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ローゼンベルク家の食卓

【ex7】オーウェン家の食卓

2008/10/27 18:16 番外十海
  • 今回はちょっと趣向を変えて五階のオーウェンさんのお宅の食卓をのぞいてみましょう。
  • 連作短編2本立てです。

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【ex7-1】はじめてのおつかい

2008/10/27 18:17 番外十海
 彼の名前はディーン。
 くるくるカールした鳶色の髪の毛に、濃い茶色の瞳の男の子。
 サクラメントで生まれてサンフランシスコに引っ越してきた。
 ママの名前はソフィア。いつもパンのにおいがする。ディーンはママが大好き。ママもディーンが大好き。

 パパのことはぼんやりとしか覚えていない。ちっちゃな堅いボールをころころと手の中で転がして、時々ディーンにも触らせてくれた。
 
「まだ早いかな」
「早いわよ」
「そうか。大きくなったら……しような」

 ママとこんな話をしていた。

 冷たい灰色の雨の降る日に、パパは遠くに行ってしまった。ママは黒い服を着て、ディーンを抱きしめてぽろぽろ泣いた。
 それから何日かが過ぎて、ディーンとママはおじいちゃんとおばあちゃんの家に引っ越したのだ。

 ディーンが三歳になってからまもなく、新しいパパができた。
 パパの名前はアレックス。
 ママと、ディーンと、パパと三人でZeumに行って、一緒に回転木馬に乗った。くるっと半円を描く角と白いあごひげ、ディーンのお気に入りのヤギに一緒に乗った。

 新しいパパは、すごくきちんとした人だった。
 新しい家は、マンションの5階。すぐ上には、ローゼンベルクさんの一家が住んでいる。パパがとっても大事にしている人たちだ。
 茶色の髪の毛で、いつもきちんとしたスーツを着てるレオンさん。赤い髪の毛のがっしりしたディフはよく笑い、ディーンといつも遊んでくれる。
 金髪のお兄さんが二人、そっくり同じ顔の双子の兄弟。どっちがオティアでどっちがシエンなのか時々忘れる。とりあえず髪の毛の短い方がオティアらしい、と最近わかってきた。
 それから黒い髪の毛で眼鏡をかけた人。パパはメイリールさまと呼んでいる。ローゼンベルクさんの家の人たちはヒウェルと呼ぶ。

「よっ、ディーン。元気かー」
 
 いつも友だちみたいに声をかけてくるから、ディーンもいっちょまえに手をあげて挨拶することにした。

「Hi,ヒウェル。元気だよ」

 新しい家に引っ越したら、友だちの家からは遠くなってしまった。でも幼稚園は前と同じだからさみしくない。幼稚園が終わって、ママが迎えに来てくれると、一緒におじいちゃんのお店に行く。
 夕方までおじいちゃんのお店に居て、それから家に帰るのだ。

 新しい家の台所には、とびっきり大きなぴっかぴかのオーブンがある。パパからママへのプレゼントだ。ぴっかぴかの立派なオーブンで、ママはいつも美味しいパンを焼く。

「どうしてこんなに美味しいの?」と聞いたら、おじいちゃんのお店から分けてもらった特製のイーストが決め手なのよ、と教えてくれた。

 よく晴れた土曜日、ディーンはマンションの庭で遊んだ。ディフと二人でボールを投げて遊んだ。

 最初は一人で壁にぶつけて、はねかえったのを受けとめていた。そうしたらディフが言ったのだ。

「俺も仲間に入れてくれるか? 壁、相手にするよか気が利くだろ」
「……OK」

 軽くてよく弾むゴムのボールはディーンのちっちゃな手でも軽々投げられる。顔にぶつかってもあまり痛くない。最初のうちはディフの投げるボールはものすごく早くて、強くて受けとめることができなかった。
 けれど何度もチャレンジするうちに、ディーンもディフもだんだん力の入れ方が分ってきて、そのうち、上手にお互いのボールを受けとめることができるようになった。

