▼ 【おまけ】ニワトコの木の下で
2012/01/20 18:31 【騎士と魔法使いの話】
- 拍手お礼短編の再録。「【8】蜂鳥よりも軽やかに」を、おいちゃんの視点から。
- 「30年後が怖いよ」フロウがその言葉を口にするまでに何があったのか。何を思っていたのか。
「お前の30年後が怖いよ」
「どう言う意味だそりゃ」
面食らってるな、ダイン。そりゃそうだろう。お前さんはまだ、やっと20と1年生きてきたところだ。
自分のこれまでの生涯より長い時間なんざ、想像もつくまい。
だがな。俺は違うんだ。四十路を超えれば、考えずにはいられないのさ。
自分の老い先、余命ってもんをな。
「30年も過ぎれば、俺は70だ。死んでてもおかしかないだろ?」
「死に別れた後のことなんざ、そん時考えりゃいいことだろう。今はそんなこと口にすんじゃねぇっ」
あーあ。やっぱ拗ねたか、若者。しょうがねえなあ。
こんな時は頭撫でれば大抵機嫌を直すんだが、今夜ばかりはなかなか、ダインの鼻息は収まらなかった。
※
薬草師って仕事柄、おのずと人の生き死にに立ち合う機会は多くなる。時には永年付き合ってきた客を見送る事もある。
ついこの間も、家まで薬を届けに行ったら葬式の準備の真っ最中だった。
(どうしたものか)
この家のじーさんはとにかくきっちりした性分で、薬はいつも届いた時に現金払い、貸し借りなし。支払いは全て済んでることだし、やはり出直すか。
今後は届ける必要もない。帳簿に一言書き加えればそれでおしまい。『取引終了』、ってな。
引き返そうとしたその時、ふと玄関先のポーチに置かれた椅子に目が行った。
じーさんがいつも座ってた場所だ……鼻の脇に白い斑点のある、ばかでっかい、オレンジ色の縞猫を膝に乗っけて。
重くないかと聞いたら決まってこう答えたもんだ。
「当たり前だ、何年こいつを乗っけてると思っとる?」
椅子の上に今は、猫だけが残されている。さんさんと陽射しが降り注いでいるのに。そこは家中でいちばん日当たりのいい場所のはずなのに、寒そうに背中を縮めて……。
何故だか無性に胸が痛んだ。
やばいな。以前ならどうってことない、ただそうなのか、と流してたものを。
自分の家にも猫がいるせいか?(羽根が生えていて、本来の飼い主はダインだが)
家に帰ってからも、ぽつんとうずくまる猫の姿が瞼の裏から消えなかった。
この先ずーっと、あいつはあそこにうずくまってるんだろうか。もう二度と、飼い主のじーさんは戻って来ないのに。
翌週、花を持って弔問に行った。そろそろ落ち着いた頃合いだろうし、永年のお得意さんだ。これぐらいはしたって罰は当たらないだろう。
玄関でつい、きょろきょろと見回し、ぎょっとした。
たった一週間過ぎただけなのに、これが、同じ猫か?
つやつやのふっかふかだった毛並みが、針金みたいにぱさぱさしてる。まるっきりつやがない。まるまる太ってた体も急に一回りか二回り、縮んでしまったみたいだ……。
何より、目が。
いつでもくるくると動くものを追いかけていた、金色の目が。
目やにがこびりつき、どんより濁って、まるで薄汚れたガラス玉だ。何も写しちゃいない。しかも半分くらい、白い膜に隠れてる。
「お前………」
ぼう然と立ち尽くしていると、オレンジ猫はのっそりと床に降りて、どこかに行っちまった。
妙に足音が軽い。体の中で、骨がカラカラ鳴るのが聞こえそうだ。あいつ、飯食ってないんだ。
猫でさえこうなんだ。
これが犬ならどうなる。増して、人間なら?
