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ローゼンベルク家の食卓

【4-5】火難水難女難男難

2008/10/08 2:40 四話十海
  • 誕生日が終わってまもなく、ヒウェルに降り掛かった地道に不幸な出来事の数々。
  • なぜか彼の場合、こう言う情けないシチュエーションがとてつもなく似合うように思えるのは…気のせいでしょうか?
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【4-5-0】登場人物紹介

2008/10/08 2:41 四話十海
  • より詳しい人物紹介はこちらをご覧下さい。
【ヒウェル・メイリール/Hywel-Maelwys】
 フリーの記者。26歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。適度にスレたこずるい小悪党。
 オティアに想いを寄せるが告白段階で激しく自爆。
 最近、夕飯の時にしか出番の無くなってきた本編の主な語り手。
 今回、不幸てんこ盛り。
 
【オティア・セーブル/Otir-Sable 】 
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だがヒウェルには徐々に心を開きつつあった、が。
 告白の際に著しく心を傷つけられ、今はひたすら『空気』扱い。
 観察力に優れ、また記憶力は驚異的に良い。
 ポーカーフェイスの裏側で実は意外に心揺れ動いている。
 ディフの探偵事務所で助手をしている。とても有能。
 最近、猫を飼い始めた。定位置はもっぱら頭の上。

【シエン・セーブル/Sien-Sable】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 また素直そうに見えて巧みに本心を隠してしまう一面も。
 ディフになついている。
 自覚のないままヒウェルに片想いしている。
 その一方で、オティアとのこじれた仲を取り持とうとする複雑な立ち位置に。
 レオンの法律事務所で秘書見習いをしている。
 こう見えて実はけっこうドライな子。あきらめが早いとも言う。
 
【レオンハルト・ローゼンベルク/Leonhard-Rosenberg】 
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフと双子に害為す者に対しては穂高の槍の穂先並みに心が狭い。
 ヒウェルに対してはとことん容赦無い。
 ディフの旦那で双子の『ぱぱ』。
 嫁の愛情を横取りする者はたとえ犬猫でも容赦しない。

【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 頑丈そうな体格だが無自覚に色気をふりまく困った体質(ゲイ相手限定)。
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢、時々天然。
 レオンの嫁で双子の『まま』。
 アレルギー持ちの旦那のために最近超強力な掃除機を購入した。

【オーレ/Oule】
 四話めにしてようやく本編に登場したオティアの飼い猫。
 白毛に青い瞳、左のお腹にすこしゆがんだカフェオーレ色の丸いぶちがある。
 最愛の『おうじさま』=オティアを守る天下無敵のお姫様。
 趣味はフリークライミングとトレッキング(いずれも室内)、好物はエビ。
 エドワーズ古書店の看板猫リズの末娘。
 
【エドワード・エヴェン・エドワーズ/Edward-Even-Edwars】
 通称EEE、もしくはエディ。英国生まれ、カリフォルニア育ち。
 濃いめの金髪にライムグリーンの瞳。
 元サンフランシスコ市警察の内勤巡査でディフとレオンの友人。
 現在は父親から受け継いだ古書店の店主。やや引きこもり気味。
 飼い猫のリズは家族であり、よき相談相手。
 獣医のサリー先生のことが何かと気になる36歳。

【リズ/Liz】
 本名エリザベス。
 真っ白で瞳はブルー、手足と尻尾が薄い茶色のほっそりした美人猫。
 エドワーズ古書店の本を代々ネズミから守ってきた由緒正しい書店猫。
 6匹の子猫たちはめでたく里親に引き取られていった。
 エドワーズのよき相談相手。

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【4-5-1】予言なんて気にしない

2008/10/08 2:44 四話十海
「んがぁっ」

 その瞬間、真っ白に燃え尽きた。
 がくん、と顎が落ちる。ついでに手にしたメモ帳とペンも床に落ち、静まり返った会場にカツーンと乾いた音を響かせた。
 目の前には時計を使ったオブジェ。大人の背丈ほどの高さの柱時計の振り子の部分には、ぎっしりと青い目覚まし時計が詰まっている。
 丸い文字盤、上部に二つのベルとハンマー、色はつやつやした青。そう、忘れもしない9/10に必死になって俺とサリーがシスコ中をさがし回ったあの時計が………。
 
clock.jpg※月梨さん画「燃え尽きるへたれ眼鏡」
 
 現場はサンフランシスコ現代美術館。赤レンガの外壁に斜めに傾いだ巨大な円形の天窓、中味にも外見にもモダンな芸術の香りあふれるこの建物にやってきたのはひとえに仕事のためだった。
 顔馴染みの編集者に頼まれて、ピンチヒッターで新進気鋭の若きアーティストたちの作品を展示した特別展の取材にやって来て、問題の一品に出くわしちまったのである。
 
 ソニックウェーブ級の最初の衝撃が通りすぎると、ようやく口元に引きつった笑みが浮かんだ。
 そりゃあもう、出て来る途中で喉にひっかかりそうなかっさかさに乾いた笑みが。

「は、はは、そうか……どっかのアーティストがオブジェの素材にするために買い占めてやがったんだな……」

 落ち着けヒウェル。今は仕事中だ。いい年こいた社会人がここで暴れて芸術作品をたたき壊したらそれなりに問題だ。
 所詮は大量生産品、まあこんな事もあるよなと無理矢理自分を落ち着かせつつ屈み込んで床に落ちたメモ帳とペンを拾い上げる。
 ふと、タイトルが目に入った。

『the Maternity』

「そうか、これが『女難』ってやつか……」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 遡ること前日。
 いつものように中華街をうろうろしていると、知り合いのお茶屋の亭主に呼び止められた。
 別に珍しいことじゃない。よくある事だ。

『元気かい?』『お茶でも飲んでく?』『これ試供品だけどよかったら試してみる?』そんな所だろう。さして深くも考えずに近づいて行った。

「メイリールさんちょっとちょっと! うちのひいおじいちゃんが話があるって」
「何だい?」

 お茶屋の亭主の顔からいつものふくふくした愛想笑いが消える。細い目をいっそう細くして声を潜めて囁いてきた。

「あなた良くない相が出てるから気をつけた方がいいって」
「良くない相ねえ……どんな?」
「水難と、火難と、あと女難の相が出てるって」

 真剣なまなざしの亭主の隣では、白いヒゲをたくわえた爺様(彼は英語があまり得意ではなかった)が厳かにうなずいている。
 へっと鼻で笑っちまった。

「水難火難はともかく俺はゲイだぜ? 女難はお呼びじゃないよ」

 すると爺様は亭主に向かって何やら中国語で話しかけた。

「……男難も」
「マジ? どーすりゃ回避できる」
「これあげる」
「……お守り?」
「いや、お菓子。落ち込んだ時には甘いもの食って元気出して」
「………………………落ち込むような状況に陥ることは既に確定な訳ね」