「よーし、だいぶ上達したな、ディーン」
「ディフも上手になったよ?」
「そっか。ありがとな」

 ばふっと大きな手が頭をつつみこみ、わしゃわしゃとなでる。

「ディーン」
「あ……パパだ」

 パパとレオンさんが帰ってきた。

「何だ、レオン。わざわざ駐車場からこっちに回ったのか?」
「途中で姿が見えたんでね……キャッチボールかい?」
「ああ。いい肩してるよ、ディーンは」
「ありがとうございます、マクラウドさま」
「いや、俺も楽しんだし」

 四人で一緒にマンションの中に戻った。同じエレベーターに乗って、ディーンとパパは五階で降りる。ディフとレオンさんはそのまま六階へ。
 ドアを開けると焼きたてのパンのにおいがした。

「ただ今、ママ!」
「お帰り、ディーン。お帰りなさい、あなた」
「ただ今、ソフィア」

 手を洗って台所に戻って来ると、パパがママにただ今のキスをしていた。そろーっと入っていって、ママのスカートをくいっとひっぱる。
 ママはにっこり笑ってディーンを抱きしめ、キスをしてくれた。

「パン、焼いたの?」
「そうよ。ディーン、お使いを頼んでいいかしら」

 そう言って、ママはパンのいっぱい入ったバスケットをディーンに手渡した。

「これを、ローゼンベルクさんのお家に届けてほしいの」
「OK、ママ」
「一人で大丈夫だろうか?」
「大丈夫よ、エレベーターで上がればすぐだし……それにね」

 ママはそっとパパに小さな声で耳打ちした。パパは大きくうなずいて、ディーンの頭を撫でた。

「大事なお役目だ。頼んだぞ、ディーン」
「OK、パパ」

 ※ ※ ※ ※
 
 両手にバスケットを抱えた息子を玄関から送り出すと、ソフィアは素早く携帯をかけた。

「今出ましたわ」
「OK、ソフィア。俺もこれから上がってく」

 ※ ※ ※ ※

 エレベーターが上がって来て、止まった。ドアが開くと、中には先に乗ってる人がいた。

「よっ、ディーン。元気か?」
「Hi,ヒウェル。元気だよ」

 とことこと乗り込み、6と書かれたボタンを押した。
 ここのエレベーターには低いのと、高いのと二カ所にボタンがある。高い方はちょっと難しいけれど、低い方のボタンになら簡単に手が届いた。
 
「いいにおいだな。ママが焼いたのか?」
「うん」
「レオンとこに届けるのか」
「うん」
「そうか、大事な役目だな」
「うん!」

 6階に着くと、ディーンはとことことエレベーターを降りる。
 パパの仕事部屋の前を通って。金髪のお兄さんたちの部屋のドアの前を抜ける。
 もう少し………着いた。
 ローゼンベルクさんの家だ。

 ディーンはバスケットを床に置くと、よいしょっと伸び上がって呼び鈴を押した。
 
「やぁいらっしゃい」
 
 レオンさんがドアを開けてくれた。

「あの、これ、ママが焼いて。みなさんで、めしあがってくださいって」
「そうか、ありがとう。一人で来たのかい、ディーン」

 ちらっと後ろを振り返る。少し離れた所にヒウェルが立っていたけれど、エレベーターの中で一緒になっただけだし……。
 とりあえず、こくこくとうなずいた。

「ごくろうさま」

 レオンさんはバスケットを受けとって、キッチンの方に声をかけた。

「ディフ!」
「よう、ディーン! おつかいか。えらいな」

 大きな手でわしわしと頭を撫でてくれた。

「ちょっとそこで待っててくれ」

 ひょいっとディフはディーンを抱き上げて、居間のソファに座らせてくれた。

 キッチンの方で何か声がする。

「何かごほうびに出すものないか?」
「チョコバーでよければ」
「脚下」
「何で」
「ヤニくさいんだよお前のポケットから出てくる菓子は!」
「……ちぇー」
「オレンジジュース、あるよ?」
「よし、それだ」
「ストロー、あった方がいいよね」
「……どっかで見たようなストローだなおい」
「スタバのアイスラテについてくるやつ。オティア、使わないから」

