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ローゼンベルク家の食卓

びじんひしょ出勤する

2008/10/27 18:20 短編十海
  • 拍手お礼用の短編に加筆、修正した「完全版」です。
  • 探偵事務所には美人秘書がつきものです。そんなわけでマクラウド探偵事務所にもこのたび新しく職員が加わりました。
 
「ディフ」
「何だ?」
「猫……連れてっていいか?」
「事務所にか」

 こくっとオティアはうなずいた。オーレにマイクロチップを入れたその日の夜の出来事だった。

「オフィス・キャットってやつか。構わないぞ。ちゃんと環境整えておかないとな」
「ん」
「荷物多くなるから、初日は車で送って行こう」
「OK」
「ベッドと、食器と、トイレと……」

 打ち合せをする二人の背後で、オーレが愛用の爪研ぎダンボールでばりばりと豪快に爪を研いでいる。

「…………爪研ぎ」
「そうだな」

 何故か夕食時、ヒウェルが来る前になるといつも爪を研ぐのだ。
 それはもう、念入りに。

「にゃっ」

 感心なことに家具やじゅうたんでは決して研がない。母猫のしつけがしっかり行き届いているのだろう。
 トイレの外で粗相をすることもない。これなら、事務所に連れていっても問題はないな、とディフは思った。
 ペット探しも重要な業務だし、何より自分がいない間、オティアが一人でいるよりずっといい。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そして翌日。
 ユニオン・スクエアのとあるオフィスビルの一角で、地下の駐車場から上がって来たエレベーターが止まり、扉が開いた。
 待っていた数人……OLにピザの配達人にビジネスマン、メッセンジャーボーイ。職種も年齢も様々な人々は中をひと目見るなり打ち合せでもしたように一斉に、『え?』っと言う顔をした。

 まず、膨らんだ大きなキャンバス地のトートバッグを肩にかけた大柄な赤毛の男性。バッグの中には猫用トイレに猫砂、キャットフードがぎっしり詰まっている。
 その後をくっついて金髪の少年が、両手で平型のバスケット(中にクッションが入っている)を抱えてちょこまかと。さらにその後ろから瓜二つの少年がペットキャリーを下げて出てくる。
 キャリーの中には白い子猫。
 3人+1匹の風変わりな行列は何食わぬ風にすたすたとギャラリーの前を通りすぎ、廊下を歩いて行く。
 そしてマクラウド探偵事務所のドアを開け、中に入っていったのだった。

『一体今のは何だったんだろう』
『夢でも見たんだろうか?』

 居合わせた人々は言葉もなく顔を見合わせた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 オーレは目をまんまるにして、床に置かれたキャリーの中から外をうかがっている。

 オティアのデスクの傍らに真新しいカゴベッド。(オーレはとにかくカゴの好きな猫だった)
 壁際には家で使っているのと同じ爪研ぎダンボールと食器と水入れ。
 さらに事務所の一角がペット用のサークルで囲まれ、中にはトイレも設置してある。真新しい砂の中にはほんの少し、家で使っているトイレの砂が混ぜてあった。
 
 きょろきょろしながらペットキャリーから顔を出し、そろりそろりと体を低くして周囲を見回す。それからとことこと歩いて行き……爪を研いだ。

「大丈夫そうだな」

 ほっと見守るオティアとディフが安堵の息をついた。

「ドア開ける時、外に飛び出さないように気をつけないとな。彼女は脱走の名人だから」
「ああ」

 爪を研ぎ終わるとオーレはするするとオティアの足から腰、肩へとよじ上り、たしっと頭の上に前足を乗せた。

「……すっかりそこが定位置だな」
「ん」
「みう!」

 あたしは、今日からここではたらくのね。

 所長と少年助手の会話を聞きながら、オーレはきらきらとした目で事務所の中を見渡した。

 おうじさまといっしょに、まじめにお仕事するわ。でも、あたしのお仕事っていったい何なんだろう。
 ママはエドワーズさんのお店でネズミをとるのが大事な仕事だと教えてくれた。でもここにはネズミはいないみたいだし……。
 
 疑問は直に解けた。
 事務所にやってきた顧客の一人が、オーレを見てほほ笑んだのだ。

「まあ、可愛らしい秘書さんね」

 Secretary!

 そうか! あたしのお仕事は『秘書』だったのね。でも『秘書』って何をするのかしら……。
 考えていると、微かな音が聞こえた。オーレは立ち上がり、ぴん、と尻尾を立てて電話の方を見つめた。
 その直後にベルが鳴る。

「はい、マクラウド探偵事務所………」

 所長さんが受話器をとり、うなずきながら話を聞いている。

「わかりました、すぐ伺います。オティア」
「ん」
「例のジャックが脱走した。手伝え」
「わかった」

 オティアと所長さんがいそがしそうに動き出す。
 あたしもお手伝いしなくちゃ。
 オーレは尻尾をたててするすると二人の間を行ったり来たり。腕の間ににゅっと鼻をつっこみ、ひこひことにおいを嗅ぐ。

「……お前はこっち」

 キャリーバッグに入って出発。どこに行くのかと思ってわくわくしていたら、エレベーターに乗せられて上に、上に上がって行く。
 着いた所は見たことのない、広い部屋だった。

 ここはどこっ?
 知らないにおいがいっぱいあるわっ!

「アレックス、事務所を空けるんでしばらくこの子を頼む」
「かしこまりました」
「おいで、オーレ」

 あっ、シエンがいるわ。アレックスもいる。そうか、今度はここでお仕事をするのね……。

「じゃ、行ってくる」

 いってらっしゃい。
 お見送りをしていると、のしのしと床がゆれて、頭の上から低い、太い声が降って来た。

「やあ、可愛い猫だなあ!」

 オーレはびっくり仰天。尻尾をぼわぼわにして本棚の上に駆け上がった。

「あ……逃げちゃった」
「恐れながらレイモンドさま、猫にはもう少し静かにお声をかけた方がよろしいかと」
「そうか……気をつけるよ……」

 
 ※ ※ ※ ※
 

 お昼過ぎに『王子様』が迎えにきた。オーレは本棚の上からすとんと飛び降りた。
 ずっとそこに居たら、アレックスがクッションを敷いてくれた。ふかふかのクッション、大きさもオーレにぴったり。
 本のにおいは大好き。本棚にいるとすごく落ち着く。

 でも、オティアがいちばん。

「にゃう」

 オティア、オティア、あたしちゃんとお仕事したのよ!

 報告しながら足元にすりよる。オティアはオーレを撫でて抱き上げてくれた。
 あれ?
 何なの、このにおい!

 くんくんとジーンズのにおいを嗅ぐ。もわっと背中の毛が逆立った。

 知らない動物のにおいがする!
 すごく毛が堅くてやかましい。きっと犬だわ。お医者さんでかいだことあるもの。

 事務所に戻ると、オーレはくいくいと王子様に顔をすりよせた。

 かまって。
 かまって。
 さみしかったの、かまって。

「ほら……」

 デスクに座ってパソコンを叩くオティアの膝の上に乗り、オーレはくるりと丸くなる。オティアは作業のかたわら時々手をのばし、白くやわらかな毛皮を撫でた。

 オーレはご機嫌、ごろごろと喉を鳴らす。
 
 これが『秘書』のお仕事なのね……。今度、ママに教えてあげよう。あたし、ちゃんとお仕事してるよって。


 そしてマクラウド探偵事務所にはこの日から、強面所長と、有能少年助手に加えて……

「にゃー!」

 美人秘書が増えたのだった。


(びじんひしょ出勤する/了)

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