 手渡された四角い包みをポケットに突っ込み、手を振って歩き出す。白ヒゲの爺様とお茶屋の亭主の妙に慈愛に満ちたまなざしに見送られて……。
 そーいやあの爺さん、今でこそ引退しちゃいるが、良く当たる占い師としてあの近辺じゃ有名だったな。あれ、それとも風水師だったっけか?
 いまいち違いがわからんが、どのみち予言なんざ気にしない。

 でも、ちょいと場所は変えてみようかな。
 
 ※ ※ ※ ※
 
 カランコロンと穏やかな響きのドアベルに迎えられ、やってきたのはエドワーズ古書店。古い本のにおいに静かな空気、そして美人の看板猫。
 長い尻尾をくねらせて足元にすり寄るリズを静かになでる。

「よう、リズ。元気?」
「にゃ……」
「オーレは元気だよ。最近はカーテンをよじのぼってレールの上を走るのがお気に入りだ」

 なごやかに挨拶をしていると、目の前にぬっと磨かれた革靴が突き出された。ぴしっと折り目のついたダークグレイに細いストライプの入ったズボン、その上には黒のベストに白いシャツ、さらにその上には金髪にライムグリーンの瞳の店主の顔。

「ども、Mr.エドワーズ」
「これはこれはMr.メイリール。いらっしゃい」

 いつもの営業スマイル、だが、なんつーか、こう……微妙に棘生えてるように感じるのは気のせいだろうか?
 
「オーレ、元気っすよ」
「……そうですか」

 お、ふっと穏やかな目になった。やっぱ気のせいだったかな。

「この間、サリーんとこで無事マイクロチップも入れてきて。昼間はオティアと一緒に探偵事務所に出勤してるし」
「そうですか」

 あれ。また、棘が生えたような……何で?
 まさかこれが男難? いやいやいや。気のせいだ、そうに決まってる。俺は二十一世紀に生きる健全なアメリカ市民だ。中国の歴史と文化に敬意は払うが基本的には科学を信望している。

 予言なんざ知ったこっちゃない!

「このペーパーバック、こっからここまで全部ください」
「ありがとうございます」

 吟味もそこそこに、がばっと興味ありそうな一角をまとめてレジに持ってって。会計をすますのもそこそこに店を出た。
 っかしいなあ。俺、あの人に、何か、したか?
 
 ※ ※ ※ ※
 
 家に帰ってから収穫を確認する。やっぱり確かめずに買って来るもんじゃない。既に持ってる本とだぶってるのがあった……しかも3冊も。
 せめて出版社なり、カバーが違うなりすればまだバリエーションと割り切ることもできたのだが、あいにくと社も一緒、カバーも同じ。
 まあこんな事もあらあな。読書用と保存用が確保できたと思うか。しかしこれだから本が増えるんだよなあ。

 ぶつくさぼやきつつページをめくっていると、はらりと一枚の切り抜きが落ちる。
 何だこれ。新聞か? 拾い上げると、料理のレシピだった。『スイートポテト入りコーンブレッド』。何だかやたらと腹にたまりそうなレシピだ。
 本の前の持ち主は一家の台所を仕切る母親だったのだろうか。それも食べ盛りの息子を抱えた……。
 ディフに持ってってやろうかな。だがこの手のレシピは既に奴のお袋さんから伝授されていそうな気がしないでもない。いかにもあの人の好みそうな献立だし。
 くすっと笑いながら何気なく切り抜きをひっくり返すと、裏面はスポーツ欄らしかった。
 氷の上でのびやかに踊る一組の男女の写真。フィギュアスケートか。
 モノクロだが女性の髪の毛の色は明るい。おそらくは金髪か。短いスカートを翻し、細い足を伸ばした彼女の顔にふと、目が引き寄せられた。
 
 …………………似ている。

 この目、口元、鼻、唇の形、そして顎のライン。オティアとシエンにそっくりだ!
 ただの他人のそら似なんてもんじゃない。遺伝子レベルでの相似性を感じる。(って別にDNA鑑定したわけじゃないが!)
 食い入るように記事を読む。あいにくと一部分しかない。いつ、どこの大会なのかはわからなかったが、それでも写真のペアの名前はわかった。
 ヒース・ガーランドとメリッサ・サラエフ。それが二人の名前。

 オティアとシエンの両親の名前は確か、ヒース・ガーランドとメリッサ・ガーランド……間違いない。あの二人の両親の、若い頃の写真だ。
 そうか、フィギュアの選手だったんだ。お袋さん、美人だな。ロシア系か? 良く見ると親父さんも似てるな……意志の強そうな表情がオティアにそっくりだ。

 俺の両親の遺品はほとんど残っていない。
 名前と年齢を記した事務的な書類と古いブローチぐらいなもんだ。写真は一枚も残ってはいない。
 死に別れたのは五歳の時だった。俺は両親の顔も声も覚えちゃいない。二人が生前何をしていたのか。どこからサンフランシスコにやって来たのかは……今となっては確かめる術もない。

 もし親の写真や映像、声が残っていたら。俺ならどんなかすかな痕跡でも見たいと思う。
 だけどあいつらはどうだろう?
 オティアはどうなんだろう?
 自分にそっくりの母親の写真を見てさえ凄まじい過去に結びついたりしないか。よかれと思ってやったことでもあいつに嫌な思いをさせちまったら意味はない。

 最近は医者通いの成果が徐々に出ているのか、イライラする頻度も下がって来ているようだが、まだまだ油断は禁物だ。

 一枚の薄っぺらな新聞の切り抜きは、長い年月を経て劣化していたが、それでも比較的きれいな状態に保たれていた。
 表面を指でなぞる。

 オティアは扱いづらい子どもだ。
 彼に近づく者は少ない。増して内側にまで踏み込もうとする人間に至っては……。

 最初のうちは不憫と思い手を伸ばしてほほ笑みかけても、いつかは忍耐がすり切れる。
 何を言っても。何をしても。奴の心には届かない。何か一つアクションを起こしても、表情を変えずに淡々としている。さもなくば無視するか、いら立つか。
 表面さえかすりはしない。それどころか苦しめているだけなのだと知った時の絶望や苛立ちは決して小さなものでは終わらない。
 口を開けば出る言葉は極めて攻撃的。自分自身にさえ隠しておきたい、己の最も後ろ暗い本質をずきりと抉る鋭い言葉。
 そんなはずがない。
 否定しながら腹の奥底で怯え、その怯えこそが思い知らせる。彼の言葉は、真実なのだと。そのことに気づいた瞬間、今まで優しくしていた人間は手のひらを返したように冷たく無慈悲になり、容赦無く彼を切り捨てる。