 しばらくして、金髪のお兄さんがオレンジジュースを持ってきてくれた。髪の毛が長いから、こっちはシエンだなと思った。

「ソフィアさんに渡すものがあるから、しばらくこれ飲んで待っててね」
「うん。……ありがとう。いただきます」

 両手でコップを抱えて、緑のストローを口にふくんで、ちゅーっと吸う。

「おいしい」
「そう。よかった」

 オレンジジュースを飲み終わると、ディフがバスケットを持ってリビングに入ってきた。

「パン、ありがとな。お返しにこれ、食べてくれ」
  
 フタを開けて中をのぞきこむ。

「これ、何?」
「ミートパイだ」
「……カレーのにおいがする」
「ああ。前に作ってる時にこいつがカレー粉こぼしやがってな」
「わざとじゃねーぞ。事故だ、事故!」
「材料もったいないから試しに焼いてみたらけっこう美味かったんだ。それ以来時々、カレーを入れてる」
「新たな食の開拓だ。俺に感謝しろ」
「……………ヒウェル?」
「いでででっ、だからよせっ、オクトパスホールドはーっっ」

 ディフとヒウェルって仲がいいなと思った。いつもハグしてる。なんか、ママとパパのハグとはちょっと形がちがうけど。

「ギブアップ、ギブアーップ!」

 ほんと、仲がいいな。

 帰り道、ヒウェルがエレベーターの所まで送ってくれた。ばいばいと手を振って五階で降りる。ヒウェルは三階に降りて行く。
 とことこと歩いて、自分の家に戻るとパパがドアの前で待っていてくれた。

「ただいま、パパ」
「お帰り、ディーン。お使いごくろうさま。えらかったね」
「うん」
「みなさん喜んでくれたかい?」
「うん。これ、お返しって」
「そうか」

 パパはバスケットを受けとるとディーンを抱き上げてくれた。ディーンはちっちゃな手を伸ばすとパパにしがみつき、頬にキスをする。
 そして二人で中に入った。
 
「ママ、ミートパイもらった」
「まあ、いいにおい。これって、カレーかしら?」
「うん、カレー」

 居間の飾り棚には古い野球のボール。ソファの上にはゴムのボール。
 いつか、『小さな堅いボール』でディーンがキャッチボールをする日も来るだろう。

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【ex7-2】ピザを焼く日

2008/10/27 18:18 番外十海

「ピザって家でもできるものなのか?」

 ディフは目を丸くして、いつもより若干高めの声を出した。
 ショッピングカートのベビーシートに座ったディーンが目を丸くして見上げている。
 場所は行き着けのオーガニックフード専門のスーパーマーケット。ソフィアに頼まれてマンションの近場の食料品店を案内している真っ最中の出来事だった。

「ええ。小麦粉も、調味料も、ベーキングパウダーも混ぜてあって、焼くだけのピザ・ミックスも売ってますよ、ほら」
「ほんとだ。こんなのあるんだな」
「そんなに難しく考えることないんですよ。イーストさえあれば、ある物使ってさっくり焼けちゃいますし、ね」
「それは君だからできることだよ、ソフィア。めったにないだろ、業務用のイーストが常備してある家なんて」
「あら……そうでしたね、つい」

 イースト菌と仲良しの、彼女はパン屋の看板娘なのだ。人妻になろうと、一児の母になろうと、変わらずに。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 きっかけは一緒に買い物をしながらスナック菓子のコーナーを通りかかった時のことだった。