その夜、つい口に出しちまった。
「お前の30年後が怖いよ」って。
※
「行ってくる」
「ああ、気をつけてな」
のっそりとでっかい背中が戸口を出て行く。扉が閉まるのを見届けてから、こっそりと奥に引っ込んだ。
袖をめくる。二の腕にくっきりと指の痕がついていた。
「ったく、あんの馬鹿力が!」
媒介となる軟膏を擦り込み、小声で治癒の呪文を唱える。
普段はのほほんとした騎士さまも、どうにかすると不意にタガが外れちまう事がある。
前に一度、あいつの見てる前で不覚にも弩で撃たれた事があった。またその時、あのばかでっかい黒馬の上に居たもんだから、たまらない。ぶっつり左腕に矢をさしたまま、もんどり打って地面に落ちた。
その瞬間、ダインはぶち切れた。咆哮を挙げ、弩を射た奴に飛びかかり、素手でぼこぼこに殴りつけた。相手の顔面が腫れ上がり、歯が折れ、血を吐いても拳を止めなかった。
ちびのお陰で、どうにか俺の声が届いたからいいようなものの………あのまま放って置いたら、殴り殺していただろう。荒れ狂う怒りのままに、容赦なく。
あまりの気性の激しさ、攻撃性の強さに背筋が冷えた。
と言っても、あいつ自身が怖いって訳じゃない。そこまで俺に執着してる、その事実が、だ。
俺はダインより20も年上だ。どう足掻いたって、先にお迎えが来るのは目に見えている。左腕に矢がぶっ刺さっただけであれだけぶち切れる男が、俺と死に別れたらどうなるんだろう?
想像しただけで、怖くなる。
食事も取らず、眠ることも忘れ、ただただ俺の死を嘆いて、求めて、追いすがり、それでも得られず打ちのめされて……。
干からびちまうんじゃないか。
閉ざしたまぶたの裏を、よろよろと猫が横切る。足を引きずり、うなだれて。すっかり乾いて小さくなったオレンジ色の猫が。
(俺のことなんか、忘れちまえばいい)
(さっさと次の相手を見つけて、そいつに夢中になってくれればいい。できればいいとこのお嬢さんで)
(今度こそ、お前が本来居るはずだった場所に戻ってくれれば、こっちも草葉の陰で安心できるってもんだ)
人間ってのはとことん強欲だ。
その反面、甘美な痺れが体の奥底を震わせるのを感じてもいた。
そこまで、ダインに想われていることが。請い、求められていることが………嬉しい。
こいつを支配している。従えていると思うと、尚更に。
ひくっと口の端が震え、つり上がる。
業腹だねえ。
ったく、救いようがねえや。
※
四日後、バンスベールの町まで配達に出かけた。
聖地母神殿の施薬院に、薬草を卸しに。いつもの仕事だ。乗り合い馬車を使えば日帰りもできる距離だ。
一泊することも考えたが、ちびに留守番させるのはまだ心配だ。俺がいないのをいいことに、何やらかすかわかったもんじゃない。
朝一番に出たから、時間にはだいぶ余裕があった。いつものように施薬院に頼まれた薬草を届け、次の注文を受ける。さて帰りの馬車が出る前に、軽く腹ごしらえでもして行こうか。
石畳の町をそぞろろ歩くうち、目抜き通りの四つ角に出た。戸口にニワトコの生えた家の前で、しばし足を止める。
異界から迷い込んだちびを、ここで一度は故郷に返した。俺が術式を引いて、ダインが向こうに渡って。
結局その後、あいつは正式にダインの『使い魔』としてこっちに戻って来た訳だが。
『なあ、フロウ。これどうしても着けてなきゃだめなのか?』
『当たり前だ』
白いほわほわしたキャラウェイの花冠を、ずぼっと頭に被せてやった時のダインの顔ったら、なかったなぁ……ちょいとくすぐってやったら素直に最後まで被っていたけれど。
本当は、花一輪、胸ポケットにでも挿しときゃ充分だったんだ。
こみ上げる思いだし笑いをかみ殺しつつ、ニワトコの根元を見下ろしていると。
「ん?」
見覚えのあるオレンジ色が、ひゅうっと視界の隅をかすめた。
(まさか、な?)
にゅるん。
ニワトコの木を回って、オレンジ色の猫が顔を出した。
「お前っ!」
似た猫かと思ったが、鼻の脇にぽちっと浮いた白い斑点は見間違えようがない。あいつだ。あの、じーさんのオレンジ猫だ!
