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とりねこの小枝

【14-2】月の光満ちる庭で

2012/04/09 11:46 騎士と魔法使いの話十海
 
「今日の晩飯は外で食うぞ」

 フロウのその一言で、皿を庭に運ばされた。みっしり身の詰まったライ麦パンに、羊肉の香草煮、タマネギとキャベツとカブとカボチャと……とにかくあるもんを切って叩き込んだ野菜スープ。見た目は大ざっぱだが味はいい。
 昼間摘んだたんぽぽもちゃんと献立に入っていた。ベーコンとニンニクを炒めて、いり卵を加えて、オリーブオイルであえて、サラダにして。

「これが、たんぽぽだぞ」と三回ぐらい念を押された。
 昨日食った時はホウレンソウと信じてたからあまりでかい顔もできず、大人しく三回うなずいた。
 口いっぱいほお張って、じっくり噛む。オリーブオイルとニンニクとベーコンの味の向こう側に、ちらっとたんぽぽが見えた気がした。飲み込むと鼻の奥にふわっとあの草のにおいがした。

「ほんとだ、たんぽぽだ」
「だろ?」
「美味いな、たんぽぽ」
「そーかそーか。もっと食え、体にいいぞ」

 確かに美味い。でもおかわりするなら、肉の方がいいな。

 裏庭に置かれた薬草を干す台がテーブルで、同時に椅子だ。
 食べ終わってからもそのまま待つ。ひたすら待つ。薬草の香りの溶けた、春の始めのぬるい空気の中で。

「まだか、フロウ」
「ああ、まだだ」

 はちみつを溶かした食後の香草茶をすすり、干した果物とカスタードクリームのぎっしり詰まったパイを2切れ食べ終わった所で、ぽっかりと丸い月が昇ってきた。
 磨き抜いた銀器のような。しぼったばかりのミルクのような白い光が空気に混じる。水の中に一滴垂らしたミルクみたいに広がって行く。

 火屋の蓋を開け、ふっとフロウがカンテラをふき消した。

 途端に濃い、藍色の闇に目を塞がれる。
 だがそれもほんの短い間だ。暗がりに目が慣れると、辺りは色の見分けがつくほど明るくなっていた。太陽の光と違って、眩しいとも熱いとも感じない。
 月光の下では、見えるものは全てうっすらと青白い薄布をまとう。目には見える、だが触れることはできない光のヴェールに包まれる。

 水の底に沈んだみたいに、しん、と静かで、息をするのもためらわれる……のは人間の思い込みなんだろうな。
 その証拠に、ちびの奴は、いつもと同じ、やってる事は変わらない。自分のしっぽを追いかけてくるくると回ってる。地面に写る影と一緒に、くるくると。
 これだけ騒がしいのに、ほとんど声も音も出さないんだから不思議なもんだ。さすが猫だよな。

 俺が見てるのに気付いたのだろうか。
 ひゅうっとしっぽをしならせ、立ち止まった。金色の瞳がこっちを見上げ、赤い口がかぱっと開く。

「とーちゃーん」
「どーした、ちび……っ!」

 ひっそりと立つちびの背後で、ライオン・アイの植わった一角が、きらきらと光り始めた。
 あっちにぽつり、こっちにぽつり。ホタルかと思ったが、いくらなんでも季節が早過ぎる。
 じーっと目をこらしていると、ある瞬間を境目にくっきりと光の正体が浮き上がってきた。
 日の入りとともに閉じたはずの花のうち、何本かが開いてる。しかも、光ってる!