 はい、ここまで。そこでおしまい。そうやって、ずっとあちこちさまよってきたのだろう。

 俺にしたって何度思ったことか。
 放り出して背を向けて、二度と関わらないのが奴にとっても俺にとっても「たったひとつの冴えたやり方」なんじゃないかって。
 だが、そいつを選ぶ予定も意志も一切無い。絶対御免。そんな事するぐらいなら最初っから手なんか伸ばしちゃいねえ。

(……馬鹿だな、俺)

 時折ふと、ろくでもない幻想にとりつかれる瞬間がある。
 何処か遠く高い場所から、何もかも見通すだれかが俺を指さしあざけり、腹をかかえて笑っているんじゃないかって。
 
(ただ一度、弱々しく手を握られたあの瞬間。あれだけで、一生を投げ出してもいいと思った。俺にとってオティアはそれだけの価値があると)

 その気持ちは今も変わらない。だから動く。嫌な顔されようが。うざがられようが。

 いっそレオンのように割り切ることができたら………無理だ。ディフのようにお袋みたいな愛情で包み込む、なんてぇのは初っ端から範疇の外。
 だから俺は俺のやり方で動く。それしかない。

 また、余計な真似をしようとしているのかも知れない。だけど。

 進め、進め、前に進め。
 決して後ろを振り向くな。
 
 せめてこの新聞記事を完全な状態で見つけたい。あいつらに見せてやりたい。
 これがお前たちの両親なんだよって……教えてやりたいと思った。無味乾燥な書類に書かれた名前以上の事実を知らせてやりたいって。

「写真がまずけりゃ、見せなきゃいいんだ」

 よし、決めた。
 探すぞ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 フィギュアスケートもアイスダンスもアメリカでは人気の高い競技だ。人々の関心が高けりゃ自ずと情報も記録もそれだけ多く記される。
 おそらくスケート連盟に問い合わせれば詳しい記録が残っているだろう。だが、あいにくと俺はスポーツ面へのツテは……薄かった。
 一応、これでも社会派で通してるからな。(地域密着型だけど)

 少なくとも、いきなりアポ無しで押しかけて「この人とこの人のことについて教えてくださーい」と気軽に声をかけられるレベルではない。
 こう言う時は、あれだな。『餅は餅屋』、そっち方面に得意な奴に任せるに限る。

 そんな訳で馴染みの出版社に足を運び、我が盟友にして穏やかな口当たりの割には情け容赦なく原稿を取り立てる敏腕編集者、ジョーイ・グレシャムを訪ねることにした。

「よう、ジョーイ。元気か?」
「あれ、ヒウェル。どしたの、確か、今はお前さんに依頼してるお仕事はなかったはずだけど?」
「うん……ちょっとね、頼みたいことがあって」

 事の次第を聞くとジョーイの奴は話半分も聞かないうちに目をうるうるさせ始め、しまいにゃハンカチでぐしぐしと目元をぬぐっていた。
 そう言やこいつは人一倍、涙もろい男だった。

「そうか……ちっちゃい頃に死に別れた両親の面影を探して、ねえ。いいとこあるじゃないか、ヒウェル!」
「まあ、な……」
「常日頃思ってたんだよ、お前さんのその人に知られたくない後ろ暗い事実をことごとく追いかける執念をさあ、たまには世の為人の為に使えって!」
「えらい言われようだね、おい」
「だって、事実だし?」

 派手な音を立てて鼻をかむとジョーイはシステム手帳をとりだし、ぺらぺらとめくり始めた。

「OK、そう言うことなら及ばずながらお力添えしましょう! でもその代わりといっちゃ何だけど、ちょーっと手ぇ貸してもらえる? そうすりゃ時間取れるんだけどな、俺も!」
「いいぜ? 話せよ。何をすればいい」
「さっすが話が早いね。実はさ、一件取材に行って記事まとめて欲しいんだ。アポも段取りもつけてあるんだけど、担当者が急に行けなくなっちゃってねえ」
「おやまあ。風邪でもひいたか、それともダブルブッキングか?」
「いや、ぎっくり腰。さっき病院にかつぎこまれたトコ」

 腰痛、眼精疲労、頭痛。いずれも記者の職業病だ。人ごとじゃないやね、いやはや気の毒に……。

「わかった、引き受けましょう。その代わり、ガーランド夫妻の件はよろしくたのむよ」
「OK、そっちは任せてちょうだい! 双子ちゃんのためにもね……料金はいつもの相場でよろしい?」
「OK、いつもの相場で」

 人懐っこい笑みを浮かべるジョーイと堅い堅い握手を交わす。これにて商談成立。

「それで、俺はどこに行けばいい?」

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【4-5-2】ブルーな気分でスプラッシュ

2008/10/08 2:46 四話十海
 
 そして取材にやってきた展示会の会場で、こうして大量の青い目覚まし時計と対面しちまったのである。
 ああ、まったく忌々しい。これがせめて1コインショップの店先なら、ひらきなおって予備の1つ2つも買っておけるものを……
 芸術作品じゃあ、手出しもできやしない!

 それでも仕事はしたさ、プロだから。

 真面目にキュレーターの話を聞き、メモを取り、許可をもらって写真を写す。悔しいことに例の柱時計のオブジェはすばらしく画面映えがして、撮らずにはいられなかった。

(ああ、まったくもってこのご婦人ときたら!)

 加えてたまたま会場に顔を出していた作者のインタビューをする幸運にまで恵まれちまった。
 実に快活で気持ちのいいお嬢さんだった。

(くそ、これじゃ逆恨みもできやしない!)

「ありがとうございました。それじゃ、雑誌が出たら見本誌送りますんで!」

 展示会場を出て3m歩いた所でへばーっと盛大にため息をつき、ブルーな時計にブルーな気分になりつつ美術館を出る。
 かっとまぶしい陽射しが降り注ぐ。石畳の照り返しがじわじわ熱い。
 よく晴れた日だった。九月とは言えそこそこ気温は高い。エントランス前の噴水が勢い良く噴き上がり、白い水しぶきが散っている。水気をふくんだ空気がひんやりとして心地よい。
 よし、験直しだ。近くのコンビニに入り、アイスを買い求める。ひらべったいボート型の、バニラアイスをチョコでコーティングしたスティックつきのアイス。ラクトアイスとかアイスミルクとか呼ばれる種類のチープな味わいのやつ……好物なんだ、これが。
 
 袋を両手でつまんで、べりっと破った。
 景気よく………いや、良すぎた。ロケットみたいに飛び出したアイスは俺の手のひらからあっさり離脱。つるりん、べしゃり、と石畳の上へ。
 
 ice.jpg

「あ………」

 2秒ほど時間が停止した。
 この期に及んで、まだ食べられるかなと未練がましいことを考えていると、びよおおおと強風が吹いて、噴水の水がじゃばーっと飛んできた。
 ぱらぱらと細かい水滴がカーテンみたいに降り注ぎ、ちっぽけな虹が現れる。みとれる暇もあらばこそ、俺は半端に濡れ鼠。アイスはもちろん水びたし。