「自慢できる話じゃないけど……十代の時はしょっちゅうやってたよな。ジャンクフードぼりぼり食ったり炭酸飲んだり」
「あー、わかります、それ。私もキャラメルポップコーンとかサワーオニオンのボテトチップスとか大好きで!」
「美味いよな、ポテチ。ピザの出前も何回とったかわかりゃしない」
「そうそう、友だちが来た時は思いっきり大きいのを注文して」
「肉も油もがっつり乗ってるやつをな!」
「食べ終わった時は手も口のまわりもべたべたで……」

 顔を見合わせてひとしきり笑ってから、どちらからともなくほう、と小さくため息をつく。

「………でも、いざ子どもの食事を作るようになってみると………」
「ジャンクフードはためらっちゃいますよね」
「ああ」

 ディフは少し離れた位置でパスタを選んでいる金髪の双子に目を向けた。(今日は特売日なのだ)

「特にあの子たちは油ぎったものも、甘いものも苦手だしな」
「まあ、そうなんですか? マカロニ&チーズはお気に召したみたいですけど」
「うん、あれは好きだな」

 ソフィアはひょい、とかがみこんでカートに座るディーンの頭を撫でた。

「私もね、この子が生まれてから、ピザの出前はめったにとらなくなりました。もっぱら自分の家で焼くばかりで……」
「えっ」

 今、彼女、何て言った? ピザを、自分の家で焼く?

 その瞬間、ディフの脳内スクリーンにはくっきりと、薄く伸ばした生地を高々と放り上げて回転させるソフィアの姿が浮かんでいた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 30分後。
 オーウェン家のキッチンで、エプロンをつけて並ぶソフィアとディフの姿があった。

「ピザの作り方? いいですよ。最初は一緒に作りましょう。お料理って手と目で覚えるのが一番確実で、早いもの」
「そうだな……じゃあ、よろしく頼むよ」

 そんな会話が交わされた結果、こうなったのだが、ソフィアは内心驚いていいた。

 一ヶ月前までは、考えたこともなかったわ。
 赤毛さんとこんな風に並んでキッチンに立って、料理を教え合う仲になるなんて。ほんと、かけらほども予想しなかった。
 でも一緒に買い物をしてみてわかった。この人も基本的に目指している所は私と同じなのね。
 愛する旦那さんと子どもたちのために美味しくて安全な食事を作ろうと気を配って、毎日工夫を凝らしている。

 話も合うはずだわ。

「どうした、ソフィア?」
「え?」
「笑ってた。すごく楽しそうに」
「お料理、好きだから」
「………そうか」

 きゅっとディフは髪の毛を後ろでひとまとめにしてゴムで留め、シャツの腕をまくった。

「俺もだよ」

 身構えずにするりと、自然に言葉が出た。
 
「生イーストの寿命ってだいたい三週間ぐらいなの。これは昨日、父さんから分けてもらったばかりだから元気いっぱいよ」

 冷蔵庫からイーストを入れたタッパーを取り出すと、ソフィアはフタを開けて手際よく中味をボウルに移した。

「うちが3人、ローゼンベルクさんの所が5人だから……だいたいこんな所かな?」
「量らないのか?」
「ええ。カンで!」
「いいね。気に入った」

 金属のボウルにとりわけたイーストをぬるま湯で溶かしながらソフィアは囁いた。この上もなく優しい声で、愛おしげに。

「さあ、みんな目を覚まして。お仕事の時間ですよ……」
「………それも実践しなきゃいけないのか?」
「いいえ、これは、気分の問題ですから! 15分ぐらいこのままそっとしておいてください。その間に粉を量っておきましょう」
「わかった」

 やがてお湯に溶いたイーストから、すっぱいような、香ばしいような、酵母の香りがあふれてきた。パンの香りの元になるにおいだ。

「うん、今日も元気!」

 にこっと笑うとソフィアはボールの縁を指で軽く弾いて澄んだ音を立てた。

「さっ、粉を混ぜましょ」

 オリーブオイルとパン用の小麦粉と水、そして発酵したイーストを大きなボウルの中で混ぜる。最初は杓子で、まとまってきたら素手で。

「ああ、そんなに力入れなくてもいんですよ、ディフ……あ」
「あ」

 まさにその瞬間、力を入れ過ぎて生地がぶちっと二つに千切れた。

 まあ、びっくり、すごい力……薄く伸ばしてる時に破ったことはあるけれど、こねてる時に千切れるのは初めて見たわ!