「なんで、ここに?」
猫はすりっと足に巻き付き、一声鳴いた。
「んなーっ!」
張りのある声。毛並みもつやつや、さすがに体格はまだいくぶん細いが、足取りにも、しっぽの動きにも力がみなぎっている。
目は透き通りぱっちりと開いていた。白い膜に閉ざされ、目やにでびとびとだったのが嘘みたいだ。
「あら、薬草屋のおじさん!」
活き活きとした声で呼びかけられ、顔を上げると見覚えのある娘さんがいた。何度か顔を合わせてる。じーさんの孫娘だ。確か嫁に行ってたはずだが。
「こちらにお住まいだったんですか」
「ええ、ここが嫁ぎ先です」
「えーっと、えーっと、それで、あの、この、猫」
孫娘は、よっこらしょっとオレンジ猫を抱きあげた。
「はい。祖父の猫です。私が引き取りました」
「………ああ」
「この子、おじいちゃんが亡くなってから餌食べなくなっちゃって。見かねて、びしっと説教してやったんです。あんたが干乾しになったら、おじいちゃん喜ばないよ。私の家においでって。おじいちゃんの代わりにはなれないけど、ご飯と寝るとこは用意するから、一緒に暮らそう、って……」
オレンジ猫は孫娘の腕の中、目を細めてごろごろノドを鳴らしてる。ほんの三日前まで死にかけていたのが、嘘みたいだ。もうすっかり、ここをわが家と決めたようだ。
「言って、通じたんだ」
「はい。通じました」
「かしこいなぁ」
「頭に『悪』がつきますけどね」
大したもんだ、猫って生き物は。なかなかどうして、図太いじゃないか。
てっきり、あのままじーさんの後を追うんじゃないかと案じていたのに。まったく、意表を突いてくれるよ。
※
アインヘイルダールの裏通り、店に戻った時はもう、夕方だった。
鍵を開けてる間ドアの向こうでぴゃあぴゃあ鳴く声が聞こえ、中に入るとちびが飛びついてきた。
文字通り羽根を広げて、ばさばさと。
「ふーろう。ふーろう!」
「ただいま、ちび公。いい子にしてたか?」
「ぴゃあ!」
「ほんっとーに?」
「……ぴゃ」
一応、天井にこいつ専用の出入り口がある。出入り自由のはずなんだが、それでも中にいるってのはどう言うことかね?
家の中を一通り確かめる。寝室、台所、居間、書斎、そして店。
「ふむ」
無くなった物や、ひっくり返ったものは無さそうだ。爪でばりばりやからしたり、前足でていっとひっくり返した痕跡もない。クローゼットもベッドもきれいなもんだ。
「よし、やらかしてないな」
「ぴぃ」
えらそうな顔で、ひゅうっとしっぽを振ってる。
「そら、ご褒美だ」
「ぴゃっ」
じーさんの孫娘から土産にもらった、ニワトコの実のジャムを開ける。
黒に近い紫色で、汁気たっぷりのこってり甘いジャムをパンにつけてやると、目をかがやかせてがっついた。
「んまいか?」
「んびゃぐぐぐ、ぴゃぎゅるるる」
「そーかそーか」
自分もひとさじすくいとって口に入れる。
「ん、美味いな」
もう一口、と手を伸ばしたその時だ。
ばたーんっと勢いよくドアが開いた。
「お?」
思わず知らず、椅子の上ですくみあがる。金髪混じりの褐色の癖っ毛をもわもわと逆立たせて、肩幅の広い、背の高い男が立っていた。
しかも、両足踏ん張って仁王立ち。
大抵、こいつが飛び込んで来る時は前もってちびが知らせてくれる。だが今回は食うのに夢中で出遅れたらしい。
「ダイン!? どうした、何しに来た!」
「言わなきゃならないことがある」
いきなりどうした。ってかお前今、勤務中だろう!
ったく、こいつも大概意表を突いてくれるが、仕事はどうした仕事は。
「聞け」
「やだっつっても言うだろお前」
「ああ。言う」
「わかった、わかった」
伸び上がって、ぽんっと肩を叩いた。
「聞いてやる。だから、言ったらちゃんと砦に帰れよ?」
さあて、何を言うつもりかな、ダインくん……。
(ニワトコの木の下で/了)
次へ→【9】氷雪の檻と白銀の騎士