「来やがったよ、水難が……」

 ひきつり笑顔でへっと口をゆがめて吐き出した。ポケットから引っぱり出したハンカチはやっぱり半端に濡れていたが、とりあえず大雑把に眼鏡のレンズを拭い、肩をそびやかして歩き出す。

 いいさ。かえって踏ん切りがついたってもんだぜ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ただ今、ジョーイ」
「どーしたのヒウェル。水びたしじゃない。俺が頼んだのは確か美術館の取材だったんだけどね?」
「美術館の前には何がある?」
「噴水。まさか暑さにぷっつんして水浴びしてきたんじゃないよね?」
「笑えない冗談だぜ、Ha,Ha,Ha!」

 乾いた声を震わせ笑っていると、ばさっと上からバスタオルをかけられた。ありがたくごしごしと顔を拭う。終わったところで絶妙のタイミングでティッシュの箱が出てきた。

「サンキュ、ジョーイ」

 きゅっと眼鏡のレンズを拭う。よし、だいぶすっきりしたぞ。タオルを返すと、ジョーイは目をぱちぱちさせてちょこんと首をかしげ、人懐っこい笑みを浮かべた。

「ついでだからさあ、ヒウェル。ここで記事書いてっちゃいなよ」

 そらおいでなすったぞ!
 その手は食うか。基本的に文章を書く時は自分の家で、自分のペースでと決めてるんだ!

「いや、俺、Mac派だし。速攻、帰ったら記事起こすからさ。できたらメールで送るよ」

 そそくさと出口に向かおうとしたが、素早く回り込まれて退路を塞がれる。ったくカートゥーンから抜け出したようなのどかな面してるくせに抜け目ないぜ。

「だいじょーぶ! うちの社には両方そろってるから。ね? ね? ね?」

 背中をとんとん押されて有無を言わさずiMacの前に連れてゆかれ、肩を押されて強制的に着席。あれよあれよと言う間にぽんっとスイッチが入れられて、ファーンっとおなじみの起動音が鳴り響く。

「さあ、どうぞ。テキストエディタでも、ワープロソフトでも、お好きなのを使ってちょうだい?」

 もはや観念するしかなかった。

「わーった、書くよ、書きますよ」
「そう言ってくれると思ったんだ。資料集めにはもうちょっと時間かかりそうだから」
「OK、そっちはよろしく頼むよ」

 ったく、つくづく人を使うのが上手いよ、お前さんは。
 こきこきと指を鳴らすとボイスレコーダーを取り出し、イヤホンを耳にはめた。

 まずは聞き取ったインタビューを片っ端から文字に落す。重要な所は巻き戻して聞き直し、聞きながらネタにできそうな部分に意識のアンカーを落して行く。
 テープ起こしが終わったらふるいにかけるように使いたいネタだけを残して行く。手書きのメモと照らし合わせながらざりざり削る。
 それでも実際の記事に使うのはほんの一部だ。
 記録は記録、記事は記事。混ぜちゃいけない。記録の言葉を整頓しても記事には成らない。
 記録を読み返して記事の大筋を練って……ここまで来て、ようやく記事の下書きに取りかかる準備ができた。
 もっともテープを起こしてる段階で何を書くか、何を書けばいいのかはいい具合に脳みそに染みてるからほとんどメモを見る必要はない。
 細部や数字の確認ぐらいなもんだね。

 下書きができたら綴りを確認しつつ、記事の文字組みと字数に合わせて微調整。最後に三回読み返して作業終了。

「……よし、できあがり」

 デジカメで写した写真のうちから記事に使えそうなのをピックアップして、書き上げた記事もろとも一つの圧縮ファイルにまとめた頃には、ランチタイムをとっくに回っておやつタイムに突入していた。
 何のかんのと言いつつ、集中していたらしい……昼飯食うのも、コーヒー飲むのも忘れるほど。
 ひっさびさに社内の緊張感の中で仕事したなあ。

 んーっとのびをして、がちがちに強ばった腕、肩、首筋を順繰りに伸ばした。

「調子はどうよ、ヒウェル?」
「終わったよ、ジョーイ。お前さんのパソに送っといた」
「ご苦労さん。資料集めといたよ、そこ机の上に」
「さんきゅ……………おわ」

 机の上には、どーんっとファイルが山積みになっていた。一冊一年と見てざっと十年分って所だろうか……あ、もう一個箱があったか。

「デジタル化、されてなかったんだ」
「結構アナログなのよ、この手の記録って。年代は絞っておいたから、後は自分で探してね……あ、これ差し入れ」

 呆然とする俺の前にジョーイはコーヒーを満たした紙コップとドーナッツを置いて、入れ違いに自分のデスクへと戻って行った。
 何、何、あてもなく探すよりはマシだ……。
 もそもそとドーナッツをかじり、コーヒーで流し込みながら大会記録に目を通して行く。

 一つ目のドーナッツを食べ終わり、二つ目が半分消えた所でペアの名前が変わっているのに気づいた。
 ヒース・ガーランドとメリッサ・ガーランドに。

「ああ……この辺で結婚したのか……ってことは、例の新聞記事はこれより前だな」

 年代を絞り込みながら、もっと細かい資料まで読み込んで行く。母親が亡命ロシア人の娘だと言うこともわかった。その愛らしい姿から『銀盤の妖精』と呼ばれていたことも。
 カラーの写真も何枚かあった。双子の金髪は母親ゆずり、紫の瞳はどうやら父親から受け継いだらしい。
 借り物の資料にヤニだの焦げだのをつける訳にも行かない。だから煙草は自粛した。その代わりコーヒーを流し込む。何杯も、何杯も……。
 途中でジョーイに肩をたたかれ、記事はOKだったと言われたような気がしないでもないが記憶が定かじゃない。

 調べているうちに、何やら不思議な気分になってくる。
 俺は今、双子の生まれる前の時間に触れているんだな………。今はもういない二人の面影を追いかけて。

「あった。これだ」

 山と積まれたファイルの中の、新聞記事のスクラップの中からとうとうたどり着いたぞ。古本の間に挟まれていた、記事の欠片のオリジナルに。
 ポケットから切り抜きを取り出し、見比べる。まちがいない、同じだ。

「ジョーイ、これ、コピーとってもいいかな」
「どうぞ。そのために探してたんでしょ?」

 いい奴だ。
 
 慎重にコピーをとる。できるだけ鮮明に、読みやすい文字が出るように濃さを調節して。
 そうしてできあがった最良の一枚から、注意深く写真を切り抜いた。

「あれ、写真はいいの?」
「ああ……文字だけでいい。ありがとな、ジョーイ」
「こっちこそ。いい記事だったよ。なあ、ヒウェル。お前さんさえ良ければ」
「おおっと、その話は無しだ。俺、会社勤めってどうにも性に合わないんだよね?」
「OK、ヒウェル。わかったよ、もう言わない」

