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とりねこの小枝

【14-1】全ての草には名前が

2012/04/09 11:45 騎士と魔法使いの話十海
 ダンデライオン。ダンデライオン。春の野原を埋め尽くす、ぽわぽわ黄色の丸い花。
 見渡す限り鮮やかな、カナリア色した故郷の丘。なだらかな斜面を降りて行くと、青い海が広がっていた……
 今はもう遠い、幼い日の住み処よ。あの頃姉上と暮らした丘の上の館も、今はもう灰色に霞む時の帳の向こうう側。星空の絨毯一枚残して全て消えてしまった。
 いや。
 燃え尽きた……。

     ※

「おら、起きろ、ダイン!」

 ばっと被っていた毛布がひっぺがされた。
 ……寒い。

「んあ」

 もそもそと目をこすって薄くまぶたを上げると。

「フロウ?」
「いつまでゴロゴロ寝てやがる、このばか犬が」

 じとーっと睨め付ける蜜色の瞳が、股間で止まる。

「ってか、とっとと何か着ろ」
「……はい」

 ベッドから這い出し、のそのそとシャツを羽織る。その間フロウはじーっと側に突っ立って見物してた。

「何見てやがる」
「ん? ナニ」
「てめえっ」
「照れるな、今さら隠すようなモンじゃあるまいよ」

 にしし、と歯を見せて笑ってやがる。大した余裕だなおい。

「だったら」

 にーっと歯を剥き出してのしかかり、わしっと丸っこい肩をつかむ。

「お前のも見せろ」
「ヤだね」
「ふごぉうっ!」

 出し抜けにぎゅっと握られ、じたばたしてる間にフロウはさっさと寝室を出ていた。慌てて服を引っかけ追いかける。

 息を切らして階段を駆け降りたら、壁に因り掛かってのんびりと突っ立っていやがった。
 俺の顔を見ると、にっと口角を釣り上げ、目元をゆるませた。

「おはようさん」
「……おはよう」
「飯できてるぞ。冷めないうちに食え」
「うん」

 で、のんびりしてたのはそこまで。朝飯食うのもそこそこに、裏庭の畑仕事に駆り出された。
 鍬で土をほっくり返し、細かく砕いて畝に盛る。西道守護騎士団に配属されて以来、めっきり畑仕事も板についてきた。
 ざっかざっかと畑仕事をこなす合間に、一息入れてふと見ると……日なたに一ヶ所、黄色の固まってる場所があった。ぽわぽわ広がる細かな黄色い花びらの群れ。ぎざぎざの緑の葉っぱ、すっくと伸びた細い茎。

「タンポポだ」

 思い出すのは幼い日。姉上が好きな花だった。よく花かんむりを作ってくれた。懐かしさについ手を伸ばし、摘み取ろうとしたら

「こら」

 ぺちっと手をはたかれた。

「いたい」
「畑の物勝手にむしるんじゃねぇ!」
「え? これ植えてるのか? てっきり雑草かと」
「おばか」

 ぺっしぺっしとデコを叩かれる。

「いたい、フロウ、いたいよ」
「たんぽぽは雑草じゃねえ、れっきとした薬草だ」

 腕組みしてずいっと胸張って、こっちを睨め付けてる。口にこそ出さないが、蜂蜜色の目がはっきり語っていた。

『このばか犬が』って。
 怒ってもいいよな。そう言う目で見られてる。でも、何だって俺、背筋がぞくぞくーっとしてるんだろう。大人しくうなだれてるんだろう。
 目元に力が入らない。口んとこがむずむずして……くすぐったい。

「そもそも世の中に雑草なんて草は存在しない。ただお前がその草の名前を知らないだけだ」
「う……うん」
「根っこを乾かして煎じたり、粉末にしたりして使うんだよ。花は醸してワインにするし、若い葉っぱはサラダになる」
「え、サラダ? そんなに簡単に食えるのか」
「ああ。昨日食っただろ?」
「気がつかなかった」
「ったく。じゃあ今夜も食わせてやるよ」

 そう言ってフロウはかがみこみ、たんぽぽを摘み始めた。上の葉っぱの部分だけかと思ったら、根っこから丁寧に掘り起こしてる。
 手伝おうと思って隣にしゃがみ、手を伸ばすと……

「こら」

 またぺちっと叩かれた。

「いたい」
「そっちは、まだ摘むな」
「どう違うんだ!」
「よく見ろ。花の色とか、茎の長さが違うだろ」

 言われてじーっと顔を近づけてみる。
 俺が摘もうとしたたんぽぽと、フロウが摘んだたんぽぽ。二つの花を見比べる。

「……あ」
「わかったか?」
「うん。こっちのが茎が太くて長い。葉っぱの幅も広いし、花も分厚くて、もこもこっとしててて……色も濃い。黄色っつーよりオレンジだな。全体的に何つーか」

 しばし喋るのを中断して考える。こいつを言い表すのにぴったりの言葉を探す。

「図体が、でかい」
「正解」

 くっくっと声を立てて笑いながら、フロウはばんっと俺の背中を叩いた。

「お前さんみたいにな」
「けっ、いきなりそう来るかよ!」

 でもそんな風に言われると不思議なもので、親しみが湧いてきた。
 どんな草にも名前がある。ほんの今し方フロウはそう言った。だったらこいつにも名前があるはずだ。

「何て名前なんだ、それ」
「ライオン・アイ。たんぽぽ(ダンデライオン)の西方亜種だ」
「せいほう……あしゅ?」
「王都から見て西の方に生息するってことだ。ここいらの土地に馴染んだ種類ってこったな」
「へえ」

 ライオン・アイ。周辺から中央にかけてオレンジの濃くなる花は確かに、ライオンの瞳を思わせる。絵でしか見たことがないけど、確かにこんな色合いだった。

「わかんねぇなあ。花も開いてるし葉っぱもこんもり茂ってる。これって今が摘み時じゃないのか?」
「いや。まだ早い。そいつを摘むのは……」

 指折り数えてから、フロウはうん、と小さくうなずいた。

「今夜だな」
「夜?」

 ますますわからん。

「たんぽぽは日暮れになると花、閉じちまうじゃねえか」
「ところが、どっこい、こいつはちょいとばかり特別なんだな」

 にやにや笑ってる。楽しそうだ。

「ちょうどいい。今夜は付き合え」
「えー」

 露骨にがっかりした声が出た。だって俺は明日からまた一週間、勤務なんだぞ? お前んとこでゆっくりできるのは、今週は今日が最後だってのに。
 よりによってその夜に、畑仕事をやれってか?

「むう」

 新手のかわしか。それとも焦らしてるのか。口が尖る。眉が寄る。低い声でうなってると。

「どうしても今夜、必要なんだよ」

 くしゃっと、むっちりした手で頭を撫でられた。甘さと酸味とすーっとした爽快感、日なたのにおい、乾いた草のにおい。薬草の香る指が髪の間を通り過ぎる。あったかい。気持ちいい。

「手ぇ貸してくれ。頼む」

 断れる訳がなかった。

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