▼ 【ex7-2】ピザを焼く日
「ピザって家でもできるものなのか?」
ディフは目を丸くして、いつもより若干高めの声を出した。
ショッピングカートのベビーシートに座ったディーンが目を丸くして見上げている。
場所は行き着けのオーガニックフード専門のスーパーマーケット。ソフィアに頼まれてマンションの近場の食料品店を案内している真っ最中の出来事だった。
「ええ。小麦粉も、調味料も、ベーキングパウダーも混ぜてあって、焼くだけのピザ・ミックスも売ってますよ、ほら」
「ほんとだ。こんなのあるんだな」
「そんなに難しく考えることないんですよ。イーストさえあれば、ある物使ってさっくり焼けちゃいますし、ね」
「それは君だからできることだよ、ソフィア。めったにないだろ、業務用のイーストが常備してある家なんて」
「あら……そうでしたね、つい」
イースト菌と仲良しの、彼女はパン屋の看板娘なのだ。人妻になろうと、一児の母になろうと、変わらずに。
※ ※ ※ ※
きっかけは一緒に買い物をしながらスナック菓子のコーナーを通りかかった時のことだった。
「自慢できる話じゃないけど……十代の時はしょっちゅうやってたよな。ジャンクフードぼりぼり食ったり炭酸飲んだり」
「あー、わかります、それ。私もキャラメルポップコーンとかサワーオニオンのボテトチップスとか大好きで!」
「美味いよな、ポテチ。ピザの出前も何回とったかわかりゃしない」
「そうそう、友だちが来た時は思いっきり大きいのを注文して」
「肉も油もがっつり乗ってるやつをな!」
「食べ終わった時は手も口のまわりもべたべたで……」
顔を見合わせてひとしきり笑ってから、どちらからともなくほう、と小さくため息をつく。
「………でも、いざ子どもの食事を作るようになってみると………」
「ジャンクフードはためらっちゃいますよね」
「ああ」
ディフは少し離れた位置でパスタを選んでいる金髪の双子に目を向けた。(今日は特売日なのだ)
「特にあの子たちは油ぎったものも、甘いものも苦手だしな」
「まあ、そうなんですか? マカロニ&チーズはお気に召したみたいですけど」
「うん、あれは好きだな」
ソフィアはひょい、とかがみこんでカートに座るディーンの頭を撫でた。
「私もね、この子が生まれてから、ピザの出前はめったにとらなくなりました。もっぱら自分の家で焼くばかりで……」
「えっ」
今、彼女、何て言った? ピザを、自分の家で焼く?
その瞬間、ディフの脳内スクリーンにはくっきりと、薄く伸ばした生地を高々と放り上げて回転させるソフィアの姿が浮かんでいた。
※ ※ ※ ※
30分後。
オーウェン家のキッチンで、エプロンをつけて並ぶソフィアとディフの姿があった。
「ピザの作り方? いいですよ。最初は一緒に作りましょう。お料理って手と目で覚えるのが一番確実で、早いもの」
「そうだな……じゃあ、よろしく頼むよ」
そんな会話が交わされた結果、こうなったのだが、ソフィアは内心驚いていいた。
一ヶ月前までは、考えたこともなかったわ。
赤毛さんとこんな風に並んでキッチンに立って、料理を教え合う仲になるなんて。ほんと、かけらほども予想しなかった。
でも一緒に買い物をしてみてわかった。この人も基本的に目指している所は私と同じなのね。
愛する旦那さんと子どもたちのために美味しくて安全な食事を作ろうと気を配って、毎日工夫を凝らしている。
話も合うはずだわ。
「どうした、ソフィア?」
「え?」
「笑ってた。すごく楽しそうに」
「お料理、好きだから」
「………そうか」
きゅっとディフは髪の毛を後ろでひとまとめにしてゴムで留め、シャツの腕をまくった。
「俺もだよ」
身構えずにするりと、自然に言葉が出た。
「生イーストの寿命ってだいたい三週間ぐらいなの。これは昨日、父さんから分けてもらったばかりだから元気いっぱいよ」
冷蔵庫からイーストを入れたタッパーを取り出すと、ソフィアはフタを開けて手際よく中味をボウルに移した。
「うちが3人、ローゼンベルクさんの所が5人だから……だいたいこんな所かな?」
「量らないのか?」
「ええ。カンで!」
「いいね。気に入った」
金属のボウルにとりわけたイーストをぬるま湯で溶かしながらソフィアは囁いた。この上もなく優しい声で、愛おしげに。
「さあ、みんな目を覚まして。お仕事の時間ですよ……」
「………それも実践しなきゃいけないのか?」
「いいえ、これは、気分の問題ですから! 15分ぐらいこのままそっとしておいてください。その間に粉を量っておきましょう」
「わかった」
やがてお湯に溶いたイーストから、すっぱいような、香ばしいような、酵母の香りがあふれてきた。パンの香りの元になるにおいだ。
「うん、今日も元気!」
にこっと笑うとソフィアはボールの縁を指で軽く弾いて澄んだ音を立てた。
「さっ、粉を混ぜましょ」
オリーブオイルとパン用の小麦粉と水、そして発酵したイーストを大きなボウルの中で混ぜる。最初は杓子で、まとまってきたら素手で。
「ああ、そんなに力入れなくてもいんですよ、ディフ……あ」
「あ」
まさにその瞬間、力を入れ過ぎて生地がぶちっと二つに千切れた。
まあ、びっくり、すごい力……薄く伸ばしてる時に破ったことはあるけれど、こねてる時に千切れるのは初めて見たわ!