 ジョーイは残念そうな顔をして肩をすくめると、未開封の煙草を投げてきた。

「こいつはおまけ。どーせ買い置きの奴は湿気っちゃってるでしょ?」
「お、さんきゅ」

 気が利いてるね。いつも俺が吸ってる奴だ。
 すまんね。毎月決まった給料をもらえる。〆切りはあるがあくまで会社の枠の中。有給休暇有り、ボーナスあり、社会保障制度あり。
 心惹かれないと言えば嘘になるが、しかし……自由(フリー)に勝るものなし。

「ギャラはいつもんトコに振り込んどいてくれ。それじゃ、またご用の節はよしなに」

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【4-5-3】君だけの優しい俺

2008/10/08 2:47 四話十海
 夕暮れの帰り道。歩いているうちに次第に仕事明けの高揚感が冷めてきた。
 それにつれて物悲しい風景に誘われでもしたか、今日一日の不運の連鎖が次第にひしひしと胸に迫ってきた。

 まったくもってついてない一日だった。

 女難、水難と来たが次は何だ? 男難か? せいぜいオティアにそっぽ向れるぐらいだろうか。なまじ両親のことなんか調べたのが裏目に出て嫌われるかもしれないが、いいさ。慣れてる。

 帰り際にジョーイからもらった煙草を一本取り出し、くわえて火をつけた。
 深々と吸い込む。メンソールの香りが体内を満たして行く。
 ふーっと吐き出し、気づいた。ああ、まだ火難があったな、と。

 一応、携帯灰皿は持ち歩いちゃいるが、やっぱ歩き煙草はやばいか。消した方がいいのかな。ああ、でも、この一本だけ。
 つけちゃったものはしょうがないし。

 言い訳しながら、ぽぽぽぽっと煙を輪っかにして吐き出していると……。

「ヒウェル!」

 いきなり背後から声をかけられた。聞き覚えのある声だ。

「メンソールのにおいがするから、ひょっとしたらと思ったんだ……」

 振り向くと、ウェーブのかかった赤みを帯びたブロンドに鮮やかな忘れな草色の瞳。ほっそりした腰にすんなりとした手足。雌鹿のような青年が立っていた。
 石膏の彫刻さながらのなめらかな喉が美しい。
 
「フィル…………」
「うれしいな。覚えていてくれたんだ」

 忘れもしない十一月生まれのフィル。
 去年の秋、電話越しにさよならを言われたのが最後だった。俺は双子の事件を追いかけるのに夢中になって、君の誕生日すら忘れていた。

 指先で白い喉をくすぐるたびに可愛い声をたてて笑っていたね。唇を這わせると微かに吐息をもらし、軽く歯を立てると小さく震えた。甘えん坊で、気まぐれで、そのくせ寂しがり。
 腕を組んでぴったり寄り添って来る君の体はしなやかで、あったかくて……。
 しみじみ思ったもんだ。他人に触れるのはこんなに嬉しいことなんだと。

「元気か?」
「うん、元気」

 とことこと近づいてくると、フィルは俺の腕にそっと触れてきた。忘れな草色の瞳がすがるように見上げてきた。

「ねえ、ヒウェル」
「何だい?」
「俺たち、もう終わっちゃった……のかな……」
 
 ああ、君って人は相変わらずだな。予想外のタイミングでいきなり、核心をついてくる。こっちの心構えや精神状態なんかおかまい無しに。

 君が今、何を思い何を望んでいるか……よくわかるよ。
 こんな言い方をするときは、否定を期待してるんだ。引き留めてほしいのだ。察するに今の彼氏と喧嘩でもしたのかい?
 君と別れてからそろそろ1年。程よく思い出が熟成している頃合いだ。楽しいことは鮮明に浮び上がり、悲しいこと、腹立たしいことは曖昧な記憶の薄やみに沈む。

 あさましいとは思わない。自然なことだ。さみしくてすがりたい、けれどプライドを捨てられない。
 だからこうして俺から引き出そうとする。
 自分の望む答えを。
 
『そんなことないよ』

 そう言って、抱きしめて欲しいんだよな。
 わかってる。よくわかってるよ、フィル。1年前の俺なら喜んで君を抱きしめたろう。その白くなめらかな頬を手のひらで包み込んで、煙草なんか放り出してキスしていただろう。

 でも……なぁ。

 今、俺の心に住んでいるのはただ一人。紫の瞳にややくすんだ金髪の少年。猫よりも猫らしく、口を開けば棘が出る。
 その棘さえも愛おしい。
 ちらとでもこっちを見てくれれば幸せ、言葉を返してくれれば幸せ、話しかけてくれたらそれだけで、生きている喜びを噛みしめたくなる。柄にもなくひたひたと、胸の奥を温かな波が満たして行く。

「うん。終わりだね」

 ガツン!

 揺れた。

 頬から顎にかけて衝撃が走り、目から火花が散った。
 遠心力で眼鏡がずれる。
 思いっきりグーで殴られた。まあしょうがないさ、それだけのことはした。

「ひどい人! だいっきらい!」

 鮮やかなブルーの瞳に透明な雫が盛り上がり、ぽろりとこぼれる。後から、後から、とめどなく。
 一瞬、目を奪われた。
 が。

「あ"ぢぃっ」

 じわじわと二の腕から焦げ臭いにおいが立ちのぼる。
 殴られた拍子に煙草が飛んで、腕に落ちたんだ。
 シャツが焦げてその下の皮膚も真っ赤に腫れている。ついてない。このタイミングで火難が来やがったか。
 元カレの涙を拭いてやることすらできぬまま、大慌てで煙草を払い除けた。むき出しになった右腕の火傷に夕暮れの冷たい風が針金みたいにつき刺さる。顔をしかめ、かろうじて悲鳴の第二段をかみ殺した。

(しまらねぇなあ……)

 この期に及んでもまだ、可能性は残ってる。

『ごめんよ、さっきのは嘘だ』

 そう言って抱き寄せて、キスで涙を拭ってやればいい。おそらく向こうもわずかだがそいつを期待している。
 ずれた眼鏡を整えて、じりっと足元の吸い殻を踏み消し、拾い上げて携帯灰皿に突っ込んだ。
 ぼろぼろ涙をこぼしながら、フィルは呆然として俺の動きを目で追っていた。
 くしゃっと顔が歪み、白鳥のような喉が震え………押し殺した嗚咽が漏れる。自分より吸い殻を優先されたのがよっぽどショックだったらしい。

 ごめんな。俺はもう、君だけの優しいヒウェルにはなれないんだ。おそらくはもう、二度と。

 肩をすくめて歩き出し、三歩進んで振り返る。
 彼は泣きながら電話をかけていた。おそらく相手は今の恋人。
 そうだ、それでいい。
 思う存分泣きつき、抱きつけ。君がすがるべき相手をまちがえちゃいけない。

 男難、これだったのか。

(さあ、これで一通り全部来たぞ。次は何だ?)