「……どうしよう」

 ディフは肩をすくめて眉尻を下げ、途方に暮れた顔をしてこっちを見ている。

「大丈夫、まだ粘り気があるからくっつくわ。ささっとまとめちゃいましょう」
「そ、そうか」

 まとめて一つに戻して、さらにこねる。生地が均一にまざり、しっとりとしたのを団子状に丸める。

「OK。そろそろいいわ。あとはこれをラップでぴちっと包んで、冷蔵庫で1時間寝かせておくの」
「寝かせるのか」
「ええ。生地がひとやすみしている間に、人間もひとやすみって所かな? その間に上に何を乗せるか考えておくといいですよ」
「うん……子どもたちに相談する。ありがとな、ソフィア」
「いいえ、どういたしまして!」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ただいま」
「お帰り」

 出迎えに出たシエンはディフの手の中の丸い団子状の物体二つを見て首をかしげた。

「それがピザ? なんか………想像してたのと……ちがうね」
「まだ途中だからな」

 大またでキッチンに歩いて行くと、丸めた生地を冷蔵庫にしまう。ついでに中味をチェックする。さて……何を乗せようか。

「何してるの?」
「ああ、ピザの具を、ね。シンプルにトマトとバジルだけにしとくか?」
「うーん、それだとちょっとさみしいような気がする」
「そうか……じゃあ、タマネギと、ああ、エビもあるな。あとチーズ」
「コーンは?」
「いいね。コーン」

 そして1時間後。
 いい具合に落ち着いた生地を取り出し、薄く伸ばす。破れないように、慌てずに、力を入れすぎないように、手のひらで注意深く。
 ディフのやり方を見ながら、隣でシエンがもう一枚をのばしはじめる。

「めん棒使うか?」
「ううん、大丈夫」

 すっかり平らになったピザ生地の表面に軽くフォークで穴を開ける。オリーブオイルを薄く引いた天板に乗せて、上にさっき選んだ具材を並べた。
 粗くつぶしたトマトにベランダの菜園から摘んだばかりのバジルの葉、ホールコーン、そして小エビをぱらぱらと。仕上げに細かく刻んだチーズをさっと散らして、塩、胡椒で軽く味を付ける。

「これでおわり?」
「ああ」
「ソースは?」
「基本のピザ・マルゲリータでは使わないらしいんだ」
「シンプルなんだね。ピザってもっと、油がぎとぎとしていて味の濃い食べ物だと思ってた」
「うん、まあ……そう言うのが美味い時も、あるな」

 視線を宙に泳がせながらディフは思い出していた。電話でピザをたのんで、ビール片手にテレビを見ながら食うのが楽しい時期もあったな……と。
 隣に居るのはガールフレンドだったり(この場合は往々にしてテレビは忘れ去られる傾向にある)、ロクでもないことを一緒にやらかすヒウェルみたいな友人だったり、色々だった。
 
 まさか、自分でピザ焼く日が来るとは思わなかった。しかも材料に気を配りながら!