「……どうしよう」
ディフは肩をすくめて眉尻を下げ、途方に暮れた顔をしてこっちを見ている。
「大丈夫、まだ粘り気があるからくっつくわ。ささっとまとめちゃいましょう」
「そ、そうか」
まとめて一つに戻して、さらにこねる。生地が均一にまざり、しっとりとしたのを団子状に丸める。
「OK。そろそろいいわ。あとはこれをラップでぴちっと包んで、冷蔵庫で1時間寝かせておくの」
「寝かせるのか」
「ええ。生地がひとやすみしている間に、人間もひとやすみって所かな? その間に上に何を乗せるか考えておくといいですよ」
「うん……子どもたちに相談する。ありがとな、ソフィア」
「いいえ、どういたしまして!」
※ ※ ※ ※
「ただいま」
「お帰り」
出迎えに出たシエンはディフの手の中の丸い団子状の物体二つを見て首をかしげた。
「それがピザ? なんか………想像してたのと……ちがうね」
「まだ途中だからな」
大またでキッチンに歩いて行くと、丸めた生地を冷蔵庫にしまう。ついでに中味をチェックする。さて……何を乗せようか。
「何してるの?」
「ああ、ピザの具を、ね。シンプルにトマトとバジルだけにしとくか?」
「うーん、それだとちょっとさみしいような気がする」
「そうか……じゃあ、タマネギと、ああ、エビもあるな。あとチーズ」
「コーンは?」
「いいね。コーン」
そして1時間後。
いい具合に落ち着いた生地を取り出し、薄く伸ばす。破れないように、慌てずに、力を入れすぎないように、手のひらで注意深く。
ディフのやり方を見ながら、隣でシエンがもう一枚をのばしはじめる。
「めん棒使うか?」
「ううん、大丈夫」
すっかり平らになったピザ生地の表面に軽くフォークで穴を開ける。オリーブオイルを薄く引いた天板に乗せて、上にさっき選んだ具材を並べた。
粗くつぶしたトマトにベランダの菜園から摘んだばかりのバジルの葉、ホールコーン、そして小エビをぱらぱらと。仕上げに細かく刻んだチーズをさっと散らして、塩、胡椒で軽く味を付ける。
「これでおわり?」
「ああ」
「ソースは?」
「基本のピザ・マルゲリータでは使わないらしいんだ」
「シンプルなんだね。ピザってもっと、油がぎとぎとしていて味の濃い食べ物だと思ってた」
「うん、まあ……そう言うのが美味い時も、あるな」
視線を宙に泳がせながらディフは思い出していた。電話でピザをたのんで、ビール片手にテレビを見ながら食うのが楽しい時期もあったな……と。
隣に居るのはガールフレンドだったり(この場合は往々にしてテレビは忘れ去られる傾向にある)、ロクでもないことを一緒にやらかすヒウェルみたいな友人だったり、色々だった。
まさか、自分でピザ焼く日が来るとは思わなかった。しかも材料に気を配りながら!
