あなたはハンメルキン男爵家の一員として迎えられるのです」
「くれぐれも家名を汚さぬように」
「兄上の妨げとならぬように万事において分をわきまえ、謹みなさい。あなたはこれから王都で暮らすのです。田舎の領主館とは格が違うのです」

 父親にも義母にも会いたいとは思わなかったし、愛情も感じていなかった。
 だけど兄がいると知って、興味がわいた。

「兄貴がいるのか?」

 その瞬間、ぴしりっと手首をひっぱたかれた。馬に興味のない男が、何で乗馬用の鞭なんざ持ち歩くのかと思ったが、このためだったのか!

「いてぇっ」
「下品な言葉遣いは謹みなさい。これだから田舎育ちの『恥じかきっ子』は……」

 恥じかきっ子。
 父親の放蕩の結果、正式な婚姻によらずに生まれた子って意味だ。
 この後折に触れ、何度も耳にすることになった。それこそ呆れるくらいに繰り返し。
 真っ赤になった手をさすりつつ、ぐっと歯を食いしばる。腹ん中はかっかかっかと煮えくり返っていた。

 下品なのはどっちだ、この下衆野郎。しかも出し抜けに人を鞭でひっぱたくなんて!
 こいつの鼻っ柱に一発食らわしてやらなきゃ気が済まない!

 だけど一方で悟ってもいた。
 こいつの意に沿わぬことをすれば、それは全て伯母上たちの咎となる。それだけは、避けなければ。
 沈黙を服従と受けとったか、男は満足げに鼻を鳴らした。

「兄上とお呼びしなさい。あなたなど足下にも及ばない、正規の婚姻による尊い生まれの若君です」

 既に俺の目と耳は、そいつの言うことも聞いていなければ、蔑みのまなざしも見てはいなかった。
 俺に、兄弟がいる。
 血の繋がった、兄がいる。
 それだけで、灰色に塗りつぶされた胸の中にぽっと小さな灯がともったような気がした。
 
     ※

 馬車で走り続けること丸二日。王都の石造りの巨大な門をくぐった時は、さすがにあっけにとられて開いた口が塞がらなかった。
 こんなにでかい建造物が、人間の手で作られたのが信じられなかったんだ。門の向こうには大勢の人、人、人。いったいどこから出てきたんだろう?
 生まれて初めて見る石畳の町に圧倒され、ぽかーんっとしてる間に馬車は、これまたでっかい屋敷の裏門から中に入って行った。
 そう、裏門だ。子供にだって判る。立派な馬車で迎えに来たのは、あくまで体裁を整えるため。
 俺はやはり歓迎されてはいない。できる事なら人目に触れさせたくない。隠しておきたい存在なんだなって。

 屋敷に入るや、否応なく浴室に放り込まれ、がしがし洗われて。ついぞ袖を通したことのない、立派な……しかし酷く収まりの悪い服を着せられた。

「ご家族との対面まで、ここでじっとしているように」

 言い含められて押し込まれた部屋は、天井が高く、火の気が全くない。置かれている家具は立派だが、やたらと寒々しく、息が詰まった。
 窓からぼんやりと外を眺めながら思ったね。
 こんなにいい天気なのに。しかも、すぐそばに気持ちの良さげな中庭があるってぇのに、薄暗い部屋ん中でじーっと座ってる道理があるか?
 幸い部屋は一階で、しかも庭に面した窓には鍵はかかっていなかった。とっとと抜け出し、歩き回る。
 ふかふかした芝生を踏みしめ、手入れの行き届いた庭木の間を通り抜け、鳥のさえずりに耳を傾ける。
 手足を伸ばし、芝生にころっと寝ころんで、二日ぶりに「生きてる」実感を味わってると……

 薔薇の茂みの向こうから声が聞こえてきた。滑らかで、柔らかな響きの女性の声と、それに応える男の子の笑い声だった。
 芝生にうつ伏せになって、葉影から覗いてみる。
 緑のドレスを着た黒髪の女性と、彼女に良く似た、すらりとした体つきの少年が居た。
 即座にわかった。
 あれが兄貴なんだって。肌の色は透き通りそうなほど青白く、骨組みも華奢で、たおやかで。まるで絵本に出て来る妖精みたいな人だった。

 兄は瑞々しい赤い薔薇を一本手にしていた。さっき手折ったばかりなのだろう。

「母上、どうぞ」

 女性は目を細めて薔薇を受けとり、顔を寄せて香りを嗅いだ。
 美しい人だった。以前聖堂で見た女神像にも似た、穏やかな笑顔だった。正直面食らったが、とくんっと胸が鳴った。
 この人が、父の正妻。俺の義母にあたる人なのか。思ったより優しそうだ。これなら案外、上手くやってけるんじゃないか?
 