「ディフ」
「ん?」
「コーン……こぼれてる」
「おっと」

 うっかり天板の上にまでコーンをばらまいていた。慌てて拾い上げてピザ生地の上に乗せる。

 あらかじめ392°F(200℃)に余熱したオーブンに入れて……。

「目安は20分から25分だけど、オーブンに個性があるから具合を見ながら焼いた方がいいそうだ」
「ソフィアさんが教えてくれたの?」
「ああ。何てったってエキスパートだからな」

 そう、彼女はエキスパートだ。主婦としても、母親としても。

「フライパンで焼く方法もあるらしいぞ」
「サーモンとか乗せても美味しそうだよね」

 代わりばんこにオーブンをのぞいて具合を確かめながら、その間にスープとサラダを作る。ピザにあわせてスープはイタリア風にミネストローネ。サラダはブロッコリーとアボカド、茹でたニンジンで色鮮やかに。

 ミネストローネをかきまぜながらシエンはふと思った。よそうときに一個だけ、セロリ入れないのを用意しておかなくちゃ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

「できたぞ。冷めないうちに、食え」

 食卓に並んだピザを一口かじった瞬間、双子は同時に『あ』と言う顔をした。
 さくっとした生地にとろりと熱いチーズがからまり、みずみずしい野菜を包み込む。噛みしめるとエビがぷつりと弾けた。
 小麦粉の味と野菜とエビ、チーズのうまみがしっかり出ている。
 自分たちの記憶の中の食べ物とはまるでちがう。パサパサに乾いた生地に油がギトギトにまとわりつき、冷えたチーズとソースのこびりついたあれは一体何だったんだろう? 元の味が何だったのかもわからなくなっていた。
 熱い料理なのだと言うことすら知らなかった。

 一切れ食べ終えてから、オティアがぽつりとつぶやいた。

「ピザって美味いものだったんだな」
「…………そうか…………」

 その一言でディフは電光石火で心に決めた。

 また作ろう、と。

「これ、さあ。カレー入れても美味そうだよな」
「え?」
「ええい、何にでもカレー粉をかけるんじゃねえっ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 その頃、オーウェン家では同じようにピザが夕飯の食卓に上っていた。

「おや? これはもしかして……」
「ええ、こっちにはカレーペーストを乗せてみたの。ディフからいただいたミートパイが美味しかったから!」
「なるほど、ユニークだね」

 ディーンはほとんど喋らずに口を動かしている。どうやら気に入ったらしい。

「ところで、ソフィア……ひとつ聞いてもよいだろうか」
「何でしょう、アレックス」
「やはり、このピザを作る時は……宙に放り投げたのかい?」

 一瞬、冗談を言ったのかと思ったけれど、愛しい旦那様はあくまで真面目。
 ソフィアはしばらく目をしぱしぱとさせていたが、やがてころころと笑い始めた。

「いいえ、いいえ! まさか、無理よ……ちょっとずつ手でのばしたの」
「そうか………私は、てっきり」
「あなたが作る時はどうなの、アレックス。放り投げて、くるくるっとやるの?」

 アレックスはとまどった。ピザの作り方は心得ているが、さすがにそこまでしたことはない。慎重に、めん棒と手のひらで少しずつのばして作るのが彼のやり方だった。
 だが、どうだろう。
 ソフィアも、ディーンも目をきらきらさせてこっちを見ている。明らかに期待している!

「……わかった。チャレンジしてみよう」

 ぱあっとディーンが顔全体を輝かせ、こくこくとうなずいた。
 ああ、あんなにうれしそうな顔をしている。これはぜひとも成功させねばなるまい。

 さて、問題は、どこで練習するか、だが……。
 
 ※ ※ ※ ※
 
 数日後、ローゼンベルク家のキッチンでピザ生地を放り投げる有能執事の姿があった。

「すごいね、アレックス」
「ああ、すごいな」

 まさにその瞬間。

「あ」

 高々と宙を舞ったピザ生地が、勢い余ってつるりとアレックスの手から飛び出した。

「うぉっと」

 床に落ちる直前に慌ててディフが受けとめる。
 セーフ。

「ありがとうございます、マクラウドさま」
「今んとこ勝率4割ってとこか」
「………おそれ入ります」

『まま』は知っていた。床に落ちる直前、ほんのちょっとだけピザが上に跳ね上がったのを。
 キッチンの入り口を振り返ると、ちらりと……本を片手に歩いて行く、青いシャツの背中が見えた。

(オーウェン家の食卓/了)

次へ→【side8】くるくる、きゅっ!