「ディフ」
「ん?」
「コーン……こぼれてる」
「おっと」
うっかり天板の上にまでコーンをばらまいていた。慌てて拾い上げてピザ生地の上に乗せる。
あらかじめ392°F(200℃)に余熱したオーブンに入れて……。
「目安は20分から25分だけど、オーブンに個性があるから具合を見ながら焼いた方がいいそうだ」
「ソフィアさんが教えてくれたの?」
「ああ。何てったってエキスパートだからな」
そう、彼女はエキスパートだ。主婦としても、母親としても。
「フライパンで焼く方法もあるらしいぞ」
「サーモンとか乗せても美味しそうだよね」
代わりばんこにオーブンをのぞいて具合を確かめながら、その間にスープとサラダを作る。ピザにあわせてスープはイタリア風にミネストローネ。サラダはブロッコリーとアボカド、茹でたニンジンで色鮮やかに。
ミネストローネをかきまぜながらシエンはふと思った。よそうときに一個だけ、セロリ入れないのを用意しておかなくちゃ。
※ ※ ※ ※
「できたぞ。冷めないうちに、食え」
食卓に並んだピザを一口かじった瞬間、双子は同時に『あ』と言う顔をした。
さくっとした生地にとろりと熱いチーズがからまり、みずみずしい野菜を包み込む。噛みしめるとエビがぷつりと弾けた。
小麦粉の味と野菜とエビ、チーズのうまみがしっかり出ている。
自分たちの記憶の中の食べ物とはまるでちがう。パサパサに乾いた生地に油がギトギトにまとわりつき、冷えたチーズとソースのこびりついたあれは一体何だったんだろう? 元の味が何だったのかもわからなくなっていた。
熱い料理なのだと言うことすら知らなかった。
一切れ食べ終えてから、オティアがぽつりとつぶやいた。
「ピザって美味いものだったんだな」
「…………そうか…………」
その一言でディフは電光石火で心に決めた。
また作ろう、と。
「これ、さあ。カレー入れても美味そうだよな」
「え?」
「ええい、何にでもカレー粉をかけるんじゃねえっ」
※ ※ ※ ※
その頃、オーウェン家では同じようにピザが夕飯の食卓に上っていた。
「おや? これはもしかして……」
「ええ、こっちにはカレーペーストを乗せてみたの。ディフからいただいたミートパイが美味しかったから!」
「なるほど、ユニークだね」
ディーンはほとんど喋らずに口を動かしている。どうやら気に入ったらしい。
「ところで、ソフィア……ひとつ聞いてもよいだろうか」
「何でしょう、アレックス」
「やはり、このピザを作る時は……宙に放り投げたのかい?」
一瞬、冗談を言ったのかと思ったけれど、愛しい旦那様はあくまで真面目。
ソフィアはしばらく目をしぱしぱとさせていたが、やがてころころと笑い始めた。
「いいえ、いいえ! まさか、無理よ……ちょっとずつ手でのばしたの」
「そうか………私は、てっきり」
「あなたが作る時はどうなの、アレックス。放り投げて、くるくるっとやるの?」
アレックスはとまどった。ピザの作り方は心得ているが、さすがにそこまでしたことはない。慎重に、めん棒と手のひらで少しずつのばして作るのが彼のやり方だった。
だが、どうだろう。
ソフィアも、ディーンも目をきらきらさせてこっちを見ている。明らかに期待している!
「……わかった。チャレンジしてみよう」
ぱあっとディーンが顔全体を輝かせ、こくこくとうなずいた。
ああ、あんなにうれしそうな顔をしている。これはぜひとも成功させねばなるまい。
さて、問題は、どこで練習するか、だが……。
※ ※ ※ ※
数日後、ローゼンベルク家のキッチンでピザ生地を放り投げる有能執事の姿があった。
「すごいね、アレックス」
「ああ、すごいな」
まさにその瞬間。
「あ」
高々と宙を舞ったピザ生地が、勢い余ってつるりとアレックスの手から飛び出した。
「うぉっと」
床に落ちる直前に慌ててディフが受けとめる。
セーフ。
「ありがとうございます、マクラウドさま」
「今んとこ勝率4割ってとこか」
「………おそれ入ります」
『まま』は知っていた。床に落ちる直前、ほんのちょっとだけピザが上に跳ね上がったのを。
キッチンの入り口を振り返ると、ちらりと……本を片手に歩いて行く、青いシャツの背中が見えた。
(オーウェン家の食卓/了)
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