 そのまま2ブロック歩き続け、角二つ曲がってフィルの姿が見えなくなった所でようやく立ち止まる。
 ごそごそとポケットをまさぐり、煙草を取り出しかけてやっぱりやめた。代わりに昨日、中華街でもらった菓子を取り出してみる。
 落ち込んでる時は甘い物が一番って言ってたよな……今こそこれを食うのにふさわしい時だ。

 ぺりぺりとセロファンの包み紙を剥がした。炸其馬。蜜をからめたしっとりやわらかい中華風のライスクッキーだった。キャラメルポップコーンを四角く固めたような感じだが、元が米だけにもっと小粒でしっとりしている。

「あー、甘いな……なんか、ほっとする……」

 一口食って、二口目を食おうとしたらぽろりと崩れて手からこぼれおちた。
 まあ、相当ハードな一日だったからなあ。もろくなってても仕方ない。

 グルッポー。グルッポー。

 足元には、せわしなく頭を上下させながら地面を歩く奴らが待ち構えていた。
 地面に落ちた菓子の欠片は、ばさばさ寄って来た鳩どもが、あっと言う間にひとかけらも残さずついばんでくれた。

 まあ、一口は食えた……さ。アイスよりはマシだ。

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【4-5-4】やっぱり予言なんて…

2008/10/08 2:48 四話十海
 家に帰るとちょうど飯の時間だった。
 タイをほどいて引き抜き、焼けこげたシャツを脱いでゴミ箱に放りもうとして、ふと思いとどまる。
 さすがに外には着てけないが、部屋の中でなら問題ないよな。よし、決定。こいつは今日から寝間着用。
 クローゼットから替えのシャツを出して羽織る。袖が左の二の腕に触れた瞬間、ちりっと肌に鋭い痛みが走った。火傷のサイズそのものは大したもんじゃないが、皮膚をひっぺがして直に肉の表面をなでられたような感じだ。冷やしとくか? いや、時間が惜しい。

 例の新聞記事を収めたA5版のクリアファイルを持って部屋を出た。

「腹減った、今日の飯、何?」
「ヒウェル」

 ドアを開けたシエンの笑顔が、途中から強ばり、ぎょっとした表情に変わる。やっぱ目立つか、殴られた跡。

「どうしたの?」
「ちょっと帰りがけにトラブルに巻き込まれてね」

 リビングのソファの上から落ち着き払った声が飛んでくる。

「ああ、いつものことだよ。心配ない、彼は慣れてる」
「ご親切に、どーも!」

 どんな類いのトラブルかお見通しですか、レオン。
 シエンはおずおずと俺の顔に手を伸ばしかけたが、途中で動きを止めた。何やらためらっているらしい。

「冷やしとけば治る。大丈夫だよ、シエン」
「うん……」

 そんなことを話していると、ディフがキッチンからのしのし歩いて来て、冷凍コーンの袋をぐいっと俺の顔面に押し付けた。

「あ、つめたい」
「ついでだ。解凍しとけ」
「サンクス」

 どんな類いのトラブルか、多分、こいつも薄々感づいてる。ざらざらした粒粒の入った袋は、いい具合に殴られた頬にフィットしてくれた。
 ちなみにオティアは相変わらずノーリアクション、ノーコメント……ちらっとこっちを見たけど、それだけ。うん、まあ想定内だよ。

 その夜、食卓に上がったタマネギ入りのコーンプディングはいつもよりちょっとばかり塩っぱい……ような気がした。
 そしてメインは鳥肉。

「これ、鳩じゃないよな?」
「チキンだ」

 食事が終わって、後片付けも一段落したところでリビングで双子を呼び止める。

「オティア。シエン」

 部屋に戻りかけた二人が足を止め、振り返ってきた。オティアがいぶかしげにこっちを見てる。何の用だ? と言わんばかりだ。
 ええい、しおらしく迷ってる暇もありゃしない。ここで渡さなけりゃさっさとこいつは部屋に戻ってしまう。

「お前たちに見てほしいものがあるんだ。これ……」

 不幸てんこ盛りの一日の収穫を居間のテーブルの上に置いて、そっと双子に向けて滑らせる。紫の瞳が4つ、クリアファイルの表面を走り、透明なケースの中の文字を読みとってゆくのがわかった。

 さっと一通り読み終えたのだろう。シエンが小さく声をあげ、目を見開いた。

「え、これ俺たちの親?」

(そうだよ、お前たちのママはお前たちそっくりの美人だった……)

 思っても言わない。ただうなずいて、記事の書かれた大会より後に起きたことを捕捉するに留める。

「サラエフってのは、お前たちのママの結婚前の苗字だよ。この大会の3年後に結婚したんだ」

 オティアは何も言わず熱心に記事を読んでいる。クリアファイルごと手にとって、隅から隅まで。目にした文字は何でも読むってか。ああまったく本の虫だね、お前ってやつは!

「俺こんなの全然知らない」
「そうだな……直接知ってる人でなきゃ教えようがないし。書類には名前と生年月日ぐらいしか残らないからな」
「……うん。これ、どうしたの?」
「たまたま買った古雑誌に切り抜きの一部がはさまってたんだ。見覚えのある名前だなって思って、それで、知り合いの雑誌社で探したら、あった」

 嘘は言っちゃいない。間にあった紆余曲折を省いただけだ。

「ありがと、ヒウェル」

 ああ、良かった、笑ってくれたな、シエン……だけど、瞳の奥に、仕草の端々に、わずかに戸惑う気配がある。
 どうやら、説明を聞いてもぴんと来ないらしい。目の前の新聞記事に書かれた「ヒース・ガーランドとメリッサ・サラエフのペア」が自分たちの両親だと。
 無理もない。両親が亡くなった時、二人ともまだ三歳だった。施設から里親、また施設へ。あちこちを転々としたせいで、自分達の親のことなんか教えてくれる人がいなかったんだろう。

 生まれた場所から遠ざかるにつれて、縁ある人々との繋がりも微かなものとなり、苗字も変わって……そして親と言う単語の意味が、自分の体を構成する物質と、書類上の文字に縮小されて行った。
 改めて、思う。
 ただ親子と言うだけで無条件にあたたかな翼の下に守られ、愛された記憶はこいつらにはほとんどないのだ。

「覚えてる?」

 シエンに聞かれて、オティアが小さな声で答えた。

「……いや」

 シエンは何か言いたそうな顔をしたが、結局、何も言わなかった。
 
「にゃー!」

 頭上から甲高い澄んだ声が降って来る。

「どこだ?」
「あそこ」

 カーテンレールの上で、白いお姫様が四つ足を踏ん張って得意げな顔をしていらっしゃる。どうやらオティアが食堂から出てくるのを待つ間、フリークライミングにいそしんでおられたらしい。