びじんひしょ出勤する

2008/10/27 18:20 短編十海
  • 拍手お礼用の短編に加筆、修正した「完全版」です。
  • 探偵事務所には美人秘書がつきものです。そんなわけでマクラウド探偵事務所にもこのたび新しく職員が加わりました。
 
「ディフ」
「何だ?」
「猫……連れてっていいか?」
「事務所にか」

 こくっとオティアはうなずいた。オーレにマイクロチップを入れたその日の夜の出来事だった。

「オフィス・キャットってやつか。構わないぞ。ちゃんと環境整えておかないとな」
「ん」
「荷物多くなるから、初日は車で送って行こう」
「OK」
「ベッドと、食器と、トイレと……」

 打ち合せをする二人の背後で、オーレが愛用の爪研ぎダンボールでばりばりと豪快に爪を研いでいる。

「…………爪研ぎ」
「そうだな」

 何故か夕食時、ヒウェルが来る前になるといつも爪を研ぐのだ。
 それはもう、念入りに。

「にゃっ」

 感心なことに家具やじゅうたんでは決して研がない。母猫のしつけがしっかり行き届いているのだろう。
 トイレの外で粗相をすることもない。これなら、事務所に連れていっても問題はないな、とディフは思った。
 ペット探しも重要な業務だし、何より自分がいない間、オティアが一人でいるよりずっといい。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そして翌日。
 ユニオン・スクエアのとあるオフィスビルの一角で、地下の駐車場から上がって来たエレベーターが止まり、扉が開いた。
 待っていた数人……OLにピザの配達人にビジネスマン、メッセンジャーボーイ。職種も年齢も様々な人々は中をひと目見るなり打ち合せでもしたように一斉に、『え?』っと言う顔をした。

 まず、膨らんだ大きなキャンバス地のトートバッグを肩にかけた大柄な赤毛の男性。バッグの中には猫用トイレに猫砂、キャットフードがぎっしり詰まっている。
 その後をくっついて金髪の少年が、両手で平型のバスケット(中にクッションが入っている)を抱えてちょこまかと。さらにその後ろから瓜二つの少年がペットキャリーを下げて出てくる。
 キャリーの中には白い子猫。
 3人+1匹の風変わりな行列は何食わぬ風にすたすたとギャラリーの前を通りすぎ、廊下を歩いて行く。
 そしてマクラウド探偵事務所のドアを開け、中に入っていったのだった。

『一体今のは何だったんだろう』
『夢でも見たんだろうか?』

 居合わせた人々は言葉もなく顔を見合わせた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 オーレは目をまんまるにして、床に置かれたキャリーの中から外をうかがっている。

 オティアのデスクの傍らに真新しいカゴベッド。(オーレはとにかくカゴの好きな猫だった)
 壁際には家で使っているのと同じ爪研ぎダンボールと食器と水入れ。
 さらに事務所の一角がペット用のサークルで囲まれ、中にはトイレも設置してある。真新しい砂の中にはほんの少し、家で使っているトイレの砂が混ぜてあった。
 
 きょろきょろしながらペットキャリーから顔を出し、そろりそろりと体を低くして周囲を見回す。それからとことこと歩いて行き……爪を研いだ。

「大丈夫そうだな」

 ほっと見守るオティアとディフが安堵の息をついた。

「ドア開ける時、外に飛び出さないように気をつけないとな。彼女は脱走の名人だから」
「ああ」

 爪を研ぎ終わるとオーレはするするとオティアの足から腰、肩へとよじ上り、たしっと頭の上に前足を乗せた。

「……すっかりそこが定位置だな」
「ん」
「みう!」

 あたしは、今日からここではたらくのね。

 所長と少年助手の会話を聞きながら、オーレはきらきらとした目で事務所の中を見渡した。

 おうじさまといっしょに、まじめにお仕事するわ。でも、あたしのお仕事っていったい何なんだろう。
 ママはエドワーズさんのお店でネズミをとるのが大事な仕事だと教えてくれた。でもここにはネズミはいないみたいだし……。
 
 疑問は直に解けた。
 事務所にやってきた顧客の一人が、オーレを見てほほ笑んだのだ。

「まあ、可愛らしい秘書さんね」

 Secretary!