「え、え、ええっ? どーなってんだ!」
「よーし、始まったな……ダイン、これ」

 渡されたのは白いリボン。しなやかな絹で織り上げられた、羽根のように軽くて細長い布の束。
 きちっと結ったお下げ髪に結ぶのにちょうどいいくらいの長さのが十本ばかり、月光に映えて青白く光る。

「光ってる花の葉っぱに、これ結んでくれ」
「う、うん、わかった」
「そーっとだぞ。ぎっちりやったら、千切れちまうからな」
「そーっとだな」

 こくこくうなずいて、しゃがみこんだ。

「ぴゃ」

 リボンを結ぶ手元に、ちびが顔を寄せる。濡れた鼻先がひやっと手首に触れた。

「こら。食うなよ」
「ぴぃ」

 光っているのに、眩しくない。昼間、金色に近いオレンジに見えた花は、今はむしろ白く見える。
 どこにこんな色を隠していたんだろう?

 リボンを結ぶと茎が揺れる。花が揺れる。砕いた雲母、あるいは、たぱたぱと流れ落ちる水の滴にも似たきらめきが、幾重にも重なった小さな花びらの合間に踊る。
 まるで色のない虹だ……。
 ふと思った。

(俺の瞳って、こんな風に見えるのかな)

 しみじみとライオン・アイを眺めていたら、肩にのしっとフロウが顎を乗せてきた。

「きれいだろ?」
「……うん。初めて見た」
「この花独自の性質だ。だが全部が全部、光るって訳じゃない。どの花が月の光に感応するかは、開いてみなけりゃ分からない」
「だから、夜に確認するのか」
「そう言うこった。今のうちにこうやって印をつけとけば、後々楽だろ?」

 確かにその通りだ。理にかなってる。

「リボン無くなったぞ」
「ほらよ、これ使え」
「さんきゅ」

 全ての花に印を着け終えた頃には、丸いチーズみたいな月は高々と、天の頂きに昇っていた。
 曲げっぱなしだった膝、次いで腰を伸ばすと、めきばきと軋んだ。ずーっと同じ姿勢を続けてたんだものな。そら鳴りもする。強張りもする。

「うー、腰痛ぇ」
「ご苦労さん」
「お前、ほとんど見てるだけだったろ」
「当然! 何のために今夜やったと思う?」
「けっ、俺は労働力かよ!」
「立ってるモノは、有効に使わないとな」
「おーおー、いくらでも使うぞ、お前が相手ならな」

 肩をつかんでのしかかり、顔を寄せる。
 目ー細めて見上げてやがる。余裕だなフロウ。逃げないってことはキスしていいんだな? そう解釈するぞ!
 一気に唇を奪おうとすると。

「とーちゃーん」

 にゅっとちびが割って入ってきて、俺の鼻に自分の鼻先をちゅーっとくっつけた。
 フロウのやつ、ちびを抱きあげて、盾にしやがったんだ!

「とーちゃん?」

 つぶらな瞳は裏切れない。
 もふっと腕の中に押し付けられるふわもこした体を、受けとらずにいられる訳がない。

「……いい子だな、ちび」

 ちびは俺の腕の中。ふかふか丸まって上機嫌。ごろごろ咽を鳴らし始めた。

「よーしよし、かわいいなー」
「ぴゃ」
「ふわふわしてるな」
「ぴぃ」

 やり場のない疼きを持て余し、ちびの羽毛に顔を埋めて深呼吸。

(とりあえず落ち着こうか)

 すー、はーと日なたのにおいと、薬草のにおいを堪能してると……。
 屈みこむフロウの姿が見えた。月虹の輝きをまとう花を、一輪だけ摘み取ってる。

「そんだけでいいのか?」
「ああ。一本あれば、充分だ」
「ふぅん」
「今は、な」
「……何に使うんだ?」

 フロウはじーっと俺を見て、それからちびを見て。くるりと背中を向けてしまった。

「おい?」
「秘密」
「ちぇ」

 戸口で足を止め、振り返った。

「来いよ」

 あ。あ。あ。
 ついっと唇を尖らせて、顎を上げている。
 同じだ。寝室に入る時と同じ声、同じ表情だ。
 勇んで駆け出すより早く、のほほんとした声が降ってくる。

「皿、持って来んの忘れずにな」
「………了解」

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