 だだだだ、どどどどど。

 オーレはカーテンレールの上を全力疾走、端にたどりつくとくるりとUターンしてまたどどどどっと走る。尻尾をぴーんと立てて、目をきらきら輝かせて、ものすごく楽しそうだ。
 首輪に下げた金色の鈴がちりちりと鳴る。まるでサンタクロースのトナカイだ。かなり賑やかなはずなのだが、不思議なことにちっともうるさいとか、耳障りだ、とは感じなかった。

 しかしこれ、今はちっちゃな子猫だからいいけれど、大人になってもこの調子で走り回られたら、たまらんだろうなあ。

「そのうちキャットウォーク取り付けた方がいいんじゃね、まま?」
「考えとく」
「……オーレ」

 オティアに呼ばれた瞬間、オーレは耳を立て、勢い良く助走をつけてジャンプ! リーン、と鈴が鳴ったと思ったら、鮮やかにオティアの肩に飛び移っていた。
 …………俺を踏み台にして。

「痛っ」
「大げさなやつだな、たかだか子猫にキックされた程度で」
「デリケートなんだよ……」

 あの位置からなら俺よりディフのが近いのに、何故に俺を踏み台にするのかオーレよ。
 加えて故意か偶然か、はたまたこれも女難の一部か。彼女が踏み切ったのはジャスト火傷の上だった。
 ぷにぷにの柔らかな子猫の足の裏とは言え、ちっぽけな足先に体重がかけられていた。しかも踏切りの強いことといったら、一流のアスリートばりだぜ、このお姫様は……。
 部屋に帰ったら救急箱開けるか。これじゃシャワーもおちおち浴びられねえ。

 顔をしかめながらテーブルの上に視線を落すと、記事を入れたクリアファイルが消えていた。
 あれ、どこだ?

 あった。オティアが持ってる。しっかりと手に持っている。
 ふうっと安堵の息がこぼれる。夕方からずっと、肩からこめかみにかけて張りつめていた嫌な強ばりが、抜けた。

 オティアはオーレを頭に乗せたまま、すたすたと歩いて行く。にやつきそうになる奥歯を噛みしめて見ていると……

「…………」

 すれ違いざまにびしっと容赦無く腕を叩かれた。ご丁寧に火傷してる方を。

「いでえええっ!」
「邪魔」

 ぼそっとつぶやくと、振り向きもせず行ってしまった。
 ああ、まったく報われねえなあ、おい! 一日の締めくくりぐらい綺麗に終わらせてくれたっていいだろうにっ!
 額に手をやって、ふと気づく。
 
「………あれ? 痛く……ない?」

 フィルに殴られた後も。踏み切った瞬間にぷっつり刺さったオーレの爪痕も、そして腕の火傷も、全然痛くない!
 半ば夢見ているような気持ちで頬を撫でる。腫れが完全に引いていた。試しにシャツの左袖をめくってみる。
 …………………………火傷が、消えてる。
 治してくれたんだ。

(せめてありがとうぐらい、言わせてほしかったなあ、オティア)

 散々な一日だったけど、最後が幸せなら問題ない。
 やっぱり予言なんざアテにならないもんだよ、うん。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 浮かれるヒウェルの背後で、シエンが微妙な表情を浮かべていた。戸惑い、困惑、驚き、そしてほんの少しの苦みが入り交じる。
 すれ違い様、明らかにオティアは持てる力を全開にしてヒウェルを治して行ったから………。

 一方、部屋に戻ったオティアは改めて新聞記事に目を通した。

 冷たい氷のほとりで白い頬を真っ赤に染めてにこにこ笑っていた人がいた。
 リンクサイドでいつも青い手袋をしていた。自分とシエンの頬をかわるがわる青い手袋をはめた手でつつみこんで、ほおずりをして、キスをしてくれた。

『これ、おねがいね』

 手袋をはずして、自分たちに片方ずつ渡して……それからくるりと身を翻し、氷の上に駆けて行った。まるで空を飛ぶように軽やかな足どりで。
 シエンが後を追いかけようとすると、いつもこう言っていた。

『今はまだ早いわ。いつかもう少し大きくなって、スケート靴を一人で履けるようになったらね』

 その『いつか』が来ないまま、自分たちは二人きりになってしまった……。
 昔のことだ。
 もう過ぎたことだ。今の自分には関係ない。

 左の手を開き、また握る。手のひらが火照っている。全力で力を出した瞬間の余波がまだ残っているような気がした。

 ヒウェルの傷を治したのは、飼い主の責任だ。少しはお礼の意味もあるけれど。
 迷子のオーレを探していた時に助けてもらったこと。
 青い目覚まし時計。
 そして両親の新聞記事と。
 まとめて清算したまでのこと。

「みゅ……」

 くしくしとオーレが頬に顔を掏り寄せている。肩に手を回して撫でた。

 これで、すっきりした。


(火難水難女難男難/了)

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あいつはシャイな転校生

2008/10/08 2:59 短編十海
・拍手お礼用短編の再録。
【4-4】双子の誕生日(当日編)とほぼ同じ時期、日本のある高校で起きた出来事。
 
「はーい、皆静かにしてー」

 結城羊子は教壇にあがるとくいっと背筋を伸ばし、鈴を振るような透き通った声で呼びかけた。
 身長154cm、ヒール付きのサンダルを履いてどうにか生徒の中に埋もれずにいられる彼女だが、その分、声はよく通る。
 始業前の教室のざわめきがすーっとおさまった。

「OK。さて、今日は転校生を紹介しよう。Hey,Roy! Come in!」

 ネイティブさながらのこなれた発音。ほどなく教室の扉がカラリと開いて、背の高い金髪の少年が入ってきた。
 引き締まった体躯は制服の上からでもはっきりとわかる。決して筋肉過多ではなく、俊敏に動くために鍛えられている。
 だが残念ながら端正な顔だちの上半分は長く伸ばされた前髪の陰になり、その瞳が何色なのかまでは伺い知ることはできない。

「アメリカから留学してきたロイ・アーバンシュタインくんだ。席は風見光一の隣でいいな?」

 手際よくロイの紹介を終え、傍らに呼びかけて……羊子はきょとんと目を丸くした。
 さっきまでそこに立っていたはずのロイの姿がこつ然と消えている!

 きょろきょろと見回すと……いた。

「おーい、お前、何でそんなところに張り付いてるんだ?」

 件の転校生は、天井と壁の出会う角っこにへばりついていた。
 いつの間に?
 と、言うか助走もつけずに?