 そうか! あたしのお仕事は『秘書』だったのね。でも『秘書』って何をするのかしら……。
 考えていると、微かな音が聞こえた。オーレは立ち上がり、ぴん、と尻尾を立てて電話の方を見つめた。
 その直後にベルが鳴る。

「はい、マクラウド探偵事務所………」

 所長さんが受話器をとり、うなずきながら話を聞いている。

「わかりました、すぐ伺います。オティア」
「ん」
「例のジャックが脱走した。手伝え」
「わかった」

 オティアと所長さんがいそがしそうに動き出す。
 あたしもお手伝いしなくちゃ。
 オーレは尻尾をたててするすると二人の間を行ったり来たり。腕の間ににゅっと鼻をつっこみ、ひこひことにおいを嗅ぐ。

「……お前はこっち」

 キャリーバッグに入って出発。どこに行くのかと思ってわくわくしていたら、エレベーターに乗せられて上に、上に上がって行く。
 着いた所は見たことのない、広い部屋だった。

 ここはどこっ?
 知らないにおいがいっぱいあるわっ!

「アレックス、事務所を空けるんでしばらくこの子を頼む」
「かしこまりました」
「おいで、オーレ」

 あっ、シエンがいるわ。アレックスもいる。そうか、今度はここでお仕事をするのね……。

「じゃ、行ってくる」

 いってらっしゃい。
 お見送りをしていると、のしのしと床がゆれて、頭の上から低い、太い声が降って来た。

「やあ、可愛い猫だなあ!」

 オーレはびっくり仰天。尻尾をぼわぼわにして本棚の上に駆け上がった。

「あ……逃げちゃった」
「恐れながらレイモンドさま、猫にはもう少し静かにお声をかけた方がよろしいかと」
「そうか……気をつけるよ……」

 
 ※ ※ ※ ※
 

 お昼過ぎに『王子様』が迎えにきた。オーレは本棚の上からすとんと飛び降りた。
 ずっとそこに居たら、アレックスがクッションを敷いてくれた。ふかふかのクッション、大きさもオーレにぴったり。
 本のにおいは大好き。本棚にいるとすごく落ち着く。

 でも、オティアがいちばん。

「にゃう」

 オティア、オティア、あたしちゃんとお仕事したのよ!

 報告しながら足元にすりよる。オティアはオーレを撫でて抱き上げてくれた。
 あれ?
 何なの、このにおい!

 くんくんとジーンズのにおいを嗅ぐ。もわっと背中の毛が逆立った。

 知らない動物のにおいがする!
 すごく毛が堅くてやかましい。きっと犬だわ。お医者さんでかいだことあるもの。

 事務所に戻ると、オーレはくいくいと王子様に顔をすりよせた。

 かまって。
 かまって。
 さみしかったの、かまって。

「ほら……」

 デスクに座ってパソコンを叩くオティアの膝の上に乗り、オーレはくるりと丸くなる。オティアは作業のかたわら時々手をのばし、白くやわらかな毛皮を撫でた。

 オーレはご機嫌、ごろごろと喉を鳴らす。
 
 これが『秘書』のお仕事なのね……。今度、ママに教えてあげよう。あたし、ちゃんとお仕事してるよって。


 そしてマクラウド探偵事務所にはこの日から、強面所長と、有能少年助手に加えて……

「にゃー!」

 美人秘書が増えたのだった。


(びじんひしょ出勤する/了)

次へ→秋の芸術劇場