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とりねこの小枝

【おまけ】惑い花の残り香

2012/06/14 0:44 騎士と魔法使いの話十海
 
 ディートヘルム・ディーンドルフが騎士宣誓を終えて数日後。
 東の交易都市エプレポートでは、衛士隊副長ロベルト・イェルプが港近くの食堂で、遅い昼食を取っていた。
 王都からの客船が到着すると、大量の人や荷が出入りする。必然的に衛士隊の仕事も増えるのだ。
 窓際の席に腰を降ろし、注文を取りに来た給仕に一言手短に告げる。

「いつものを頼む」

 ほどなくして、身の詰まった堅いパンとチーズ、そして陶器のジョッキに満たされたビールが運ばれてきた。
 
「ご苦労」

 礼を言って、口を着けるか着けないかのうちに男が一人、慌ただしく駆け込んできた。
 黒髪に琥珀の瞳の、リスのような小柄な男……ハインツだ。

「あ、いた、いた、副長!」

 ざわっと店内の客がどよめく。
 衛士隊の隊員が慌てふためいているのだ。すわ何事かと、身構えもしよう。半ば腰を浮かしている客もいる。

「騒がしいぞ、ハインツ」

 ぎろりとロベルトは薄紫の瞳でにらみつけた。

「緊急か?」
「いえ」
「では控えろ。他の客の迷惑になる」
「はい……すんません」
「とにかく座れ。食ってる間、前に突っ立っていられたら落ち着かん」
「はい」

 素直にハインツが座った所を見計らって先を促す。

「で。何があった」
「あ、はい。さっき王都からの便に乗ってきた連中から聞いたんすけどね……」

 ハインツは商人の息子だ。故に商船の乗組員や客に知り合いが多い。

「ダインの奴がね。騎士宣誓を済ませて、晴れて正騎士になったってんですよ!」
「誰だそれは」
「えーっ」

 かっくんとハインツの顎が落ちる。

「あなた、あれだけしばき倒した奴をあっさり忘れますか」
「……冗談だ」

 ロベルトはぐっとビールを煽り、またぽつりとつぶやいた。

「そうか。やっと、正騎士になったか」
「はい! ですがね、やっこさん何を考えてんだか。父親の家名じゃなくって、伯母さんの家名で宣誓しちまったんですよ!」
「不思議はなかろう。奴はずっとディーンドルフを名乗っていた」
「ええ、まあ、表向きはね……あ、俺もビールとソーセージとパンを」
「かしこまりました」
 
 給仕が遠ざかるのを見届けてから、ハインツは心持ち声を潜めた。

「てっきり、これを機会に親父さんの家の一員として、正式に認められるんじゃないかって、思ってたんすけどねえ」

 商家に生まれ育ったハインツの価値観では、それが理に叶ったことなのだろう。
 才能のある息子を家に迎え、家業を継がせるのに何の不都合があるかと。兄がいるなら、暖簾を分けるなり何なりすればよいではないか、と。
 だが、生憎とハンメルキン家は貴族だ。爵位と名誉、見栄と体裁がおまけで着いてくる。

「馬鹿だなあ、ダインのやつ。家を継ぐ権利を、完全に放棄するなんて……」
「それが、ディーンドルフの選んだ道なのだろう」
「はぁ」
「考えてもみろ。あの直情馬鹿に、だだっぴろい領地を運営する才覚なぞ、あると思うか?」
「………結構、上手く行きそうな気もしますが」
「貴族社会の腹芸も含めて、だぞ?」
「あ、それは無理ですね」
「そう言うことだ」

 がつがつとチーズとパンをほお張り、かみ砕き、ぐい、とビールで流し込む。
 恐らく男爵夫人と、兄に遠慮した上での決断だろう。思えばあいつはいつでも背中を丸めて、何かから身を隠そうとしていた。
 怖いからではない。
 極力、目立たぬように。自分の存在、動きで心乱される者がいると知っていたからこそ。

「騎士ディーンドルフ、か……」

 ため息とともに吐き出したその時だ。
 チャリン、とすぐ側で金属の落ちる音がした。見ると、真後ろのテーブルからスプーンが落ちた所だった。座っていた女性が立ち上がりかける。

「どうぞ、そのまま」

 押しとどめて拾い上げ、すっ飛んできた給仕に渡す。ついでに替えのスプーンを受けとり、うやうやしく差し出した。

「どうぞ」
「ありがとう」

 ふわりと甘い花の香りが漂う。
 春先だと言うのに、みっしり着込んだ羊毛織りのマントの下からのぞく手には、白いヒスイの指輪がはめられていた。

「鈴蘭……」
「え?」
「鈴蘭の花ですね、これは」
「ええ」

 目深におろしたフードの陰で、彼女がほほ笑んだような気がした。

「母の形見なんです」
「なるほど。よくお似合いだ」
「ありがとう」

 ほどなく女性は食事を終え、店を出て行った。後ろ姿を見送りながら、ロベルトが呟く。

「いい女だな」
「え? 顔、ほっとんど見えなかったじゃないすか!」
「甘いぞ、ハインツ。女の価値は顔じゃない」
「じゃあ、何なんですか」
「体だ」

 迷い無くきっぱりと言い切る上官に、ハインツはへばーっとため息をつくのだった。

     ※

 鈴蘭の女は歩き続ける。
 目深にフードを被ったまま。やがて波止場まで来ると、そのまま桟橋の上を歩き始めた。海から吹く風にマントがはためく。

「馬鹿な子だ。ああ、まったく、ほんとになんって馬鹿な子だろう!」

 ウミネコの声と、港の賑わいに紛れるようにして女は呟いた。

「ほんっと、馬鹿。おかしくって涙が出る!」

 頬を一筋、涙が伝い落ちる。それを拭おうともせずに女は歩き続ける。

(あんたはあたしを、宝物みたいに扱ってくれた。手のひらで大事に包んで、うっとり夢見るような澄んだ目で見つめて……)

(だからあたしも。あたしみたいな女でも、あんたの前では、宝物でいられた)
(まばたきよりも短い間だけど、生まれてきて良かったって思えたんだよ……)

 桟橋のとっつきで、フードを脱ぐ。
 艶やかな赤い髪が風に煽られて広がった。まるで翼のように。

(グレイス)
(グレイス?)
(グレイス!)

 風に紛れ、彼の声が聞こえる。耳の奥に、遠くかすかに。

 その名前はあんたにあげる。
 だから覚えていておくれ。
 あんたが覚えている限り、あたしはあんたの宝物。

(惑い花の残り香/了)

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