 淡い希望を抱きながら、足音を忍ばせて控えの間に戻る。ほどなく呼び出された広間で生まれて初めて『家族』と対面した。

 窓のほとんどない広間は、どっしりと重苦しい暗赤色に塗りつぶされ、所々が金色で縁取られていた。カーテン、床に敷かれた絨毯、壁紙から、一段と高い奥に設けられた立派なひじ掛け付きの椅子に至るまで。
 椅子の後ろの壁には、ぴかぴかに磨き抜かれた盾が掲げられている。銀色の表面には、後脚で立ち上がった真紅の獣が描かれていた。獅子の後脚、鷲の顔と前足、翼をそなえた雄々しい獣……グリフォンだ。

「長旅ご苦労だったな」

 椅子に座った男が、肘かけに腕を乗せて身を乗り出した。横にはさっき庭で垣間見た女性と少年。義母と兄が付き従っている。

「前に出で、顔を見せろ」

 家令にせっつかれて前に出る。
 柱の影から進み出て、差しこむ陽の光の中に踏み出した瞬間。居合わせた人々が、一斉に息を飲む気配が伝わって来た。部屋の隅から、中央の壇上から。さざ波のように押し寄せ、床に立つ俺の体を揺さぶった。
 まるっきり晒し者じゃないか!
 酷くいたたまれない気分になる。できるものなら小さく縮こまって、家具の下にでも潜り込みたい。

 愛人の子を引き取るのは、貴族の家では珍しい事じゃない。だが、よくある事と受け流すには、俺はあまりにも父に似過ぎていた。
 緩く波打つ金髪混じりの褐色の髪。緑の瞳。骨組みのがっしりした頑強な体。
 八年ぶりに会った父は、誰の目にも親子だとはっきりわかるほど、俺との共通点が多かったのだ。
 そして父本人も、その事に気付いたようだった。
 
「その頬の傷はどうした」
「剣の稽古の時に、受け損ねました」
「ほう、お前はもう剣術の稽古をしているのか」
「はい、八つの時から」
「ふむ……」

 父は椅子から降りて俺に近づき、ぐっと顔を寄せて、のぞき込んで来た。

「かなり深く切ったな。もう少しずれていれば、目を抉ったやも知れぬ。あるいは、鼻がもげたかもな」

 ひくっと咽の奥が引きつれる。
 嫌なことを言う。だがどちらも傷を負った時、正に俺が想像した事だった。

「どうだ、ディートヘルム。稽古が怖くなったか?」
「いいえ」

 この男は俺を試している。負けるものか。
 父の目を見返し、きっぱりと答える。

「次はもう、同じ失敗はしません!」

 くっと口の端を上げ、父は満足そうにほほ笑んだ。
 背を向けていたから、彼は気付かなかった。だが俺には、はっきりと見えた。
 その瞬間、血の繋がった兄と義理の母の顔は憎悪に引きつれ、目には暗い炎が燃えたぎっていた。

 淡い希望は打ち砕かれ、嫌というほど思い知らされる。自分は望まれない存在なのだと。同時にどれほどディーンドルフの家族に守られていたのかを。
 そしてあの男……兄の側に影のように控える黒髪の男を見た瞬間、悟ったんだ。

(姉上を水に沈めたのは、森を彷徨う角のある狩人なんかじゃなかった)
(生きて血の通った人間の手だった)

 庭園で薔薇を手にほほ笑んでいた二人の姿が脳裏をよぎる。
 他ならぬ自分の存在こそが、あんなにも穏やかな人たちを憎しみに駆り立てた。
 母を思いながら義母を娶った、父こそが全ての元凶。

 心に別の人間を住まわせながら、儀礼上の義務を果たすだけにもう一人を娶ったりしたら……それは、裏切りだ。どちらに対しても。

 俺は決してなるまい。
 あの男のようには。

     ※

 父が俺に対して興味を示したのは、後にも先にもそれっきりだった。
『どこからともなく』湧いた『色の変わる呪われた瞳』の噂が広まるにつれ、父にとって俺は、できるものなら忘れてしまいたい、厄介なお荷物となって行った。
 屋敷を出て、訓練所に入りたい。そう申し出た時は露骨にほっとした顔をしたもんだ。

 俺が訓練所に入って間もなく、兄が正騎士になったと聞いた。王侯貴族を招いて派手に祝ったらしい。

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