 金髪の転校生の並外れた運動能力と、そのいささか方向性を誤った使い道に軽い目眩を覚えた。
 耳をそばだてると、何やら母国語でぽそぽそと囁いている。

「……なに。照れくさい?」
「こいつ、シャイなんですよ……」

 風見光一がすかさず歩みでてロイに呼びかける。

「おーいロイ! 早く降りてきた方がいいぞ〜」

 こくこくと無言でうなずくと、ロイはしゅたっと床に降り立ち、光一の隣に立つとはにかんだような笑みを浮かべた。

「……よろしくね」
「OK、それじゃ席について。出席をとる。生田!」
「はい!」
「遠藤!」
「………」
「いないのか?」
「遠藤ではない! 俺の名は! 閃光戦士っ」
「いるな。はい、次ー」
「まだ名乗りの途中なのにーっ」

 やれやれ。

 ひそかに羊子はため息をついた。

 なーんであたしのクラスってばこんな生徒ばっかり集まっちゃうかなぁ……。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

「コウイチ!」

 一時間目が終わるやいなや、ロイは光一に後ろから抱きつき、頬にキスをした。
 
 942880512_76.jpg 08924_157_Ed.JPG ※月梨さん画「あくまで友情です」
 
「さみしかった」
「ははっ、よせよ、ロイ。今朝も会ったばかりだろう?」

 流暢な日本語を話すロイは幼いころから祖父に連れられて何度も来日していた。
 二人の祖父は国境を越えた親友同士だったのだ。その縁で今は光一の家にホームステイしている。

 仲睦まじい二人のハグ&キスの瞬間、クラスの女子は素早く携帯を取り出し、写メを撮った。
 これが撮らずにいられようか?

 しかし、撮った写真を確認した彼女たちは一斉に肩を落として落胆の声をあげた。

「あれー? 手ぶれしてる」
「あたしもー」
「焦りすぎたかなあ………」

 羊子は見ていた。
 携帯のカメラが向けられた瞬間、ロイの足と、手がわずかに動いたのを。足がとん、と小さく螺旋を描くように捻って踏み出され、手が女生徒たちに向けられていた。
 そして常人の目には止まらぬほどの早さと微少な触れ幅で彼女たちの手を揺らしたのだ。

(あれが発剄ってやつか……古武術の心得があると聞いてはいたが、しかし、風見を守るためにそこまでするかあ? ロイ!)

 そんな女教師のツッコミも露知らず、ロイは仲睦まじく光一と語らっていた。
 
(ああ、コウと学園生活を送れるなんて夢の様だ。神様、ありがとうございます!)

 まさしく至福のひと時。だが、唐突に風見光一の携帯が震動した。

「あ」

 びくっと一瞬、震えると光一は携帯を取り出し、そして破顔一笑。

「どうしたの、コウ」
「うん、サクヤさんからメールが来たんだ。ほら、子猫!」

 さし出された携帯の画面には、真っ白な子猫が写っていた。左のお腹にちょっといびつな丸い薄茶色のぶちがある。

「Oh,kitty! very cute ね」
「友だちの家の猫なんだってさ」
「ふーん……それで、コウ」

 どきどきしながらロイは精一杯、何気ないふりを装って質問してみた。

「サクヤさんってダレ?」
「誤解すんなよ、男の人だって!」

(男! コウに、まさか、彼氏がっ?)

「羊子せんせの従弟なんだ。俺にとっちゃ、まあ、先輩かな?」

(センパイ!)

 その瞬間、ロイのシャイな心臓は極限まで縮みあがり、それから一気に限界まで膨れ上がった。

 センパイ。
 日本における最も甘美なる関係。ある意味、単なるお友達よりその絆は深く、憧れの対象でもあると言う。
 バレンタインにセンパイにチョコをあげるかどうかで日本の若人は胸をときめかせ、青春の熱き血潮を燃やすのだと!

(何てことだ。僕の知らない間にコウにそんな大切な人がいたなんてーっ!)

 楽しげにメールに添付されてきた子猫の写真を眺める光一を見つめながら、ロイの思考はぐるぐると、ハリケーンのようにうずを巻いていた。

(かくなる上は、敵情視察! 情報を集めねば……)
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そして昼休み。
 社会科教務室でくつろぐ羊子の所に、思い詰めた表情の男子生徒が訪ねて来た。

「あっれー、ロイ。どうした? 何ぞ悩みでもあるのか?」

 金髪の留学生をひと目見るなり、羊子はさっと英語で話しかけた。母国語の方が、心情の機微がダイレクトに伝わるだろうと思ったのだ。

「ヨーコ先生……教えてください」
「うん、何でも教えるよ?」
「コウイチと、サクヤさんは、どう言う関係なのですか!」
「………………………………」

 一瞬、絶句。
 それから、にんまりと口角をあげてほほ笑む。

「どうって……サクヤはねー。風見に従弟紹介しよっかーっていったら、『はい』って言うからメアドを教えたの」
「こっ、交際前提ですかーっ!」
「んでまず、メル友になって、今はすっかり仲良しさん」

(ど、ど、どうしようなんとかしなければ)

「まあ、サクヤちゃんは今、シスコに留学中だから顔会わせるのは里帰りした時ぐらいなんだけどさ。あの二人、けっこー気が合うみたいだよ?」
「き、きがあうって、たとえばっ?」
「んー、そうねー、サクヤちゃんは、疲れた時はこー癒しを求めて風見をぎゅーっとやってなで回すのがお気に入りなんだ」

 その時に自分も一緒だった、とか。ついでに言うと純粋に疲弊した精神を回復させるために必要な行為だった、とか。サクヤは手を握っていただけでもっぱらなで回していたのは自分の方だった、なんてことは……敢えて言わない。言うつもりもない羊子だった。

「Oh!My God! なんてこと! 僕のコウにはちかよらせない……!」
「おー、青春だねえ、がんばれ、少年!」

 青春の熱き血潮を無駄に燃え立たせる教え子をにこにこしながら羊子は見守った。

「まあ、ほらサクヤは今、サンフランシスコな訳だしさ。お前さんは学校でも家でも風見と一緒な訳だし……あ、そうだ」

 ぽん、と手を叩く。

「なあ、ロイ。さらに親密になるために……風見と一緒に、バイトしてみないか?」
「バイトですかっ?」
「うん。あたしの実家が神社なんだけど………ちょい、人手不足でね」
「わお、ジンジャ!……うん、もちろんダイカンゲイだよっ! 装備は一般武装でいいのかな?」

 武装って。
 冷や汗がたらりと羊子の額をつたう。
 こいつ、警備か何かとまちがえてないか?

「あー、その……武装いらないから。境内の掃除とか草むしりとか社務所の店番とかポチの散歩だから」
「OKOK! ぜひ、やらせてください!」
「きっとそう言ってくれると思ったよ、ロイくん」

 ロイは思った。ああ、ヨーコ先生は何ていい人なんだろう、と。
 
 もし、この場にヒウェル・メイリールがいたら全力で叫んでいたことだろう。

「だまされるな、少年!」と。

 しかし、幸か不幸か彼ははるかサンフランシスコの空の下。

「うふ」

 まるで子鹿かリスのように愛らしい表情で、心底楽しげに笑う羊子の真意は知る由もないのだった。


(あいつはシャイな転校生/了)